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プロローグ

 前触れなんてねえ、突然よ。

 前方の男が立ち上がってな、乗客に向けて叫ぶんだよ。「フリーズ、シャラッ!」ってな。

 いつ被ったのか目出し帽なんか被って、手には包丁持っててな。突如現れたから、どんな顔だったかはわかんねえ。濃紺色の作業用防寒ジャンパーを着てよ、若干固太りに見える男だったが、運転手のオレを、いの一番に早口で脅す訳よ。

「アイオッキュパイドゥアバス、ドンスタップ、オーケィ?」

「……お、おーけー、おーけー」

 あまりの迫力と意味の分からねえ英語に、首を縦に振るしかなかったよ、そら。

 震えちまいながら、オレはハンドルを握った。

 突然の事態と、男に気を取られちまってさ、ハンドルがぶれて、少しだけ左へ蛇行しちまってな。急な揺れに、乗客の悲鳴が響き渡ってさ。危ない、あぶない。雪でつるつるになった冬道は、いつまでたっても慣れないのに、事故ったら元も子もないだろが。ん?  そんな場合じゃねえってか。

「シャラッ! シャラッ!」

 固太りの男は、一歩前に踏み出し英語で叫ぶんだわ。

 小さく深呼吸してさ、冷静に務めて、男を横目に観察してみたよ。声色から、そう歳を重ねていないのがわかったね。二十代から三十代、その辺りだろう、声に張りがあってよ。

 意外と男に焦りや興奮、動揺は感じなかったな。人の視線が集中することにも、小慣れている節が見てとれるからさ。対人の仕事に就いているのかもしれねえな。もしくは会社の役員クラス、そんな気がしたね。なんでかって? 自尊心や承認欲求、自己顕示欲が強そうに思えたからよ。そんな奴ばっかだろ、上に立つようなボンクラはよ。

 英語を使うのも、気になるな。とてもネイティブな発音だったから、どっかアジアの外国人かね。

 車内に、ざわざわとした人々のさざ波がたってさ。

 そら、そうだ。まさか、自分の乗ったバスが事件に巻き込まれるなんて、思いもよらねえし、考えもつかねえもんな。

「ビクワイエッ、シャラッ!」

 犯人はさ、怒号とも嘆きともとれる声を車内に投げてね、乗客を黙らせるんだわ。一瞬で、しんと静まり返ってな。オレ? 最初から静かに運転してるっつうの。

 まだ、出発したばっかりよ。

 やっとこ市街地抜けて、江別西インターを過ぎてさ、野幌パーキングエリアに差しかかるところでな。外は夕暮れから、雪玉みてえな月がうっすら昇って見えて、薄闇のようブルーに暗く落ち込んでたわ。オレの気持ちもブルー、なんつってさ。んあ、面白くない? まあ、そう言うなよ。

 世間じゃあ、世界が終るって話じゃねえか。

 地球が滅亡するだか、ひでえ感染症で人類が滅びるだか、異常気象や温暖化でどうしようもなくなるだか、宇宙人に侵略されるだかってよ。未来もないってんで自暴自棄に暴徒化した輩が増えるってのも、分からねえでもねえけどよ。バスジャックしたところで、なんの得もねえじゃねえかよ。どっかに飛んでいけるなら別だけど。 そう思わねえか?

 とんだロングドライブになっちまったなァ、なんてさ。冗談じゃないよ。これからの五時間弱、どうなるんだべ? 舌打ちしたくなったよ。は? 実際しねえよ、なにされるか分かったもんじゃねえだろが。

 つうか、ツイてるよな。なんでかって? おいおい、運転手刺したりしたら、誰がこのバス運転すんのさ。

 北海道の高速道路、道央自動車道を東に向けて、とりあえずひた走るしかないもんな。

「うっそおおぉオ!」

 最後部の席に座る高校生らしき少年が、男同様、突然叫びだしてな。

 そこに乗り合わせた全員が気をそぎ取られて、後ろを振り向いたんだ。少年は立ち上がり、顔面を蒼白にしていると思いきやさ、まるで熟れたトマトのように紅潮させて、興奮しているようにも思えたよ。

 オレ? 振り向く訳ないべ、運転中よ? バスだから大きな鏡ついててね、それで見えたって寸法よ。え? どんな車にもついてるって? あら、そうなの。

 やや暫くの静寂に包まれたけどさ、人質になった形の乗客で余裕のあるような、ひと癖もふた癖もあるような人間から失笑じみた声が漏れてよ。

 いやはや、どうしたもんかって考えてた矢先よ。

「ッナアオォオッ!」

 て、男の叫び声が横から、また飛んできてな。

 英語だから、なに言ってんのか分かんねえけど。横目にちらり向き直ると、光景が変わっててね、びっくりしちゃうよ。

 叫ぶ固太りな目出し帽に代わって、不精髭にサングラスをかけた中年の男が肩震わせて立ってんだわ。オレンジ色の派手なダウンのファスナーを、車内の暖房を無視しているみてえに、首元までしっかり閉めててよ。減量失敗して、ストーブの前で汗かくボクサーか! てな。え? 言わねえよ、そんなこと。だってよ、手には血がべったりついた果物ナイフ持ってんだぜ。

 見た目の年齢は四十そこそこだが、若作りなのか髪が肩まで伸びて、茶色に染めてよ。

 ほう、犯人を倒したヒーローってか。

 やれやれ、過剰防衛だが一件落着なんて思ったもんだ。乗客もそう思ったに違いないよ。刺してまで英雄になるってのは、どうかと思うがね。目立ちたがり屋か! てな。だから、言わねえっての。オレまで巻き添えくっちまうじゃねえか。

「……そ、そんまま止まらの」

 どうにも、様子がおかしくてよ。なに言ってんのかも分かんないし。

 倒れた目出し帽の男は、乗り口のステップ下段に追いやられて、腹を抱えながら悶絶している。不精髭の男に刺されたんだな。ステップの影に隠れて見ることはできねえけど、うめき声がずうっと聴こえるもんな。痛そうだな、おい。荒い息遣いが、事態の深刻化と、乗客の不安を助長させてな。いくら犯人でも、過剰防衛でも、命に関わると事だろが。

 声だけ飛ばして問いかけたんだわ。

「……止まりますか?」てよ。

「い、いいや、このまま走り続けろ」と、きたもんだ。

 え? なんて、ビビっちまったよ。運転手のオレを尻目に、今度は不精髭の男が乗客に向けて叫ぶんだよ。

「こ、こんバスば、乗っ取るべ。動くんじゃねど!」

 こいつは、正義の味方なんかじゃねえ。

 二人目のバスジャック犯が、カラオケ大会で次は青森出身あなたの番です、なんてマイクを渡されたように現れたのよ。お前も、バスジャックかよ! なんつってさ。

 もちろん言わねえよ。代わりに、諦めのようなため息がでちまったけどな。

読んでいただき、ありがとうございます!

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