02-2山の上の事件
広いおじさんの家の長い縁側に座らされたクロエは、軽トラックからコンテナを運び出す翔を眺めていた。寒い時期でも蚊はいないわけではないため、足元では蚊取り線香が燃えて減っていく。
足と肩の出血と打撲は、元看護士のおばあさんから治療して貰った。包帯が綺麗に巻かれ、再度ウィンドブレイカーのファスナーを上まできっちり着せられて、ぬくぬくと上機嫌だ。
白地にパステルグリーンで学校のマークや腕のラインが描かれた学校ジャージ。それを知らない彼女にはかわいく見えている。
白い肌が焼けないようにと、頭には大きな麦わら帽子が乗せられていた。
「・・・帽子、なくしちゃったな」
袖を撫でながら呟く。彼女は光に弱く、外出時はいつも帽子とサングラスを着用していた。それをあの高級車の中に置いてきた。鍔広の帽子はお気に入りだったから少しショック。
袖を伸ばして素材を撫でていると、突如どたどたと小学生低学年の女児が走って来た。
「かーさーん! アイス食べていいー?」
縁側の端ギリギリまで行って、小屋の前に繋いだ犬に餌をやる女性に手を振る。
「宿題終わったなら、一本だけよー」
そしてくるりと踵を返した女児は、クロエを見つけてぎょっとしていた。
「びっくりした。高校のジャージだったから、翔かとおもった」
「あ、えと」
クロエがへらっと笑うと、女児は目を見開いて顎が閉じなくなった。
「あれ? え、っ、ええっ! もしかして」
だだだだと元気よく床を蹴りながら二階に去って行った。
この家にはいっぱい人が住んでいるんだなぁと感慨深く思っていると、女児がたくさんの雑誌を持って走り降りてきた。
クロエの前に広げ、一冊を広げて見比べる。小鼻を膨らませて、息を弾ませた。
仕事ではクールビューティを求められるので、クロエはへらへらしていた頬をきゅっと引き締めた。
「やっぱりー!」
女児はつかず離れずの距離でにじり寄る。
「『LostPrincess』のクロエちゃんだー!」
目の前にガラスがあるかのように手を一定の距離で保つ。
クロエが手を出すと、女児はそれをおっかなびっくり両手で握りしめた。手を揉まれて、握手会を思い出す。
「わ、たし、佳奈って言う、言います。はぁ、肌綺麗、目の中に蒼空があるみたい。髪の毛つやっつや、いい匂い。睫毛なっが。神」
小蜜柑の収穫を終えて、山から戻ってきた総悟と颯馬の双子が、ベりべりと佳奈を引きはがした。
「どっかで見たことあると思ったけど」
「へぇ、モデルさんなんだ」
「お兄ちゃんたち『ロップリ』知らないの? たくさんのモデルとか歌手が在籍している『LostPrincess』って会社」
とある雑誌の表紙を引っ張り出して見せた。背の高い黒髪の美女と、背の低いピンク系赤の髪をした悪魔ロリ系の少女、そして二人にまとわりつかれて澄ましたクロエが写っていた。
「特にこの三人が有名なの。見たことあるでしょう? 歌手のミカゲちゃん。タレントのリアムちゃん。そしてモデルのクロエちゃん」
「ミカゲって聞いたことあるな。どれだっけ」
小さな指が背の高い美女を指差す。
「これでも元男の娘なのよ? 昔は小さくてかわいかったんだけど、こんなに身長伸びちゃって。でもかなりの王子様ボイスなんだから。ロックもバラードも行けるのよ。男性からも、女性からも、抱かれたい男にも選ばれるくらいなんだから」
「えっ。ロップリなのに? そいつだけプリンスじゃんか」
「嘘だろ。190センチはありそう。結構筋肉も付いているし、刀の擬人化って言われても納得なんだけど。小さくなくなったのを姫でなくなったという意味では、ロストプリンセスだな・・・」
双子は雑誌を指先で捲り、クロエの際どい水着写真を見つけた。
「クロエちゃんはモデル業に力を入れているのよね。引っ張りだこで、追うの大変なんだから」
ぺらぺらと喋りまくる佳奈を、楽しそうにクロエは眺めていた。
「最後の一人は、リアムちゃん。彼女はちょっと変わってて・・・。すっごい高飛車でお喋りで口が悪くて、予想できない事ばかりするの。テレビでもよく見るし、動画配信もしているんだけど・・・何度も言うけどわけわかんないの」
佳奈は頭を押さえて首を傾げていた。
