11ー1祝福の花火
まだ幼い子供の頃の話。
突然、王国騎士団長のエーヴェルハルト様が研究所にやって来た。
ジギスヴァルド先生が応対し、私はカブトムシくらいの全長の骨折した蟲の足を治療する手術を続けた。
このような虫は外側の固い部分が骨、中の筋肉でそれを動かしている。それを外骨格というのだが、この蟲は左の前から二番目の足が折れていた。
魔術で作った針の先より細い糸で、あっちからこっちから少しずつ力を入れて、元の位置に戻し、患部を塞いでいく。
下手に力を入れ過ぎると、筋肉を継ぐことに成功した足が、諸共に握り潰されてしまう。
だから慎重に。慎重に。
汗が頬を流れる。あと少し。あと少しだけ力が入れば。
でも指では加減が利かない。
マスクを外して、糸に舌を這わせて少しずつ力を入れる場所を変える。ようやく位置が定位置に固定され、傷口にオーロラのように薄い包帯を張り付ける。
このまま5分待てば、包帯は蟲と同化して傷を塞ぐ。傍のタイマーに5と入力した。
目を放すことは出来ないが、ハンカチで汗を拭った。
もう15回目。失敗は最初の一度きり。でもその時は足を千切ってしまった。
一度の失敗でも、やっぱりそれは一度だ。その蟲は生涯、義足で歩かなければならないのだから。
手術を通して感覚外に意識を向け、細かな調整力を養う。それにより不必要な魔力消費を抑えることができる。これはその修行だ。
お腹に据えられたばかりの魔力炉に規格外の力を有していても、魔術孔の性能が良くないので能力が限られる。
もっぱら精密さが課題なのだ。
指先の傷に大量の包帯を使うような治癒術より、カットした折り紙を元の位置に据えるような技術があれば、その分の魔術孔の消費を別のコトに使える。誤差は実験結果の精密さにも影響する。
本当は指先だけでしないといけないのだけれど、私は無能だから先生みたいにはいかない。この人間特有の鈍麻な感性は、永遠に変わらないと断言されてしまった。
私は悩み、指の代わりになるものを探した。そして舌先を見つけたの。
褒めてもらったけど、人前ではしてはいけないとも言われた。だってはしたないもの。
残念だけど才能が圧倒的に足りていない。だから学園にも行けない。
ここでも私は出来損ない。
捨てられたことにはちゃんと理由があって、だからこそ拾ってくれた先生の為にも必死で頑張らなきゃいけない。
けたたましいベルを止める。
蟲の足は綺麗にくっついていた。うん、他もいいみたい。
魔力の糸を全て外して、虫かごの草の上に寝かせて覚醒を待つ。目を覚ましたこの子が、うまく足を動かせるかで成否が決まるのだ。
玄関での話はまだ終わっていなかった。私はエプロンを外し、汗まみれの服を着替えに行こうと廊下に隠れる。
「つまり皇帝の后としての心得を、今の内に学ばせておきたいと?」
「最善を尽くしておきたいのです。何よりも城で働く妖精族も少なくない。だから、お嬢様の為にもどうかご理解いただきたい」
「愚弟が。クロエは人間の内でも最っ高に出来が悪い。后には相応しくないとあれほど言い聞かせたというのに、なおも欲しがるか。毎日剣ばかり振っているから、知能を失ったか?」
ジギスヴァルド先生が珍しくイラついている。ちょっと好奇心に駆られて、私は聞き耳を立てた。
「貴方が王位継承権を辞退なされました。だからこそご理解いただけると思っております。今、弟ぎみの周囲は、我欲に塗れた知らない大人が犇めきあっているのです。戦いがお嫌いな貴方が、騎士職をよく思われていないのは判っております。しかし、どうぞ弟ぎみのご負担を、その心情を想い、ご容認いただけると」
「いや、騎士職を嫌っているのではないよ。すまない、言い方が悪かった。うん、そうだな。そこまで言うのなら、彼女の不出来をその目で見ていただきたい」
廊下の端から片目だけ覗かせている私に、ジギスヴァルド先生は優しく手招きをする。
「さぁ、クロエ。お客さんにご挨拶だ」
お客さんは炎のように赤い髪を、黒いリボンで結んでいた。
貴族が着るスーツという苦しそうな服と、胸元にはたくさんの勲章。皇帝の配下を示す赤いマントを左肩だけめくっている。裏に帝国の紋章ドラゴンスカルが金であつらえられていた。
私は質素な深緑色のワンピースの裾を伸ばし、髪の毛をならして身なりを整えた。
「こんにちは。初めまして。私はクロエです」
深く頭を下げる。貴族のご令嬢のようにスカートを広げることも、微笑むこともなかった。
だがエーヴェルハルト卿は、違うことに非常に驚いていた。身内を紹介するとはいえ、扱いがかなり辛辣だったからだろう。
ええ、二人のお話は私の耳にも入っている。でもそれは正当な評価だって判っているから、不快ではないの。
真ん丸お眼々で無垢に見上げる私に、気を取り直して笑いかける。
