10ー3あなたに宛てたファンレター
空は暗くなり、街に火が灯る。
かつて戦好きだった民は、皇帝に護られ、祭り好きへと変貌した。
建物の間を縫うようにある灯火の下で、わいわいと騒ぎ、喧嘩していることだろう。
「大変申し訳ないです。陛下」
薄暗いアンゼルムの部屋のソファに、ノアベルトともう一人座っていた。
「よい。あの娘も今日は疲れておるからな」
対面にはコートも上着も脱いだアンゼルムが座っていた。
頭を下げたままの男は、炎のように赤い長髪を床に垂らしていた。
「オレは反対したんですよ。恋人同士が水入らずになったら、どうなるかわかるでしょうって」
花嫁の部屋がまだ準備できていないからと言って、一時的にクロエを部屋に招いたまではよかった。
彼女がベッドに座って、弾力を確かめている所に二人がやって来たのだ。
その応対をしている間に、彼女はこの隣のアンゼルムの寝室でねむってしまった。
赤い髪の男は勢いよく顔をあげて、ノアベルトを覗き込んだ。その為、髪の毛がノアベルトの頬を殴る。
「いたっ」
「君はそういうが、ノアベルト。やはり最初に主の元に馳せ参じるものではないですか?」
その暑苦しさにノアベルトはげんなりする。
「明日でもいいじゃないッスか」
「曲がりなりにも、四騎士の長が!」
「ああ! はいはい! わかりました!」
ずいずい近づく彼の顔を突っぱねながら、ノアベルトはアンゼルムに助けを求めた。
溜息こそつかなかったが、肩をすくめたアンゼルムは指を鳴らす。
すると真っ黒の小鳥が飛び出し、部屋を一周する。手元に戻ってくると、指先に留まってどろどろと溶けて消えた。
盗聴器やその類の魔術が仕掛けられていないかのチェックである。
「エーヴェルハルト」
「ハ! 大変申し訳ございませんでした。命令通り姫君をお助けするどころか」
胸に手を当てて、わざとらしい話し方だ。
しかし剣の師匠でも、相談役でもある彼が生きていたことは僥倖である。
「ずっとクロエの腹に囲われていたらしいな。妬けるぞ、まったく」
そう言って、アンゼルムは声をあげて笑った。
「貴殿がクロエに『殺したくない』と思わせたおかげで、長年に渡って良き駒が、大量に保存されていた。まぁ、悪くないではないか」
その言葉に居住まいを正したエーヴェルハルト卿は、笑んではいるが眉間にしわを寄せて皇帝を睨む。
「お人が悪いのは、お変わりないようで」
気分を害したエーヴェルハルト卿に、ノアベルトはハラハラしていた。だがアンゼルムはその苛立ちを嬉しそうにする。
「だが貴殿も見ただろう? この国を」
「そうですね。一見しただけですが、兵に力量がなく、陛下がいらっしゃらなければ人間に負ける。いえ。それどころか、土地も文化も財産もなにもかもを奪われるでしょう。命さえもね。彼女が保存してくれた騎士たちで、それは補完されましょうが一時的なものです。正直、解放されて最初に見た光景としては、最悪の部類です。なんとまぁ、腑抜けたものだ」
武装している者達が、武装したまま国を走破することすらままならない。
前の王は、王ではない。それなのにどちらに付くべきかを迷う貴族たち。
皇帝を褒め称える群衆の中に、悪態をつく国民。
生活の全てが皇帝陛下の強さに依存しているというのに。
「何もかもが嘆かわしい。騎士が『兵士』と名を変えていることも理解しました。彼らが仕えているのはこの国でも、王にでもない」
「それが今なのだ、エーヴェルハルト卿。人間世界と同じ、世の中『金』だ。何故だかわかるか?」
エーヴェルハルト卿は窓の外を眺める。
「ああ。民が家族を持ち、安寧を得たのですね。それと財産の個人所有を赦されたのですか。富を知った弊害と言えましょうか」
「おかげで帝国とは名ばかりの、経済国家の仲間入りだ」
アンゼルムはつまらなさそうにひじ掛けに頬杖を突いた。
「何事にも楽しみや苦しみ、面倒がある。確かにやりがいもある。だが、正直な話」
虚ろだった皇帝の眼が、ぴっと二人にそれぞれあった。
「お前達だけに言う。四騎士と国崩しをしていた頃が、一番楽しかったかもしれん。いずれ凄惨な終わりがきたであろうが、我が世の春だ」
「だめですよ」
ノアベルトがローテーブルに両手をついた。エーヴェルハルト卿はふっと笑って首を傾げる。
