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わからない

 橙子ちゃんの話によれば、悪いのは自分だと言う。


 心無いことを言って、お兄さんのことを裏切ってしまったと、大泣きしながら反省していた。本人は気づいているのかわからないが、ところどころお兄さんへの愚痴が混じっている。


 そんな姿を見て、どこか私はホッとしたような気がして、だけどその感情の出どころがわからなくて、一旦思考の隅に追いやる。


 「大丈夫だから、ね?落ち着いて橙子ちゃん」


 自室で橙子ちゃんを慰める。扉の向こうでは両親が聞き耳を立てていることだろう。というのも、私が頼んだのだ。これが虐待とかそう言う類のものなら、大人の力が必要だと思ったから。


 話を聞く限りは、酷いことをされたわけではなく、あくまで自分の行動を悔いている様子だ。


 (私のせいだ)

 

 お兄さんが隠していたこと、それはきっと、私が投げかけた言葉だ。


 それを他ならぬ橙子ちゃんに隠そうとしていて、そのことで責めようとしなかったと言うことは、お兄さんは橙子ちゃんに酷いことをしていなかったことの証明になるだろうか?


 分からない。分からないけど、今目の前で親友が泣いているのは私のせいだ。


 それだけは、確かだ。



ーーーー



 娘が連れてきた女の子、橙子ちゃんはよくうちに遊びにくる子だ。元気で明るくて、話していて頭が良いのがわかる。


 そんな子が大泣きしながら泊まりに来たとなれば、妻と一緒に大慌てしてしまった。


 行儀が悪いとは思いながらも、娘の部屋に聞き耳を立てる。


 橙子ちゃんの話を聞きながら思ったのは、こんなこと。


 (兄妹喧嘩では?)


 やれ嘘をついたとか、やれ酷いことを言っちゃったとか、単語だけ拾えば何も珍しいことではない。そんなこと、全国のご家庭で起こっていることだ。


 だけどあくまで、それは普通の兄妹の場合か。


 娘から聞いた話だと、どうやらその兄とは複雑な関係な模様。年も離れているし、仲もあまり良くないみたいだ。橙子ちゃんの言い分はああでも、実際は虐待に近いことが起きていてもおかしくはない。


 『明日ね、お兄ちゃんに会えるの』


 そう言っていたのは、まだ娘たちが小学生の頃。二人がおよそ10歳ごろの話か。義理の関係だ。うまく接することができなくたっておかしくはない。


 (だけど、何かが起こってからは遅い)


 橙子ちゃんにとって、これが良い機会になるよう努力するべきだ。最悪保護、学校や警察への相談も視野に入れるべきかも知れない。


 元々様子がおかしかったことは聞いていた。一応食事も用意したが、あまり食欲もないようだ。一応何口かは手をつけたが、途中でまた泣き出してしまって、今はまひるの部屋でゆっくりさせている。


 (まだ中学生だと言うのに)


 同情とはまた違って、浮かんできたのは怒りの感情だった。今頃その兄とやらは何をしているのか。娘たちはまだ子供なのだ。精神的に未熟であることを、ちゃんと理解して接しているのか?


 橙子ちゃんが言っていないだけで、本当は酷いことをされているのでは?もしも言えないほどに追い詰められていて、今も恐怖から口を閉ざしている可能性は?


 確かめようもない嫌な想像が並ぶ。


 そうやって思考を巡らしていると、私の元にある電話がかかってきた。


 「はい、もしもし」

 『もしもし。わたくし、南中学校の鎌田と申します。遠山さんの携帯で間違い無いでしょうか?』


 電話の主は、娘の担任だった。


 「お世話になっております。はい。まひるの父です」

 『こちらこそ、お世話になっております。ただいまお時間よろしいでしょうか?』


 了承して、先を促す。


 『実はですね、まひるさんのクラスメイトの行方を探していまして、何か心当たりはございませんか?』

 「もしかして、如月さんですか?」


 『あ!!やっぱり、まひるさんのところにいますか?』

 「ええ。今はまひると一緒に」


 少し迷って、事情を話すことに決めた。娘の話によれば良い先生みたいだし、助けは多い方がいい。


 「今はやっと落ち着いたのか泣いてはいないが、かなり不安定な感じがします」

 『そうですか……ただ、まひるちゃんのところなら安心しました』


 この後はどうするのだろう。安否を兄の方に伝えるのだろうか?

