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異世界で無職を極めた俺は、役割を拒んだ選択の末に歌姫を救う  作者: 若木勇祐


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第3章「正しい隔離」

扉が閉まった。


音は、静かだった。

けれど、それは確かに――遮断の音だった。


広間のざわめきは、もう聞こえない。

誰かの声も、足音も、祈りの言葉も。


あるのは、

白い壁と、冷たい床と、

自分の呼吸だけ。


空野恒一は、立ち止まらなかった。


止まる理由が、なかった。


通路はまっすぐで、曲がり角も装飾もない。

案内というより、搬送に近い。


「……」


背後に、さっきとは別の若い聖職者の気配。

一定の距離を保ち、近づかない。


守っているわけでも、監視しているわけでもない。

ただ――関わらない。


それが、この世界の“正しい対応”だった。


(ああ)


胸の奥で、静かに理解する。


これは、罰じゃない。

追放でもない。


分類だ。


役割のある者は、前へ。

役割のない者は、別へ。


そこに善悪はない。

感情もない。


世界は、ただ――

無駄を省いている。


通路の先に、小さな部屋があった。

窓はない。

祭壇もない。


待機室。

仮置き場。

例外処理用の箱。


扉が開く。


「ここで、しばらくお待ちください」


若い聖職者の声は、最後まで丁寧だった。


「今後の処遇については、

 追って、王国より正式な判断が下されます」


処遇。


その言葉に、

恒一は、ほんの少しだけ笑いそうになった。


「……了解です」


それだけ答える。


返事はなかった。

必要ないからだ。


扉が、閉まる。


今度こそ、完全に。


――ひとり。


恒一は、ゆっくりと息を吐いた。


不思議と、

胸は苦しくなかった。


悲しくも、怒ってもいない。


(戻れないな)


そう、思った。


戻りたい、じゃない。

戻れない。


役割を前提にした場所に、

役割を持たない自分の席はない。


それを、もう知ってしまった。


床に腰を下ろす。

冷たい感触が、やけに現実的だった。


(……自由だ)


その言葉が、

初めて、現実の重さを持つ。


誰にも守られない。

誰にも期待されない。


だから――

誰の判断にも、縛られない。


その時、

なぜか、流川奈緒の顔が浮かんだ。


きっと彼女は、

俺があの列にいないことを、

「仕方ない」と受け入れる。


そして、奈緒なら、

こうなった自分を、

責めも、庇いもせずに見るだろう。


恒一は、目を閉じた。


あの時、

夢の中で見た一本の線。


分かれ道でも、境界でもない。

選択そのもの。


(次は……)


選ばれるんじゃない。

選ばせるんでもない。


――選ぶ。


その瞬間、

部屋の空気が、ほんのわずかに揺れた。


誰にも気づかれないほど、微かに。


だが確かに、

世界は、彼を見失った。



星宮歌羽は、自分の列に戻ったあとも、

ずっと落ち着かなかった。


視線が、

何度も、

さっき恒一が立っていた場所へ向かう。


もう、

そこには誰もいない。


聖職者の声が、

次の説明を始めている。

王国の支援。

宿舎。

訓練。

未来。


全部、

頭に入ってこなかった。


(……行っちゃった)


行った、じゃない。

行かされた。


わかっている。

理屈では、全部。


無職は危険。

役割がない存在は扱えない。

だから、別に管理する。


合理的だ。

正しい。


でも――


歌羽は、

さっきの自分を思い出す。


一歩、踏み出した。

声をかけようとした。


「恒一」


たったそれだけの言葉が、

喉の奥で止まった。


怖かった。


自分まで、

何かを失う気がした。


歌姫。

期待。

役割。

守られた位置。


それを捨てる覚悟が、

あの一瞬の自分にはなかった。


だから、

立ち止まった。


だから、

彼は一人で行った。


(……最低だ)


それでも、あの場では、

それが一番「正しい」選択だった。


そう思うのに、

今さら足は動かない。


列は崩れない。

誰も問題にしない。


“正しい流れ”は、

何事もなかったように進んでいく。


歌羽は、

ぎゅっと拳を握った。


爪が食い込む感覚で、

ようやく現実を実感する。


(後で……)


