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03-2『先生』

いつもよりちょっとだけ長いです。

 昼からの授業が残り時間10分の時点で、翔のスマホに知らないアドレスから連絡が入った。一分後に佳奈からもメッセージが来る。

 流石に授業中に見るわけにもいかなかったので放置した。

 キンコンカンコンとベルが鳴り、伸びをして首を横に倒してストレッチ。

 緩んでいたところにバンと机を叩かれ、翔は吃驚する。

「今から私とデートしなさい」

「デート? どうして」

 きょとんとしたままだが、翔の手はノートをカバンに入れ、筆記用具も片付けていく。ふとスマホのメッセージ着信を示す、光の明滅に気付く。

「佳奈だ・・・」

「誰よ、佳奈って」

 またまた彼女を無視してスマホを見た。『まだ~?』とある。何のことやらさっぱりだ。それよりも前に送られてきた、送り主不明のメッセージを開いた。

 翔は息を飲んで、眉間にしわを寄せて黙りこくる。

 本文のないメッセージに写真が一枚添付されていた。

 飾り気のない小さな手と、ストーンを散りばめて着飾った爪の女性の手が、指を絡めて握りハートにした写真。

 思わず立ち上がり校門を見ると、まばらに人が集まり始めている。

 カバンをひっつかみ、窓の外にある木を伝って降りようと思い至り、流石にそれは文明人として駄目だと舌打ちをしてやめる。代わりに廊下へ走った。

「あ、待ちなさい!」

 足が滑るように早く走れた。外に駆け出し、駆け抜ける。

 美琴とひまりも鞄を掴んで走り出すが、追い付けるはずもない。ただ校門に向かっている事だけは判っていたので、それを頼りに急ぐ。

 もはや誤魔化せない程に膨れ上がった人の群れに、翔は近づいた。

 人を掻き分けて内側に入ると、花壇に座った女性が手を叩きながら歌っている。目線の先では佳奈が額に汗しながら踊っていた。

 周囲の大学生達は小学低学年の子供が、きびきびと力強く踊る様をスマホで録画している。

 誰も濃いサングラスと、大きな鍔広帽子で歌うクロエには気づいていないようだ。

 曲の終わりにビシッとポーズをキメて制止すると、拍手が巻き起こる。

「えへへ。ありがとうございます。ありがとう! ありが、あー! 翔だ!」

 怒って指を差した佳奈は、のしのしと地面を踏み締めて翔に近寄る。

「みんなメッセ送ったんだけど」

 スマホには、クロエの横に座る双子の兄弟総悟と颯馬からのメッセージも届いていた。

「ごめんごめん。授業中だったから」

「本当にのんびり屋」

 見世物は終わったと言わんばかりに、集まっていた人は散っていく。

「クロエちゃんが、この前のお礼に子供には高級焼肉店連れて行ってくれるって」

「チェーンじゃないところだって」

「頬が落ちるんだって」

 クロエが立ち上がって歩くと、男の視線が集まる。

 蜜柑狩りをするくらい寒い冬。それなのに肩が全くないハイネック・タンクトップのぴったりしたニットに、隙間から脇下や下着や肩など素肌が見える緩いコート。

 そして短パンに、足の側面に薄く幾何学模様があしらわれた茶色のストッキング。夏に履くような隙間の空いた不完全な半長靴で、ストッキングが爪先まで露出している。

「こんにちは。髪の毛切ったんだね。似合ってる。かっこいい」

 高いヒールを履いているのに、翔が高いものだから幼く見える。髪を切っておいてよかったと、心の奥で美琴を称賛する。今度何かを驕らなければ。

 始めにクロエは紙袋を差し出した。

「これ、ありがとう。凄く助かった」

 受け取って中を見ると、ふわりといい香りが溢れ出る。

「洗ってくださったんですか」

 その唇に、細いクロエの指が突き刺さる。爪には青が塗られていて、唇にめり込んだ。

