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10ー2あなたに宛てたファンレター

 目の前に立ちはだかるのは、氷のように青白い門。その向こうはすぐに大橋があって、城へと続いていく。

 橋の下を覗くと、暗く黒く、どこまでも繋がっているように錯覚する。

 アンゼルムは門番を軽く殴って昏倒させ、スタミナ切れの兵士の側に並べた。

 瀕死の騎士で溢れた広場では、誰もがゴールしたことに称賛を浴びせる。

「そういう大会をしていたわけではないのだが」

「平穏の代償って奴ですよ」

 ノアベルトも傍でつまらなさそうにしている。

「出征がなくなって、本気の殺し合いも減っていますから」

 クロエは門に触れる。かつてこの城を飛び出した時も、ここに触れた。

 内側から叩いて、門番に気付いて貰って。

 懐かしい。こつんと額を当てて目を閉じた。

 だが突然門が開き、頼る物のなくなった彼女は倒れる。

 その腹に黒い腕が回った。軍服の下になにか防具をつけているのか、はたまた筋肉なのかお腹が圧迫されて苦しい。

「立てるか?」

「あ、う。しゅみません。足が届かない」

 ぷらんとさがった両手足。アンゼルムが体勢を整えると、彼女の足は地面にくっついた。

 クロエは髪の毛を耳にかけながら恥ずかしがる。

「ありがとう、ござい、ます」

「ああ」

 特に何の感慨もなくアンゼルムを見上げると、はっとさせられた。かつてなく上機嫌で優し気で、慈悲深くもある微笑み。

 久しぶりに会った時、あんなに怖かったのが嘘の様。

「どうかしたか?」

 あの時は、神父の魔術で顔を判別できなかった。それなのに無理矢理身体に触れられていたから本当に怖かった。

 でも、彼は突然セクハラをしなくなった。

 きっとクロエの事をたくさん考えてくれているのだ。

 幼い頃もたまにこんなふうにキラキラして見えることがあったけど、本当に本当に極たまにだった。だって基本的にヤンチャしていたから。

 でも今はずっと。

 とくとくと奏でる胸に手を当てて、深呼吸しても無駄で。心配してアンゼルムがぐいっと近づくものだから、まだ慣れない彼女は頬を叩こうとしてしまう。

 駄目よ。ここは帝国の領土内。悪くもないのに彼が叩かれるところを、一般市民に見せてしまってはいけない。

 クロエは背を向けて、深呼吸をした。

 好意由来の意地悪で嫌って、優しくされて落ちるなんて、我ながらちょろい。

 でもこんなに畳みかけるように愛を語られて、意識しないでいられる女の子っているのかな。

「橋が高いからか?」

「あ、え、いえ。目を閉じて真ん中通れば」

「ふむ、それはまた危険な渡り方だ」

 考えている間にも、彼の太くて大きな腕が腰に巻きつく。

「えっと、ちょっと動き、にくいです」

「ただの独占欲だ。我ながら愚かしいな。このまま流してくれ」

 彼女を離す。すると必然的にクロエが上目遣いになるのを、皇帝陛下は堪能していた。

「さっきから。なにか、おかしいですか?」

 両手で髪をといてみたり、服が皺になってないか確認したり忙しない。

「美しく可憐で目が離せない。ずっと見ていたい」

「っ、やめて、くださいっ。私で遊ばないで」

 近寄って来たので両手で突っぱねる。

「君はモデルの癖に、容姿を称賛されるとすぐに照れるな」

 そんなの相手を選ぶに決まっている。それを判っていてにやにやしている癖に。

「早くいきましょう!」

 怖いはずの橋をズンズンと、デザイン的に一番細い場所まで進んだ。そして橋の柱の隙間から見える暗闇に気付いて、その場にしゃがみ込む。

 アンゼルムは笑い出しそうなのを咳払いで隠す。彼女を抱き上げて丁寧に運んだ。

 体格に恵まれないノアベルトは、走って二人を追いかける。

 巨大な玄関は5人がかりでないと片方の扉を開けられない。中にカラクリがあり、内側から鎖といくつもの大きな滑車で開閉をする。外からはそれを手で行わなければならない。

「このニオイは」

 突如として片方の扉が内側から破壊された。ばらばらと降ってくる木や石や鉄から、アンゼルムは身を挺してクロエを護る。

「騒がしイぞ」

 瓦礫の穴から出てきたのは、見上げる程大きな怪物の顔だった。大型車より大きな銀龍の顔。

「オオ、あんぜるむデハないカ」

「お久しぶりです。父上。なぜ龍のお姿なのですか」

 噎せ返るような血の匂いが漂う。龍の頭は内側に引っ込んでいった。

 ノアベルトは橋の向こう側からこちらを伺う傭兵と兵士に、怪我人がいることを手信号で伝える。

 血でいっぱいのロビー。

 使用人も貴族の家臣もその家族も、血塗れで腕や足がそこら中に飛んでいる。小さな金切り声や、呻き声がそこらかしこから昇る地獄だった。

「お前が来たト知っテ、反旗を翻しオッた。だがナゼだか殺セない。お前ノ仕業カ? 可愛ソウに」

 ズシンと巨体が廊下を奥に歩く。

 初めてクロエがここに来た時、この見上げる程天井の高い廊下をミエだと思った。こんなに高さは必要ないと考えていたが、その意味を目の当たりにした。

 この城の主が本当の大きさとなっても歩き回れるように、だ。

「チュエカ。怪我人を安全な場所に」

「わかったわ」

 ノアベルトの合図で奔って来た傭兵たちは、手際よく怪我人や体のパーツを運んでいく。

 クロエを床に降ろした。すると龍の首が彼女に肉薄する。

「いい女ダ。乳房ノ中まで啜ッテやろうか。陰陽師はツマラナかったからな」

 女の怯えを楽しむ彼に、恐怖を感じていたクロエは一気に噛みついた。

「陰陽師って、もしかして『七瀬ひまり』という子ですか? どこですか。お願い、会わせてください」

 突如として耳をつんざく音がぐわんぐわんと響く。両手でも防げない大きな音。それが止んでから、龍が笑ったのだと判った。

「それは敵わぬな。捕まえてお前達を呪わせたのはいいが、呪詛返しを受けて使い物にならなくなった。抱いても歯を食いしばって、つまらん反応しかしない。穴も使いもんにならなくなったし、喰った」

