01-3魔女を狩る魔女
目を覚ますと、周りに女性がたくさんいた。檻にぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。
毛布は人数分もなく、ワンピース一枚は寒くてずるずると鼻水が止まらない。
「あの女の人、ちゃんと逃げられたのかな? 大丈夫だったのかな」
助けてくれた女性は逃げ切ったのだろう。何度見まわしてもここにはいない。
「・・・逃げられたなら。うふふ、よかった」
冷たい壁に側頭部をつけて、ここではないどこかで過ごした毎日の記憶にふける。
突然クロエを婚約者にすると宣言した養父だったけれど、態度を変えずにいてくれた奥様に感謝したい。
いつかこのお腹は先生の子を産むのだろうか。それとも彼の弟君の子を?
クロエは折りたたんだ足に顔を埋めて考える。
ここから出られたら・・・、出られるの?
一人また一人と女性の人数が減り、またしばらくしたら補充されるシステムに背を向けた。
男の魔女も存外多いようで、石壁に怒声が響くこともある。
そんなひどい有様だったが、あの教会にいるときよりも心が穏やかだった。たまに髪と目の色で虐められたけど、そういう人ほどすぐに連れて行かれる。
美しかった銀の髪はぼさぼさになる。後ろ姿はまるで老婆で、処刑する人を探しに来た人は少女に声をかけて、肌の若さにぎょっとする。瞳だけはキラキラと美しい薄桃色だった。
一ヶ月もせずに、同じ時期に入れられた人たちは全員死んでしまった。
そしてようやくクロエの番が来た。
鍵を開けて出される。冷たい石の廊下を裸足でぺたぺた。一緒にいた兵士がとある死角になる場所で止まった。
そして胸元から櫛を出して少女の髪をすく。つやはないが、ぼさぼさな時よりも幾分かはマシだ。
「あんた綺麗だから、髪をといてみたかったんだ。俺の兄貴が散髪屋でよ。昔市場で買った紐を後生大切にしているんだ。青い影の出る銀の髪はこの世の宝だと言っていた」
剣を腰から鞘ごと取って、少しだけ刃を抜いて鏡にする。
「ほら、やっぱりアンタは綺麗だな。もったいねぇや」
剣を収めて少女の両肩に手を置いた。
「アンタの為に、次に生まれたら幸せになれるように祈っとくよ」
「・・・ありがとう」
少女は嬉しくて目を潤ませながら笑った。兵士は抱きしめたくて胸がきゅうっと締め付けられるが、職務上我慢して涙ぐみながら頷いた。
連れてこられた部屋には、兵士が等間隔に8人立っていて、机の奥に上等な制服を着た異端審問官が3人座っていた。
入ってすぐの所に立たされ、じろじろと値踏みされた。
「美しい女だな。味見をしてみたいが・・・」
「いや、報告書を見たか? 挿れようとすると悪魔の結界にやられるらしい」
「なら、殺すしかないか。綺麗な女の処刑は見物人の熱量が違うからな。こりゃ祭りになるぞ」
少女は下衆の笑いをじっと見ていた。
だがその手元の資料に目を奪われる。こんな異境だというのに、見たことがある書類があった。
少女は目を閉じる。腹の前で指を組んで微笑む。
あの筆跡の契約書がここにあるのならば、育ての両親は生きている。
「師よ。・・・これは実証実験だったのですね」
幼い頃、少女は山で第一王子に採集され、娘と言う肩書を与えられながらも様々な研究に身を捧げ続けてきた。腹を裂き開いたことなど数知れず。
娘と呼ぶのは表向きの姿。その実態は第一王子のお気に入りの実験体である。
