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異世界で無職を極めた俺は、役割を拒んだ選択の末に歌姫を救う  作者: 若木勇祐


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第5章「選ばれないという選択」

火は、小さかった。


枝を二、三本くべただけの、頼りない焚き火。

それでも、闇の中では十分だった。


恒一は、岩壁を背に腰を下ろし、

膝の上で揺れる半透明の塊を見下ろす。


ゼロスライムは、静かだった。

眠っているのか、考えているのか、わからない。


「……」


ダンジョンを抜けてから、

まだ大きな音は立てていない。


追われてもいない。

呼び止められてもいない。


だからこそ、

今になって、息が追いついてきた。


恒一は、ゆっくりと息を吐く。


(……確認、するか)


自分が、今どうなっているのか。


手を伸ばすと、

空中に淡い光が滲んだ。


水晶も、装置もない。

ただ、「見る」という意思だけで、

それは現れた。


静かな表示。


NAME:空野 恒一

JOB:無職

LEVEL:1

RANK:SSS

ROLL:オールマイティー


「……」


思っていたよりも、あっさりしている。


評価が跳ね上がった実感も、

強くなった感覚もない。


ただ、

事実だけが並んでいた。


恒一は、続きを見ようとして、

少しだけ指を止める。


(……まだ、あるな)


視線を下げる。


STATUS

筋力:—

耐久:—

敏捷:—

魔力:—

干渉力:—


UNIQUE SKILL

選択権オプション・ゼロ


それだけ。


説明はない。

発動条件も、効果範囲も書かれていない。


「……選択権、ね」


言葉にすると、

少しだけ現実味が増す。


ゼロスライムが、

ぷる、と揺れた。


「お前も、関係あるのか?」


問いかけると、

形がほんの少しだけ変わる。


肯定でも否定でもない。

ただ、そこにいる。


恒一は、表示を消した。


光が滲み、

夜の闇に溶けていく。


数値はわかった。

いや、わからないことがわかった。


(……だから、どうする)


答えは、まだない。


でも、

選択肢は、確実に増えている。


立ち上がる。


焚き火を踏み消し、

夜の奥を見る。


道は、示されていない。

地図も、目的もない。


それでも。


「……行くか」


ゼロスライムが、

小さく跳ねた。


恒一は、一歩踏み出す。


評価SSSの無職として。

管理外の存在として。


——選ぶ側として。


夜は、まだ深かった。


恒一は、森の中を歩いていた。

道らしい道はない。

ただ、進めそうな場所を選んで、足を運ぶ。


枝を踏み、

草を分け、

ゼロスライムが、足元で形を変える。


不意に、

空気が変わった。


——近い。


獣の気配。

低く、湿った呼吸音。


恒一は足を止めた。


(……来る)


視界の端で、

黒い影が跳ねる。


速い。

避けきれない。


そう思った瞬間——


景色が、ずれた。


音が遅れ、

風向きが反転し、

恒一の立っている位置が、半歩だけ変わる。


次の瞬間、

影は、彼の“いた場所”を噛み砕いていた。


「……え?」


自分の足を見る。


動いた記憶はない。

避けた実感もない。


ただ、

結果だけが変わっている。


ゼロスライムが、

きゅ、と形を引き締めた。


獣が、もう一度跳ぶ。


恒一は、今度は考えなかった。


(——こっちじゃない)


そう思った瞬間、

足場の石がわずかに沈み、

獣の踏み込みが狂う。


転倒。

隙。


恒一は、ゼロスライムを突き出す。


衝撃。

押し返す。


獣は呻き声を上げ、

森の奥へ逃げていった。


静寂。


恒一は、しばらく立ち尽くしていた。


「……今の」


力を使った感触はない。

判断した覚えも、ほとんどない。


ただ、

“そうならなかった未来”が、選ばれなかった

——そんな感覚だけが残っていた。


(……確定、しなかったのか)


