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勘違い

 兄である信也と初めて会ったのは、私がまだ小学生の頃だ。


 およそ5年前。第一印象でまず、暗いなと思った。


 父の話によると、病気でずっと入院していた。やっと退院できたから、一緒に暮らすことになったらしい。


 小さい頃から兄がいることは知らされていたが、会うことは出来なかった。私にとってはやっと会えたお兄ちゃんだったのだ。


 そんな兄は、ずっと部屋に引きこもっていた。


 食卓を一緒に囲むことはないし、登校だって私を避けるように時間をずらしていた。


 悲しかった。私にとってはやっと会えたお兄ちゃんだったのに、向こうは私との出会いを喜んでいないみたいだったから。


 体が弱いから部屋に引き篭もるのはまだわかる。でも学校には行ってるし、私を拒絶しなくてもいいじゃないか。


 兄にとって、私のお母さんは義理のものであるのは理解していた。信也が生まれてすぐに、病気で亡くなってしまったと聞いている。  


 信也に遊んでもらったことは一度もない。思い出はもちろん、会話した記憶すら朧げだ。


 ただ、時折聞こえる母の怒った声。それが信也に向けられたものだと言うのはわかった。怒られて当然だ。家族なのに、こんな冷たい態度をとるんだから。


 そんな兄の印象は最悪だった。そして最悪のまま、信也は家を出た。母は高校にも行けない落ちこぼれだと、信也のことについて愚痴をこぼしていた。


 そして中学生になって2年目。春の出来事だ。


 『何かあったら、信也のことを頼りなさい』


 不意にお父さんにかけられた言葉に、私はひたすらに困惑した。


 なぜあんな奴に、という気持ちもあるがそれよりも、そんな状況に陥ること自体が、私にとって異常であり心配の種である。


 『あまり気にしなくてもいい。ただ、覚えておくんだ』


 そんな異常事態は、不幸にも起こってしまった。


 両親の訃報を受け、目の前が真っ白になった。

 

 意味がわからなかった。明日から始まる新生活に、胸を躍らしていた。新しい家で、楽しく暮らすはずだったのに。


 どうしてこんなことになった?どうしてこんな悲しいことが起きる?


 「あんたさえいなければ」


 決まってる。この男のせいだ。


 父の死を前にしても、涙さえ流さないこいつのせいだ。


 こんなやつを迎えに行って、その途中で死んでしまったのだから。


 全部全部、こいつが悪い。


 それなのに既に、兄の関心は両親の死には向いていなかった。独りになった私の処遇、そしてそれに自分が巻き込まれまいと必死だった。


 ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな。


 どうして平気でいられるのだ?どうして当たり前のように、両親の死を受け入れられるのだ?


 そう思っていても、現実は非情だった。おばあちゃんは私の受け入れを拒否した。どうしておばあちゃんにここまで嫌われているかは知らない。だけどこの人の元で生活するのだけは、本当に嫌だった。


 結局私は、信也の家を訪れることになる。とても不本意ながら。他に選択肢はなかった。


 家には帰りたくない。待ってくれているはずの人が、もしそこにいなかったらもう、全てがおしまいだから。


 これは悪い夢だ。一晩経てば、きっと覚めるはず。


 やっと入れてもらえた部屋は、とても質素な狭い部屋。1人で生活するには十分かもしれないが、これからここで兄と生活すると考えると、本当に嫌気がさす。


 そんな思考は態度に現れてしまう。そして売り言葉に買い言葉で、だいぶ酷いことを言った。


 どうでもよかった。これで追い出されるなら、それはそれ。どこか自暴自棄になっていたのだと思う。


 そう思いながらも、自分から部屋を出ようとしなかったのは、お父さんの言葉が正しかったと思いたかったからだ。本当は頼りになるやつで、お父さんが言っていたことは嘘じゃなかったと。


 そう信じたくて、縋った。


 お葬式を開かないと信也が言って、それをありえないと思ったのもそう。本当は兄だって、両親の死を悼んでいるはず。きっとまだ素直になれていないだけ。


 だけどそれは思い違いで、信也は意見を曲げなかった。それが当たり前だと、本当にそう思っているようだった。


 だから今度こそ、もう終わりにしようと思った。


 信也と一緒に、家に帰る。そこには既にもぬけとなった、両親と過ごした日々の思い出。


 これからはずっと独りだ。誰にも頼らずに生きていくんだ。そう悟って、独り決心した。


 それなのに、それなのにだ。


 『ごめんな、橙子』


 どうして謝るのだ。ここで何も言わずに突き放してくれれば、私は諦めることができたのに。


 今まで散々冷たくしてきたくせに、私の心を見透かしたかのように、こうして寄り添ってくるのはどうしてなのか。


 私には信也が何を考えているのかが分からなかった。謝られたって、何を許せばいいのかが分からなかった。


 それでも一つだけ、確かに分かっていたことがある。


 信也が、私の悲しみに寄り添ってくれていること。


 それだけは確かだった。


 悔しい。悔しくてたまらない。嫌いで嫌いで仕方がないはずなのに、彼に抱きしめられて安心した心が、その安らぎに身を委ねようとする私の弱さが、全部全部嫌で嫌で仕方がない。


 『信也を頼りなさい』


 だからもう一度だけ、信じてみようと思ったのだ。


 父の遺した言葉を。


 今確かに感じているこの温もりを。


 

ーーーー



 両親と最後のお別れをした。もう二度と顔を見られないのだと思うと、本当に本当に悲しかった。


 布団を買ってもらった。

 

 買ってもらったと言うよりは、買い与えられたの方が正しいかもしれない。いつの間に注文していたのか、突然届いたのだ。


 つまりは、この部屋に居座ることを許されたということ。


 安物の布団だと言っていたが、私に見えないようにタグを切り取っていたのが見えた。つめが甘い。多分本当は安物じゃないんだろう。生活するだけなら、他に必要なものはなかった。最低限の衣類は持ってきているし、制服もある。


 信也の私を見る目は、少し変わったように思えた。今までは厄介を見るような目つきだったのが、ところどころに気遣いを感じるようになった。


 信也の手料理は、お世辞抜きで美味しかった。毎日決まった時間に、温かいご飯が出てくるだけで、だんだんと活力が湧いてくるのを感じていた。


 そんな生活が続いて、私はある程度立ち直ることができていた。友達と会いたい。そう思えるぐらいには、気持ちの整理もついてきた。乗り越えるには到底高い壁なのだが。


 「5年間だ」


 信也が提示してきた条件は、私にとって破格のものだった。


 だって諦めていた高校に通える。なんて長い期間なのだろうか。一度は独りで生きていくことも決心したと言うのに。


 そんな嬉しいこともあり、なおかつ無意識に信也に信頼を預け始めていたこともあり、私は気を抜いてしまっていたのだ。


 あくまでお世話になる身だ。そのことを忘れていた。


 お小遣いも貰えて、友達と楽しく遊ぶなど、能天気にも程があった。


 帰宅して、信也の言葉を聞いて、私は私に失望した。何を勝手に浮かれているのだろうと。


 私は思い出した。信也に投げかけた言葉を。心無い言葉をぶつけてしまっていて、嫌われていて当然だという事実を。


 信也が私を助けるのは、同情してくれたからだ。

 それを私は、まだ理解できていなかった。


 勝手に許されたと、勝手に受け入れてもらえたと、勘違いした。


 まだ一度も、謝ってすらいないというのに。

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