少女はその書類の存在で、全てが腑に落ちた。まだやるべき実験が残っているからこそ、他人に文句を言わせない『婚約者』にされていたのだ。
そして彼が濁流に消えたのも。
「・・・はい。せんせ」
目を開いて妖艶に微笑んだ少女に、三人の異端審問官はおっかなびっくり契約書を見せる。
魔女であった場合は魔女狩りに手を貸すという不思議な契約書。二種類の違うインクで書かれている。
自分が書くべき欄の上に、見慣れた文字があった。ぞくっと悪寒が走る。
「ヴぉ、ると、みゅらー?」
彼がいつも報告書に記入していたサインだ。しかもそれは告発者欄というではないか。
「ここにサインをしろ。魔女でないなら、この契約書が証明してくれる」
人間の文字は判らない。だからこの世の物ではない帝国文字で名前を書く。
誰にも読めないそれは、皮肉にも彼女が魔女だという決定的な証拠となってしまったのだった。
髪は銀色で、目は薄桃色。肌は真っ白で、唇は血を吸ったように赤い。
でも私は人間なの。
ヒトを食べたことなんてない。ましてや生贄にしたことなんてない。
両手は鎖で丸太に繋がれて、口には布が噛ませて反論と詠唱ができないようにしてある。足元にはたくさんの薪があって、逃げないように騎士が見張っている。
着飾った位の高い神父が、壇上で大きな口を開けた。
「彼女は魔女である。名はクロエ。親もなく姓はない。ここより山へと12キロいった農村の教会にて、神父と信徒を誘惑し、その後全員を殺した魔女である」
村での一件は、私を憐れに思った本物の魔女さんが助けてくれたのよ。
私は人間よ。確かに人間なの。
親に山に捨てられて、人じゃない者達に育てられはした。だから『魔女じゃないことを証明する書類』へのサインも、人間の文字を書けなかった。
でも、私が魔女だという証拠はそのサインだけなのでしょう?
「男の精を主食とし、村の男達は彼女に魅了されて絞り尽くされていた」
そんなもの主食にするはずがないじゃない。私は帝都第一層にあるパン屋のクリームパンが好物なの。
村の男達は神父様の部下に習って私を殴り、大人しくさせて、身体に無理矢理触った。腕を折られ、足を切られても、彼らの中に魔術師がいたからすぐに治療された。
「品行方正な神父様まで誘惑したが、彼に拒絶されて怒り、村を破壊したのである」
私は足を滑らせて、滝に落ちて何キロも流された。血を流していた私を助けてくれた命の恩人である神父様が、最初に身体に触れたのよ。
ヒトではない養父が、お腹に『貞操守護術』をかけてくれていたからレイプはされなかった。でも彼こそが信徒たちに私に性的な意地悪をするよう命じた張本人よ。
喉の奥を犯し、腹まで白く染めた男達。
「彼女は許されない大罪を犯した」
そうね。もっと気を付けるべきだった。
台風の過ぎた直後の滝つぼ。そこに養父母が落ちなければ。頭を打って、記憶を一時的に失っていなければ、彼に出会うことなんてなかった。
悔やんでも悔やみきれない。
足元に火のついた松明を持った男達が集まって来た。
「魔女を殺せ!」
「殺せ! お前達のせいで病気が広がるんだ!」
「焼き殺せ!」
「お前を殺せば今度こそ! 息子の病気は治る!」
楽しそうに笑う者もいれば、泣きながら叫ぶ者、怒鳴る者。たくさんの人間がいた。
けれど、告発者である神父様だけはその場にいなかった。
なんで隠れているの? この場にも来ないで。顔も見せないで。
これは貴方が望んだことなのでしょう?