「喰っ」

 アンゼルムの腕にしがみついていた彼女が、ふっと離れた。

 何かを呟いて両手を上げ、掴む仕草をする。

 龍へ向かって走り、走り、足の筋肉を一時的に増強して跳躍し、降り下ろすと同時に龍殺しの槍を手の中に召喚。肉厚で小山のような腕に突き刺した。

 両手をあげて戦闘準備をした時、高高度の上空に武器を召喚したのだ。猛スピードで落下していた槍を、手の中に二度目の召喚をして鱗の隙間を穿った。

 腕力のない彼女が考え出した、落下スピードを威力にする歪な戦い方だ。

「・・・許さ、ない」

 いつもならそのまま次の武器を召喚するのだが、全体重をかけて奥まで奥まで突き刺していく。

「好色の龍よ、ヒトの痛みを知りなさい!」

 憎しみでいっぱいだった。

 ひまりには殴られて痛かったけど、あの男を父にして正常な生活などできるはずがない。クロエにとって、ひまりは自分と同じなのだ。痛い程に彼女の気持ちがわかるから。

 龍は苦しみのたうつ。槍に触れた体液が龍にしか効かない毒を巡らせる。

 大木ほどの肉を貫通し、床へ縫い留めたのだった。

「オノレ、女ァ!」

 捕まえようと彼女の頭上に手を出すと、さらにその上へ新たな槍を召喚して刺し貫いた。

 その手の下にいたクロエの肩もまたばっさりと切れる。髪を結い上げていたリボンが切れた。

「貴様! 自らも顧みずっ!」

 とてつもなく早い光が、スンと天井を突き破って落ちてきた。それは龍の頭に突き刺さり、耐えきれず床に頭が薙ぎ倒されて穿たれる。

 戦闘開始と同時に超上空に召喚していた二本目の槍が、ようやく落ちてきただけ。

「お姫様、呪われてなくても強いわね。戦い方は見られたもんじゃないけど」

「戦略もクソもない。あれは、家の中の物を投げまくる空き巣被害者って感じですね。もっと能力向上をかけまくらないと、彼女はモノにならない。どうして」

「ええ、戦い方がまるでなっていないわ」

 加勢しようと踏み出した二人を、アンゼルムが止める。

「手は出すな」

「陛下」

 クロエは膝をついて、血が出て痛む肩を庇う。痛くて、痛くて、はらはらと泣いた。

「いい女ダ。友のために、傷だらけニナリながら戦う。いい女ダ」

 龍の目がはっきりと開いていた。

「アア、泣かせタイ。痛イ痛イと。俺の魔羅でナ」

 摘まみ上げられたクロエは、ぽいっと床に放られる。起き上がろうとすると、龍の手が彼女を掴んだ。

「ン? 怯えてオラヌナ」

「龍種など怖くありません」

 べーっと舌を出して、胸から下を握る龍の手を叩く。ぺちぺちとクロエの手の方が痛み、それが龍に愉悦を与える。

 小さなナイフを召喚して指を刺そうとするが、ゴムみたいでまるで歯が立たない。

「ホラほら。愛らしいなァ」

 握られていた手が力を込め始め、クロエは苦しみに呻いた。

 ゴキリと身体の内側から鈍い音がして、声も出せない激痛が走る。肩の出血も増え、右足が圧迫骨折した。

「うぅ。ひまり、ちゃ。助け、ないと」

 自爆覚悟で頭上に武器を召喚すると、あっけなく身体を解放される。床に叩きつけられたまま、攻撃は彼女の腰を掠って床に突き刺さった。

「あああっ。ぐぅ」

 だがその槍に縋りつき、クロエは血まみれで立ち上がった。

「ホウ、ホウホウ。あんぜるむよ。なぜお前は加勢をせん。愛する女と言ったのは嘘か」

「いいえ、父上。私の加勢は必要ない。寧ろ彼女に怒られてしまうので」

「・・・ひまり、ちゃんを、返せえ」

 肩と腰の傷からぶしゅっと血が噴き出し、廊下の冷気が下がっていく。

「ああ、もう。見てらんないわ」

 パチパチと建物が凍っていく。傷口が冷えて無理矢理に血を固めた。

「治癒よりモ攻撃を重視シタカ」

 破れた服で自分を槍に括りつけ、宙で何かを掴む。

「高度を距離へ変換」

 その意味が分かった時には、ゲレオンの腹に柄の大きなハンマーがぶつかっていた。

 今度は縦方向のスピードを横方向へ捻じ曲げて召喚したのだ。

「うお、おえぇ」

 クロエは痛みと消耗で四肢の力を失い、意識も失って槍に支えられる。上半身が宙ぶらりんになった。

 そんな彼女の足元に龍の吐いたものが転がった。四肢が異様に短く切り裂かれた人間が零れる。

 胃酸に四肢が溶かされようと死ねない肉塊は、外の空気に触れてようやく目を薄く開いた。

 ようやくアンゼルムはその足を出し、クロエを槍から降ろす。

 傷を治癒し、服も魔術で繕う。そして異臭を放つ肉塊、神父の娘を見据えた。

「っ、・・・くろ、・・・ぇ」

 ひまりは残った右目で、気絶したクロエを見た。

「お前が鍵か?」

「あ・・・あ。ころ、し・・・たら。かぎ、・・・あく」

「そうか」

 こくりと小さく頷くひまりは、クロエを見て涙を思い出した。

「・・・く、・・・ぇ、ちゃ、・・・きれ、・・・ぃ」

 そしてようやく涙を浮かべた。自分の死より、クロエのドレス姿に感動している。

 ひまりを嫌悪していたアンゼルムは、クロエが彼女を救いたがった意味を理解した。

「ホント、の、・・・すがた、もっ。かわ、い・・・」

 七瀬ひまりがクロエを好いていたなんて、誰にもわからなかっただろう。言われても誰だって信じられない。

 その気持ちを神父に利用されたのは想像に難くない。

「わた、し、の。てん、し。お、ひめ、さま。わたし、の、たいよう」

 痛みで気絶していたクロエがふっと目を覚ます。

 皮膚が爛れて剥けてしまい、まるで蜘蛛の糸でぐるぐるにされたような姿になっているひまり。

 でも彼女の首には、ずっと傍に居させるためにネックレスにされた青い蝶が乗っていた。

 クロエは涙を流し、彼女の先のない手を取った。

「いつもありがとう。ひまりちゃんは『姫苺』ちゃん、なのよね?」

 ぼろぼろと水分も体力もないはずなのに、少女は泣いて喜んだ。

「貴女のお手紙、毎月楽しみだったのよ。学校であったこととか、友達と遊んだこととか、私にはなかった経験をたくさん書いてくれてありがとう。ずっと面と向かってお話したかった」