後で、話そう。

後で、謝ろう。

後で、ちゃんと聞こう。


その「後で」が、

どれだけ遠くなるかも知らずに。


歌羽は、

もう一度だけ、

あの通路の方を見た。


白い柱の影。

閉じられた扉。


そこに続く道が、

もう自分とは別のものになった気がして、

胸の奥が、ひどく冷えた。


ーーあの時、もっと他の言葉をかけていれば。


そんな仮定が、

頭から離れなかった。


けれど、

世界は仮定を許さない。


役割を得た者だけが、

前に進める。


そういう仕組みなのだと、

この時、歌羽は初めて、

身をもって理解していた。



神殿の奥に用意された、聖女のための控室は、きわめて静かだった。

白い壁。長椅子。祈りの紋章。

どれも整いすぎていて、落ち着くはずの場所なのに、祈は息の置き場を失っていた。


「人数確認を行います」


淡々とした声が響く。

呼ばれた名前に、返事が返る。


一人。

また一人。


祈は、無意識のうちに指先を握りしめていた。


ーー来る。


そう思った瞬間、


「……」


呼ばれなかった。


空野恒一。


その名前だけが、名簿の中で音を持たなかった。


「聖女様、こちらへ」


声をかけられて、祈は顔を上げる。

周囲の視線が、一斉に集まるのがわかった。


期待。

安堵。

頼る気配。


立ち止まる理由は、どこにもない。


祈は、一歩前に出た。


その瞬間、

胸の奥で、ずっと触れないようにしていたものが、静かに形を取る。


修学旅行の前。

短い期間だけ、

互いのことを、他の誰より近くに感じていた。


名前をつけるほど、

続かなかった関係。


けれど、

確かに、そこにあった距離。


特別な約束も、派手な思い出もない。

だから、誰も知らない。

知らなくていい、関係だった。


それでも。


あの時、確かに、

隣に立っていた人。


今、その人は、ここにいない。


理由は、分かっている。

役割が、違ったから。

世界が、そう決めたから。


「……」


祈は、何も言わなかった。

言えなかった、ではない。


言ってはいけない、と分かっていた。


聖女は、皆のための存在だ。

一人のために、感情を傾けてはいけない。


胸の奥に浮かびかけた名前を、

祈は、ゆっくりと沈める。


深く。

見えなくなるところまで。


ーーあの人は、たぶん。

私が“正しい側”に立った瞬間から、

一緒にはいられなかった。


「白城祈、配置完了」


その言葉で、

彼女の居場所が、はっきりと定まった。


正しい席。

選ばれた位置。


祈は、背筋を伸ばす。


ーーこれでいい。


そう言い聞かせながら、

一度だけ、空いた場所を見ないふりをした。


その時の祈は、

それが「選択」だったことに、気づいていなかった。



待機室から連れ出され、

しばらく歩いて通された部屋は、

思っていたよりも狭かった。


石造りの壁。

窓はなく、

天井近くに小さな通気孔があるだけ。


椅子が一脚と、

机が一つ。


牢屋というほど粗末ではないが、

歓迎されている空間でもない。


「しばらく、こちらで待機していてください」


案内役の神殿関係者は、

そう言い残して、

扉を閉めた。


鍵の音はしなかった。

けれど、

出ようと思えば出られる、という感じでもない。


恒一は、

椅子に腰を下ろして、

天井を見上げた。


(……隔離、か)