熱い、熱い。熱い、熱い。爪先を炎が舐める。見慣れない杖が、薪に隠されている。
金の延べ棒を縦に平たく伸ばしていって、持ち手の部分だけ片方に寄せ細くしたような不完全な形状だ。表面には中央には直系5センチはある大粒の黒ダイヤがはめ込まれていた。尖ったクローバーの彫り物で囲い、宝石を美しく装飾してあった。
その強固な杖とは違い、薄汚れた服が燃えていく。
買い付けに山を降りた時に仲良くなった町の人が、私が痛がっているのを見て笑っている。はだけていくのを悦んでいる。指を差して、大きな口を開けて。ざまぁみろ魔女めって。
私は魔女じゃない。人間なの。貴方達と同じよ。
神父様が豹変する直前まで、楽しく一緒にお話ししていたでしょう? 教会の畑で出来た作物を交換だってしたじゃない。
熱い、熱い。痛い、痛い。
じりじりと肌が焼ける。助けて、助けて。
神父様は無意識に人間を怖がる私に、彼らの本当の優しさを教えてあげると言ってくれた。瞳や態度が誠実だったから、同じ人間だから信じたのに。
痛い、痛い。痛い、痛い。
彼は戦争を生き抜いた人。国を護り、国に尽くし、大尉まで務めた人。
だから、こんなバカみたいなことするはずがないと思っていた。想像もできなかった。
でも蓋を開けてみれば、所詮は彼も人間のオトコだった。
痛い、痛い。いたい、いたい。
助けて、助けて。 肌が黒焦げていく。もう前が見えない。意識が。
祭りは盛況。身体は業火に包まれて、炭になっていく。
いたい、いたい。いたい、いたいよぉ。
苦しい。
痛い。
先生、せんせい。
私を拾って育ててくれた養父は人ではないけど、大好きな先生なの。全てが先生の言う通りだった。
『私達は絶対に人間と仲良くはできない。でも同じ人間の君なら、あるいは・・・いや、無理だな。君は美しい。そして愚かだ。だから必ず、彼らの玩具にされるだろう』
養父であり、救い主。主様。持ち主。御師様。師。先生。せんせい。せんせ。
優しくて、時に厳しくて。自分の名前も書けなかった私に、たくさんお勉強を教えてくれた。
『君は誰かの庇護下にいないと生きていけない類の生き物だ。ああ。ほら、頬を膨らませない。陛下も恐れる我が弟に噛みつく癖に、買い物では私の後ろに隠れるのだから、君の恐怖の感性はよくわからん。まぁ、我が弟でもいい。必ず誰かを味方につけなさい。君は守られてこそ力を発揮するのだからね。ほら、嫌がらない。愛らしいが、頬を膨らませるな』
楽しかった記憶には、いつも先生がいてくれる。
そんな先生と同じように、神父様は私を導くと言った。
でも欲望のままにシスターを押し倒す神父など正気ではない。何人かの村人は、神父様を誘惑している魔女だと、既に通報していたみたい。
私は悪い子でした。そしてとってもおばかでした。
そもそも人間は幼い私を捨てた。要らないと廃棄ラベルは既に貼られていた。
やはり私には貴方だけなのです。せんせ。
やっと人間を見限った少女は、時すでに遅く、真っ黒に焼かれて炭になる。筋肉も骨も焼け落ちて何も残らなかった。
それなのに。どうして。目が覚めてしまったのだろう。
雲一つなく、蒼い月だけがそれを見ていた。草木も眠る深夜に、密命を受けた教会の信徒達が火刑場のまだ熱い灰を掘る。
そして髪の毛一本たりとも欠けずに、彼女は一糸まとわぬ姿で、黒い灰や炭の中から掘り出された。
柄が木の蔓のようにぐるぐるとした形状に変化した、金の杖が傍で煌々としていた。黒かったダイヤモンドが、深紅にキラキラと輝いている。
不完全な杖は人間の力を増幅する秘宝へと姿を変えていた。後に『プロメテウスの炎』と名付けられる。
「奇跡だ」
「奇跡が起こった」
「神よ」
その言葉しか覚えていないのかと言いたくなる位、彼らはそれを何度も口にした。
少女の遺体は生前と寸分たがわぬ姿で、白い花でいっぱいの棺に丁寧に安置される。
人払いをした大きな聖堂に馬車に引かれて運ばれ、神の御前に捧げた。
指先まで聖水で拭われ、レースや飾りをふんだんにあしらわれた、豪華な純白のドレスを着せられた。
そしてフードを目深に被った男が連れてこられる。腕や足に枷をされていて、棺の前に蹴り倒されてしまった。