 

 『とにかく、見つかって良かったです!お手数ですが、お兄さんが探していると、伝えてもらって良いですか?』


 それは、本当に?


 「本当に、大丈夫なんですか?」

 『……と、言いますと?』


 「橙子さんのお兄さんのことです。本当に虐待がないと言い切れますか?」


 兄に引き渡してその晩に悲劇が起きないと、どうして言い切れるだろうか。逆恨みされて娘に危害が加えられないと保証できるのか?


 『でしたら一度、お会いになってみますか?』

 「……え?できるんですか?」


 『ええ、彼は私の元生徒です。今回も彼の連絡を受けて、ご連絡させていただきましたので』


 心配は尽きない。だけど、もし会えると言うのなら、この目で確かめるべきではないか?


 「先生から見て、彼はどんな人なんですか?」


 会う前にイメージは持っておきたい。そんな意図の質問だったが、帰ってきたのは少々予想外の言葉だった。



 『ただの、こどもですよ』



ーーーー


 「お父さん、ごめんなさい」

 「分かったから、今は橙子ちゃんと一緒にいてあげなさい」


 指定された場所に向かうべく家を出ようしたら、まひるからある告白をされた。


 (初対面の人になんてことを)


 どうもまひるは、責めるようなことを橙子ちゃんのお兄さんに言ってしまったらしい。

 その場で襲われたりしなくて良かったけれど、帰ってきたらよく言い聞かせる必要がありそうだ。


 「私のせいで、橙子ちゃんが」

 「そう思うなら、なおさら一緒にいてあげなさい」


 すでに橙子ちゃんにも打ち明けたらしい。それを聞いても怒ることはなく、なぜかもっと落ち込んでしまったみたいだが。


 向かったのは、駅近くの小さな居酒屋。奥が個室になっていて、そこにはもう鎌田先生と彼がいた。


 彼は立ち上がって、礼儀正しく挨拶をした。


 「如月信也と申します。この度は、ご迷惑をおかけしました」

 「……遠山だ。橙子さんのことなら、気にしなくていい。娘の友達が遊びに来ただけだからな」

 

 第一印象は悪くない。年齢の割にはかなり若く見える。


 席について対面する。店は先生の友人が経営しているらしく、特に注文する必要はないらしい。


 何から聞こうか。いや、回りくどいのはやめて、単刀直入に聞くべきか。


 「私はね、君が妹さんに虐待しているんじゃなかって疑っているよ」

 「それは……」


 ある程度予想はついていたのか、それとも先生から聞かされていたのか、質問に驚いた様子はない。


 先生も口を挟んでこない。よほど彼のことを信頼しているのだろうか。


 「どうなんだね」

 「分かりません」


 「……は?」

 「ですから、分からないんです」


 分からないとは、どう言う意味だ?この後に及んで、そんなつもりではなかったとでも言うつもりか?