 ひまりの心臓が呪印のせいで痛む。咳をしながらも、ひまりの目は閉じないように必死に見開かれた。

「・・・すき、ずっと・・・」

「ありがとう。私も大好き。貴方がいたから頑張ってこられたんだよ。『ひまり』ちゃん。次こそは一緒に、ご飯に行きましょうね」

 必死に、必死に頬を動かして、ひまりは歪に笑った。クロエは涙を拭って優しく穏やかに笑いかけた。

「・・・え、がお。かわ、いい。きら、き、ら。た、・・・から、も、の」

 そして目をアンゼルムに移す。

「じゅ、いん。しん、ぞう。どう、じに」

「ああ、わかった」

 アンゼルムが彼女の上に毒々しい赤の魔法陣を作った。

「いいな、クロエ」

 頷くことも肯定することもなかった。

 ひまりを笑顔のまま送ってあげたかったから。アンゼルムもそれを了解した。

「次はいい人生を。私も、祈っている」

 グリュオスから託された、漆黒のナイフが6本に増えて、魔法陣に配置される。

 刃先が陣を潜り抜けて柄が現れると、スピードを上げて呪印の根元まで深く突き刺さった。

「大好きよ。ひまりちゃん」

「ふ、ふ、わた、し・・・も」

 その目から生気が失われた。核を真っ二つにされた呪印が暴れて皮膚が波打つも、次第に収まっていく。

 チェーンが切れてころころと落ちた蒼い蝶を、クロエは彼女の鎖骨に乗せた。

「んっ、ぐぅ」

 すぐに彼女の死の影響がクロエに現れた。

「あっ、っ、あぁ」

 クロエが空気を求めて、はくはくと口を鯉のように動かす。下腹部が熱くて、彼女は蹲って呻いた。

「うっうぅ」

 途切れそうな意識を必死に繋ぎとめる。痛みには波があり、耐えられず腕の力が抜ける。

 身体に圧力がかかる。それは深海のものよりも強く、クロエを嬲った。

 アンゼルムに抱きしめられて、折れそうになる心を何度も取り戻す。

「か、鍵は、ひ、開けた。・・・汝らを狙う敵影なし。っ脅威なし。解錠されたし。いくらでも魔力を持って行け」

 真っ白な霧が国中に充満していき、濃すぎる魔力の塊が集まって固形化していく。それに様々な色の光が手持ち花火のように飛んで、一つずつ吹き込まれた。

「け、剣を取れ、槍を取れ、杖を構えよ、矢をつがえよぉっ!」

 もはや絶叫に近い。

 人影が濃くはっきりとした人型になっていく過程を、兵士たちは絶句して見ていた。

「兄上・・・?」

「えっ! 師匠?」

 其処此処で歓喜の悲鳴が上がる。

「我が炉においてぇっ・・・、も・・・一度生を与え・・・、ぐぅっ・・・。私の騎士たち・・・ん」

 一気に噴出した魔力のせいで、意識レベルが下がる。

 アンゼルムはそれを抱き締め、手を握り、痛みに歪む彼女を無表情で見ていた。

 霧が集まって腹から出たのは、手練れの騎士たち。彼らは一度だけ見回すだけで、状況を察する。

 皇帝陛下が巨大な龍に向かい合っている。護ってくれていた『天使』は、そんな彼の腕の中で気絶している。そして兵士達は怪我人を城から運び出している。

 存在を気づかれていない位置に召喚された者は、廊下を見下ろす二階へと素早く走り、即座に罠をしかけ始めた。

 龍の視界に入った者はアンゼルムの周りに集まる。

 また彼らの召喚を予測していたアンゼルムは、この時の為に作戦を記憶させた兵士を二階に配置していた。

「女の不具合ヲ取るために、死にカケた別の女を助けて殺シた。なんとも面白い見世物だ。殺すたメニ救うなどと。そレで。次は何を見せてクレルのかな。全員でその女を犯すか?」

 大声で笑うから、気絶していたクロエが目を覚まし、アンゼルムの首に抱き着いた。

 目を閉じて彼女を強く抱きしめる。

「やはリソの女が原因か。お前が殺シを辞めタのは」

「半分当たりで、半分外れです。父上」

 龍が顎に手を当てて首を傾げる。

「濃厚な血の匂いガアれば、昔のように殺したがると思うたが。使用人と貴族の血程度では目の色一つ変えぬな」

「他国を侵略しなくても、他者を動かし、唆し、思いのままに動かす楽しみを、貴方も知るべきでした」

「ハッ。お断リだな。お前は人間殺しニせいを出すべきだ。あの美味い土地をみすみす放置するでない。今からでも、我らを追イヤったアノ塵どもを殺しニ行クぞ。アンゼルム」

 するとアンゼルムはワザと思い出したという演技をする。

「ああ、兄上と袂を別った原因ですね」

「ソウダ。あいつもその女のせいで!」

 怒りに口を大きく開くと、街へと続く玄関から口に何かが飛来し、二階にいた騎士が左右から首に鉄の鎖を巻きつけ、吐き出せないように絞める。

 腹の奥がぼんと爆発で膨らんだ。外皮が強い分、いくつかの内臓が行き場を失って潰れた。

 二階の左右からロープや鎖が首に絡み着き、尻尾や四肢も鎖でぐるぐる巻きにされる。

「ぐおおお、何なのだこれは。聖なるにおいがする!」

「たとえ我らが龍であろうと、龍殺しを使わない道理にはなりますまい。父上」

 黒い手袋の右手を広げた。これさえあれば龍殺しの聖剣すら握ることができる。

 すると右の渡り廊下への道が爆破され、瓦礫が廊下に吹き飛ぶ。シリルガルドがアンゼルムに肉薄すると、クロエを優しく抱き渡される。

「頼む」

「おうよ」

 さっと風のように彼女をさらい、安全圏に下がる。

「なんだ! なんの爆発だ!」

 キリキリキリと金属がこすれ合う悲鳴がして、キャタピラーを履いた暴君、戦車が右の渡り廊下から瓦礫を乗り越えてきた。

「何なのだこれは!」

 またいつの間にかパイプ製のロールケージで保護されたエムレーザーと言う小型車が、奥の広間にいた。

 隣には足が逆を向いたデザインの、人が入って動かす、地上であればオーバーテクノロジーのロボットが立っている。背中から肩に銃砲が自動で設置される。魔術と科学技術がふんだんに混ぜて使われていた。