怒りはなかった。

予想通りだったからだ。


役割がない。

想定外。

危険。


さっきの説明を思い返すと、

そのどれもが、

静かに腑に落ちる。


この世界は、

役割を前提に設計されている。


なら、

役割を持たない自分が、

こう扱われるのも自然だ。


「……合理的だな」


独り言が、

石の壁に吸われる。


机の上に、

小さな横長の水晶が置かれていることに気づいた。


手のひらに収まる程度の、

視界の端に、薄い光の板が展開された。

そこに文字と図形が整然と並ぶ。


細い線だけで構成された立体図形が、静かに回転している。


判定に使われたものより、

ずっと簡素だ。


恒一は、

それを手に取る。


ひんやりとした感触。


「補助端末です」


「言語は、神殿の加護により自動翻訳されています。

 あなた方の思考言語を基準に、

 意味のみが変換される仕組みです」


「恒久的なものではなく、

 神殿管理区域外では、保証されません」


いつの間にか、

部屋の外に案内人らしき者がいて、

補助端末について簡単に説明してくれた。


扉の向こう側におり、

姿までは見えなかった。


「その水晶でできた補助端末は、

 ジョブが確定しなかった方に、

 最低限の情報を提供するためのものです」


最低限。


「危険区域に入ることは、

 現時点では推奨されません」


水晶から無機質な音声が流れてくる。


推奨されない、か。


「……戻る方法は?」


一拍、間が空いた。


再び水晶から機械的な音声が流れてくる。


「魔王を討伐することです」


「それが、元の世界への“正常復帰条件”です」


やはり、

そこは変わらない。


「ただし、

 それは“勇者”の役割です」


恒一は、

小さく笑った。


「ですよね」


それ以上の説明はなかった。


声が遠ざかる。

再び、静寂。


恒一は、

水晶を机に置いたまま、

しばらく動かなかった。


(役割がないなら)


なら、

どうすればいい。


答えは、出ない。


ーーその時だった。


水晶が、

ふっと、淡く光った。


判定の時のような、

強い光ではない。


呼吸するみたいに、

ゆっくりと明滅する。


「……?」


手を伸ばす。


触れた瞬間、

水晶の表面が、

波打つように歪んだ。


次の瞬間。


「……あ」


机の上に、

“何か”がいた。


小さな、

銀色に近い半透明の塊。


形は定まらず、

ぷる、と揺れている。


スライム。


典型的な、

異世界の魔物。


「……なんで、ここに」


答えるように、

その塊が、

きゅ、と形を変えた。


まるで、

首を傾げるみたいに。


(……敵意、はない)


むしろ、

不安そうに、

こちらを見上げている気がする。


「……お前も、役割なし?」


そう言うと、

スライムは、

わずかに震えた。


肯定か、

ただの反応かはわからない。


恒一は、

ため息をついた。


「はあ……

 この世界、無職に厳しすぎだろ」


スライムは、

机の端から端へ、

ちょこちょこと移動する。


逃げない。

攻撃もしない。


ただ、

ここにいる。


「……まあ、いいか」


恒一は、

手を伸ばした。


指先が、

ぬるりと沈む。


冷たくもなく、

熱くもない。


不思議と、

嫌な感じはしなかった。


(……一人じゃ、ない)


その事実だけが、

胸の奥に、

小さな支えを作る。


スライムが、

きゅっと、

少しだけ大きく膨らんだ。


(……ゼロ、みたいだ)


ーーそれが、

後に“ゼロスライム”と呼ばれる存在との、

最初の出会いだった。



一方その頃。


神殿の広間では、

空気が完全に切り替わっていた。


クラスメイトたちは、それぞれのジョブにあった武器や防具などの装備品を支給された。


整列は解かれ、

あちこちで、

声が弾んでいる。


「勇者様、よろしくお願いします!」

「一緒に頑張ろうな!」

「私、キャスターです!」


期待。

希望。

役割を得た者だけが持てる、

前向きな熱。


守崎剣翔の周囲には、

自然と人が集まっていた。


「俺が前に出る。

 後ろは任せるぞ」


それだけで、

場がまとまる。


勇者という役割が、

彼の言葉に重みを与えていた。


白城祈は、

少し離れた場所で、

その光景を見ていた。


全体を見渡し、

不足している役割を確認し、

配置を頭の中で組み替える。


生徒会長としての経験が、

そのまま活きている。


(……空野くん)


