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02-1山の上の事件

 広い果実園のいくつかの木の根元で、ラジオが同じ曲を歌っている。その合間に其処此処からパチン、パチンと小気味いい音が聞こえた。

 太陽は既に空の真ん中にあるが、朝露で濡れた葉が手を凍えさせる。先の曲がった専用のハサミで枝を長めに切って摘果し、反ったハサミをひっくり返す。そして他の蜜柑を傷つけないようにヘタを適度に根元から切って整え、ブルーシートで出来た収穫バッグに入れた。

 出荷する前に酸味を抜くため数か月は小屋で寝かせる必要があるため、あまり予定はずらしたくない。

 今日は晴れてよかった。雨が降ったとしても、摘果を終わらせる予定だったから。

 鬱蒼とした草木を横目に、砂利の田舎道を登った山の中に、一面の蜜柑畑がある。とある四家族が丸一日をかけて、八朔蜜柑をちぎっていた。

 軽トラックの荷台に、眩しい位鮮やかなオレンジ色のコンテナを乗せる。籠の中は八朔が満員乗車だ。

「後何個かね」

 おじさんが振り向くと、一人だけ緑目をした青年が丁度数え終わった。身長が185センチと大きく、ハーフのため精悍な目鼻立ちをしている。

「14箱ですね」

 すると彼の妻がひゅうと口笛を吹いた。

「流石だね。総悟、颯馬。アンタらも見習いな」

「えー。無理だよ。俺の筋肉はゲームの中にしかない」

「翔だから出来るんだよ。二歳はかなりの違いだぜ?」

「何を馬鹿なことを」

 空のコンテナをひっくり返して座り込んでいた双子は、文句を言いながら顔を見合わせて苦笑い。

 翔と呼ばれたよく働く青年が、軽トラックの後ろに飛び乗ったので発進した。なお、農道も立派な道路交通法の範囲であり、貨物を看守する場合のみ荷台に乗ることが許される。

 翔はこきこきと右肩を慣らす。

 しっかりと踏みしだかれたタイヤ道以外は、草がぼうぼう。その道を3往復目。

 コンテナと荷台に捕まって、狭い中で籠が落ちないようにしながら、美しい蜜柑畑を眺める。

「小蜜柑も今日の内に収穫しますか?」

「そうやねー。今度の大雨で実が割れたらいかんし。倉庫ついたら、うちのに電話して、俺達が帰るまでに双子にやらせようかね」

 ガタガタと膝の痛くなる振動も、一年に一度のお手伝いだと思うと苦ではない。

「ん? 誰かな」

 軽トラックが道半ばで停止した。運転手は下り坂の先を怪訝に観察する。

「どうしました?」

「知らない車が上ってくる・・・。山上の地主にあんなマイナーな外車乗り回してるのおらんし、車高低くしてっからありゃ傷だらけになるぞ」

 明らかに改造車が草を掻き分けて登って来た。少し距離があるため、軽トラックのエンジンを止めて、おじさんと息をひそめる。

 見知らぬ車は中途半端な位置で止まり、運転席と助手席から高身長で悪そうなサングラスの男が出てきた。右後部座席に集まる。

 少しだけ手間取ってドアを開けると、引いて抵抗していた華奢な女の子が引きずり出される。

「っ、いや。やめっ」

 小さな悲鳴も空しく、肩を掴まれ、土の上に放り出された。

 痛みにうずくまっている間に、運転手がジャケットの下に手を入れる。

「ヤバい」

 翔は軽トラックの荷台から飛び降り、湿った土に埋まっていた石をほじくり出すと、男に投擲する。石は胸から取り出した銃を掴む親指にクリーンヒットした。

 パァンと破裂音がした。安全装置が外されていたということは、あの女性を本気で殺すつもりだったのだ。

 ここは山の上の畑。奴らは遺体すらここに埋めてしまおうとしている。

「おじさーん! 警察に電話してー! 銃刀法違反の不法侵入者ー!」

 大きな声で叫ぶと、男達は慌てて車に乗り込む。銃創は運転席のノブ下にあった。

 全力で少女の元まで走り、奴らから見えないように身体で覆って抱き寄せた。車を睨みつけ、すぐに連れて動けるように警戒する。

 事の発覚を恐れ、運転席の男は一瞥する。しかし青年の影に隠れた女の子の姿を見つけられずに、追撃は諦めた。

 車はすたこらと逃げていく。低くした車高のせいでバウントしまくる。大いにマフラーをへこませたのか、少し排気音がいびつになった。

 地面を掻き分けるタイヤの音は小さくなっていき、やがて聞こえなくなった。

 浅く息をしながら、少女を離す。緩やかに警戒を解いていった。

「足、見せてください」