 ゲレオン王は砲塔を合わせようとする戦車が気に入らず、そちらに釘付けだった。

 小型車に乗り込んでいた翔がロケットランチャーを背負い、躊躇わず龍に打ち込む。

 背中に爆発が刺さり、龍は出血して引き倒される。天井から刺しこむ光の下に転がり出た。

 それを戦車の砲塔がとらえる。

「ふざけるな! フザケルナァ! 不敬であろうがぁ!」

 必死に体を揺すって立ち上がる。

 すると頭上のガラスを割って、十字の尻尾を持つミサイルが落ちて来る。腰に刺さり、肉を飛び散らせながら爆発した。クロエから解放された騎士は、それすらも防御し、現役の兵士を護ってさえ見せた。

「・・・なん、・・・だ・・・・・・・・・・?」

「父上よ。これらが人間の技術の一部で御座います。魔術で技術強化付加したものを開発しておりますが、今回はわざとそれを使わせませんでした。貴方が破壊を続けようとすれば、いずれはこれらと戦うことになるのですよ」

 近距離にい続けて爆風を浴びている筈のアンゼルムは、傷や汚れ一つなく楽しそうに笑っている。

「ヒトは自力で強くなった。だから貴殿に好き勝手されると困るのです。何も知らずにスズメバチの巣へ手を出されると、この地下領域の存在がバレて侵略を赦すでしょう。かつて南極に開いた大穴から飛来したプロペラ機のように。そしてクロエのように『穴に落ちても平気な者』が、他にもいないとは限らない。現在『地球空洞説』が戯言だとされているのは奇跡なのです。これはもはや帝国だけの問題ではないのです」

 ゲレオン王は酷く動揺していた。何度も爆弾を撃ち込まれ、最早足腰が立たない。一時的に心臓細動まで起こしたせいで、ずっと震えが止まらない。

 これが人間の力。

 不意を突かれたからこそ有効策だったのだが、ゲレオンを怯えさせるには十分だった。

 魔術と牙で勝てると踏んでいたゲレオン王は、現皇帝が手を出す前に、意気消沈してしまった。

『状況終了、帰投します』

 空からの無線の音と共に戦車の中から出てきたのは、たった3名の若い兵士だった。人間もいるが、人外との混血もいる。明らかに、魔術は苦手そうだ。

 彼らが奥の小型車に手を振りながら隊長と意思疎通を図っている。

 地中貫通ミサイルを落とした航空機が、上空を飛んでいった。あれは滑走路がなくとも離着陸の出来る最新機器の航空機だ。

「それにしてもでけぇなぁ。ばあちゃんから聞いて知っていたつもりだったけど。バンカーバスターの威力を全部受け止めたが、さすがにありゃ一生車椅子だな。皇帝サマ。この龍、喰ったらうまい?」