名前を思い浮かべて、

すぐに振り払う。


今は、

考えても仕方がない。


「役割が違う」


それだけだ。


祈は、

自分に言い聞かせるように、

小さく息を吐いた。


「無職は……危険因子」


誰かが、そう呟いた。

悪意のない、事実確認のような声だった。


誰も否定しない。

誰も肯定もしない。


空気だけが、

「そういうことになった」と理解していく。


その時だった。


「……消すの、早すぎないか」


低い声。

通るわけでも、響くわけでもない。

けれど、不思議と、そこだけ空気が割れた。


一斉に視線が集まる。


壁際に立っていたのは、

影山迅だった。


腕を組んだまま、

誰を見るでもなく、

ただ事実を並べるみたいに言っただけ。


「まだ、何も起きてない」

「起きてないなら、判断は早すぎる」


それだけ。


説明もしない。

感情も乗せない。


ただ、

“処理の速さ”そのものに、

疑問符を置いただけだった。


沈黙が、少しだけ伸びる。


だが――

誰も、その先を引き受けなかった。


聖職者は視線を外し、

白い存在は何も聞かなかったふりをする。


迅も、

それ以上は何も言わない。


言う必要がないと判断したからだ。


空気は、

再び「正しい流れ」に戻っていく。


ただ一つ、

その場に残ったのは――


“違和感が、言語化された痕跡”だけだった。


悪意はなかった。

事実を確認するような、

静かな声だった。


祈は、

その言葉を否定しなかった。


否定できなかった。


(管理できない存在)


それが、

神殿の判断であり、

この世界の常識だ。


「……進もう」


祈は、

前を向いた。


歌羽は、

輪の外で、

そのやり取りを見ていた。


楽しそうな声。

未来の話。

訓練の予定。


その中に、

恒一の姿はない。


笑おうとして、

失敗する。


胸の奥が、

じわりと痛んだ。


(本当に、これでいいのかな)


問いは、

誰にも届かない。


祝福の光が、

広間を満たす。


世界は、

“正しいルート”を、

何事もなかったかのように進んでいく。


ーーその裏で、

一人と一体が、

役割の外側で、

静かに動き始めていることなど、

誰も知らずに。



隔離は、穏やかで正しかった。


鉄格子も、鎖もない。

白い回廊と、神殿の裏側を通る細い通路。

「保護」という言葉に嘘はなかった。


ただ――

人の流れから、確実に外されている。


前後を歩く神殿騎士は三人。

誰も、恒一を縛っていない。

それでも、足取りは自然と遅くなる。


「転移者は、

 やはり期待値が高いですね」


「ええ。

 適合率も、

 初期評価も、

 こちらの人間とは明らかに違う」


「……だからこそ、

 管理から外れる例外は、

 より危険だ」


(……逃げられないな)


そう思った、その時だった。


通路の先、

灯りの届かない曲がり角で、

空気が、わずかに歪んだ。


「止まれ」


騎士の一人が、短く告げる。


遅い。


次の瞬間、

黒い影が、床から這い出した。


犬に似た形。

だが、目が多すぎる。

口が、裂けすぎている。


ーー低級魔物?。


本来なら、

新人の訓練にも使われる程度の存在。


「なぜ、ここに……!」


騎士の一人が声を荒げる。


恒一は、反射的に一歩下がった。

逃げ道を探す。

けれど、背後は壁だ。


(……来る)


魔物が、跳んだ。


速い。

騎士の反応より、半拍早い。


「伏せろ!」


誰かの声が聞こえた。


恒一は、考えるより先に、

腕を前に出していた。


庇おうとしたのか、

突き飛ばそうとしたのか、

自分でもわからない。


その瞬間。


ーー触れる、という概念だけが、消えた。


衝撃はない。

音もない。


ただ、

魔物の前脚が、

そこに“なかった”かのように崩れ落ちた。


遅れて、

胴体が、空中で止まり、

次の瞬間、形を保てなくなる。


切断ではない。

破壊でもない。


欠落。


存在の一部が、

ごっそり抜け落ちた結果だけが、

そこにあった。


魔物は、声も上げずに霧散した。


静寂。


恒一は、まだ腕を突き出したまま、

動けずにいた。


(……え?)