ゼロスライムが、

小さく揺れる。


肯定でも、否定でもない。

ただ、選択が成立したという反応。


恒一は、深く息を吐いた。


「……説明、いらないな」


分かったのは一つだけ。


この力は、

使うものじゃない。


——選んだ瞬間に、もう終わっている。



「無職SSS」が伝わる瞬間


神殿の訓練場は、静かだった。


朝の光。

整列。

指示。


いつも通りの光景。


星宮歌羽は、

詠唱の合間に、ふと違和感を覚えた。


聖職者たちが、

何度も奥の通路を気にしている。


ひそひそとした声。

短い報告。


「……何か、あった?」


隣の少女が小さく首を振る。


「わからない。

 でも……」


声を落とす。


「無職が、レベル1に到達したって」


歌羽の手が、止まった。


「……え?」


続く言葉は、

もっと、ありえなかった。


「評価……SSSらしい」


一瞬、

音が遠のく。


(……恒一)


名前が、喉まで上がる。


でも、口には出なかった。


代わりに、

別の場所で、同じ報告を聞いている人物がいた。


白城祈。


控室の奥。

静かな部屋。


聖職者が、

事務的に告げる。


「無職の一名が、

 評価SSSに到達しました」


祈は、瞬きを一つ。


「……それは、

 世界の基準に照らして、正しいのですか?」


問いは冷静だった。


だが、

返ってきた沈黙が、答えだった。


「……正しく、ありません」


祈は、ゆっくりと息を吐く。


(やっぱり)


驚きは、なかった。


ただ、

あの人なら、そうなる

という、理解だけがあった。


「管理は?」


「不可能です」


その言葉で、

祈は、目を伏せた。


——役割の外に行った。


それが、

選択だったのだと、

今になって、はっきりわかる。


祈は、何も言わなかった。


聖女は、

“正しい側”に立つ存在だから。



「直接手を出さない」と決まる判断


王国・上層会議室。


円卓。

閉ざされた扉。


報告は、短かった。

•無職

•レベル1

•評価SSS

•管理不能

•再現性なし


沈黙。


誰も、すぐには口を開かなかった。


「……攻撃は?」


その問いに、

即座に否定が返る。


「推奨されません」


「理由は?」


「接触した瞬間、

 結果が変わる可能性がある」


別の者が、続ける。


「拘束も同様です。

 成功する未来が、確定しません」


円卓に、重い空気が落ちる。


「……つまり」


一人が、静かにまとめた。


「手を出した時点で、

 こちらが“選ばれない”可能性がある」


結論は、早かった。

•直接介入:不可

•排除:不可

•管理:不可


「対応は?」


「——観測のみ」


「追い込まない。

 刺激しない。

 関わらない」


誰かが、苦く笑った。


「無職一人に、

 世界が配慮するとはな」


だが、誰も否定しなかった。


それが、

最も合理的な選択だと、

全員が理解していたからだ。



夜明け前。

森は、静かすぎた。


恒一は、足を止めていた。

前方、わずかに開けた場所。


気配が、重なっている。


一つじゃない。

二つでもない。


(……囲まれてるな)


逃げ道はある。

けれど、選べば——

必ず、どこかに背を向けることになる。


ゼロスライムが、

膝元で小さく波打った。


警戒。

だが、指示を待っている。


恒一は、息を整えた。


(……今までは)


結果が変わっていた。

自分が知らないうちに。


でも、今回は——


選ぶ。


目を閉じる。


音が、遠のく。

匂いが、薄れる。


頭の中に、

いくつかの“流れ”が浮かぶ。

•左に走る → 追いつかれる

•後退 → 包囲が完成する

•正面突破 → 傷を負う


どれも、

「確定した未来」だ。


恒一は、

その中から一つを掴みかけて——


手を離した。


(……違う)


選ぶんじゃない。

選ばせない。


次の瞬間。


世界が、止まった。


正確には、

確定しかけていた結果だけが、ほどけた。


音が戻る。

匂いが戻る。


だが、

配置が、変わっている。


敵は、

互いの進路を塞ぐ位置に、ずれていた。


一瞬の混乱。


「——今だ」


ゼロスライムが、

盾にも、刃にもならない形で伸びる。


“通れる形”。


恒一は、

そこを踏み抜いた。


走る。

迷わない。


背後で、

何かがぶつかり合う音。


追ってこない。

追えない。


森を抜け、

崖の縁に出たところで、ようやく止まる。


息が、乱れる。


だが、

身体は、無傷だった。


「……はは」


笑いが漏れる。


強くなった感覚はない。

速くなった実感もない。


ただ——


詰みが、存在しなかった。


(……これが)