「この前はお箸とスプーンとフォークとナイフで、どこまで蟻の穴をほじくり返せるかとかやっていて、穴に違法駐車が落ちてお尻が天を差すほどだったとか。アスファルトの下から手を振っている動画の再生数凄くて、ちょっとしたネットニュースになっていたわね。馬と喋る動画とか、動物園の馬が本当に彼女に従って曲芸するのよ。最後はもうブレーメンの音楽隊って感じで。本当に意味わかんない。プリンセスかよ。プリンセスだったわ。もう意味わかんない」
クロエが口に手を当ててくすくすと上品に笑う。
「リアム、すっごい怒られていたんだよ。でも私有地に違法駐車していたのが悪いのよって言い返していたな。あの車、事務所に一年前からあってね。誰のか未だに判んないんだ。ちゃんと『何をしてもいいか』社長に確認していたのに。でも従業員みんな褒めていたから、きっといいことだったのね。うふふ、働くクレーン車を凄く近くで見られたのは楽しかった」
「・・・あー・・・。普通は落書きとか、傷とか、パンクとか、そういう事をすると思うでしょうからね」
たくさんの本を端からめくっていた双子が、とある有名雑誌の束を手に取る。流石にこれは看過していいものじゃない。
「佳奈。なんでこんな雑誌持ってんだ? 対象年齢高校生以上だぞ」
「しかも男向け混ざってんじゃん。これとかほぼヌード。どうやって買ったんだよ」
ぷりんと弾けそうなお尻や、おっぱいを強調したクロエの水着姿に兄ズはにやにやしていた。
「小学校で人気なのよ。みんな友達のお兄ちゃんにお金渡して、買ってきて貰っているの。胸が小さい子達の希望の星よ」
確かにクロエの胸はモデルにしては小ぶりで、殆どが服で誤魔化されている。その代わり尻は形も弾力も誰にも文句を言わせず、一部では尻神と呼ばれていた。
胸の特徴に言及されて黙って笑っていたが、貧乳に分類されるモデルである事を気にしている。
でも小学生が胸の大きさを気にしているだなんて、おませさんで微笑ましい。
「何をしているんだ。お前ら」
コンテナ運びを終えた翔が戻ってきた。土で汚れていて、首にかけたタオルで汗を拭く。
「ほら見て兄ちゃん! クロエちゃん」
佳奈が翔の視界いっぱいに雑誌の水着姿を見せる。
黒い水着のフレアで大きく見せた胸元。腰をこちらに向けた体勢は無意識に目線が下り、お尻や太ももの裏に注目してしまう。
隣のページは、上の水着の紐が解かれてしまい、両腕で胸を隠している写真だ。胸はぎゅっと潰されて、だらりと紐がさがっている。
勝手に水着の紐を解かれて不服そうで、また可愛いとしか思えず罪悪感を覚えた。
翔はよろよろと壁に体重を預ける。
「え、大丈夫?」
「あ、うん。だいじょぶ」
顔をタオルで覆い、視界の暴力を脳が必死に処理する。鼻の粘膜が強くて本当によかった。
つんと澄ました美しい顔と、ぷっくりした唇。触りたくなるくらい魅力的な丸い臀部が脳裏に焼き付いている。
魅力を強調して盛りに盛ったエロスの破壊力に、無意識に前かがみになる。
「兄ちゃん・・・?」
「何でもない! 何でもないから!」
ふにゃふにゃとその場に座り込んで動けなくなった。
「ねぇ、みんな。よかったら一緒に写真撮らない?」
翔に集まり切ってしまった視線を、クロエは自分に寄せる。
「記念撮影しようよ」
機種が古すぎて使えないスマホの、唯一利用できる機能でもある。スマホを振りながらにこにこ笑った。
「まって! 私スマホ取ってくる」
「俺も」
「俺も」
どたどたと三人が散ると、クロエは翔に手を伸ばした。
「おいで。今の内に座って」
「すんません」
細い手に捕まり、縁側に座る。
「はー・・・。ほんと、スンマセン・・・。ふー・・・」
「ふふふ。大丈夫。生理現象だから仕方ないよ。そういう写真だし」
どうして立てなかったのかまでバレていて、首までどんどん赤くなる。
ファンレターで『僕のオカズは君のここ』などを知らされることもあるため、クロエには慣れっこだ。
「それより、今日は本当にありがとう」
クロエは翔の大きな手を取る。綺麗な女性に今まで興味を示したことがなかった翔は、緊張が増すばかりな自分に驚いていた。
「相手は銃を持っていたのに、間に入るなんて危ないことまでさせて。本当にごめんね」