自分の手を見る。

震えている。

血はない。

熱もない。


何も、起きた感触がない。


「……今のは?」


騎士の一人が、呆然と呟いた。


剣は抜かれていない。

詠唱も、スキル発動もない。


ただ、結果だけが残っている。


床には、

魔物が存在していた痕跡すら、ほとんどない。


「記録は?」


別の騎士が問う。


後方の聖職者が、

無言で首を振った。


「……反応なし。

 ダメージログ、確認できません」


その言葉で、

空気が変わった。


恐怖ではない。

混乱でもない。


ーー計算が合わない、という沈黙。


恒一は、

自分の足元に、何かが蠢いた気配を感じた。


視線を落とすと、

半透明の塊が、ぴたりと寄り添っている。


『……だいじょうぶ?』


かすかな意思。


「……ああ」


返事をしながら、

恒一は、ようやく理解した。


(今の……俺がやった、のか?)


答えは、誰にもわからない。


それが、

一番まずかった。



裁定は、即日だった。


「事故」という言葉は、

最初から、議題にすら上がらなかった。


神殿の奥。

白い円卓を囲む、数名の聖職者。


会議の末席に、王国から支給された黒い外套を身に纏った少女が座っている。


発言権はない。

だが、魔女である彼女は、数値と記録の不一致を正確に指摘できる唯一の人間だった。


恒一は、その中央に立たされている。


拘束はない。

だが、逃げ場もない。


「空野恒一」


名を呼ばれる。


「あなたは、本日、

 神殿管理区域内において、

 未登録の現象を発生させました」


未登録。


「詠唱なし。

 スキル名なし。

 属性反応なし」


淡々と、事実だけが並べられる。


「結果として、

 魔物一体が消失しています」


消失、という表現が選ばれたことに、

恒一は、かすかな寒気を覚えた。


「我々は、これをーー」


一拍。


「異端現象と認定します」


誰かが、息を呑む。


恒一は、静かに聞いていた。


(……やっぱり、そうなるか)


「異端とは、

 神の定めた役割体系に従わない存在」


説明は、丁寧だった。


「あなたが悪意を持っていたかどうかは、

 問題ではありません」


問題ではない。


「危険かどうか。

 管理可能かどうか。

 それだけです」


結論は、最初から決まっている。


「……個体固有の現象、という可能性は?」


誰かが、ぽつりとそう言った。

だが、その言葉は、すぐに議題から外された。


「よって、空野恒一をーー」


その時。


円卓の一角で、

一人の少女が、静かに手を挙げた。


長い艶のある黒髪。

黒い外套。


黒葉夜乃。


ーー生徒会の資料室。

夜乃は、帳簿を閉じながら言った。


「空野、これ計算合わないわよ」


「……あ、ほんとだ」


間違いを見逃さない人間は、

人も、仕組みも、同じように見る。


生徒会でも、

夜乃は必要な数字だけを置いていく。

それで十分だった。


「黒葉夜乃、君は本来この場での発言権はないはずだがーー」


聖職者の一人が口を挟む。


「申し訳ありません。

 ですが、一つだけ、確認を」


視線が集まる。


「今の現象、

 “再現性”は調べましたか?」


聖職者の一人が答える。


「いいえ。

 だからこそ、危険なのです」


夜乃は、首を傾げた。


「逆」


短く、言い切る。


「再現性がないなら、

 それは“暴走”じゃない」


場が、ざわつく。


「仕様外の入力に対する、

 仕様通りの反応です」


「……何が言いたいのですか?」


夜乃は、恒一を一瞥し、

それから、円卓を見渡した。


「彼は、

 システムに接続されていない」


「だから、

 想定された処理が行われない」


一拍。


「危険なのは、

 彼じゃない」


夜乃は、淡々と告げた。


「この世界の管理構造です」


沈黙。


その沈黙が、

彼女の立場をも決定づけた。


「黒葉夜乃」


聖職者が、低く言う。


「あなたもまた、

 発言を慎みなさい」


夜乃は、肩をすくめただけだった。


「まあいいです。

 どうせーー」


視線が、恒一に戻る。


「あなたは、いずれ排除される」


断定。


「名前は残る。

 記録は消される。

 “いなかったこと”にされる」


恒一は、目を伏せた。


怖くないわけじゃない。


でも、

どこかで、納得している自分がいた。


(……役割がないって、

 そういうことか)