ゼロスライムが、

静かに寄り添う。


(《選択権》)


名前が、初めてしっくり来た。



「助けなかった選択」が、現実になる


王都近郊。

訓練の合間。


歌羽は、

遠くの森を見ていた。


胸騒ぎが、消えない。


理由は、わかっている。

わかっているから、

目を逸らしてきた。


「星宮さん?」


声をかけられ、振り返る。


「無職の件、聞いた?」


歌羽は、頷かなかった。


「……聞いた」


「怖いよね。

 管理できない存在って」


怖い。

そう言われて、

否定できなかった自分が、怖かった。


その時。


地面が、

わずかに揺れた。


遠く。

森の方角。


誰かが、叫ぶ。


「魔物だ!

 王都外縁で、群れが——」


歌羽の体が、

勝手に動きかけて——


止まる。


命令が、ない。

役割外だ。


歌姫は、

前線に出ない。


——正しい判断。


でも。


(……もし、あそこに)


あの人が、

一人でいたら?


想像が、

胸を締め付ける。


歌羽は、

拳を握りしめた。


(……また、選ばなかった)


その選択が、

どんな結果を生むかも知らずに。



「裁定する側」としての最初の決断


神殿・奥室。


祈の前に、

書類が置かれる。


内容は、簡単だ。

•王都外縁

•魔物出現

•一般人の被害:未確認

•危険度:中


「聖女様、

 裁定をお願いします」


祈は、

一瞬だけ、目を閉じた。


役割。

期待。

正しさ。


そして、

あの名前。


(……空野くん)


浮かびかけて、

沈める。


「——派遣を」


声は、震えていなかった。


「最小限の戦力で。

 被害が出る前に、封じてください」


正しい判断。

合理的な裁定。


誰も、異を唱えない。


書類が、回収される。


祈は、

机に残った一行を見た。


“管理外存在:未確認”


それが、

彼を指していると、

気づいてしまった。


(……これで、いい)


そう言い聞かせる。


だが、

胸の奥が、

静かに痛んだ。



「観測だけでは済まなくなる」


監視室。


水晶が、

不規則に光る。


「……動きました」


「無職が?」


「ええ。

 しかも——」


言葉が、詰まる。


「包囲を、選択なしで抜けています」


沈黙。


誰かが、低く呟いた。


「……観測では、足りないな」


別の声が、即座に否定する。


「直接介入は不可です」


「わかっている」


では、どうする?


答えは、

最初から決まっていた。


「——“役割を持つ者”を、

 近づける」


誰かが、笑った。


「皮肉ですね」


管理外の存在に、

管理内の存在をぶつける。


それが、

世界の選んだ、次の一手だった。



森の向こう。


恒一は、

朝焼けを見上げていた。


ゼロスライムが、

足元で静かに揺れる。


(……来るな)


敵か、

味方か、

それとも——


役割か。


恒一は、

一歩、前に出た。


——選ぶために。



森を抜けた先は、

なだらかな丘だった。


朝の光が、霧を薄く溶かしている。


恒一は、そこで足を止めた。


——人だ。


三人。

装備は軽装。

動きに、無駄がない。


冒険者。

いや、違う。


(……王国側か)


気配を隠すつもりもない。

向こうも、こちらに気づいている。


距離は、まだある。


その一人が、声を張った。


「止まれ!」


剣を抜く音。

詠唱の準備。


役割が、見える。


前衛。

後衛。

支援。


整った構成。

“正しい”パーティ。


恒一は、動かなかった。


逃げられる。

けれど——


(……逃げたら)


また、

「触れられない存在」になる。


ゼロスライムが、

足元で小さく形を変えた。


盾でも、刃でもない。

ただ、そこにある。


「無職だな?」


前に出てきた男が、

確認するように言った。


敵意より、

警戒が強い。


「そうだ」


恒一は、短く答えた。


一瞬の沈黙。


「……話がしたい」


その言葉に、

恒一は、わずかに眉を動かした。


「捕まえるんじゃないのか?」


男は、首を振る。


「無理だって、

 上から言われてる」


正直すぎる答えだった。


「だから——」


一歩、距離を保ったまま。


「役割のある者として、

 お前を“確認”しに来た」


確認。


測定。

分類。


恒一は、

胸の奥で、小さく息を吐いた。


(……やっぱり、そう来るか)