ネコを撫でる様に、その大きな手を撫でる。彼女はとても安らかに笑っている。すると、劣欲を押さえるのでいっぱいだった翔の頭が一気に晴れた。
このままでは彼女に失礼だ。生きのいい下半身に沈まれと何度も命じる。
「昔、近くの商店街であった事件なんですが、悪い人が銃を持って暴れたんです。丁度その場に俺と母と非番の父が一緒にいて、刑事だった父はそいつを取り押さえたんです。でも違う奴に撃たれた。母も俺を護ろうとして即死しました。・・・その時の夢を、よく見るんです」
空を見上げ、目を閉じる。そして強く息を吐いて、目を開いた。
「正義の味方だった父から、学校で習わない特別授業を受けていたんです。それは人を護るための勉強だったはずなのに、あの日の俺は全く動けなかった。何人かは助けられたかもしれない。実際は、当時小学5年生に何ができるんだって話ですが。・・・いつでも誰かを助けられるように、動けるように、父に学んだことを伸ばして鍛えているんです」
「私はあなたのご両親にも、命を助けて頂いたんだね」
クロエは感慨深くゆっくり瞬きをした。
「そう、なんですかね。それなら嬉しいですが」
「そうだよ。今度仏壇にお参りさせてくれない?」
クロエは自分のやっていることが、相手を煽ることだと気付いて翔を解放する。しかし翔は離れていく手を、無意識に引き留めようとした。
「えー翔そこなの? なら私はこっちー!」
佳奈が戻って来て、ようやく正気に戻った。佳奈は翔と逆側に座って、クロエの腕を取って二の腕に頬をくっつける。
「ねぇ、学校でクロエちゃんの話していい? 本当はにこにこ笑ってくれるって」
「いいよ。ふふ、撮影の時も、サイン会とか握手会の時も、本当は笑わないといけないってわかっているのに、どうしても緊張しちゃうんだ。この前なんか、もう笑わなくてもいいよって言われちゃった・・・」
「えー、クロエちゃんの笑顔すっごくかわいいのに! じゃあさ。一緒に練習を」
「佳奈。あまり困らせてはいけないよ」
双子がやってきて、総悟が全員のスマホを回収する。タイマーを駆使し、平等に行き渡るように写真を撮っていった。
「なにこれ。クロエちゃんのスマホ何年前の? 見た事ねぇ機種だわ」
「わかんない。オーレリアとの電話くらいしか使わないから」
双子の総悟と颯馬はデジタルに強く、最新スマホについて解説を始めた。クロエは途中から目を見開いて、フグみたいにいっぱいいっぱいな顔になる。
翔は可愛さに吹き出しそうだった。オーレリアとの会話でもああなるのが、容易に想像できる。そして溜息をつかれている姿も見えるようだ。
佳奈が得意のダンスを披露したり、総悟と颯馬が漫画やゲームを持ってきたりして、子供たちはこぞってクロエと遊ぶ。
それをおじさんやおばさん達が仕事の合間に眺めていた。
「翔が子供側に混ざるとは、いつ以来だろうか。明日は土砂降りだな。双子に小蜜柑を千切らせておいて正解だったか」
「忘れがちだけど、まだ大学生だからね。うちのと違って、身体は出来上がっているけどさ」
子供側でどっと笑いが湧く。ムキィと佳奈が顔を真っ赤にして怒って、翔が止めていた。
そこにクロエが助け舟を出して、佳奈は颯馬に泣かされずに済む。
「あン子は女っ気がからっきしだし、嫁に来てくれんかな」
ばあちゃんがそういうと、今度は大人側でどっと笑いが起き、今度は子供たちが驚く。
「凄い美人さんだしなぁ。男はよりどりみどりだろ」
「あら、翔もお母さんの血が濃くて、なかなか男前じゃない。ハーフでほりは深めだろ? 目も緑だし」
「お母さんはまっさらなブロンドだったけど、父親のお兄ちゃんの血のせいで根っこに黒髪が混ざっちゃってるもんねぇ」
「いいじゃない。私は綺麗だと思うよ」
「そんなの身内びいきだろ」
わいわいと翔の将来についての議論が始まった。
「近所に幼馴染の可愛い女の子いただろう?」
「あー・・・あの子は、おうちがねぇ・・・」
しばらくすると、佳奈と総悟と颯馬が疲れで眠ってしまう。
クロエが儚げに思いを馳せながら、彼女の膝に頭を乗せて寝ている佳奈の髪を撫でる。
「こんなに人とお話したの、いつ以来かな」
目だけは遠い彼方を眺めていた。
「じゃあ」
今度と口にしようとした翔だったが、先が続かない。迷惑ではなかろうかという気持ちが先に立ってしまう。