「異端認定、完了」


「あとは異端審問官、グロスクロイツが引き継ぐ」


その名が出た瞬間、

聖職者たちの空気が変わった。


鐘が鳴る。


それは、

裁きの音であり、

同時に、分岐の音だった。



その頃。


歌羽は、

勇者パーティーとともに、

神殿の中庭にいた。


祝福。

期待。

使命。


全部、順調だ。


「星宮さん、

 歌姫としての適性、非常に高いそうです」


聖職者、神殿司祭エドガーが微笑む。


「……その力は、

 戦場だけでなく、

 “鎮める”ためにも使われます」


聖職者は、そう付け加えた。


「ありがとうございます」


笑顔は、自然に作れる。


……でも。


胸の奥が、

ざわついていた。


(恒一……)


さっきから、

彼の姿を見ていない。


隔離されたと聞いた。

でも、「保護」だと説明された。


大丈夫だと、

自分に言い聞かせる。


その時。


遠くで、

鐘が鳴った。


一度。

短く。


「……今の、何?」


誰かが言った。


聖職者は、

一瞬だけ言葉を選び、

それから、いつもの調子で答える。


「問題ありません」


問題ない。


「想定外の事象がありましたが、

 すでに対処済みです」


対処。


その言葉が、

歌羽の胸に、

ひっかかった。


「……恒一は?」


口に出してから、

少しだけ、後悔する。


場の空気が、

ほんの一瞬、止まった。


「……彼は」


聖職者は、

穏やかな声で言った。


「我々のルートには、

 含まれていません」


それだけ。


それ以上の説明は、

与えられない。


歌羽は、

自分の手を、強く握りしめた。


(……助けなきゃ)


そう思った。


でも、

次の瞬間には、

こうも思ってしまう。


(……今、私が動いたら)