 ボロボロの龍は必死に体を引きずる。心は大地をひっくり返す地中貫通ミサイルで折れ、人間が恐ろしくなっていた。

 龍の心臓を喰って不死者になった人間もいる。だからその言葉は現実味を帯びた。

 足も動かなくなっている。腰に落ちたミサイルによって、神経をズタズタに切り裂かれていた。

「やめておいた方がいい。アレでも私の父親なのでね」

「おっと、それは失礼しました」

 仲間から頭を殴られて笑っていた。

「一週間は城下がお祭りになるだろうから、楽しんでいくといい。龍の肉より美味しいものはたくさんあると自負しているよ。人外も、半人も、人間も、帝国は差別をしない」

「そりゃあ楽しみだ」

「入口付近に人間界のファストフード店があって笑ったけど、故郷の味があっていいかもね」

「梅干は持って来た」

「マジかよ。長期滞在する気満々じゃねぇか」

 がこがこと瓦礫を乗り越えて、小型車が戦車に近づく。それを運転する彼らの隊長に指示を出していたのは、他でもない藤間翔である。助手席でその補佐をしていた。

 アンゼルムが何かに気付き、剣を掴む。

 ゲレオン王の前に音もなく男が立っていた。彼はもう一人いるローブの子供に指示を出している。

 剣に手を添えたまま、アンゼルムは彼らの側に歩み寄る。

「全て持って行くおつもりか?」

 彼はアンゼルムに気付いて振り向く。

「そういう約束だっただろう。いや、流石だよ」

 フードの下ににやけた口が見える。

 爆音が止み、上の階から恐る恐る女性たちが下りて来て、その後ろをすり抜けていった。外に出した傷病者は既に回復済みだったため、城の前が抱き合う人でにぎわう。

 他の者も自然とそれに従い、人々は城から出て行った。

 クロエがシリルガルドに頼んで、アンゼルムの元に来ようとする。

「連れて来るな」

「あ? なんだって?」

 聞こえている癖に彼女を抱き上げてこちらに来る。仕方なく、アンゼルムは剣に手をかける。

「来るな。クロエを連れて来るな」

「俺に命令すんな」

 シリルガルドに頼んで下ろして貰ったクロエは、足を引きずりながらアンゼルムに近づいた。

「お願いだ。来ないでくれ」

「どうして? アンゼっ」

 瓦礫に足をとられて、木や鉄やガラスの混ざった場所に落ちる。アンゼルムは刀を収めて彼女を抱き留めた。

 ぱちぱちと男が手を叩く。

「おやおや。良い旦那さんになりそうだね、アンゼルム。流石は私から奪っただけはある」

 その聞き覚えのある声に、彼がクロエを拒否した理由が分かった。

「シリルガルド。下がっていた方がいいわ」

「あ?」

 クロエはアンゼルムの手を抜け出し、男の元に歩いた。彼をじっと見上げると、ばさりとローブが外される。

 所々金鉱石色をした焦げ茶色の長髪に、金色の瞳。すらりとした足と、どこか浮世離れした雰囲気。300年以上もクロエが求めていた男だ。

 少女のように無垢に、何も考えられなくなる。アンゼルムの目の前で、クロエは彼に抱き着いていた。

 生きていたなら、会えたなら。これはクロエの全てが報われる再会だ。

「父さん?」

 戦車の側にいた藤間翔も気付いた。

 知られたくなかった二人にバレて、アンゼルムが密かに歯を噛み締める。

「ああ、翔。大きくなったな」

 翔は走り寄り、彼を見上げた。凄く誇らしそうだ。

「ふふっ、死んだんじゃなかったのか? 父さん」

「龍族は銃ごときでは死なないんだよ、翔。弱っていたり、当たり所が悪ければ別だが」

 ゴゴンと鐘の音が聞こえ、もう一人のローブがゲレオンの下に魔法陣を展開した。

「・・・ん? ・・・なんだ、これは。何をする。なに、を・・・何故生きている、何故だ・・・ジギスヴァルド。人間に混ざるお前を、殺させたはずなのに!」

 彼は楽しそうに笑う。ゲレオンは動けずに、藻掻くこともできない。

「半分だけ成功しました、父上。ステラは死んだ。当たり所が悪かったから」

 ぱたぱたと小さなローブがジギスヴァルドの元に来て指示を仰いだ。

「ええ、では転送をよろしくお願いします。ステラ」

「わかったわ」

 ゲレオンの身体が沈んでいく。

 クロエはアンゼルムの元に戻った。そのまま奪われてしまうのではないかという嫌な予感は破られ、彼が右腕を広げるとその隙間に彼女が収まる。

 優しく抱き寄せると胸に頬を寄せてきて、ゲレオンの為に祈った。

 ジギスヴァルドという男は親族さえも実験体に見える人だ。ゲレオンはもう助からない。死にかけて動けない父親を、きっと実験体にする。

「ステラって・・・」

「はい、なんでしょう。先生」

 小さなローブが龍の叫び声で外れる。すると母の幼い頃の写真にそっくりな子供がでてきた。

「母さん?」

 地響きのような咆哮をしながら、ゲレオンは魔法陣にぐぷぐぷと飲み込まれていった。

「ほら、ステラ。君の子だよ。ご挨拶を」

 にっこりと彼女は太陽のように笑う。

「初めまして。ステラから作られたホムンクルスよ。名前は『5体目のステラ』。上手にあと2年成長したらオリジナルの記憶を植えて貰えるから、それまで待っていただけると嬉しいのだけれど」

 あっけらかんと手を差し伸べる。理解が追い付かない翔は、言われるがままに手を握った。

 クロエは紹介の仕方で凄く怖くなった。彼の冷たさに拍車がかかっている。

「では、アンゼルム。選択の時だ。どちらを選んだとしても、もう片方が後回しされるだけだが」

「ああ」

 翔がアンゼルムとジギスヴァルドの間に立つ。

「父さん。それはクロエの炉のメンテナンスと、・・・もう片方は俺なんだろ? アンタの事だから、俺でも何かしら実験しているんじゃないか?」

「おやおや、察しがいいね。そうだよ。君の中には龍殺しの聖剣や槍など計7点を埋め込んでいる。不活性化あるいは変質や腐蝕させられないかの実験だ。お陰でお前の成長速度は人間並みに早くなり。加えて魔術師だと気付かれにくかった」

 嫌な予感は本当だった。

 しかし、ついていく事によって父母を知ることができる。それに。

 翔は身を寄せ合うアンゼルムとクロエをちらりと見る。

 彼らはまだようやくお互いを理解し始めたばかり。そして300年ぶりに話ができるようになったばかりの恋人達なのだ。

「父さん。俺が先で。でも、二人の結婚式には出席したいし、魔術学園にも通いたい。たくさん説明もして貰うから」

「おや、聞き分けがいい子は大好きだよ」

「その代わりに魔術の事とか、いっぱい勉強させてもらうから」

 ジギスヴァルド腹から大笑いした。右手で翔の頭がぐらぐらするくらい撫でる。

「それでこそ我が息子だ。では行こうか、ステラ」

「はい、先生」

 ステラを中心に少し大きめの魔法陣が描かれる。その中にジギスヴァルドと翔も乗った。

「翔君!」

 飛び出そうとするが、アンゼルムにしっかりと掴まれていてクロエは逃げられない。

「結婚式までには帰るよ!」

 翔は手を振りながら、二人と共に魔法陣に飲み込まれていった。

 クロエは大粒の涙をぼろぼろと流す。

「痛いの、痛いのよ。先生の実験は、苦しい。だから。だめよ。翔君」

「大丈夫だ。そこは配慮するという契約だから、翔が狂うことはない」

 髪を撫でるアンゼルムに抱き着いて、声を上げずに泣いた。

 傍にシリルガルドが降りてくる。

「アイツが第一王子ジギスヴァルドか。お前に似て喰えねぇ野郎だなぁ。わざと姿を見せ、あのガキに選ばせた。やり口がそっくりだぜ」

「あちらが上手うわてだよ。いつも、いつも昔からだ。クロエに会いたければ、一回につき一つ龍殺しの聖なる武器を集め来いと言われた。初めは持ち方すら知らずに素手で触れてしまい、てのひらが焼け爛れたものだ」

「だから、外さねぇのかソレ」

「ああ、かなり醜い。外す時は幻覚をかけているが、な。シリルガルド。君をもってしても、すぐに尻尾を掴まれ、いいように奪われるだろう。翔に危ない知識と魔術や偏見が入る前に学園に通わせたかったのだが」

 深くため息をつく。

「だが、おおむね予定通り」

「・・・戦車も爆弾もか?」

 壁が壊れてぐしゃぐしゃの廊下は血と瓦礫まみれ。

「この廊下周りは動線があまりよろしくない。昔から間取りを変えたくてな。派手に壊せと言ったのだ。ヒトが使う武器が強いと判れば、魔術や体力に自信のない戦士たちの希望になる」

 城の玄関に立つと、アンゼルムがクロエに手を差し出す。クロエは嬉しそうにそれを握る。

「君の腹に隠されていた騎士に、予想に反せず混ざりものがいたようだ。数百年前から行方不明だった、牙の一族のソゾン王その人と先遣隊。虎視眈々と帝国を狙っていた癖に、歴史上から忽然と姿を消した」