「っ」

 顔を見る前に左足を触る。地面に倒れた時に岩で強く打って血がにじんでいた。

 そういえばまだ使っていないハンカチがポケットにあったはず。

「あった」

 汗なら袖で拭うが、怪我をした時の為に適当にハンカチをポケットに入れていた。

 土をしっかりと落とし、腰にカラビナで引っ掛けていた水筒から水をかけて洗う。ハンカチで傷口を圧迫した。

「これで良し。すぐに山を降りて消毒しないと」

 そこで初めて女性の顔を正面から見た。

 大きな紺碧の瞳と、ふわふわと緩く巻かれた、肩までのマッドな色調の茶髪は綿あめみたい。小顔で唇はふっくらとして赤い。

 だが服装は今が冬とは思えない。

 胸しか隠さない黒い水着めいた服の上に、荒い網のシャツ。スカートは限りなく短く、側面のスリットを紐で編んでいるから、太ももがぷにぷにしている。足を差し出しているから、黒レースの紐パンがちらちら覗く。

 足の爪にまでネイルが施されているし、かなり高さのあるヒールを履いていた。

 小さな棘のあるチョーカー。全部が白い肌に栄えていて、とてもいい香りがする。

 都会まで行かないとお目にかかれない、モテるおしゃれな女性だ。

「・・・薄桃色」

 特に何かを見たわけでもないのに、無性にそれが想起される。本能的にそれを感じ取れたのは一瞬で、いくら考えても何なのかがわからずに目をこする。

 自分を護るように小さくなっていた彼女の警戒が、更に増した気がした。

 殺されかけたというのもあるが、翔は自分の非に心当たりがある。銃の盾になる為とはいえ、突然知らない男が抱き着いたのだ。怯えても仕方がない。

「あ、の。俺、決して怪しいもんじゃないというか」

「あ、はい。それは、わかってマス」

 おじさんが軽トラックのエンジンに火を入れて、近づいて来る。

「抱きしめられて、ちょっと、びっくりしただけで」

 青少年は整った顔立ちをしている癖に、とある事件の影響で未だ女性とお付き合いしたことがなかった。少女の独白に己が行いを振り返らせられ、耳まで熱くなる。

「その、スミマセン」

 後ろに引いて正座をすれば、少女は更にあたふたする。

「あ、嫌だって、わけじゃなくて。さっきまで、怖かったから、なんか変な感じで。・・・ふふ。ねぇ、こっち向いてくれない?」

「おやおや」

 軽トラックのおじさんが下りてきて、バンと青年の背中を叩く。

「流石だな、翔。かっこよかったぞ。映画みたいだった。流石アイツの息子だよ。お前にも警察官の血が流れてるっつうことだな」

「いや、身体が勝手に動いて。それより、あの、おじさんの家に連れて行ってもいいですか? 傷の手当と、警察に通報を」

「あー。はい」

 女の子が右手を恐る恐る上げる。そして大きめのスマホを小さすぎる鞄から取り出して振った。

「ごめんね。事務所に電話させて貰ってもいいかな?」

 電波状況が悪く、全く繋がっていないことが右上に表示されている。

「やっぱりスマホは、定期的に新しいのに更新していかないとだめだね」

「じゃあ、翔のを貸したらどうだ?」

 アウトドア用の重いスマホをポケットから出して、画面を服でこれでもかと拭き、あたふたとロックを外し、電話を起動して渡す。彼女は自分のスマホを見ながら番号を入力した。

 いつも自分の指が触れている所に、かわいい女の子の頬や唇が近づいている。ただそれだけなのに、翔は落ち着かなかった。

「お前が女の子に緊張してるの初めて見たわ」

 おじさんが微笑ましそうにのぞき込む。

「女に興味あったんだな」

「そりゃ! ・・・あんなに綺麗な人、初めて見たから」

「確かに映画から出てきたみたいに別嬪さんだ。だが、あの派手な服は流石に衣装だよな?」

 相手が電話に出たのか、彼女は突然流暢な英語で話し始めた。

「『ごめんなさい。オーレリアいますか?』」

 学校で英語を学んだのが功を奏し、するすると意味が入ってくる。おじさんは首を傾げていたが、思い出したように警察に電話し始めた。

「翔。終わったらあの子を助手席に座らせな」

「はい」

 真剣に相手方と話す彼女の唇を読む。ぷるぷると桃のようでおいしそう。なんだか喉が渇いた。

「『私を連れ出した子いたじゃない? そう、その二人が、私に寄って来た悪いオトコを、あれよあれよとひっかけちゃって。騒がしくした私だけ捨てて連れて行かれちゃったの。そう。多分レイプ目的』」