自分の役割。

パーティー。

使命。

期待。


全部が、

壊れるかもしれない。


歌羽は、

一歩を踏み出せなかった。


そしてその選択が、

後に、

彼女自身を縛ることになる。


ーーまだ、この時は、

誰も知らない。



「黒葉夜乃」


名を呼ばれたのは、恒一ではなかった。


「あなたには、

 先ほどの事象について、

 補助的な確認をしてもらいます」


夜乃は一瞬だけ、眉を動かす。


「……私が?」


「あなたは現象を“異端”ではなく、

 “仕様外”として観測しましたね」


否定はしなかった。


だからこそ、

拒否もしなかった。


――その判断が、

この場に彼女を立たせた。


結果として。


隔離室に通された空野恒一と、

確認要員として呼ばれた黒葉夜乃は、

同じ部屋に集められることになった。


黒葉夜乃とは、話さないわけじゃない。

ただ、話す必要がある場面が、ほとんどないだけだ。


「……最悪ね」


「私も、

 あなたも」


恒一は、苦笑した。


「偶然か?」


「いいえ」


夜乃は即答する。


「“効率”よ」


――足音。


乾いた石床を踏む、規則的な音。


近いわけでもない。

大きいわけでもない。


なのに、

なぜか耳に残る。


「……来るわね」


夜乃が身構える。


「誰が?」


恒一が顔を上げる。


「“処理役”」


理由は分からない。

でも、確信だけはあった。


――これは、天使とは違う。


足音が止まり、

扉が、静かに開いた。



音は小さい。

だが、その瞬間、部屋の空気が変わった。


冷えたわけではない。

圧が増した。


「……」


恒一は、顔を上げた。


視線の先に、

黒と白だけで構成された法衣が見える。


ーー異端審問官、グロスクロイツ


その名が告げられた瞬間、

ようやく、

“重さ”の正体が理解された。


入ってきたのは、一人の男。

黒と白だけで構成された法衣。

装飾は最小限。

それなのに、視線が自然とそこへ集まる。


男は、恒一から三歩の位置で立ち止まった。


「異端審問官、グロスクロイツだ」


名乗りは、淡々としていた。

威圧も、誇示もない。

ただの事実確認のような声。


「――空野恒一」


名前を呼ばれた瞬間、

胸の奥が、わずかに軋んだ。


祈でも、歌羽でも、奈緒でもない。

この世界の“外側”から、

定義として呼ばれた感覚。


「君は、本日」


グロスクロイツは、一歩も近づかない。


「神殿管理区域において、

 未登録現象を発生させたな」


机の上の水晶に、

一瞬だけ視線が向く。


ゼロスライムが、

ぴくりと揺れた。


「詠唱なし。

 スキル名なし。

 属性反応なし」


恒一は、黙って聞いていた。


言い訳はない。

説明も、できない。


「結果として、

 魔物一体が消失」


消失、という言葉だけが、

妙に重く響いた。


「以上をもって――」


グロスクロイツは、

初めて、背中の大剣に手をかけた。


抜かない。

ただ、触れるだけ。


それだけで、

床の紋様が淡く光る。


裁定陣。


恒一は、本能的に理解した。

――ここから先は、戦いじゃない。


「異端認定を――」


そこで。


グロスクロイツの言葉が、

止まった。


ほんの一拍。

呼吸一つ分。


「……?」


恒一ではなく、

グロスクロイツのほうが、僅かに首を傾げた。


剣が、反応しない。


光が、集まらない。


裁定陣が、

完全な形を取らない。


「……再確認」


低い声。


グロスクロイツは、

恒一を“見る”。


いや――

恒一の“定義”を探している。


数秒。


沈黙。


その間、

ゼロスライムが、

恒一の足元に寄り添った。


「……」


グロスクロイツは、

初めて、

意味を持った沈黙を置いた。


そして。


「――裁定不能」


その一言が、

この世界で初めて発せられた

否定語だった。


空気が、凍る。


「記録」


誰にともなく告げる。


「当該個体、

 役割未定義ではない」


一拍。


「――役割外存在」


恒一は、息を呑んだ。


無職。

異端。

危険因子。


どれとも違う、

新しい分類。


グロスクロイツは、

剣から手を離した。


「危険度、最高位」


断定。


感情はない。

恐怖もない。


ただ、

世界が一つ、書き換えられた音がした。


「処分は、保留」


グロスクロイツは、淡々と資料に視線を落とした。


「……第三世代の転移者か」


「通常であれば、

 高い適合率と、

 高ランクの役割が与えられる」


一拍。


「それでも、君は“外れた”」


その言葉を残し、

グロスクロイツは、踵を返す。


去り際、

一度だけ、言った。


「空野恒一」


振り向かない。


「君は――

 この世界の中で、説明できない存在だ」


扉が、閉まる。


残されたのは、

沈黙と、

自分の呼吸だけ。


世界は、何も説明してくれなかった。


恒一は、

ゆっくりと拳を握った。


(……今の)


勝っていない。

逃げてもいない。


けれど。


(初めてだ)


世界が、俺を処理できなかった。



処分は、すぐには来なかった。


それが、かえって不気味だった。


白い部屋。

窓は高く、外は見えない。

扉の外に人の気配はあるが、見張りというほど露骨でもない。


拘束はない。

食事も出る。

水もある。


ーー保護。


そう呼ぶには、

あまりにも、待たせすぎだった。


灯りは、ずっと同じ明るさのままだった。


昼なのか、

夜なのか、

判断できない。


時間は、

ここでは進んでいないように感じられた。


(……決まってるんだろ)


恒一は、壁にもたれて座り込み、

自分の手を見つめた。


あの時と同じだ。

何かを壊した感触も、

力を使った実感も、何もない。


あるのは、

結果だけ。


(説明できないって、

 そんなにダメかよ)


外は、異様に静かだった。


神殿が眠る時間だ。


扉の向こうから、足音が聞こえる。

複数か?