さっき佳奈に困らせるなと言ったばかりなのに。
「私ね、お仕事以外で外に出ちゃいけないんだ。お外はとっても危ないから」
翔は先を言わなくてよかったと安堵する。クロエは目を手で覆い、肩を落とした。
「オーレリア、怒ってるだろうなぁ。知らない子についてっちゃったりして」
「知らない子?!」
思いもよらない言葉が出てきて大声を出すと、クロエは目をぱちくりしていた。
「・・・うん。そう、なの。モデル、えーっと、他社所属の芸歴浅い子達で、初対面だったんだ。休憩中に突然腕掴まれて、外で息抜きしよって連れ出されたの」
人差し指で唇をつつき、思い出しながら笑っていた。
「桃のフロート買って貰って、凄く美味しくて・・・はぁ、ホント美味しくて、幸せでっ。それで街歩いていたらおじさん二人に声かけられて、二人がこそこそ『お金持ってそう』とか『ラッキー』とか言い出してね。あー、釣りの餌役だったかーって」
「それで無理矢理外車に乗せられたんですか?」
クロエはこくこくと首肯した。女の子たちに両腕をそれぞれ抱きかかえられ、引きずられて行ったのだった。
「明らかに怪しかったし、脇の下に膨らみあったから、なんか武器持っているのすぐ判った。だから帰らないと駄目だとか、下ろしてとか、私は男だぞぉとか言ってみたりしてゴネてたんだけど、二人はずっと笑ってて、全然帰りたくなさそうで・・・そしたら、黙れ馬鹿女ぁって男の人が怒っちゃって」
必死に掴んでいたドアノブの感触を思い出す。てのひらを広げると、かすかに震えていた。首と髪の間に両手を隠す。
「あの子達、大丈夫かな。無事でいてくれたらいいんだけど・・・」
翔は彼女を引き寄せて肩を抱いた。彼女の頭が翔の肩に当たる。
「今は自分の心配をしてください。あなたも殺されかけたんだから」
「・・・・・・うん。そうだね」
遠くで見ていたおじさま方が息を詰めて動向を見守っていた。
女に興味ない翔が、女の子に自ら触れたのだ。バレないように大人全員で見守った。
彼女の心に寄り添うつもりで抱いた肩であったが、上目遣いの蒼い瞳に気付いてしまい、心臓は破裂しそうな程脈動した。
「んっふふ、心臓の音すっごいね」
照れるように笑う彼女がかわいすぎて、思わず口に手を当てて離れてしまう。
丁度その時、敷地入口の坂から英国の外車、黒のアストンマーティンが上って来る。
「オーレリアだ」
大きな金縁丸眼鏡に青黒く長いストレートの髪。スーツを押し上げる胸は弾けんばかり。口元には色っぽいほくろがあった。声の印象にぴったりの、出来るキャリアウーマンだ。
砂利の敷地を奥まで進み、車は止まった。
後部座席からは長髪をオールバックに結んだ、厳つい身体つきの男が出て来る。彼は真っ先にクロエの元にやって来た。膝をついて、胸に手を当てて、クロエの手の甲にキスをする。
「無事でよかったです。クロエ様」
「うふふ。ありがとう」
そして男はすっと立ちあがり、翔に握手を求めた。慌てて立ち上がってそれを受ける。
「彼女を救っていただき、心から感謝いたします。お世話になりました」
「ああ、いえ」
目付きが鋭くて、笑っていて言葉は感謝しているが、どこか射殺さんばかりの殺気を感じる。彼が手を離すまで、翔はさっき肩を抱いた事がバレたのかとだらだら汗を掻く。
「お隣どうぞ」
クロエがそういうと向こう側に座ってくれたので、ようやく威圧感から逃れることができた。
女性の方はおじさんが彼女に話しかけ、握手を求めていた。土や農薬で汚れているからと言うも無理矢理握手され、潤んだ瞳で感謝された。
同じように、他のおじさん達にもおばさん達にも、おばあちゃんにもおじいちゃんにも。
縁側のクロエの所に来るまで、30分ほど家族と話していた。大きな包み紙を渡し、深々とお礼をしていた。
「そこにいたのね、クロエ!」
ようやく彼女の場所まで来ると、ぎゅっと抱きしめられる。
「グランマも心配していたわよ。軽傷でよかった」
「おばあさまも?」
オーレリアの垂れていた目元がきゅっと引き締まり、翔に握手を求めた。
「ミスター翔ですね。私はオーレリア。この度は非常に助かりました。感謝いたします」
「あ、はい」
立ち上がってから手を取ると、オーレリアはぐいと引き寄せて抱きしめた。クロエとは違ってばいんばいんの胸が押し付けられる。海外生活が長い人なのだろう。