「敬語は駄目って言ったよね」

 帰り際は投げキスの印象が強烈に残っていたけど、確かに『クロエと呼べ』と言って去って行った。

「ありがとう、クロエ」

「よろしい」

 二人の女性がようやく翔に追い付いた。

「はー、よかった。まだいた」

「了承もなく、勝手に走らないで!」

 ひまりが猛然と翔に突っかかっていったものだから、クロエは邪魔しないように双子の隣に座った。佳奈に手招きして膝の上に座らせ、ハンカチで汗を拭う。

「予定ができた。俺帰るわ」

「は? 何言ってるの。ようやく部屋から出して貰えたのよ。私とデートしなさいと」

「オッケー。行ってらっしゃいな」

 美琴は佳奈を膝に乗せた女性を見守っていた。確かにあれはモデルのクロエだ。

 彼女が約束を守る人で本当によかった。

 問題は美琴の隣で騒いでいる、血に飢えた獣並みに無差別に噛みつく女だ。

「どうしてなの? 昼は城崎先輩と一緒に出掛けたのにずるい。私の命令は聞けないの?」

 クロエは佳奈を抱きしめながら、じっとそのやり取りを見ていた。過ぎ行く通行人は可哀想にと翔を憐れみながら、関わり合いになりたくなくてそそくさと去っていく。

「ねぇ、あの二人も一緒に行きたいって事かな?」

 クロエが佳奈に問うと、いやいやいやと首を横に振りまくる。

「あのゴスロリっぽい女の人は、男に執着して他の人を傷つけるので有名なの。たぶん翔が今の執着先なんだと思う。はぁ、こんなに待ったのに・・・今日は焼肉無理かも」

 佳奈は突然小学校に来たクロエに驚いたけれど、翔にではなく真っ先に自分を頼ってくれたのは嬉しかった。

 それがたとえ学校の終わりが一番早かったからというだけでも、不安気だったクロエが佳奈の顔を見た瞬間にほっと微笑みに変わったときは、やはりドキドキした。

 だからもう少しでいいから一緒にいたい。

 でもひまりはエネルギーが有り余ってキャンキャン鳴き続けた。

 佳奈が溜息を吐くのと同時に、突如としてひまりのスマホが鳴り響く。帰宅の車の催促がないため、近くまで来ていた使用人から確認の電話が来たのだった。

 その隙を見て、翔は美琴を連れてクロエの元に逃げる。

 クロエは佳奈を自分の座っていた花壇に座らせ、尻を叩いて土を落とす。ハンカチで手を拭い、美琴に差し伸ばした。

「初めまして、クロエです」

「あっ、は、初めまして。翔の近所に住んでいる幼馴染の城崎美琴です」

 ぐっと手を握り合うと、クロエは嬉しくて微笑む。もしかしたら佳奈に引き続いて、二人目の女の子のお友達になるかもしれない。

「よかったら、一緒に焼肉行きませんか? 城崎さん」

「いやいや、やめといたほうがいい。こいつすごい喰うから」

 翔が慌てると、その腹を美琴が軽く小突いた。

「折角ですけど、質より量派なので、かなりご迷惑かけるかと。だから今回は・・・」

「それでもいいよ」

 暇を持て余した佳奈が、足をぶらぶらさせながら代わりに答えた。

「美琴さん来るんなら、ランク落としてもいいよ」

「言われてみれば、俺も量食べたい」

「俺も」

 携帯ゲーム機でFPSの対戦を新たに始めた双子は、テメェだのクソだの言いながら提案する。

「お金の心配してくれてありがとう。私は別に構わないんだけど、折角だからみんなが行きたいとこに決めてくれていいよ。行こうとしていたとこは、予約しなくても大丈夫なお店だから」

「流石! まさかの顔パス! おら!」

「あ! 後ろか! 卑怯だぞ! ええい、そこに直れ!」

 佳奈と総悟と颯馬が同時に隣町の焼肉チェーン店を名指しする。チェーンのわりに使っている肉質はいいところだ。最高価格は一切れ700円のシャトーブリヨン。あったところで頼んだことはないが。