「俺は、役割を持ってない」


「知ってる」


即答だった。


「だからこそだ」


男の目は、

真っ直ぐだった。


「役割の外にいる存在を、

 役割の内側から見る必要がある」


恒一は、

その言葉を、しばらく噛みしめる。


「……面倒だな」


「同感だ」


男は、苦く笑った。


「でも、

 ここで戦わないなら——」


剣を、ゆっくりと下ろす。


「一緒に行動しないか」


その提案は、

どこまでも合理的で、

どこまでも不自然だった。


役割を持つ者が、

役割を持たない者と並ぶ。


——ありえないはずの光景。


恒一は、

ゼロスライムを一度だけ見てから、


「……条件付きだ」


と言った。



「向かう/向かわない」の分岐


王都外縁。


警鐘が、短く鳴った。


大規模ではない。

だが、確実に“現場”だ。


歌羽は、

訓練場の端で、それを聞いていた。


胸が、

嫌な音を立てる。


(……まただ)


無職。

森。

王都外。


繋がってしまう。


「星宮さん」


聖職者が、

名を呼ぶ。


「歌姫は、

 後方支援に専念してください」


正しい指示。


歌羽は、

一度、頷きかけて——


止まった。


(……後方、って)


ここにいること。

歌うこと。

守られること。


それは、

何もしない、という選択だ。


また。


(……また、選ばないの?)


あの時。

神殿で。

恒一が隔離された時。


足は、

動かなかった。


でも。


歌羽は、

一歩、前に出た。


「……私も、行きます」


周囲が、ざわつく。


「危険です」


「歌姫の役割は——」


「知ってます」


歌羽は、

はっきりと言った。


「でも、

 歌う場所は、ここだけじゃない」


沈黙。


聖職者は、

迷った末に、短く言った。


「……自己責任です」


歌羽は、

その言葉に、初めて笑った。


「はい」


そして、

走り出す。


今度は、

選ばなかった後悔を、

選択に変えるために。



「取り返しのつかない裁定」


神殿・奥室。


再び、

書類が置かれた。

•王都外縁

•無職確認

•王国部隊接触中

•危険度:不明


祈は、

文字を追いながら、

違和感を覚える。


(……“不明”)


測れない。

管理できない。


それは、

危険と同義だ。


「聖女様」


声が、促す。


「裁定を」


祈は、

一度だけ、深呼吸をした。


正しさ。

秩序。

被害を出さないこと。


——それが、聖女の役割。


「……監視を強化してください」


声は、静かだった。


「接触は最小限に。

 ただし——」


一拍。


「必要とあらば、

 無力化を許可します」


その瞬間、

空気が変わった。


誰も、反論しない。


正しい。

合理的。


だが。


書類が回収されたあと、

祈の指先が、わずかに震えた。


(……私は)


選んだ。


世界の側を。

役割の側を。


それが、

誰に向けられる裁定か、

わかっていながら。


祈は、

目を閉じた。


——戻れない。


その事実だけが、

静かに、胸に残った。



丘の上。


恒一は、

役割を持つ者たちと並んで立っていた。


遠くで、

歌声が、風に乗る。


まだ、弱い。

だが、確かに届いている。


(……来たな)


ゼロスライムが、

わずかに震えた。


役割。

選択。

裁定。


全部が、

同じ場所へ、

集まり始めている。


恒一は、

一歩、前に出た。


——選ぶために。



丘を越えた先で、

空気が、はっきりと変わった。


魔力の濃度が、重い。

だが、荒れてはいない。


——抑えられている。


「……前線だ」


王国側の男が、低く言った。


恒一は、何も答えなかった。

視線は、前。


そこには、

簡易的に張られた陣。


前衛が構え、

後衛が距離を取り、

支援役が詠唱を準備している。


“正しい戦場”。


そして。


その外側に——

一人の少女が、駆け込んでくるのが見えた。


「……歌羽?」


息を切らしながら、

星宮歌羽が立ち止まる。


装備は、最低限。

それでも、逃げてきた様子はない。


歌羽の視線が、

一瞬で、恒一を捉えた。


「……生きてた」


それだけで、

声が震えた。


「当たり前だろ」


恒一は、

軽く肩をすくめる。


それだけのやり取り。

だが、

その距離は、確かに縮んだ。


王国側の男が、

二人の間に割って入る。


「接触は、そこまでだ」


声は、強くない。

だが、命令だった。


歌羽は、

一歩下がる。


それでも、

視線は逸らさない。


(……今度は、逃げない)