「ええ、陛下。ノアベルトの言う通り。貴方の春はクロエ様です。権力者は本当に愛する人と一緒になれる確率が低い。それなのに貴方は最高の華を手に入れたのですから」
きらきらと微笑む彼らは、心の底からそう思っている。少なくともこの場では、絶対に嘘はつかない。だから信用できるのだ。
「それで、どうでしたか?」
エーヴェルハルト卿の頬が、突然デレっとする。
「もう! 貴方の悪い癖です、エーヴェルハルト卿! やめてくださいよぉ」
「なんのことだ」
彼と最後に話したのは数百年も前。この顔に嫌な予感がするが、どんなものだったか思い出せない。
「昔の貴方は私にこうおっしゃいましたよ。『私はあまり女を抱くのが好きではない。でも好いた女なら、違うのだろうか』とね。どうでした? 大きさとか感触とか」
「エーヴェルハルト卿。それ以上はセクハラになりますよ。陛下、命じて頂ければすぐ粛清しますから」
アンゼルムを助けようとしたノアベルトだったが、陛下自身が右手で宙を掴む仕草をしたので、呆れてソファの背もたれに額を擦り付けた。
「彼女が言う程小さくはなかったな。それと命乞いで抱かれようとする女と比べるものではないが、あの娘の具合はかなり良かった。心を赦すことで真価が見えるのかもしれない」
「やめてあげてください、陛下! クロエ様がかわいそうです」
じゃれあっていても、なおアンゼルムは憂鬱そうであまり頬を綻ばせなかった。
「何か気がかりでも?」
「そうだな。やはりお前達にだけは話しておくか」
机の上で手をゆっくりと舞わせると、何もなかったローテーブルにジオラマが現れる。
あまりにも立体的で、帝国民すら細かく知らない国の地下まで精巧に作られている。
「っ。『夜の国』絡みですか」
全員の眼は帝国の地下にある、アリの巣の様な裂け目に吸いつけられる。
「夢見からの情報だ。これからクロエは、彼らに引き込まれていくだろう」
エーヴェルハルト卿とノアベルトは、怒りに呑まれないように拳を引き絞る。
死にゆく騎士達を、自らの腹に引っ張り込んでまで護った優しい姫君の事だ。きっと歪な彼らの手を取るだろう。
喉から手が出るほど欲しがっていた『価値観が偏っていない優しい権力者』。きっと蜜のように甘い果実だ。
容易に想像できる。
「そんなことさせません」
「ええ。そうはさせません」
「私はそれを利用しようと思う」
二人の反応を見ながら、アンゼルムはこれからの事をぽつりぽつりと話す。いくつもの反論はあったが、おおむねこの予測通りに事は運ぶだろう。
エーヴェルハルトは眉間にしわを寄せるだけだったが、ノアベルトは怒りにわなわなとし、特にクロエに同情的だった。
「だから、ジギスヴァルド様の子を連れてこられていたのですか」
肯定も否定もせず、アンゼルムはただ覇気のある笑みを浮かべた。
「確かに、私達にしか話せませんね」
「マジで激動ですよ。こういう話、下ネタと同じ席でしてもいいんですかねぇ」
いじけるノアベルトと、エーヴェルハルトは呆れていた。
最後に待っている選択肢は、どちらも破滅を差しているのだから。
「でも、この数日で陛下は少し変わられましたよね」
「そうか?」
「オレは好きですよ。陛下の大博打。最近あまり見なかったですから」
しししと変な笑い方をして、ノアベルトは身を乗り出す。
「クロエ様が陛下を元に戻してくれたのでしょうね。結局、絶対に譲れない大切なものは、手の中に納まるくらいがちょうどいいんですよ」
「いいこと言うようになったじゃないか! いやぁ、見ないうちに成長しましたね。ノアベルト」
そしてどこに笑いのツボがあるが判らないエーヴェルハルト卿に、細い背中が滅多打ちにされた。
「痛い。今のは下ネタじゃないですから!」
エーヴェルハルト卿は緩んでいた顔をしゅっと引き締め、両手拳を膝の上に乗せた。
「陛下。私は地獄の果てまでもお供致します。他とは違って身軽な独身ですし」
「オレは陛下に拾われた身だし、他の奴の下につくのは真っ平ごめんですからね。どこまでもついていきますよ」
数百年ぶりの邂逅だったにもかかわらず、二人は意気投合した。
三人は夜が更けるまで酒を酌み交わす。
そして日が差し込む頃に起きて来たクロエに、ソファに潰れる酔っ払い達の情けない姿を見られてしまうのだった。