規則正しい。


ーー来た。


恒一は、立ち上がらなかった。

逃げ道がないことは、もうわかっている。


鍵が外され、

扉が開く。


……だが。


入ってきたのは、

神殿騎士ではなかった。


「静かにして」


低い声。


黒葉夜乃だった。


夜乃は、ほんの一瞬だけ視線を逸らした。


ーー将棋部の部室。

放課後、誰もいない盤の前。


盤を挟んでいる間、

言葉は、ほとんど必要なかった。


「その手、無駄が多い」


ただ、そう言って、恒一の指先を、

駒ごと押し戻したことはあった。


「でも、悪くないわ」


その記憶が消える前に、

夜乃は、いつもの外套姿のまま部屋に入ってきた。


黒の外套の下、夜乃の瞳は薄いレンズ越しにこちらを見ていた。


「……夜乃?」


「声、出さないで」


扉が、彼女の背後で静かに閉まる。

鍵の音は、しない。


「ここ、監視は?」


「ある。

 でも、“想定内の動き”しか見てない」


夜乃は、床に膝をつき、

恒一の足元に手を伸ばした。


半透明の塊が、

ぴくりと動く。


『……このひと、しってる』


「知ってるでしょうね」


夜乃は、淡く笑った。


「あなたが、

 さっき“拾ってた”ものだから」


恒一は、息を呑んだ。


「……見てたのか」


「全部じゃない。

 でも、十分」


夜乃は立ち上がり、

真っ直ぐ恒一を見る。


「結論から言う」


短い。


「ここにいたら、

 あなたは消される」


「……殺される?」


「もっと丁寧」


夜乃は首を振る。


「“役割を持たなかった存在”として、

 記録から抹消される」


存在しなかったことになる。

戻る場所は、ない。


「それって……」


「事故じゃない」


夜乃は、きっぱり言った。


「仕様」


恒一は、思わず笑った。


「合理的だな」


「ええ。

 だから、間違ってない」


夜乃は、少しだけ言い淀む。


「……ただし」


視線が、床に落ちる。


「“世界にとって”は、ね」


一拍。


「逃げるわよ、空野恒一」


「は?」


「今から。

 この瞬間に」


あまりにも、あっさり言う。


「待て、そんな簡単に――」


「簡単じゃない」


夜乃は、外套の内側から、

小さな結晶片を取り出した。


「これは、管理者用の認証キー。

 借りてきた」


「借りて……?」


「返す気はない」


平然としている。


「でも、逃げたら」


恒一は、言葉を探す。


「歌羽や、奈緒は……?

 それにお前だって……」


夜乃は、視線を逸らさなかった。


「私は大丈夫」


「でも、あなたは」


言い切る。


「戻れない」


恒一は、目を伏せた。


朝の台所。

目玉焼きの音。

歌羽の声。


帰り道。

奈緒の、半歩後ろの距離。


全部が、

急に、現実味を帯びる。


(……選べってことか)


役割を受け入れるか。

役割の外へ行くか。


迷っていると、

夜乃が、ぽつりと言った。


「あなたはね……」


声が、少しだけ柔らぐ。


「“何者でもない”自分を、

 ちゃんと守ろうとしてる」


恒一は、顔を上げる。


「それ、

 この世界じゃ、ものすごい才能よ」


沈黙。


足音が、近づいてくる。

今度は、はっきりと。


時間がない。


空気が、

ほんの少しだけ冷えた。


恒一は、息を吸い、

ゆっくり吐いた。


「……逃げた先に、

 何がある?」


夜乃は、少し考えてから答える。


「わからない」


即答だった。


「役割がないから。

 地図も、用意されてない」


恒一は、

それを聞いて――


なぜか、笑った。


「最悪だな」


「ええ」


夜乃も、ほんの少しだけ笑う。


「でも」


一歩、近づく。


「あなたには、

 “選ぶ権利”がある」


恒一は、足元を見る。


半透明の存在が、

ぴたりと寄り添っている。


『……いく?』


小さな意思。


「……ああ」


答えは、

もう決まっていた。


「行こう」


夜乃は、結晶片を床に置き、

短く詠唱する。


空間が、歪む。


扉の外で、

誰かが叫んだ。


「異端が――!」


言葉の途中で、

視界が白に溶ける。


最後に見えたのは、

神殿の天井。


役割を与える場所。


ーーそこから、

完全に、落ちていく感覚。


ーーそこは、

役割のない者だけが落ちていく、

世界の外側だった。



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