「アァ? どさくさに乗じて、城前広場は戦闘に入っている可能性が高いと言うことか。確かに、この国の騎士は弱すぎだぜ。よっしゃ、いっちょやってやるか」

 アンゼルムはクロエの頭を優しく撫でて、額にキスをした。

「君は俺から離れていろ。牙の一族の王は俺が殺す。シリルガルドは」

「王以外を承るぜ」

 明るい明るい光の中に、アンゼルムがクロエを導く。

 クロエに選ばれた者達だ。きっと血みどろの戦いになる。ふたりがそんな爛々とした瞳をしている。

 すごく、すごく嫌だった。

 帝国は成り立ちから血塗られていて、代々の皇帝には血の衝動がある。

 そんなことは、帝国の歴史において初めの授業で習った。ジギスヴァルドは自分にはその衝動がないから皇帝に相応しくないと言っていた。

 でも、血は無駄に流されない方がいいと、今日証明されたばかり。

 それなのに誰かを殺すの?

 誰かを殺さずにアンゼルムが生きることは出来ない。これからも彼は血の足跡を並べていく。

 彼には内緒で、皇帝の妻としての教育を少しだけ施されたことがある。

 皇帝陛下が殺すと決めた場合は止めてはならないと。

 無くなった扉から足を出す。

 それでも、今日だけは嫌。

「何のつもりだ」

 アンゼルムの前にうつむいたまま立ちふさがる。

 今から殺すと宣言した者は、クロエの腹から生まれたばかりの騎士。

 クロエは顔を上げた。瞳は渇いたまま、アンゼルムを見上げる。

 こつりこつりと靴の音をさせて、クロエは彼の首に手を伸ばす。

 まだ何もしていないうちから、胸いっぱいの愛情で熱い息を吐いてしまう。

 怪訝な顔の彼の唇にキスをする。こんな状況でも気持ちがいいなんて、やっぱりアンゼルムが初めて。

 そうすれば、彼は腰に手を回して答えるしかない。だから私は、彼の唇をぺろりと艶めかしく多めに舐める。

 そうして離れようとする。

「っ」

 追い縋るようにアンゼルムはクロエをひっしと抱きしめた。

 いい子ね。龍には血の衝動のほかにもう一つあるもの。

 荒い息がクロエにかかる。染まった頬が愛らしくて、優しく笑ってあげる。

 戸惑っているのが分かる。きっと今まで欲しいと思う女が傍にいなかったから、貴方は知らなかったのでしょうね。

 それはあなたを狂わせる龍種の性欲。あの夜この身体を求めた貴方の、抗えない獣欲。

 獲物を抱いたまま肩を震わせて、ああなんて可愛いの。

 汗で張りつく首筋の髪を寄せて、体温を逃がす手助けをしてあげる。

 目がまた増えている。キスだけで興奮してくれている。ああ、幸せ。

「悪、い。クロエ」

「いいえ、私の方こそ無礼を」

「触る、ぞ」

「あ、ぁ。うん、いいよ。たくさん触れて?」

 ぎゅうっと尻を掴まれて、クロエは一瞬竦む。でも、大丈夫。これは身をゆだねてもいい温もりだ。

「早く、一緒になりたい」

「っ。クロエ」

 結婚の事を言ったつもりだったけれど、ちょっと卑猥な意味にも取れてしまう。そう気づいた時には、アンゼルムはそっちにとっていた。

「ああ、俺も。君と、君を、きみを、愛したい」

 離して肩を掴まれる。

 珍しい。口元が緩んでいる。自分でも気付いていないみたい。

 その向こうでシリルガルドが呆気に取られていた。

「夜、お部屋に行ってもいい?」

「もちろ・・・。いや、その。そういえば君を正式に抱くのは結婚式の日の夜まで待つと、兄上と契約していたのだったな。しかし、もう手を出してしまっているし。この場合は」