 「あまり妹さんから好かれてはないみたいだね。今だって嫌々君と生活しているそうじゃないか」


 実際にどんな生活をしているかは知らない。だけど、この機を逃したら彼女は一生辛い人生を歩む可能性だってある。踏み込み過ぎる方がちょうどいい。


 「娘から聞いているよ。お弁当の用意すら言い出せない状況らしいじゃないか」


 「え、そうなの信也君」

 「……すみません。今知りました」


 「知らなかったで済む問題じゃないんだよ!!」


 声を荒げてしまう。感情的になるのがよくないとは思いつつ、目の前の何も知らなさそうな男を責めてしまう。


 私が知る如月家は、家族3人仲が良かった。あの両親が、橙子ちゃんの現状を望んでいるわけがない。


 「君はどう思ってるんだい?」

 「ですから、分からないですって」


 まただ、また分からないと言う。いい歳して、虐待の意味を知らないわけでもないだろうに。


 ふざけるなと、彼を責めようとした時だった。


 「僕がしていることは、虐待に入るんですか?」

 「何を、言って?」


 困惑。彼が適当を言っているようには見えなかった。


 「分かんないんですよ。あの子の気持ちが。今日だって、あの子が何に悲しんで、何が嫌だったのかが分からない」

 

 それは、どこか助けを求めるかのような響きを孕んでいた。まるで今もなお、底のない暗がりを落ち続けているかのような。


 「友達に愚痴を溢すぐらいだから、好かれてないのは分かってますよ。自覚だってあります。あの子に好かれるような、できた大人でも人間でもないですよ。親の死に涙すら流せないクズだってのは、わかってるんですよ。でも、僕にもあの子にも選択肢なんかなかった。だから、せめて僕から歩み寄ろうと思った」


 「あの子の方が辛いだろうからって。だけど、それでもやっぱり上手くいかなくて、虐待を疑われて、でもそんなつもりは全くなくて、でもそうでない証明なんて何もできなくて」


 溢れ出る感情は、まるで子供が癇癪を起こしているようで。


 「あの子がそう言ったなら、そうかもしれないです。虐待、してたのかもしれないです」


 どこか拗ねる様子は、娘と喧嘩した時と似ていて。


 「俺だって、自分のことで精一杯なのに、そんなこと言われたって、否定も証明もできないんですよ」


 理不尽を嘆く様子は、それこそ若い頃の自分を見ているようで。


 (若い頃?)


 頭の中で、何かが引っかかった。


 勝手に決めつけてはいなかっただろうか。彼がすでに30歳を超えているはずの人間であると。


 何かがおかしくないか?だって、橙子ちゃんが兄に会えると言っていたのは、確か10歳ごろのはず。


 そして何より、実際に対面した印象。いくらなんでも若すぎる。


 「君、年は?」

 「今年で20歳になりました」


 「は、20歳だと!?」


 机を叩き、勢いよく立ち上がってしまう。


 無理もないだろう。


 だって私は、まひるが橙子ちゃんに出会う前から、如月一家のことを知っている。幼稚園は別だったが、近所ということでお互いに面識はあったのだ。


 小さい頃から、3人で暮らしているのを知っている。


 それが再婚によるものだとは知っていた。前妻と死に別れたことも本人から聞いていたし、橙子ちゃんに兄と呼べる人間がいることも実は知っていた。


 だから私は、彼のことを30歳近くだと考えていた。父親が再婚したタイミングですでに、成人か高卒。中卒もありあるだろう。ともかく一緒に暮らしていなかったのは、家を出て自立していたからだと聞かされていたのだから。


 息子の自立を機に、新しいパートナーを得て、新たな家庭を築き始める。別に珍しい話でもないだろう。


 つまりは私の予想では、橙子ちゃんが生まれた時点で、少なくとも16歳は超えているはずだった。


 それがあろうことか、成人したばかり?それだと、年数が合わないではないか。


 父の半血を分けた兄妹だと聞いている。5歳差ということは、あの父親はこの子を育てながら?


 「失礼だが、君の母親が亡くなられたのは?」

 「5年前です」


 つまりだ。この子の母親が死に、父親と別れた時にはすでに、橙子ちゃんは生まれていた?それもおよそ10年前ほどに?


 この子はその事実に気づいているのか……?