 三人はお祝い事の時に連れて行って貰うため、特別な日のお店だった。

「わかった。ちょっとまってね。行き方調べないと」

「ああ、なら、うちの呼びます。8人乗りのランドクルーザー持ってるのいた筈」

 美琴が電話を始めると、電話を終えたひまりが翔の側に来る。その場の全員を睨んだ。

 そして最後に翔に合わせた後、その視線の先にいるクロエで止まる。

「ああ・・・そう。・・・あなたなのね」

 鼻で笑われて、クロエは首を傾げる。ひまりは何があなたなのかを話してくれない。

 彼女はクロエを、ただのモデルという以上に知っている様子だった。ぽかんとした暢気なクロエは、手負いの獣の恨みのような気迫にただ睨まれている。

「あの・・・」

 どこかでお会いしたことありますか? そう聞こうとしたが、間に大きな壁が入る。翔がクロエを背に隠して、ひまりをじっと見据える。

「ふぅん。・・・そういうこと」

 彼女は背筋がぞっと凍る程冷たい笑みを浮かべた。ひまりの鞄に付けられた、青い蝶の立体的なキーホルダーがゆらゆらと揺れる。

「皆さま、ごきげんよう」

 獣の様だったひまりは、突然指先まで揃えて、スカートを広げて挨拶をした。

「ええ、道中お気を付けてね」

 能天気にクロエは微笑んで手を振る。驚いて少しだけ動きを止めたひまりは、大きくチッと舌打ちをした。

 そして校門の外すぐ傍に控えていた七瀬家の車が到着し、さっと乗って去っていった。

 美琴と翔は頭に手を当てて深い安堵の溜息をついた。

「すごく綺麗な笑顔・・・まるで、おばあさまみたい」

 人を見下し、殺気を放つ笑顔で、何故かクロエだけ好感が上がっていた。


 顔や手にたくさんの縫った傷、襟首から刺青が覗く厳ついおじさんが大きな茶色のランドクルーザーでやってきて、美琴に顎で使われた。

 大きめのタイヤを履かせて車高が上がっていたので、翔は佳奈とクロエをそれぞれを抱き上げて乗せた。美琴はパンツが見えるのも構わず大股開きで乗り込む。

 焼肉に舌鼓を打った後、支払いは美琴が自分とおじさんの分は払うと言ってきかなかったが、その問答をしている間にクロエがクレジットカードで払ってしまった。みんなと連絡先の交換もできて、凄く満足気だ。

 おじさんもお嬢に良い友達ができたと、機嫌よく安全運転した。心を開きすぎた彼は、美琴の事をペラペラしゃべる。

「そもそも身内に元極道がいれば、もう警察官への道は閉ざされているんです。でもお嬢はもう極道ではないから大丈夫と空元気な事ばっかりで」

「受けるだけタダでしょ! もうこの話はいいの!」

 美琴はむすっとしたまま、窓の外を睨みつける。元極道の家族は警察官にはなれない。スパイになりうる可能性もあり、身辺調査で落とされるのだ。

「・・・翔のお父さんみたいな、正義感溢れる警察官になりたかったのよ」

 時代に押し流されて城崎家が極道でなくなったあの日、家にたくさんの警察官が来た。彼らは美琴には優しくしてくれた人達だけど、貴方達みたいになりたいと言えばやっぱり苦笑いをする。彼女を憐れむ者もいた。