その意思だけが、

はっきりしていた。



空気が、揺れた。


遠く。

祈りの波長。


恒一は、すぐに理解した。


(……来た)


聖女の裁定。


祈の姿は、ここにはない。

それでも、

彼女の“選択”は、確実に届いている。


「指示が来た」


王国側の男が、短く告げる。


「監視を強化。

 必要とあらば——」


言葉を、選ぶ。


「無力化を許可」


歌羽の肩が、わずかに跳ねた。


「……無力化?」


男は、

目を逸らさずに答える。


「殺さない。

 だが、動けなくする」


恒一は、

静かに息を吐いた。


(……祈)


名前は、

口にしなかった。


その代わり、

ゼロスライムに視線を落とす。


ぷる、と揺れる。


(……選んだんだな)


彼女も。

自分も。


違う側を。



次の瞬間。


地鳴り。


陣の外側で、

土が盛り上がる。


魔物だ。


群れ。

数は多くない。

だが、連携している。


「来るぞ!」


前衛が、声を張る。


剣が抜かれ、

詠唱が始まる。


戦闘が、始まる——

はずだった。


だが。


魔物の一体が、

不自然な動きをした。


突進。

——違う。


狙いが、

陣の“中”だ。


支援役。


「——っ!」


悲鳴。


間に合わない。


恒一は、

考えなかった。


(……ここだ)


選択肢が、

一瞬だけ、浮かぶ。

•剣を借りる

•歌羽を庇う

•前に出る


どれも、

確定した未来だ。


恒一は、

それらを——

選ばなかった。


世界が、ほどける。


魔物の踏み込みが、

わずかにズレる。


支援役の足元にあった石が、

崩れる。


転倒。


魔物の牙は、

空を噛んだ。


「……?」


誰も、

何が起きたかわからない。


その隙に、

ゼロスライムが伸びる。


盾でも、刃でもない。

“押し返す形”。


魔物は、

勢いを失い、

前衛の射程に入る。


「今だ!」


剣が振るわれ、

魔物が倒れる。


戦場が、

一瞬だけ、静まった。



「……今の」


王国側の男が、

恒一を見る。


「お前、何をした?」


恒一は、

首を振る。


「……何も」


嘘じゃない。


詠唱もしていない。

力を使った感触もない。


ただ——

選ばなかった。


歌羽は、

その背中を見ていた。


わかる。


理屈じゃない。

でも。


(……この人は)


戦っていないのに、

戦場を変えた。


祈が恐れた理由が、

少しだけ、理解できた。



その時。


神殿側からの干渉が、

一瞬だけ、途切れた。


——届かない。


祈の裁定が、

ここに、乗らない。


王国側の男が、

通信端末を見て、眉をひそめる。


「……反応が、ズレてる」


恒一は、

空を見上げた。


(……届かない、んじゃない)