「じゃあ、いっぱいお話をしましょう。私がいなかった間のお話を聞きたい」

 がっかりしていて笑ってしまう。拒否したのは貴方なのに。

 爪先立ちして、彼の耳に唇を近づける。

「ちゅうは、えっちに入らない?」

「そうだな」

 短く息を吸ってアンゼルムは真顔に戻る。シリルガルドに覗き込まれて、彼の頭も正気に戻った。

 仲睦まじい未来の皇帝夫婦を、橋の向こうからにまにました国民が覗き込んでいる。どうも侵略を受けた雰囲気ではない。

「クロエ。それはあの獣どもを殺すなと言うことか?」

 真ん丸の目で見上げるクロエから、アンゼルムの方がサッと目を逸らす。興奮冷めやらぬ今、彼女の胸の谷間や色っぽい目を見てはいけない。

「いいえ。龍の妻とは陛下を正気にする者だと習いました。同時に貴方が殺すと決めたことに逆らってはならないと」

「よくわかっているではないか」

 アンゼルムの大きな手に指を絡め、クロエは困った顔で恥じらう。

「その」

 ちらりと見上げては伏せる。この仕草はジギスヴァルドに聞いたことがある。

 正解の確信はあるが、否定される可能性の方が高い場合にする。

 意図的ではなく、嗤われたくなくて、怒られたくなくて。頭の中で二つの意見がせめぎ合っている。

「怒らぬから言ってみよ」

「彼らが、自分の子供のような感覚が抜けず、その、場合父親は貴方になるのかなと、思いまして」

 牙の一族が自分の息子。まだ彼女が出産してもないのに、デカい息子たちができたことになる。

「くくくくっ、ふはははは。それは面白い発想だな」

 やはり笑われて、クロエは落ち込む。

 アンゼルムは何やら策を練り始めたため、もうクロエは口を出さなかった。

 橋を渡り切ると、国民は諸手を挙げて皇帝を讃美した。

 姫様を人間の魔の手から完全に救ったこと。

 そして懐かしの勇士たちが返って来たこと。

 初めての訓練で、如何に訓練が足らないかが見えたこと。

 貴族たちを困らせていた先王を黙らせたこと。

 たくさんの課題を共有でき、伝説の戦士たちと訓練ができる幸運にうっとりとする騎士は多かった。アンゼルムの目論見通り、モチベーションは爆発的に向上している。

「よお、アンゼルム様よぉ。相変わらず、血の匂いがすげぇぜ」

「久しぶりだな。牙の一族『ファングツァーン』のソゾン殿」

 狼の頭に二足歩行の毛むくじゃら。防具を着た筋肉隆々のリーダー格の男。その後ろに同じく12匹、ライカンスロープが立っていた。

 決して身長は低くないアンゼルムが見上げる。無言での睨み合いが続き、虫まで鳴くことを止める始末。

 周囲の温度が一気に下って寒くなり、激しく石が震えて、電磁波がそこここで破裂する。

「熱っ」

 クロエの手袋が帯電して、パチパチと指先を刺す。シリルガルドがそれを慌てて引き抜いて、黒く焦げた皮膚を治癒しようとする。

 だがそれより先に、爪の鋭い指が薄い緑色の粘液を塗り込んだ。ソゾンの後ろにいた眼鏡のライカンスロープだ。

「このまま1時間くらいしたら傷は完治しますよ」

「ありがとうございます。お医者様なんです?」

「えへへ。そうなんです。初めまして、お姫様。僕はファングツァーン村から選別された13勇士のミリリィ。貴女のファンなんです」

 見せられたのは『白薔薇の姫君』と書かれた、古く何度も読まれて擦り切れた本。

 クロエの手を握って離さないので苦笑いをしていると、更にふかふかな狼たちに囲まれる。

「わぁ。つるつるだ!」

「どこもかしこも柔らかいな」

「ほらここ。触ってみろ」

「ひっ、えっ」

「ああ、だめだよ! そんなことしちゃ」

 彼らとは違って毛のない顔を撫でられ、細い肩を掴まれ、尻尾のない尻を揉まれて、無遠慮に胸を掴まれる。恐怖でクロエは固まった。

 外からは何が起こっているかわからないが、布が引き裂かれる音が響く。

「貴様ら!」

 刀を抜いたアンゼルムが、ぎりぎり威嚇になる薄皮一枚に斬りつける。指や腕や尻尾を少しだけ切られた。

 部下たちが逃げると、小さく丸まって涙ぐむクロエが震えている。

 胸元を抱え、ドレスが破れて露わになった胸を必死に隠していた。かなり長く細い布が垂れていて、アンゼルムからもはっきりと谷間が見える。

 他にも爪で引っ張られた跡が多数あり、体に合わせて作られたドレスがヨレヨレしてほつれている。

 アンゼルムは刀を彼らに向けたまま、クロエをコートの内側に片腕で抱きこむ。

 無理矢理触られたという事実が、彼女をまた傷つける。必死に正気を保とうとするが、恐怖が勝って涙が溢れた。

 でも、記憶と違う体温がある。

 クロエを労わる温もりは、あの時求めてやまなかったもの。

 震えて力が出ない指を、アンゼルムの胸のボタンに絡ませた。

「クロエ。君は優しすぎる。奴らを『我が子のように想ってしまう』と言っていたが、これが現実だ。奴らは助けられたことを、なんとも思っていない」

 細い腕で強く抱き着いて、ごめんなさいと呟いた。

「何やってんだテメェら!」

 ソゾンが止めようとしたミリリィを除いた11匹を殴って正座をさせた。その腰に佩いた刃はロープで封じられていて、そこに兜までも括りつけていた。あれでは殺し合いは出来ない。

 牙の一族に好意的だった民も彼らを警戒し、武器を持ち始める。

「もう二度と『私と君の子』だと言わないでくれ。君が匿った者は、赤子ではなく自立した大人だ」

 その心からの叫びに、民どころかソゾン達まで驚いて、申し訳なさそうに耳と尻尾を垂れる。

「わりぃな、アンゼルム。嫁さんも」

「謝罪は聞かない。即刻、首を」

「カミさんも!」

 ソゾンが叫ぶと、12匹の部下は武器や持ち物を石畳に並べ始める。

「うちのカミさんもアンタの嫁が好きなんだ。森で拾われた話も、二人の王子様に求められていた話も知っている。人間に捕らえられてプロメテウスの炎の生贄になった話も、俺達の集落に届いていた。この国の新聞を取り寄せてスクラップする仲間も多かったし、こいつらも、見ての通りで」

 13匹の持ち物には一つだけ共通点があった。

 人間に操られてしまうことの恐ろしさや悲劇を記した『プロメテウスの炎』という杖に関する書物を必ず数点所持していたことだ。

「あの時代、人間は馬鹿の一つ覚えのように、俺達を操ろうと躍起になっていた。だからその根源を暴こうと13匹の精鋭で解決を求め、その娘に辿り着いた。アンタは強かったな。俺たちゃボロ負けたわけだ。うははは、ざまぁねぇ」