 美琴は幼い頃からその意味を知っている。いつだって彼らは対岸の人間だった。

 街の人を護って殉職した藤間刑事に憧れを持った瞬間に、その夢を潰した父達を恨んだこともあった。

 けれど、やっぱり城崎組は美琴にとって家族なのだ。


 車はある大きなビルの敷地に入っていく。大きな庭に大きなロータリー。花が咲き乱れていて、お城の庭の様だった。

 モデルや歌手やタレントが数多く在籍する『有限会社LostPrincess』の本拠地である。

 ガラス張りの玄関と二階の廊下が見える。自動ドアを出入りする人のほとんどが女性だった。建物自体は10階ほどの高さだった。

 門に飾られた社名の横に、見落としそうなほど小さなドラゴンスカルの紋章が一つ。翔は無意識にそれを睨む。

 運転手はおっかなびっくり守衛所の前に車を進めた。車の大きさを目視確認した守衛は、中から出てきて見上げた。タダ者ではない威圧感がして、運転手は縮み上がる。

「身分証を」

 クロエが窓を開けて、守衛ににこにこ笑いかける。途端に彼の目尻が下がった。

「おや、クロエちゃんか」

「ただいま、おじさん。ちょっと待ってね。身分証、今出すから」

 小さな鞄なのに、どこにもなくてごそごそ。

 翔は彼女のコートのポケットに何か入っているのを見つける。

「これじゃないかな」

 翔が手を入れると、そのままするりとお尻を撫でてしまう。

「ひっ」

 クロエが吃驚して小さな悲鳴を上げるも、翔は気付いていなかった。

「これですか」

「拝見します」

 首にかける紐を持ったままするすると降ろして、窓からおじさんに渡す。そのいずれの動作も窓側のクロエを抱き込んだ。

 守衛が機械のガラスにかざすと、ピッと音がして本物だと証明される。

「確認しました。どうぞお通り下さい」

 電子仕掛けの門が開く。おじさんから身分証を受け取ろうと、更に伸びをする。

 クロエは肩を抱いて強く抱きしめられる。

「っ・・・ねぇ、それはわざと?」

「え? あっ、スミマセン」

 クロエはスモークが貼られた窓を閉め、翔を押し返す。握りしめた身分証をクロエに返すと、彼女は雑誌のような無表情になっていた。だらだらと冷や汗が伝う。

 そんなつもりはなかったのに。密着したのは車高のせいだと頭の中で言い訳するが、それが卑怯なことだともわかっている。身分証は彼女から渡させるべきだった。

 車はロータリーを回る。クロエの指示通り玄関のど真ん中に着けると、外から男がドアを開けた。

「おかえりなさいませ。クロエ様」

 筋骨隆々で金髪の西洋男性が深々と頭を下げた。無駄のない動きでしゃがみ、膝をついてクロエに手を差し出す。

「ありがとう、ザック」

 彼の膝を階段の一段にして踏む。ショルダーバッグを渡して、くるりと振り向いた。

「今日はありがとう。凄く楽しかった」

 スカートではないため、コートを摘まみ上げて優雅なお辞儀をする。

「ばいばい」

 美琴が手を挙げたので、クロエは優しく合わせた。佳奈と双子の兄弟は爆睡していた。

「それと、おやすみ。・・・たぶん『先生』」

 薄く目を細めて、クロエは翔に怪しい笑みを浮かべる。

 扉が閉まって車が発信すると、彼女はまた指の腹に唇を当て、リップ音を立てて投げキスをする。

 翔はまた見ている事しかできなかった。何よりも嫌われてなくてよかった。

 車が敷地を出ていく頃には、ザックにエスコートされてクロエは建物に入っていった。

「・・・『先生』?」

 思わず彼女の体に触れてしまった。翔に厭らしい気持なんかなかったが、そのことで反応が変わったのは確かだ。

「お嬢、今の車」

「私も見えた。翔、気を付けた方がいいかも。そこ曲がって角の向こうに、七瀬家の情報屋の車がいた。あのセキュリティなら大丈夫だろうけど、狙いはクロエちゃんかも」

 一瞬しか見えなかったが、確かにラリーカーのようにステッカーを貼りまくった目立つ車が角に隠れていた。

 翔はスマホでメッセージを打つ。オーレリアに伝えておかないと。

 小娘の嫉妬では済まない。ひまりは少年院に入っていてもおかしくない異常性を有しているのだから。

「あの守衛さん。どっかで見たと思ったけど、もしかして元刑事局長じゃない?」

「あーー!! すっきりした! そうですよ! アイツこんなとこいたんスね!」

 二人は過去の恨み言を愚痴り始める。

 翔は美琴に警察官はやっぱり無理だなぁと、当たり前のことをぼんやり思った。


 ザックにエスコートされて、玄関をくぐる。クロエの目は死んだように生気を失い、手を引かれてようやく歩いていた。

「お人形さんのおかえりね。今はどちらの味方なのかしら?」

 腰までの長い豊かなオレンジの髪、胸の豊満な女性がクロエの横を行き過ぎる。

「マスターである神父から離れたから自我が戻ったのよね? ・・・でもそれって本当? その自我も神父に与えられたものではなくて? そういうのなんて言うか知っているかしら? ・・・薄汚い人間のスパイっていうのよ」