選ばれていない。


それだけだ。


ゼロスライムが、

静かに形を変える。


恒一は、

前に出た。


「……ここから先は」


誰に向けた言葉でもない。


「俺が、選ぶ」


魔物の残りが、

再び、動き出す。


歌羽が、

一歩、並ぶ。


「……私も」


王国側の男は、

一瞬だけ迷い、

それから、剣を構え直した。


「……勝手にしろ」


役割は、

もう、揃っていない。


——揃えられなくなっていた。



戦場は、

静かに、壊れ始めていた。


選択と、裁定と、役割が、

同時に存在できない場所で。


恒一は、

その中心に立っていた。


——無職として。



戦場は、奇妙な静けさに包まれていた。


魔物は、まだいる。

数も、脅威も、変わらない。


なのに——

誰も、号令を出さない。


前衛は踏み込むタイミングを失い、

後衛は詠唱をためらい、

支援役は、次に何をすべきか判断できずにいた。


理由は、単純だった。


前提が、崩れた。


「……なんだ、今のは」


誰かが、呟く。


恒一が前に出たことで、

戦場の中心が、ずれている。


剣でも、魔法でもない。

なのに、

“結果”だけが変わった。


王国側の男が、

短く息を吐いた。


「……隊形、維持」


声は、少し遅れた。


魔物が、再び動く。


今度は、

陣を崩すような動き。


正面からではない。

回り込む。


「右から来る!」


叫び。


だが、

右にいた前衛は、すでに動いていた。


——いや、動かされた。


本人の意思ではない。


地面が、わずかに沈み、

踏み込みの角度が変わる。


魔物の突進は、

人ではなく、

“空いた場所”へと吸い込まれる。


「……っ?」


理解が、追いつかない。


恒一は、

その中心に立っていた。


目を閉じてはいない。

集中しているわけでもない。


ただ——


(……違う)


そう思っただけだった。


“この結果は違う”

その感覚だけで、

世界が、わずかにズレる。


ゼロスライムが、

彼の足元で、静かに形を変える。


刃にならない。

盾にもならない。


“通り道”を作る。



歌羽は、

その様子を見ていた。


怖くない、わけじゃない。

でも——


(……今なら)


ここなら、

声が届く。


歌羽は、

一歩、前に出た。


誰の許可も、待たずに。


息を吸う。


歌は、

戦場を支配するものじゃない。


ただ、

人の足を、前に出させるものだ。


旋律が、流れる。


高くもなく、

派手でもない。


だが、

確かに、心に残る。


前衛の動きが、揃う。

後衛の詠唱が、安定する。


支援役が、

遅れていた判断を、取り戻す。


——役割が、戻った。


だが、

前と同じ形ではない。


恒一がいる。


その存在を、

前提にした役割。


歌羽は、

恒一の背中を見る。


(……置いていかれない)


そう、決めた。



遠く。


祈は、

水晶越しに、その光景を見ていた。


魔物。

王国部隊。

歌羽。


そして——

恒一。


裁定は、

すでに出している。


無力化、許可。


なのに。


干渉が、

通らない。


(……なぜ)


理由は、

頭ではわかっている。


彼が、裁定の外にいるからだ。


祈は、

唇を噛んだ。


(……それでも)


被害を、出さないために。

正しさのために。


「……次を」


声が、震える。


「追加の裁定を」


聖職者が、

一瞬だけ、躊躇う。


「……聖女様。

 これ以上の干渉は——」


「——わかっています」


祈は、

言い切った。


「それでも、

 選ばなければならない」


それが、

自分の役割だから。


裁定は、

再び、放たれた。



空気が、

一瞬だけ、重くなる。


誰もが、

「何か来る」と感じた。


だが。


何も、起きない。


光は、届かず。

音も、変わらない。


裁定は、

通らなかった。


恒一は、

わずかに眉を動かした。


(……ああ)


理解する。


選択されていない。


それだけだ。


彼は、

歌羽を見る。


「……歌、助かる」


歌羽は、

少しだけ、笑った。


「今度は、

 ちゃんと、選んだよ」


魔物は、

すでに数を減らしている。


残りは、

逃げ腰だ。


王国側の男が、

剣を振る。


「……撤退を許す。

 追うな」


正しい判断。

被害最小。


戦場は、

終わりに向かっていた。



魔物が、

森の奥へ消える。


静寂。


誰も、すぐには動かなかった。


「……無職」


王国側の男が、

恒一を見る。


言葉を、選んでいる。


「お前は……

 戦力じゃない」


一拍。


「前提を壊す存在だ」


恒一は、

肩をすくめた。


「褒めてる?」


「評価だ」


男は、真剣だった。


「そして、

 王国が一番、扱えないやつだ」


歌羽が、

一歩、近づく。


「……行くんでしょ?」


恒一は、

頷いた。


「ここには、

 もう、俺の役割はない」


「最初から、なかったでしょ」


歌羽は、

苦笑する。


恒一は、

空を見る。


朝日が、

はっきりと昇っていた。


(……次だ)


ゼロスライムが、

足元で、軽く跳ねた。


選択肢は、

無数にある。


でも。


——選ぶのは、

もう、迷わない。



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