「残りのお二人は、どんな感じですか?」
彼を離した彼女は、苦々しい顔をしてゆっくりと横に首を振った。
「高速道路入口横の茂みで一人発見されまして、腹部に銃創が二つあり、出血性ショック状態でしたので救急搬送をされたようですが・・・、如何せん相手が悪すぎた」
それ以上は何も言わなかった。
「クロエ。他の事務所の子とはあまりしゃべらないようにしなさい。ついて行っても駄目。話しかけられて嬉しかったのかもしれないけど、貴女に友達は作れないって思い知ったでしょう? 人を見る目のないあなたには危なすぎるのよ」
「・・・うん」
「これから一時的に警備員を必ず傍に置きます。敷地から出ない内は、防犯ブザーでザックが来るから。正式な専属警護員は、いずれ本部から派遣して貰います」
獣の耳があれば伏せられて、尻尾があればぶらんと垂れ落ちているだろう。クロエはしゅんとして、粛々と叱責を受け入れていた。
「私たちみんな、貴女が大切なのよ。判ってくれるわね?」
「うん。いつもありがとう。大好きよ、オーレリア」
オーレリアが彼女を抱きしめる。クロエは自分の行動がみんなに迷惑をかけている事は判っている。
特に命の大恩人であるオーレリアには負担を掛けたくないから、クロエはいい子になった。
「あの。オーレリアさんは俺の事を危ないと思われますか?」
真剣な目で見つめ合うオーレリアと翔。彼の言いたいことをまるっと察した彼女は、眉間に手を当てて考え込む。
その後、後ろを振り向き、彼の育った環境を観察した。作業を再開していたおじさんたちは、ようやく小蜜柑のコンテナを降ろし終える。
大型犬はゆるゆると尻尾を振りながら、吠えもせずおりこうさんに作業を見ていた。
「・・・そうね。恩人に不義理はしたくないし。貴方ならいいかもしれないわ。でも、いいのかしら。絶対迷惑をかけると思うわよ」
「はい。俺は構いません」
何を言っているのかわかっていないのはクロエだけで、二人は何かを判りあっていた。
「じゃあ、まずは連絡先を交換しましょう、クロエさん」
「え、なんで?」
クロエはオーレリアが怒らないかどうかをちらちら見ながら、連絡先を求める翔が信じられなかった。きっとオーレリアが本気で怒ると怖いことを知らないのだと思い至り、翔をなだめようとする。
それを察したオーレリアは、こういう子なのよとジェスチャーで示す。翔は苦笑した。
「まずは私にいいかしら。・・・ごめんなさい。責任者として念のために」
全てを察したオーレリアは溜息をつく。クロエにはどこからどうなってそうなったかが分からない。そんな彼女をオーレリアが撫でた。
「交友関係を切るばかりではマズいのは判っているわ。・・・だから、彼ならいいわ。命の恩人だもの。あなたにはスマホを新しいのに変えた後に、私のから番号を移しましょう。そのスマホのアドレス帳は使われていない連絡先でいっぱいだし、メールをしようにも動く絵文字に対応してないものね」
眠ったふりをしていた総悟が飛び起きて骨董品だと叫んで、颯馬が笑った。
「お店にはいつ行くの?」
「ザックに代行して貰うわ。貴女は傷を早く治しましょう」
素直にこくりと頷いた。クロエはにっこりと微笑んで、翔によろしくねと首を傾げた。
「さて、帰るわよ。グランマにお尻ぺんぺんして貰わないとね」
「えー! やだ、嘘でしょ」
「嘘よ」
立ち上がろうとして痛みに身を縮めたクロエを、翔はひょいと抱き上げて車まで運ぶ。後部座席に乗せ、シートベルトをしてあげて戸を閉めると、がーっと窓が開いた。
「今度これ返しに行く。お礼もするから」
翔のウィンドブレイカーを引っ張って見せる。
「待ってます」
ハキハキした返しに、クロエははにかんだ。
「敬語じゃなくていいよ。クロエって呼んで」
車のエンジンに火が入り、野太い排気音が響く。
クロエは唇に指の腹をつけ、ちゅっとリップ音を立て、それを吹いて投げキスをした。
車は来た時と同じように、丁寧に坂を下っていく。ぽわんとした翔は手を振ることしかできなかった。
その肩をおじさんがグイと引き、にたにたと笑っている。
「もしかして初恋か?」
言葉が見つからず、カッと顔を赤くして首を振ることしかできなかった。