02-3山の上の事件
田舎道を高級車が行く。石が跳ねてへこみができたとしても、オーレリアは気にしない。それよりも出来るだけ早く、クロエを自陣に連れ帰らないといけない。
後部座席に座る男が髪を下ろすと、しゅるしゅると自動で、横髪だけ細かいビーズで編み上げられた。
その顔は麗しき女装の君ミカゲになる。
「誰も僕に気付かなかったねぇ。『天使の教会』陣営のニオイもなし。特に犬だが、あれで番犬になるのかい?」
クロエは俯いて難しい顔をしていたが、思い切って口を出した。
「彼は私を一目見て『薄桃色』っていったの」
「・・・そうか、今日はカラーコンタクトをしていないんだね」
クロエは目を閉じて頷き、開くと蒼かった瞳が薄桃色に変わる。耳下に手を入り込ませ、勢いよく髪を跳ね払う。するとマッドな色調の茶色の髪が、影の部分は蒼く映る銀の髪に変わる。
「この髪も、もしかしたら見破られていたかもしれない」
「・・・大丈夫よ。もしそうなら、驚いて言及するでしょう。恐らく無意識のうちに軽微な真実写しを使っているのだと思うわ。人間にはたまにいるのよ、生まれつき勘のいい子が。その程度淡い魔術で、貴女の幻術は破れない。瞳は恐らく隙を突かれたの。人間の技術で作られたカラコンにすれば、絶対に見破られない。髪はグランマに幻術をかけて貰いましょう」
「うん、それなら安心」
クロエは胸を撫で下ろしてにこにこ笑った。
そしてミカゲが右手を隠していることに気付く。心配して手を伸ばすと、ミカゲは観念した。
白い手袋をはずすと、一番太い部分がスイカくらいある、大きくて長いゼラチンのような指がにゅるんと出てきた。管を束ねたようなその指は、変化が解ける程の聖なる力に触れた証拠である。
「事前情報通り、何らかの聖なる祝福を得た可哀想なガキだった。だが、さっきも言った通り、『天使の教会』のニオイはしなかった。大丈夫だよ、クロエ。元人間の君には、触れても害はない」
ぬとぬとした彼の大きな手を、クロエは大事そうに撫でる。ネチョッと黒緑の粘液がまとわりついた。
「怪我してる。待ってて」
後ろの荷台を覗き込むと救急箱があった。それをか細い手で必死に引っ張り出した。
箱の中は魔術アイテムで溢れていて、記憶を頼りにミカゲにちょうどいい傷薬を調合する。
クロエを愛おしそうに眺めるミカゲの右目は、瞳孔が山羊のように横に伸びていた。
治療を終えて包帯をぐるぐる巻くと、腫れた指が大きすぎて、すぐに一本使い切ってしまう。
「どうしよう」
「ありがとう。薬のお陰で、しばらくすれば傷は塞がるから、辛うじてだけど手袋に入るようになる。事務所に戻れば、ちゃんとした治療は受けられるように準備してあるからね。反応を見るためにあえて普通の手袋をしていたんだ。次からはきちんとキャンセルグロブをつけるよ」
クロエは彼の頬におっかなびっくり触れる。目の変化が解ける程の力を受けてしまった。自分のせいと思い詰めて泣きそうだった。
「ちゃんとよ? ちゃんとつけてね」
「ああ、ちゃんとつけるよ」
人間の形をした左腕でクロエを抱きしめる。彼女が目を閉じると、つっと涙が落ちた。
「・・・おやすみ。僕たちのお姫様」
枯れ木のように炙られたイカの腕に似た、細い触手が大量に現れ、彼女の目を覆った。
ぱたりと腕が落ちると、彼女は深く眠る。ミカゲは危なくないようにシートベルトを締めなおしてあげた。
先程までにこにこしていた彼の眼が切れ長になり、笑みも厭らしくなる。足を組めば、悪者のようだ。
「傷、悪かったわね」
「大丈夫だよ。それより、あのガキは基本的にお人好しのようだから、クロエの情緒を育てるにはいいと思う。彼女の笑い方も自然だったし。だが、そもそも男と触れ合わせるのは危険じゃないか? オーレリア」
「・・・私だって仕事以外で男友達をつくるなんて、反吐が出るくらい嫌だけど、背景はこれ以上なく適任だったわ。彼は神父と真逆よ」
ミカゲは小さな白い手袋に、無理矢理手を突っ込んでいく。質量は10倍以上あるのに、粘液のお陰でするりと入っていった。
「ま、邪魔になったら喰えばいい。クロエを害する男には、生きている価値がないからね」
暗いトンネルに入ると、オレンジ色の屋内灯が一定のリズムで後ろに走って行く。
「・・・判っていると思うけれど、服務規定にあるから一応言っておくわ。『天使の教会』に関係しない人間殺しは御法度よ」
そう釘を刺す。
今の世、人間は頭数管理されている。彼が喰らっていいのは母国の養殖場で、一年に数人だけだ。また会社から不定期に牛を一頭ずつ貰っているため、その巨体を維持できている。