棺の周りには抜き身の剣を胸の前で捧げた聖騎士が5名立っていて、じっとその男を睨む。また国中の教会から馳せ参じた牧師や神父も、彼の動向を見守る。
男は怯えながら棺を覗く。すると、抱いていた恐怖の全てが払拭された。
「・・・、クロエ」
息をしていなかった少女の心臓がトクリと動き始めた。制止していた胸が上下する。
彼はその手を取って、ぎゅうっと握りしめる。
「起きてくれ、頼む」
命令を受けた人形は、ゆっくりとピンク色の瞳を見せた。
死亡した後遺症か眼球が大きくズレており、右の瞳孔は上、左は下を向いていた。だが即座にどちらも中央位置に調整される。
「おお」
「奇跡だ」
蒼い月の柔らかな光に包まれて、彼女の瞳は中心位置から、クリっと意志を持って神父の方へズレた。
細い手が棺の縁にかかる。
彼女がゆっくりと起き上がり、そのまま前かがみになる。窮屈な棺に閉じ込められていた大きな白い羽が、ばさりと羽ばたく。
身体の重心を完璧に計算された、実用性のある腰羽根。しかも片翼だけでも大人の男ほどもある。
それがゆっくりと大きく開いて行った。
「ああ、私の天使」
恍惚としたフードの男は顔を上げて、手を組んで祈った。
「神よ、感謝します」
ばさっとフードが落ちる。彼はクロエを姦計に嵌めた神父だった。髪が全部燃え尽きていて、真っ黒な皮膚に所々ケロイドがある。
彼女が受けた苦痛や火傷の肩代わり。天使を意のままに操る権利の代償に、以前の容姿を失ったのである。完全服従する美しい少女の存在だけが心の頼りだ。
少女の頬は何故か憎い彼に微笑んでしまう。まるで先生に向けるような思慕が胸に灯る。とくっとくっと心臓が跳ねる。
雪のように白い手で、焼けて黒くなった彼を優しく撫でると、彼はすかさずその手に唇を押し当ててきた。
後ろで見知った誰かが、冷たい目で見下ろしていた気がする。
だが振り返ることすら許されない。指一本たりとも動かすのに必要なのは、神父様の命令だからだ。
この微笑みも全て、彼がそうしろと命令しているから。
完全なる操り人形の『天使』の出来上がりである。
許されるのは瞬きや不随意筋の動きだろう。人よりも圧倒的に強く、魔女をも蹴散らす高位魔術が自在に使える身体を得た代償は計り知れなかった。
あの火刑は魔女を殺すのではなく、魔女を『創る』ものだったのだ。
彼らは『プロメテウスの炎』を使い、人間の未来のために働く、最強の魔女を創り出した。
今まで成功した試しはなかった。魔女と認定された死体が積み上がるだけだった。
しかしクロエには多くの異形種が接触しており、高品質な魔力がたくさん刷り込まれていて、成功してしまったのだ。
地獄は更に深くなる。貞操守護魔術は健在だが、彼が望めば誰の褥でも強要された。
少女は全く抵抗ができない。表情筋さえ動かせない。しかし魂までもが死んでいるわけではない。
体外への干渉器を全て失ってしまったため、ただ見ていることしかできなかった。
微笑んだまま同類の血飛沫を被り、心の中では泣いて謝る。
ごめんなさい。
ごめんなさい、先生。ごめんなさい、みんな。
私は『天使の教会』の信仰の対象にされ、お友達だった魔女をたくさん殺さないといけなくなった。神父様に命令されて、たくさん、たくさん。
神父様の命令に勝手に体が動く。勝手にみんなを殺すの。
嫌。嫌よ。やめて。みんなを殺さないで。
ウェディングドレスみたいなものを着せられても、人間達に天使だと崇められても、この手はお友達の魔女の血で汚れている。みんなを脅かす自分が怖い。
人類史に名を遺した。魔女から人を護る『天使』という御使いとして。
魔女史に名を遺した。魔女を殺し尽くす『魔女狩りの魔女』というバケモノとして。
そして為政者の策略で、人間同士の戦いにも動員された。『国を一人で出た』ことへの壮絶な対価を支払い、心の傷を負う。
そもそも彼女は人間だった。
しかし『人間』達に興味はなく、優しくしてくれる『ヒトではない者達』が大好きだった。
いつか仲間入りをしたいと思っていた。認められたくて勉強を頑張していた。
人間だって頑張れば、少しはお役に立てると願って。
彼女は不本意にも、仲間殺しの『魔女狩りの魔女』として、人を越えてしまう。
これがおよそ300年前、彼女が不死になった事件である。