「私はアーサー・エーヴェルハルトです。よろしくお願いします」
彼の笑顔は輝いて見えた。ジギスヴァルド先生がスポンサーにするよりも明るい笑顔。しかも全く険というものがない。
握手をすると、そのままあちらへ向けこちらへ向け。歪な魔術孔を観察される。人間には大きすぎる炉に対応できていないため、身体中の魔術孔は常に焦げ付いている。
定期的なメンテナンスが欠かせず、先生の手を煩わせていた。
「貴方、もしかして彼女を?」
「ああ、そうだよ。彼女も実験体だ。ある意味成功、ある意味失敗しているがね」
今度は酷く傷ついたように驚くエーヴェルハルト卿。理解できない反応をする彼が少し怖くなって、私は手を振り払ってジギスヴァルド先生の後ろに隠れた。
「あまり他人に会わせていないものでね。街にお遣いだとか、それこそ年に一度アンゼルムに会わせることにしたくらいだな。この子に物を教えたかったら、まずは友達にならないと」
ジギスヴァルド先生の後ろから片目だけ出す。
「・・・クリュゥシュルの手術、終わりました」
「そうか」
「蟲の手術ができるのですか! 何と言う才能! 私はアレが苦手で、折れていない足まで引き抜いて、御師様に何度も殴られましたわ。はっははは」
エーヴェルハルト卿が大声で笑うから、怖くて耳を塞ぐ。その仕草で彼は事前に聞いていた過去情報を思い出し、声を抑え、しゃがんで目線を近づける。
「君は才能あふれているんだね」
笑顔で覗き込まれて、ジギスヴァルド先生の足の反対側に回る。
「違う。私は、人間だし。人より、出来なかったから、捨てられた。それに、私はお馬鹿で、そして」
「当時はそうでも、魔術医師としての腕は将来有望だと思うよ。宮廷医師にだってなれてしまうかもしれないね」
「エーヴェルハルト卿。あまり適当なことを言わないでくれるかな」
人間は増長すると手に負えない。だからこそ身の程を知っておく必要がある。私はそう習った。
でもそれは子供の心を育む場合には酷すぎることを、先生も私も知らなかった。
エーヴェルハルト卿がぺこぺことジギスヴァルド先生に謝る。
ジギスヴァルド先生は彼に警戒心を抱けなくなっていた。アンゼルムが信用して送り出した理由がよく分かる。
他者を値踏みして、あわよくば有利に事を進めようと舌戦を繰り広げるような貴族っぽくない。
思ったことをそのまま舌に乗せて、人の心にするりと入り込む、一番扱いにくい男だ。
「クロエ。授業を一つ追加してもいいかい?」
「はい。大丈夫です」
「先生はそのお兄さんだ。科目はマナー講習と心得」
何を言っているかわからなかった。『まなぁ』ってなんだろう。
「無理だと思ったらやめてもいいからね」
でも二つ返事で了承した。
先生はきっと、私が失敗することを望んでいるのだろう。
でも学ぶからには身につけたい。それが回り回って、巡り巡って、先生の為になるかもしれないから。
それから一ヶ月に一回。エーヴェルハルト卿が研究室に尋ねて来て、皇帝陛下を手助けする時の心得を学んだ。
国の在り方、動かし方、貴族との話し方。舞踏会での振る舞い方、踊り方、他国要人との接し方。夫が心乱された場合の収め方。傾聴と諫言。
何のために学んでいるかも知らず、言われるがままに学んだ。
でも最後の色仕掛けだけは、実技を学ぶ時間がなかった。
その前に両親はあの滝で失踪したのだ。
城に呼びだされ、彼の後ろにエーヴェルハルト卿がいて、彼の意図がもっとわからなくなった。
私はその頃の貴族達の駆け引きや、この国の未来のための闘争を知らなかった。
だってエーヴェルハルト卿が私を教育しているのは、宮廷医師にするためだとさえ思っていたから。
もし当時の私が、アンゼルムに嫁ぐための勉強だと知っていたら、違う方向に逃げただろう。
一人残された理由は、何かの対価に皇帝へ献上されたからだと思ったから。
無人の広い草原を、荒野を、砂漠を、どこまでも逃げて、逃げて。きっと、エーヴェルハルト卿に掴まっていたことだろう。
どっちがよかったのか今更考えても仕方がない。
私はいわゆるチョロい女なのだ。
幼い頃にあまり優しくされなかったから、どろどろに甘やかされるとだめになる。
耳元で楽しそうに愛を語るアンゼルムにぐつぐつ煮られて、優しく体温で抱きしめて。
これからの事まで楽しそうに語る彼は、私の眼にはとても優しく映ってしまう。
腹黒く怖い龍であるはずなのに。あの黒い髪は血塗れになって、こびりついて洗っても落とせなくなったこともあるのに。
ちゃんとしなきゃ。ちゃんと、望まれた役割を果たさなきゃ。
そのためにエーヴェルハルト卿は真っ先に助けに来てくれたのだから。
でも、ああ。真っ直ぐに愛されることがこんなに心地いいなんて。
他の苦しいこと、嫌なことも苦しみも薄まってしまうのよ。