「僕は君達に特に大切にされているから、その期待を裏切ることはしないよ。父上の他の仔とは違ってね。この前の会合で知ったんだけど、人間界に呼ばれて降ろされた子供の中で、僕が一番の長寿なんだって」
殺し方が確立されてしまっている彼らは、禁を破れば異変を嗅ぎつけられかねない。しかし人間に気付かれさえしなければ、そこではなにも起きていない。
「クロエが聞けば、きっと亡くなった仔達に心を痛めてしまうね」
「言ってはだめよ」
「判っているさ」
ミカゲは血と粘液でぬちょぬちょしたクロエの手をハンカチで拭っていく。
「それにファンの子達にもトクベツに愛着が湧いてしまったから、了承を得ても喰えないな。僕の姿をその純真な眼に写し、生命エネルギーを遺憾なく捧げる。なんと愛らしい、僕の仔牛達なんだ」
「・・・ただ、クロエだけは正当防衛の殺害を認められているの。彼女は有り余る力の使い方を知らないから、何かの拍子で一都市を壊滅させる可能性もある。もしそうなっても、責任は彼女を『そう』した『天使の教会』にあるから、我々が何もしなくても、政府でもマフィアでもハッカーでも、世界中のメディアを使って事後処理してくれるわ。人間の対異界最終兵器を政治に殺されるわけにはいかないから」
「でもクロエの心は病んでしまうよ?」
「ええ、だから彼には頑張って貰わないとね。そういう意味でも」
ミカゲが足を組んで、口に手を当て、笑みを消した。
「それで、オーレリア。話は変わって、僕のお仕事の話なのだが。先日の東京、大阪、福岡のライブで、実験的に『プロメテウスの炎』を使って熱量を収集したのだろう? 効果はどうだった」
運転をしながら、何もない片手に資料を召喚してミカゲに渡した。
「黒い宝石の変色は、ほんの僅かな白い直線程度。クロエを燃やした人間共の『憤怒』には負けるが、僕の仔牛達の『興奮』は無意味なわけではない、か」
「でもこのペースなら130年はかかるわ。でも一公演ごとに、しばらく席から立ち上がれない程度で『興奮』を絞り出せれば、もっと早く力を充填できる。まずは『質』ね。他の子達でもできないか考えなきゃ」
「ハッ、やりがいがあるなぁ」
ミカゲは首を傾げて、すやすや眠るクロエを眺めた。
「これはリアムの動画やテレビからでも収集できるかい?」
「・・・それはいい考えかもしれない。技術部門に頼んでみます」
「あの子は適当なことをしているだけなのに、何故か人間達が喜ぶ。言葉に魔力を乗せてすらいないのに、再生回数も好意的なコメントも多いからな。数百年前まで、殺し合っていた者同士とは思えない」
クククと一通り笑って、資料を順番通りに並べてクリップで留めなおし、助手席に放った。
「ん・・・ンぅ」
小さく微かな声でクロエが魘されていた。ミカゲは彼女の額を撫で、お腹をグッと押した。
「昔の夢かしら。忌々しい」
ミカゲは彼女の手を握って、悪夢を打ち破ろうとするが、更にそれを内側からキャンセルされる。
「・・・君にはたくさんの恩があるのに、僕たちに出来ることはあまりにも少ないな」
俯いて、その手に額を当てた。
「オーレリア。オフレコで頼む」
無言で肯定を返すと、ミカゲは顔を上げる。
「貴女様のお陰で、帝国の侵略から命を、家族を、国を、文明を救われた者は多くおり、みな感謝の念に堪えません。たとえ、その後『天使の教会』に奪われての、望まぬ殺戮があろうと・・・。貴女様を取り返せずに命を落とす時も、決してお恨みは致しませぬ」
かくりと首がミカゲの方に大きく落ちる。苦しみに汗をだらりと零す彼女の顔を、裏返したハンカチで拭っていった。
「だからそうやって、自らを責めないでくださいませ。せめて夢の中でくらいは、何もご存じなかった頃の貴女に戻って。それは我が父も望んでおります」
「うっ・・・、ぐぅ、はっあ」
クロエに悪夢を壊す魔術をかけ続けるも、ガラスが砕けるような音と共に、何度もキャンセルされて失敗に終わる。
ミカゲは悔しさに顔を歪め、目を閉じて魔術をかけることを止めた。苦しみが徐々に強くなっていた彼女の呻きが明らかに緩和される。
悪夢がミカゲに対抗して、それを強く濃くしていたようだ。
彼女の小さな手に親愛のキスをして、太腿の上に返す。
「・・・いつか必ず、その最後の血一滴まで『天使の教会』から奪い返す」
大粒の汗がクロエの額を覆い、涙がハラハラと落ちる。苦しいのに目覚めることすらできない。
おぞましい過去に身悶えするクロエに、膨大な異界の力を持つミカゲでさえも、ただ見ている事しかできなかった。
次話推敲中。