1 新人歓迎の閃光
指定された時間通りにその少女は現れた。場所は駅前の時計台前だ。陽も傾きかけているので、多くの学生やサラリーマンが周囲を通り過ぎていく。
「時間通りですね。書類はありますか?」
「はい。こちらです」
少女から受け取った書類に目を通す。コードネームは"ジュピター"。直近の活動欄は空欄で、それは訓練所上がりの新兵である事を示している。少女に気付かれないように心の中でため息をつく。たしかに司令部へ人員要請はしたが新人育成付きとなると話は変わってくる。
「あの…よろしいでしょうか?」
ジュピターは控え目に言った。
不満が顔に出てしまっていただろうか。新人を威圧する趣味は無いので、あくまでもフラットに私は対応する。
「はい、どうかしましたか?」
「現場指揮官殿は私の経歴に不満があるのでしょうか?」
やはりそうきたか。
「ジュピター。本部から送られてきた人員である以上、貴方には組織の一員としての成果が求められます。訓練所上がりの新人だろうとそれは変わりません。この回答でよろしいですか?」
「はっっ。失礼致しました!」
年頃の少女が背筋を伸ばして私を見据える。人目が無ければ敬礼もしている所だろう。
これからの事を考えると先が思いやられる…
「着任早々申し訳ないのですが、早速任務です」
「はっ!」
私はジュピターを伴って付近の雑居ビルへと足を踏み入れた。ビルにはテナントが入っておらず、どのフロアにも人影はない。最上階に辿り着くとジュピターをある一室へと促す。
「今回の異常生物は既に捕縛していますが、確実を期す為、移送前に尋問を行います」
部屋の片隅に拘束具で動きを制限されたそれがいる。
一見すると、セーラー服を着た普通の女子高生のように見える。
しかし、その頭部には三本の角があり、それがただの人間では無い事を示唆していた。
「ああ、やっと来た隊長。小便行きたいんで一瞬離れてもいいですか?」
陸上自衛隊から供与されたサブマシンガンを抜け目なくそれに向けている少女が、視線を逸らすことなく朗らかに言う。
「穂波さん。紹介します、新隊員の"ジュピター"です」
「え!マジで来たんですか!?」
穂波が嬉しそうに腰をくねらせる。
いや、それは嬉しそうなのではなく、尿意が限界なだけなのかもしれない。
「た、隊長。それはいいので代ってもらえないでしょうか…?」
「はいはい」
壁際に立て掛けてあった穂波と同じサブマシンガンを構え、防弾プレート入りのプレートキャリアを装着する。
沈黙したままこちらを凝視する異常生物に銃口を向ける。
「感謝します!!!!」
「あ!君が新人君ね!あたし、春日井穂波!コードネームも別にあるけど隊長の下だとコードネームはあんまり使わないからジュピターちゃんも後で本名教えてね!じゃ!」
「あ、えっと、」
呆然とするジュピターを置き去りにして穂波が走り去っていく。
「そこに本部から受領した貴女の装備があるので一応装着しておいてください」
「はい」
ジュピターが使用するのは同じく自衛隊から供与を受けたライフルだ。ライフルマンは我々の組織において珍しい特技区分だ。異常生物を捕縛し、その存在を市民に隠すのが使命の我々にとって、89式のような火器は少々取り回しに困る、大袈裟な装備であった。
「尋問は穂波さんが戻ってからにしましょう」
「あの…よろしいのでしょうか?」
「どうしましたか?」
視線をそれから外す事は出来ない。
ジュピターが発言する事を促す。
「穂波さんは本名を対象の前で口にしました。規定コード301に抵触する違反行為です」
「ああ…そうですね」
やはり今回の新人は頭が固い人種のようだ。
「それでその規定コード違反を監督する人間はどこにいますか?」
「は?…それは現場の最高責任者ですから、隊長殿では…?」
「では私が許可するので問題ありません」
「…」
顔を見なくても分かる。規則や命令に完璧に従う事をよしとする教育が、訓練所では徹底して行われる。その方針に問題はないのだが、時として柔軟な対応が求められる場合そういった新人はいとも容易く死んでしまうものだ。
今回の新人はどうだろうか?