 クロエは恐る恐る見上げ、鼻先を赤くしてぽうっとほうける。

 アンゼルムは彼女の肢体を見ないように、片手でコートを脱いで肩にかけてあげ、背中に隠す。

 地面に裾は数センチ引きずるため、ヒールでは歩けない。

 その一瞬に見えてしまう。胸の先まで露わで、皇帝は改めてソゾン達に怒りが湧く。

 それだけ服の破れ方がひどかったのだと察したソゾンが膝をつき、クロエに土下座をする。

「アンタのお陰で、俺達はカミさんやガキどもの元に帰れる! 恩に着る」

 12匹の部下も慌てて土下座をする。

「もしアンタが困ったことがあったら、俺達が何とかしてやる! 護ってやるぜ!」

「ああ! 俺もだ!」

「ドレス破いてごめんな」

 13匹もの牙の一族の土下座に、クロエは言いようのない違和感があった。

 性的な接触に謝られる事なんて今までなかった。

 だからほっとしてしまい、思わずふふっと笑ってしまった。

 アンゼルムに呆れられているのがわかる。お前はこれさえも許すのか? と。

 溜息をついたアンゼルムはズボンで刃を撫でて血を拭き、鞘へしまう。

「すまない、アンゼルム殿。・・・俺達はかつて、この帝国の荷物を奪い、身の程を知らずの侵略をたくさん行ってきた」

「見解の相違があるな。今もその侵略もどきは行われている」

「っマジか。あー。それも全部。全部ひっくるめて、やめさせる。俺達は帝国を敵視しない。剣を向けない。契約書とかあるなら名前書くぜ」

 民は笑顔でざわざわと囁きあう。春と秋に必ず襲ってくる奴らは、年々手口が巧妙化していて、近年は城壁の中まで入られるようになっていた。

 それがなくなれば、警戒に当てた資金を更なる生産に充てることができる。

「クロエに無体を働いた罪滅ぼしになるとでも?」

「何が望みだ? 殲滅龍の皇帝陛下。俺達の血か?」

 アンゼルムはそれを嗤い飛ばす。

「労働力になる、位は言えんのか?」

 ぐぬぬと引くソゾン。実際の所、まだ故郷に帰っていないから、実態が分からない。口約束をして帰って、板挟みになるかもしれない。

「春と秋に我が帝国を襲う気力があるなら、帝国で働けばいい」

「ん? それは賃金が出るのか?」

 ソゾンが現役の王の時代は一年に一度でよかった。それが二度ともなると、彼らはかなり切迫しているのではないだろうか。

「それは雇用主との交渉次第だろう。流石に民民の契約まではあずかり知らぬ」

 アンゼルムは脳内だけでこっそり、牙の一族の強みを生かしたプロジェクトを、懸案事項にぶち込んだ。

 つまりは、強制労働ではなく雇用。労働をして賃金を貰えれば、安定して冬が越せる。

「あー。正直な所、故郷の状況次第なのだが」

「牙の一族は年々食べ物を十分に確保することができず、ほとんどが戦士に回されて子供は飢え死にしているという報告がある」

「なんだって・・・?!」

 ソゾンが長い長い溜息をつく。そんな状況下で今も生きているのだろうか、妻の安否を案じる。

「現王はロジーナ」

「・・・俺のカミさんの姉か。わかった。俺が責任をもって説得する。必ず!」

「工作員ではないかの調査はするが、帝国はいつでも移住を歓迎している。希望するならお前達の習性に合わせた区画を増設しよう。代金は国と市からの補助金と、残りを住民税で少しずつ支払って貰う。手続きのやり方は地域作り課で聞くのだな。それと馬の合わない種族は絶対に隠すな。民族間の紛争は認めない。これらの話は通しておこう」

「は? 住んでいいのか?」

「あの山の上から、毎日通うつもりか?」

 鼻を鳴らしたアンゼルムは彼らに背を向けた。

「嫌なら深追いはしない。これでいいか? クロエ」

「ありがとう、ございます」

 アンゼルムは目を細めて意地の悪い微笑をソゾンに向けた。

「クロエを護るという『言』が嘘にならぬよう、せいぜい頑張るのだな」

 わあわあと民は祭りの準備にやっきになっていて、もはや敵意のない狼などどうでもいい。唖然とする牙の一族を放置した。

 幸せそうな顔と建物の屋上から巻かれている花弁に囲まれる。

「何スか。つまりどういうこと?」

「さぁ。移住して働くって、帝国民になるって事?」

「えっ、住民票もらえんの? 狩猟民が、突然国際社会の仲間入り?」

「知っているか? 帝国は蛇口ってのを捻ったら水が出て来るし、フンもすぐに流せるから掃除もいらないんだぜ」

「怖いッス。怖いッス」

「快適過ぎて堕落しちゃいそう」

 アンゼルムがパンパンと、大きな音を立てて二度拍手した。

「これで今回の訓練は終了することにしよう。自分に何が足りないかわかったはずだ。それと我らが騎士たちよ! よくぞ帰ってきてくれた! 私は誇りに思う!」

 うおーとそこらかしこから声援が上がった。

「今回活躍できなかったと、落ち込むなら立ち上がれ。自分に合った戦闘方法を模索するがいい。戦い方は星の数ほどある! 次の機会を楽しみにしているぞ!」

 ぱちぱちと拍手が起こった。

「これから一週間、国を挙げて彼らの帰還を祝おう。食糧庫に用意がある。第2番倉庫から第4番倉庫までを開き、各家庭や飲食店に配給せよ。今日という日の為に酒も準備している。ただし、いつもの通り転売は認めぬ。隠しても判るからな。首を飛ばされたいならやるがいい。それと急性アルコール中毒で運ばれないように、大いに楽しめよ」

 皇帝がニヤッと笑えば、酒飲みたちが笑った。

「王様は血が見たいんじゃないのー?」

「ははは、そうだな。首切りの刃入れは一思いでは終わらせん。爪を剥ぎ歯を抜き、腕を斬り足を斬り、最後にようやく首だ。意識を保ち、少しずつ刃を喰い込ませる。回復術も多用し、心臓を強化する魔術も使うから、なかなか死ねんぞ。私の玩具にされたくなければ、悪いことは控えるように!」

 よくわからない子供たちがきゃーと悲鳴を上げて笑う。年齢の高い子は青ざめていた。

「良い子なら大丈夫?」

「ああ、いい子ならこうだ」

 頭を撫でられて子供たちが自分もと集まってくる。

「おうさま、結婚式はいつー?」

 どこからかソプラノの少年の声が通った。彼の正体は恐らく新聞社の妖精族。子供に擬態した声にアンゼルムは笑ってしまう。

「なんだ、さらなる酒の心配か? 安心しろ。まだしばらくかかる。今日の祭りで我慢しろ。だが待たせる代わりに、地上の酒を調達している。他にも飲みたいあるいは飲んでみたい銘柄を、名前と連絡先共々書いた手紙を門番に渡すといい。その中からもいくつか追加で見繕おう」

 今までで一番の、地響きがする雄叫びが聞こえた。

「ぜひ! 選酒は辺境伯の2番目の娘ロフェット嬢に!」

「あのヒトなら信頼できる!」

「それも含めて、全て門番に投書箱を持たせる。是非奮って投書してくれ」

 前のめりに鼻息荒い者達をどうどうと落ち着けるアンゼルムを、すごいなぁとクロエは見つめていた。

 民に信頼され皇帝。破壊欲を抑えながら、平和を作る殲滅龍。

 自分には何ができるのかわからない。ただこうやって隣に立っている事しかできない。

 考えないと。

「ぁ」

 彼の袖をツンツンと引っ張り、寄せられた耳にささやこうとした。その口に手を当てられて阻止される。

「それは二人きりの時に聞きたい」

 ぎゅーっと抱きしめられて、民衆は訳も分からず湧く。ひゅうひゅうと言う音がそこらかしこから聞こえた。

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