 翔はぞわっとした。銃をあんなに気軽に撃ってしまえる男達だ。その二人は今頃どんな目に遭っているかわからない。

「『ええ、そう。・・・ごめんなさい。もっとうまく立ち回ればよかった。え? ああ、えっと。雑談? うん。そういえば、あの子達はあいつらの味方をしていたと思う。どうしてかわからないけど。知り合いだったわけじゃないと思うけどな。え、うん。確かに、行きたくないってごねる私を、二人は笑っていたけど。うーん、なんでだろ。やっぱりわかんない』」

 彼女の手が震えていた。こんなに落ち着いて対応してはいるが、彼女は先程までその恐ろしい人たちと一緒にいたのだ。

 翔は高校の校章付きウィンドブレイカーを脱いで、彼女の肩にかける。一瞬息を止めたが、すぐに優しく微笑んでありがとうと帰って来た。

 タンポポの綿毛が散ったかのように、きらきらと可愛い笑みが胸を高鳴らせる。

 可愛い、可憐だ。そんなド直球の感想以外が出てこない。

 通話の向こうから何の感謝だと聞かれ、こちらの話だと返した。

「『私の居場所は? ああ、GPSね。うん、わかった。じゃあどうしていればいい?』」

「あの、代わって貰ってもいいですか?」

「え・・・。あ、うん」

 差し出されたスマホを受け取り、耳に当てる。

「『突然申し訳ございません。初めまして。私は藤間翔と言います。彼女を保護している者です』」

 相手が驚いてぐっと黙ったのをいいことに、こちらから伝えておくべきことを捲し立てる。

「『警察には私のおじが電話しております。相手は銃を持っていて、彼女は撃たれるところでした。恐らく暴力団関係者と思われます。・・・何か関りに心当たりは? また彼女が狙われる可能性はありますか?』」

「ございません。相手は行きずりの者です」

 低く色っぽい女性の声で、聞きなれた日本語が返って来た。英語で話さなくてもよかったようだ。

「わかりました。では彼女を送っていきますので、場所を指示していただければ」

「それには及びません。私が迎えに行きます。・・・そこの彼女はかなりの世間知らずなの。彼女を連れ出して事件に巻き込んだ二人は、からかって馬鹿にして、あわよくば彼女で金持ちのエロジジイでも引っ掛けようとしたのでしょうね。彼女たちの誤算は、相手が銃を所持した裏社会の人間だったということ。・・・本当に愚かだわ。それでトーマ・ショー・・・どちらが名前なのかしら」

「翔です」

 漢字を教えると、さかさかと何かにメモを取る音がかすかに聞こえた。

「ミスター翔。私はオーレリア。あなたにお願いがあります。2時間ほど『クロエ』を預かっていただけないかしら。あの子を一人にしておいたら危なっかしいのよ」

「判りました。ここは山の上なので、麓の祖父母の家に移動します」

「オーケー。頼りにしているわ。場所は彼女のスマホでわかるから結構よ」

 それでは、と過不足なく情報交換を終えて通話と切ると、じっとクロエに見つめられていた。

「君、凄いんだね」

 キラキラした目で前のめりになって翔を褒め称える。

「オーレリアと話しているとね、言われた5個の内2個は抜けちゃうんだ。彼女、喋るのが早いから、話している内に最初のは何だったっけってなるの」

 オーレリアが一人にしておくことを避けようとしていた理由がすぐに分かった。

「そうだ。改めまして。私の名前はクロエ。姓はないの。ごめんね」

「よろしく。俺は藤間翔」

 おじさんも名乗りながら、クロエの小さなショルダーバッグを手に取って軽トラックに乗せる。勢いで紐の部分のチェーンが絡まってしまった。

「首に抱き着いて」

「こう?」

 慣れた手つきでお姫様抱っこをする。力を入れたのに軽すぎて、ひっくり返りそうだった。

 軽トラックの助手席に乗せて、シートベルトを着ける。

「下の家に、二時間くらいで迎えが来るそうです」

「おっしゃわかった。家の方でもばあさんが薬とか用意して待ってるっつってた」

「わぁ、本当に? 何から何までありがとうございます」

「ありがとう、おじさん」

 二人に笑顔で礼を言われて、気分を良くしたおじさんは運転席に行く。

 軽トラックの戸を閉めて、翔は助手席の後ろに移ったスペースに飛び乗った。おじさんが気を効かせて荷物を移動させてくれていたみたいだ。

 クロエという女の子は、進む車の窓から入ってくる強い風に笑っていた。

「田舎にはあまり来たことがないんですか?」

「・・・遠い昔にいたことあったから、凄く懐かしくて」

 翔が荷台で立ち上がり運転席に体重をかけて風を感じていると、クロエは身体をひねって見上げた。

「飛んでいる鳥とキスできそうね」

 農地から出ていく坂道に差し掛かったため、横着を止めて翔は座り、蜜柑のコンテナを抑える作業に戻ったのだった。

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