「…了解しました」
「よろしい。では穂波さんが戻るまで今回の異常生物について情報を共有しておきましょうか」
その女子高生は、とある高校で発見された。
第一発見者はそれの元親友で、同じ部活に所属しているという。それの交友関係に問題はなく、学校でも家庭でも問題らしい問題は発見できなかった。第一発見者の親友にとってもそれが異常生物と成り果ててしまった心当たりはないという。
異常生物とはそういうものだ。
突如として平和な生活を脅かし、善良な市民の人生を破壊する。
最初に発見された部室で、それは口元から血を垂らしていたという。足元には元先輩だったものが転がっていた。そして頭部からはどんな生物にも似つかわしくない三本の黒い角が生えていた。
我々の急襲部隊が駆け付けた時、それは微動だにせず足元の元先輩を凝視していたという。
状況証拠的に殺人を行ったのは異常生物なのだが、証拠があるわけではない。そして急襲部隊が拘束を行う際にも無抵抗であった事から、情報を引き出せる可能性があるとして私に命令が下った。
「異常生物は話が出来るものが稀にいます。今回のこれも外見的には頭に角が生えただけですから私に白羽の矢が立ったというわけです」
「こちらの部隊は対異常生物における尋問のエキスパートだと聞いています」
「それは光栄ですね…」
部屋の扉が開かれ騒々しい雰囲気の少女が戻ってくる。
「戻りましたー!」
「穂波さん尋問を始めます。いつもの手順でお願いしますね。ジュピターは今回が初めてなので不測の事態に備えて待機していてください」
「はーい」
「はっ!」
気の抜ける返事と威勢の良い返事が続く。
穂波はテキパキと記録用のビデオカメラを準備する。慣れたもので準備はすぐに完了した。
用意された椅子に座り代わりに穂波が銃を構える。
「録画開始します」
穂波の合図に頷く。
「ではまずは名前をお聞きしても良いでしょうか?」
「…」
返答はない。
沈黙が続く。
「ええ構いません。名前はこの資料に書いてあります。奈月一夏さん。素敵なお名前ですね」
「…」
「貴女は日本国憲法の保護対象から外れた異常生物として我々の組織に拘束されています。現状に何か不満や言いたい事はありますか?」
「…」
「不満が無いのなら結構な事です。しかし一つだけはっきりしておきたい事があります。我々に敵意はありますか?」
「…」
変わらず沈黙を続ける。
しかしその質問にだけは回答してもらわなければならない。話が通じない、もしくはその意思がないならば仕方がない。更生の余地なしとして書類に判を押さなければならない。
「回答して頂かなくても結構ですが貴女に利用価値がないと私が判断すれば、貴女の寿命は限りなく短くなりますよ」
「…」
「こりゃだめそうっすね」
穂波がぼやく。
その瞬間、
かちっ
金属音と共に異常生物を拘束していた拘束具がボロボロと崩れていく。
「動くな!!」
ジュピターが間髪を置かずにライフルを構える。
異常生物はゆっくりと立ち上がる。
「ジュピター、射撃は許可しません」
「しかし隊長!これはまずいですよ!」
「この場での発砲は許可しません」
ジュピターが歯ぎしりをしてトリガーから指を外す。しかし銃口は変わらず向けたままだ。
「お前たちは敵ではない」
異常生物から発せられた声は元女子高生とは思えない程低くどす黒い感情を孕んだ声だった。
「私達に敵意はないのですね?」
「そうだ」
「それは良かったです。拘束具を一瞬で破壊する能力は少々厄介ですが、それゆえに利用価値はありそうですね。よかったよかった、」
「しかし敵意を向けてくる者に対して我は寛容ではない」
「は?」
異常生物は右腕を上げる。
手の形は親指を上げ、人差し指を伸ばすピストルの形。
その銃口はジュピターへ向けられていた。
「貴様何のつもりだ!」
「ジュピター銃口を下げなさい。敵対しなければ害はなさそうですから」
「許容できません!」
「ジュピター、」
穂波が「この状況まずいですよ!」と表情で訴えてくる。
言われなくても分かっている。
なんとかジュピターを押さえてこの場を鎮めなくては。
「それをやめろと言っている!」
「我の敵となるならば容赦なしない」
「やめろと言っている!!」
ジュピターを抑え込もうとする前に89式のフラッシュハイダーから火花が散る。
5.56mmNATO弾はまっすぐに異常生物へと向かっていく。
しかし、その弾は異常生物を貫く事はおろか白い肌に傷一つつける事も無かった。
「なっ」
確実に全弾を命中させる自身があったのだろうか、ジュピターは口を開けて呆然としている。正確には弾は全弾命中する軌道だったが、それを直前でかわしてみせたのだ。
「お前は敵だな」
異常生物から黒い声が発せられ、人差し指の先端に小さな光が灯った。
「まずい!」
私が叫ぶのと異常生物から一条の光線が発せられるのはほぼ同時だった。
にぶい爆発音と共に私の右腕がそれを受け止めた。
焦げ臭い嫌な臭いが周囲に立ち込め、そして沈黙が訪れた。
「た、隊長…!」
「…」
一条の光線は私の手のひらに収束し、そして消えていった。
焦げ臭い嫌な臭いもすぐになくなる。
「双方そこまでです。これ以上の戦闘行為は私が許しません」
私が半身を賭して庇ったジュピターは茫然自失の体だ。
対照的に異常生物は憮然とした態度でこちらを凝視していた。
「お前も同類か。何故、人に与する」
「貴女と一緒にしないでください。こちとら納税までして国民の義務を果たしているんですから。お給料を払ってくれるうちはギブアンドテイクが成立しているのです」
「面白い事を言う女だ」
その顔はちっとも面白そうではないが、何か彼女なりに納得がいったようだ。
物騒なピストルを下ろして臨戦態勢が解除される。
それを見たジュピターは何も言う事なく静かに89式を下ろした。
「あのー。お楽しみの所、申し訳ないのですが」
穂波は無線機を確認しているようだった。
チャンネルは警察が使用する周波数に合わせてある。
「銃声を聞いた市民から通報があったようです。5分で脱出不可能です」
「三十六計逃げるに如かずです」
異常生物『奈月一夏』は穂波の指示に従って新しい拘束具を装着している。
私は肩を落として落ち込んでいるであろうジュピターに声を掛ける。
「初出動としてはまあまあですよ。初めてで生き残ったのは穂波さんを含めて貴女の2人だけですから」
「…それは嫌味ですか?」
「射撃の腕前は大したものですが、私の部隊では言う事を聞かない人差し指は不要です」
「申し訳ありません…」
「しかし貴女のような頑固者がいるくらいがちょうどいいのかもしれません」
「え?」
「さっさと帰りますよ。帰ったら反省会です」
私が差し出した右手を、ジュピターは力強く握り返すのだった。