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 まどろみのなかで何かの音を感じた。

 とん、とん、とん、と誰かに肩を叩かれているような。

 目が覚めると、すぐに音の正体はわかった。

 雨粒が滴り落ちている音だ。

 今日は雨か。 

 雨の日は心がひどく乱れてしまう。体調も悪くなって、雨が降っている間は憂鬱にもなる。

 ギタースタンドに立てている、アコースティックギターに目をやる。

 ベッドから起き上がって、ギターを手にする。

 何年、経っても。何回、触れても。ギターを手にした瞬間は新鮮な気持ちになれる。

 健吾の叔父さんから、このギターを譲り受けたとき。ひとつだけ条件を提示された。

「ギターの代金はいらないから、ギターを弾かない日でもギターには触れてあげてください」

 そう言われて、どんなときでも、一日に一度は必ずギターに触れるようにしている。

 憂鬱なときには、ギターを弾くに限る。

 ぼくはパソコンを起ち上げて、クラプトンの曲を流した。音に合わせてギターを弾く。クラプトンの演奏技術には遠く及ばないし、健吾にも遠く及ばない。それでも、この数年で少しはぼくも上達したと思う。

 しばらくの間、何も考えずにギターを弾き続けた。ただ、音に身を委ねた。

 何曲か弾き終えて、ふと我に返る。まだ、何も口にしていないことを思い出した。

 ギターをスタンドに戻して、キッチンに向かう。

 冷蔵庫のなかを覗いてみる。すぐに食べられそうな物は入っていなかった。

 炊飯器を開けると、白ごはんが炊いてあった。ぼくは焼き飯を作ることにした。

 母が仕事をしている時間の食事は、なるべく自分で作るようにしている。

 実家暮らしの身分だからだ。

 母の負担をなるべく少なくしたい。

 焼き飯を作って、椅子に腰掛ける。

 ぼくが座っている前の席には、彼女が座っていた。ほんの一週間前に。

 綺麗になっていた。昔から魅力的ではあったが、昔は綺麗というより、可愛らしいという印象だった。

 彼女はぼくが兄の弟だと知ったとき、どう思ったのだろうか。

 兄は知っているのだろうか。

 ぼくと彼女が、親しくしていたことを。

 考えても答えは見つからない。

 焼き飯を食べ終えて、自室に戻る。

 時刻を確認しようと思って、スマートフォンを手に取った。珍しく、着信が残っていた。登録していない番号からだった。間違い電話だろうか。

 スマートフォンをテーブルの上に置き直す。

 ぼくは登録していない番号にかけ直すことはない。

 すると、すぐに同じ番号から、また電話がかかってきた。

 急用だろうか。間違えていますよ、と心のなかで呟く。電話はなかなか鳴り止まない。留守番電話サービスを利用していないので、相手が切るか、ぼくが切るまでは、ひたすら電話は震え続ける。

 テーブルの上では、スマートフォンが震え続けている。不気味な音を立てながら。

 ぼくは電話を切ろうとした。だが、なぜか、ぼくに対しての着信のような気がした。

 出るだけ出てみるか。間違いだったなら、指摘すればいいだけだ。

「もし、もし……?」

「……」

 何の反応もない。やはり、ただのイタズラ電話か、間違い電話なのだろう。

 ぼくは鼻で息を吐いた。

 電話を切ろうと思って、耳元から離した。そのとき、何かの音がした。だが、耳元から離したままでは、何の音なのかわからなかった。もう一度、耳元にスマートフォンを近づける。

「もし、もし……?」

 ぼくはさきほどと同じ声のトーンで言った。

「あの……私です。東田美音です」

「えっ……美音ちゃん?」

「はい……先日は驚かせてしまいすみませんでした。智さんが、あの人の弟だってことは聞いていたんです」

「そっか……知ってたんだね。そうだよね……」

「あの人が、どうしても私を実家に連れて行きたいっていうものだから。私は連れて行ってもらったんです。智さんがいるだろうと思っていました」

「学校がないときは、たいてい家にいるからね。ぼくが……兄さんの弟だって知ったとき……どう思ったの?」

「あの人と出会って、名字が同じで……もしかしてとは思いました。狭い町ですしね。でも、それ以上に、やっぱり兄弟なんです。雰囲気が同じだったから」

「そうかな? そんなことを言われたのは初めてだよ」

 ぼくの言葉に彼女は何も答えなかった。

 しばらくの間、黒く塗りつぶしたような沈黙がおりた。

「もしよければ、いまから会ってお話しできませんか? お伝えしたいことがあるんです」

 彼女が先に口を開いた。

 ぼくはすぐに返事ができなかった。

 彼女から、会う、という言葉を、再び聞くことになるなんて思ってもいなかったからだ。

 もう二度と会うことはないと思っていた。

 スマートフォンを耳元から離して、しばらく、想いを巡らせた。

 ぼくは、

「いいよ」

 と返事をした。

 返事をした後の喉には、いままでに感じたことのないような違和感が残った。

「場所は……?」

 彼女が指定した場所を、ぼくはメモに書き記した。

「わかった」

 ぼくはそれだけ言って、電話を切った。

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