 その言葉には険があり、噛みつかんばかりに睨みつけていた。

「・・・ねえ、それはよろしくないわ」

 また一人、少女が顔を見せる。大きなリボンがあしらわれたワンピースを身に着けた、赤に近いピンクの髪をした女性、タレント業をしているリアムである。

「私の姉、魔女王ヴェロニカが仲間と認めたのに、貴女は異を唱えるの?」

「も、申し訳・・・ござい、ません」

 文句を言っていた女性はリアムに払われ、すぐに去って行った。

「ザック。その子、反応もできないくらい疲れ切っているみたい。早めに寝かせるのよ」

「はい。かしこまりました」

 リアムは大きな欠伸をして、自室の方に去って行く。ザックは彼女が見えなくなるまで頭を下げた。

 その後も通り過ぎる女性の殆どがクロエを睨む。ただ理由は焼肉の臭いがきついことが主で、憤怒や嫌悪の感情が焼き付いている者は古株だけである。

 レッドカーペットの先に、社章が印字された大きな扉があった。その前にオーレリアがいた。

「くっさいわね」

 彼女がペンを振ると、クロエの周囲に小さな星が瞬き、いつもの甘い香りに戻る。

「人間なんかにクロエを貸すなんて、正直生きた心地もしなかったわ」

「ええ、そうでしょう。奴らは何をするかわかりません。また姫様を帝国から奪うつもりかもしれないですからね」

 流れるようにクロエは扉の前に立ち、腰を落として首を垂れる。

「入りなさい」

 オーレリアが扉を開くと、石造りの広い部屋だった。赤い絨毯に王の謁見の間に似て、一段高い場所に女性が座っていた。

 真っ白でボリュームのあるウェーブの髪に、大きな青い花を飾っている。一見してクロエよりも若く幼いが、服の下から見える手足は骨と皮だった。

 ザックは入室権限を持たないため、真っ直ぐ入っていくクロエを見送る。

 このビルで一番偉いため、女性の椅子は二つの壇に乗っている。クロエは両手を横に広げ、かなり段に接近して膝をついて俯き、両手を胸で重ねた。

「おかえり、クロエ」

「ただいま戻りました。ヴェロニカおばあさま」

 ヴェロニカの骨の足がクロエの顎下に差し出され、グイッと上を向かされる。

「人間への恩返しは終わったようだね。今回は髪も目も羽根も見抜かれなかったかい?」

「はい。おばあさま。誰にも」

 ザックに伝達事項を伝えたオーレリアが部屋に入って来た。

「魔女王ヴェロニカ様、報告いたします。あの男のストーカーが、今度はクロエを標的にしたようです。既に敷地に侵入をはかろうとした男がおり、ハティが捕らえました」

「神父に関わりなき人間か。厄介な」

 足が顎から離れても、クロエはそのまま狂信者の如くヴェロニカを見上げていた。

「死亡届など役所の書類の始末をきちんとするなら、男はお前達で喰っていい。せいぜいいい思いをさせてから、叩き落してやれ」

「かしこまりました。虫の眷属を飼う男性の魔女達が、食糧事情が思わしくないと嘆いていたので、きっと喜ぶことでしょう」

「うん。ならば私も嬉しい」

 ヴェロニカはクロエの頭を撫でる。すると彼女は猫のように目を細めた。

「愛いの」

「・・・恐れながら、ヴェロニカ様」

「皆まで言わずとも良いぞ、オーレリア。あの男、藤間翔についてであろう?」

 調査結果を踏まえて、今後の方策を話すオーレリアとヴェロニカにクロエが口を挟む。

「おばあさま。私・・・」

 未だかつて、彼女はヴェロニカの言葉を遮ったことがなかった。だからヴェロニカはその小さい声に、前のめりで彼女の顎を優しく掴み上げる

「どうした。あの男について何かあるのか?」

 こくりと目を閉じながら丁寧に頷き、前のめりに不安定な体勢から正座になる。

「勘違いか、わからない。けど・・・『先生』かもしれない、です。もしかしたら」

 足を組んでいたヴェロニカはそれを戻し、クロエの顎を離す。オーレリアは慌ててクロエの肩を抱いた。

「何かされたのね?」

「えっとね。触り方、似ていたの。おしり。なんでもない顔して。まるで先生みたい。神父様でも陛下でもないと思う。アレは『先生』に近かった」

 ヴェロニカは大きな溜息をついて、オーレリアは可哀想にとクロエを抱きしめた。

「確かに、お前の尻をそうムチムチにしたのは、陛下とその兄殿下のライバル意識のせいと言うか。まぁ・・・尻に関しては兄殿下、お前の先生が原因だったな」

「おっぱいもしてくれればよかったのに、いつもお尻ばっかり。でもそれ以上はないの」

 モデルにしては小さい方と評される胸を、むにむにと撫でて悲しく唸る。

「大きくなるからと言って、あの方達に任せたら孕まされてしまうわ。あの頃はあなたの身体、特に子宮が未発達だからよかったのよ。もし初潮を迎えていたならば、どんな目に遭わされたか。最悪の場合、二人から同時に愛されてしまうかもしれない。ああ。そんなことになったら、貴女の身体が保たないわ。死因が腹上死なんて可哀想すぎますっ! もし生きていたとしても、どちらの子かもわからない妊娠なんて、新たな火種だわ」

