嫌いだから
「別に?私が悪かったのはわかってるけどさ、あんな言い方しなくてもいいじゃん!」
「まぁまぁ、橙子ちゃん落ち着いて」
「別に!私は!落ち着いてるし!」
突如押しかけてきた橙子ちゃんは、少し目を腫らしながら、私の懐で鬱憤を晴らすようにお兄さんへの愚痴を叫んでいた。
もごもごとくすぐったいけれど、橙子ちゃんがこうなるのは初めてじゃないし、なんならいつものことだから好きにさせる。
行動とは裏腹に、橙子ちゃんがそこまで落ち込んでないこともわかっているから。
「橙子ちゃん、別に傷ついたりしてないでしょ」
「うっ」
「話聞く限りお兄さんが100%正しいし、ただ拗ねてるだけで、自覚もあるよね?」
「うぅ〜。まひるが意地悪する……」
イジワルじゃない。ただ事実を述べただけだ。
「で、本当はお兄さんのこと、誘いたかっただけなんでしょ?」
ことの顛末は至極簡単だ。
要するに橙子ちゃんは、ただお兄さんを海に誘いたかっただけで、変に恥ずかしがったせいでお父さんの名前出したり変な理由つけちゃったってだけ。
そしたら順当に怒られて、順当に拗ねているだけ。
「ほら、帰ってお兄さんに謝ろ?で、ちゃんとお兄さん海に誘おう?」
実は海行きは決まってる。普通にお父さんが運転して連れて行ってくれるのだ。それなのに橙子ちゃんは、いらない嘘をついて勝手に自爆している。
それにしても、本当にお兄さんに懐いてるな。
口では嫌い嫌い言いながら、その実甘えたがりなのがバレバレである。
「というか、なんでこんな変な嘘ついちゃったの?」
素直じゃないですまない程には遠回りで、らしくないように感じる。いや、らしくはあるけども。
「だって、信也、海嫌いかもじゃん」
「海が嫌いかもって、別に関係ないでしょ」
「あるもん。海嫌いって言われたら、もう誘う口実なくなっちゃうじゃん」
口実て。橙子ちゃんはあれかな?好きな男の子をデートにでも誘う気なのだろうか。
私のお父さんとも面識あるし、むしろ誘いやすいシチュエーションな気もするんだけど。それこそお父さんが誘ってるとか……それだと断ってきそうだからダメかもだけど。
「はぁ」
「ちょ、ちょっと!ため息はやめてよ!呆れないで!」
お兄さんの方はいつだって寄り添ってくれてるんだから、開き直って100%で甘えてしまえばいいものを。
(お兄さんのことが嫌いなのも、本心かもしれないけど)
いわゆる複雑な関係な二人だが、主にお兄さんが頑張った成果だろうか、ほぼお兄さんを信頼しきっている橙子ちゃん。
だけどここ最近、橙子ちゃんの態度に妙なズレを感じる。別にお兄さんに対して冷たい態度をしたと思ったら、目を疑うような甘えた態度を取るのは今更だ。
それとは別に、何か隠し事があるような。
「ねぇ、何かあった?」
「ううん。別に?」
私の問いかけに対する橙子ちゃんの言葉には、明らかに壁があった。決してそこまでは踏み込ませないと、明確な決意じみた意志を感じた。
信頼とか、そういう類の悩みではないのだろう。きっと本当は話したいとか、可能不可能な話ではない。
「ふーん。ならいいけどね」
それ以上の追求はやめておいた。必要になれば、きっとその時に話してくれるだろう。
それよりも今は、お兄さんをどうやって誘うかだ。
「私から、言ってあげようか?」
「え!いいの!?」
「橙子ちゃんが素直じゃなかったってだけなこと、お兄さんにはばれちゃうけどね」
「う、うぐぐぐ。それは、でも、え〜」
久しぶりに見たかな、橙子ちゃんの百面相。
この笑顔が守られて、本当に良かったと思う。
ーーーー
「ごめんなさい」
家に帰ってきた橙子は、開口一番謝ってきた。
身の安全とかの心配はなかったとはいえ、無事橙子が帰ってきたことに安堵しつつ、その感情は押しとどめながら返す。
「それは、何に対してだ?」
言い過ぎたかとも思ったが、反省している様子だし、しっかり俺の考えは理解してもらおう。別に許せないほど怒ってなどもとよりないしな。
「嘘ついちゃったこと。本当はもともと、まひるのパパが引率してくれるって話だったのに、それを秘密にしてた」
「そうだよな?人をダシに使って、本当はそんな話じゃないのに……え?引率してくれるって、遠山さんが?もともと?」
「うん。別に信也が来なくても、海には行けるの。そりゃ、海だし、まひるパパがいてもダメって言うなら、それはそれで諦めるけど」
「い、いや、あの人がいるなら別に文句はないんだけど、え??」
頭に浮かぶハテナ。あれ、俺の理解力が足りていないだけか?
「なんでそんな嘘ついたんだよ」
「そ、それは」
海に行きたいから俺に引率を頼むのはわかる。
俺を納得させるために嘘をつくのも、ダメだけど理解はできる。実際ただお願いされただけじゃ断るし。よっぽどの理由がないとだからな。
だけど遠山さんの引率ありというのは、よっぽどの理由と言えるだろう。
海行きは決まっていて、俺を納得させられるよっぽどの理由もある。なのになぜ橙子はそんな意味のない嘘なんかをついたのだろうか。
「もしかして遠慮してるのか?別に海ぐらい行ってきていいぞ?そりゃ、子供だけで行くのには反対だけど、遠山さんがいるなら安心だろ」
「別に、遠慮してなんかないし」
「じゃあどうしてだよ。こんな嘘、なんの意味もないだろ」
ちょっと追い討ちをかける形にはなったが、その実俺は少し安心していた。ずるい気持ちで俺を騙そうとしていたわけじゃないと分かったからだ。
だからこそ、橙子の真意にはいまだ気づけていないのだが。
「忘れて」
「え?」
「いいから、忘れて!朝のことは無かったことにして!お願い!」
「え、忘れてって、どういう」
「やり直し!ねぇ信也!一緒に海行こ!」
強引にやり直された朝のやり取り。まっすぐこちらを見つめる橙子の瞳は、プルプルと震える体に呼応するように揺れていた。
だけどその瞳は、真摯に一つのことを願っていた。
『お願いだから掘り返さないで』
端的にいえば、橙子は恥ずかしがっていた。
(もしかして、本当にただ誘いたかっただけ?)
その思考回路は読めないが、事実として橙子は滅多に嘘をつかない。
嘘をつくときは、本当に気持ちを隠したい時か、単に照れ隠しだ。
そしてこれは、きっと後者で。
(しょうがないな、ほんとに)
俺は渋々、朝のやりとりを無かったことにすることに決めた。嘘をついたことを反省しているのは本当みたいだし、そもそもつく必要のない嘘だったわけで、まぁお目溢しをしてもいい範疇かな。
ともかくこうしてお願いされたのだ。俺も紳士に答えてあげることにしよう。
「嫌だけど。俺、海キライだから」
ぴしり、と実際にそう聞こえたと錯覚するように橙子が固まった。