 「僕は父が何をしていたか知ってますから、心配しないでください。あの子は多分、気づいていないでしょうけど」

 「そう、なのか」


 そうなると、彼が橙子ちゃんに、かなり複雑な思いを抱えていてもおかしくない。


 父親の浮気相手の子供だ。妹だからと、簡単に受け入れられるようなものではなかっただろう。


 「あの子にとって、両親はいい親だったみたいです」

 「となると、君にとっては?」


 「あんまり、いい親ではなかったですね」


 両親との関係も良くなくて、そんな妹といきなりの共同生活。お金の問題だってあるだろう。


 「あの子には秘密にしておいてください。両親の不貞なんて、知らないに越したことはないですから」

 「君は、それでいいのか?」


 「分かんないです。正直気持ちの整理なんて、まだついてないんですよ」


 浮かんでくる、先生の言葉。


 『ただの、こどもですよ』


 先生の言った言葉の意味がようやくわかった。なるほど、まさか文字通りの意味とは思わなかったが。


 「だけどそれであの子が傷つくのは分かってますので、少なくとも今ではないかなって」

 

 自分のことは二の次。彼女の感情を優先するその優しい心は、どこか不安定に揺らいで見えた。


 「すまなかった。なんだ、その、今までの言葉は、容易にかけていいものではなかったな」

 「いえ、正直安心したというか。あの子にも頼れる人がいるんだなって。俺は彼女にとって、そうはならないでしょうから」


 あの子にも。そう表現した以上、彼にもそれに値する人がいるのだろう。


 「それにしても、どうしようかなって」

 「ああ、そういえば、家出中だったな」


 話が大きくなったが、虐待がないとわかった以上、後は仲直りするだけだ。虐待がないなんて証拠はないが、実際に話してみて分かったことがある。


 彼は彼女に対して、真っ直ぐな想いを持っている。


 きっと何度間違えても、取り返しのつかないことにはならない。そんな確信があった。


 「じゃあ、私からも一つだけアドバイスね」

 「先生?」


 それまで口を噤んでいた鎌田先生が、信也くんに向けてこんなことを言った。


 「君は特別だと私は言ったけど、大人とは言ってないよ」


 「だけどね、橙子ちゃんは信也くんが思っているほど子供でもないよ」


 「信也くんは橙子ちゃんに対して、対等であるべきだと私は思うな」


 なるほど。対等か。


 まさしくそれは、家族の在り方だ。誰が偉いとかじゃなくて、自然な信頼関係。


 「すぐには難しいと思う。特に橙子ちゃん側がね。だけどそれができれば2人は、お互いにとって、かけがえのない存在になれる」


 「頑張ってみます」

 「ん、頑張りたまえ」


 さすがは教師か。大人であるはずの私まで聞き入ってしまった。


 「せっかくだし、飲むか?」

 「え?」


 「時間が解決することもある。悩みがあるなら聞かせてほしいし、私でよければ力になりたい」


 せめて失礼をした分はお返ししなければ。そう思っての提案だったのだが、信也くんに届いたメッセージで、それは叶わなくなった。


 苦笑いを浮かべる信也くん。そんな彼に見せられた画面にはこんな文面が届いていた。



 【お腹すいたから、早く帰ってきて】


 

 どうやら親の失態を、娘がフォローしてくれたらしい。


 何があったかは知らないが、間違いなく仲直りのきっかけができたみたいだ。


 「帰ります」

 「ああ、今日はすまなかった」


 「いえ、また」


 そう言って足早に店を出る信也くん。


 さて、帰ったら娘にお説教をしなければならない。自分の失態を棚に上げながらだとしても、これは親の責務である。


 今度機会があれば、ぜひ信也くんも家に招こう。その前に、まひるを連れて謝罪に行くのが先か。


 「俺も、まだまだだな」


 大人になったと思っても、自分より大人びた子供もいる。


 願わくば彼の歩む先が、少しでも多くの光に照らされますように。そんなことを思って、私は帰路についた。

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