「オーレリア。気持ちはわかるが、我らを統べる皇帝陛下と殿下の話だ。それまでにしといてやってくれ」

 幸い、現皇帝の悪癖を知る者は少ない。兄が飼っていたペット(クロエ)を寵愛し、あまつさえどちらも嫁にすると世迷言を口にしていたのだから。

「外出しがちな陛下は、たまに国へ帰還されて政務をこなしていらっしゃるようだが・・・。のう、オーレリア。クロエが書かされたあの『天使契約書』をも確保した事は届いているのだろうか」

「ええ、お伝えはしております。しかし未だ待機を命じられたままです」」

 部屋の端の方に生け花のように組み上がっている人骨の山に溜息をつく、あれらは彼女たちが殺した人間の王と神父達である。

 当時、人骨でのアートに凝っていた部下に作らせたものだ。中心には丸められた羊皮紙の契約書がはめ込んであった。常にきらきらと星屑が散って輝いている。

「陛下なら天使契約を終了させられる。そうすれば、お前は私達の脅威じゃなくなるんだよ。クロエ」

「はい。私は・・・おばあさまたちを傷つける力。そんなの嫌です」

 ヴェロニカは指を唇に掠らせながら眉間にしわを寄せる。

「ただ・・・無力になったお前を、陛下から守れるか・・・私はそこが不安だ」

 クロエが首を傾げると、オーレリアは俯いて頭を振った。

「・・・おっぱい大きくしてもらえるなら、お仕事増えるから」

「それはだめだ」

「それはだめよ」

 オーレリアにぎゅうぎゅう抱き締められて、ヴェロニカに髪の毛がばさばさになるほど撫でられる。

「陛下と貴女のデート・・・いいえ。面会時に、頬とか腰とか髪とかを断りもなく触られていたこと覚えていないかしら? 一度は意識のないあなたに」

「オーレリア、それ以上はやめておけ。しかし懐かしいものよ。陛下は帝国内でも戦場でも、奔放に女を抱いたものだ。侵略戦争で国崩しをした際、死にたくない領主の娘は彼に慈悲を請うていた。その行為の意味を知っているのか聞きたくなる時もあったよ。来る者拒まずで、愛も知らない男。しかし幼いお前に一目惚れして、見違えるように変わりおった。・・・人の身でありながら、クロエは暴力猿を賢者にしたのだな」

 かつての我が子を思い起こしているような様子で、ヴェロニカはオーレリアに引けを取らない暴言を放った。オーレリアは苦笑いする。

「ヴェロニカ様。私より酷い物言いですよ」

「んっふふ。そうか?」

 クロエは正座で膝に両手を重ねてじっとしていた。眠くて堪らなくて目を閉じる。ヴェロニカはその愛らしさに小さく笑い、彼女の髪を優しく撫でた。

「クロエ。お前にはこれから少し働いてもらいたい」

「はい、おばあさま。喜んで」

 また膝をついて尻を上げ、胸で手を重ねて目を伏せた。

「藤間翔に接触し、奴を調べろ。本当にお前の先生かどうかを見極めるのだ。あの方は恐らくお前でなければ尻尾を出さない。・・・一般人であると判明すれば捨て置け」

「・・・かしこまりました」

 ドアの外に出て行ったオーレリアは、ザックがとスケジュールの調整をする。

「奴に押し倒されそうになったら抵抗しなさい」

 ぽかんとするクロエの頭をわしわしと撫でる。

「我らが到着する時間を稼ぐのだ。本気で抵抗するのだよ? お前の先生は魔術のスペシャリストだからね。その気にさせられないようにしなさい」

「お言葉ですが、おばあさま。先生は養父である前に、婚約者である前に、・・・私は被検体なのです。あの方のご興味は、このお腹の中にある『母なる大地と繫がった炉』にしかないでしょう」

 クロエは大事そうにお腹を撫でて微笑んだ。そこへオーレリアが戻ってくる。

「私が見る限りでは、殿下はお前に恋情を抱いていたように見えたが・・・」

「ヴェロニカ様。それはその位で。塩を送ることになりかねません」

「・・・ああ、そうだな」

 クロエは深々とお辞儀をする。

「今日はもうお休み」

「ありがとうございます、おばあさま。おやすみなさいませ」

 ヴェロニカの塩のように真っ白な頬にキスをして、オーレリアに連れられて行った。

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