08-2束の間の休息
アンゼルムを見て焦る守衛に目線をくれてやり、真正面から敷地を出た。そのまま信号の前で止まる。
隣にいる女が何やらニマニマしてこちらを見て来るものだから、煩わしくてアンゼルムもサングラスをかけた。
信号が青になり、彼女がたどった道を歩く。
行きつく先は有名チェーンのカフェで、季節限定のフロートの看板が出ていた。中に入ると、兎のポシェットを抱えたクロエが最後尾に並んでいる。
その後ろにそっとクロエは並ぶ。
前にいた人間がサンドイッチと紅茶を持ってイートインコーナーに入っていく。
彼女は高いレジに両手を乗せて、背を伸ばして見上げた。
「えっ、もう桃ないんですか?」
「申し訳ございません。季節限定で昨日までだったんです。フロートは今、ベリーヨーグルトと紅茶をご用意しております」
目的のものが無くて焦った彼女は、メニュー表を見るも頭に入ってこない。
「ではベリーフロートと、ホット珈琲を一つ」
「かしこまりました」
彼女の後ろからぬっと手を伸ばし、メニューを指差しながらアンゼルムが注文する。
店員は後から来た客が連れだったことを内心驚きながらも、笑みを崩さずに注文を受ける。
「どうしてここに?」
「朝は食べたのか?」
クロエは慌てて卵とベーコンのサンドイッチを頼んだ。
「以上でよろしいですか?」
「はい!」
クロエがお財布を取り出す間に、アンゼルムのブラックカードが全てを終わらせる。
「ちゃんとお金で買うのに・・・」
折角オーレリアに内緒で、ザックにお札を硬貨に両替して貰ったのに。隠し事の意味がなくなった。
レシートを貰ったアンゼルムを引っ張って、しゅんとしたまま横に寄せる。
「お金払ってみたかったなぁ」
「では、次は」
「ああ! そっか! 次は私が払うね。アンゼルムはカードもお金も出してはだめよ」
奢らせること自体に抵抗を覚えたが、それで彼女が幸せなら言及すべきではないだろう。
どうせ財布に入ったお金も、突き詰めればアンゼルムの懐から出たものだ。そして硬貨に両替することも、昨日ザックに許可を出した。
店員は次の注文を受ける。その手元に別の店員が注文品を用意する。
その全てをアンゼルムが受け取ると、クロエは席を探しに行った。
通りに面した硝子に向かい合わせの椅子と机。そこに置くように指示をして、ポシェットを椅子に置いて手を洗いに行く。
アンゼルムがサングラスを外して、胸ポケットからスマホサイズに縮小した魔術書タブレットを置く。
誰がどこまで支度を終わらせて準備が進んでいるかが一目でわかる画面が、忙しなく動いている。
「お待たせ」
「郷に従え、だな。先に食べていていい」
彼が手を洗いに行くのをぼんやりとしてみていると、目の前に知らない男が立ちはだかる。その人の後ろに帽子を外した店員さんがいた。
「あの、ファン、なんです。サインいただけませんでしょうか」
クロエは帽子とサングラスを外して、彼ににこりと笑った。使い込まれたノートを渡され、書き慣れた崩し文字を丁寧に描いた。
「貴方のお名前入れます?」
「じゃ、じゃあ、正樹、で」
漢字が分らず、見せて貰った免許証の通りに書いて笑顔で渡す。そして両手を差し出した。何を求められているのかわからずに、ファンはぽかんとするばかり。
「握手、しませんか? 私、消毒したばかりですし」
「あ、あ! は、はい! ありがとうございます!」
ぎゅうっと握られた手は湿っていて、振り絞った勇気の残り熱を感じた。
ノートを抱きしめて何度も頭を下げるファンは、奥の席に戻っていった。
「あの、この店あてにサインいただけませんか」
「貴方のじゃなくて?」
「休憩室に飾ろうと思って」
丁寧に接していると、後ろに人が並び始めた。
「どうしよう。お店に迷惑、かけちゃう」
「あー、私が並んじゃったからだ。すみません」
二人で動揺していると、店員の後ろにアンゼルムが分け入り、後ろ半分をぎろりと殺気を込めて睨んで通り過ぎた。
彼がクロエの向かいに座り、並んでいた人たちは何かを察して散る。
マネージャーであれ、彼氏であれ、何であれ。このままい続ければ、どこか反社会的な雰囲気を醸し出す彼に喧嘩を吹っ掛けられる恐れを感じた。
珈琲をブラックのまま口にした彼は、窓から見える駅から溢れ出す人波を眺めていた。
ファンサービスは店員までで終わる。
クロエはもう一度手を洗いにいくが、そこでも数人のファンに捕まった。
裸に近い写真を世間の目に触れさせるお仕事をしているせいか、尻が軽いと思われている節がある。何人もが遊びに行こうとナンパするが、睨むアンゼルムを指差すとサッと去っていく。
「アンゼルムがいると便利ね」
帰って来たクロエは、ナンパに引っ張られずに済んでご機嫌だった。
「いただきます」
白と赤が混ざるフロートをストローでちゅうっと吸えば、ちょっと溶けたヨーグルトの酸味とベリーの甘みが口の中で混ざる。
「はぁ・・・すごい、これ、これも美味しい。なんて美味しいの。作った人は天才ね」
アンゼルムはただ彼女が食べるのをじっと眺めていた。ふるふると震えながら味わっているのが何とも滑稽だ。
腸の弱いクロエの事だから、冷たいものと乳製品のダブルパンチできっとこの後お腹を壊すだろう。パンダが身体に悪い笹を好んで食べているようだ。
まぁ、横断歩道を渡れば、温かい便座のトイレのある会社に戻れる。
ぱくりとサンドイッチを食べて、またふにゃんとクロエの表情がとろける。アンゼルムはいつしかスマホではなく彼女を観察していた。
「そんなに美味いか」
「うん。飲んでみる?」
フロートを差し出され、躊躇いもなくストローを吸った。
「ふむ、確かに。このような物は我が国にないな」
「私がいた時はアイスとかもしょっぱかったじゃない? 今はどうなの?」
間接キスに我関せずな二人に周囲はざわつく。これはスクープと写真を撮る者もいたが、スマホのフォト機能だけが上手く動かない。
「氷を使う習慣は今もあまりない。そもそも標高もあり寒いからな。氷菓もまだこれほど甘くはない。だがこれはいい。チェーン店だったな。先日、民の要望が多かったチェーンのハンバーガー屋を城下に誘致したが、売れ行きは好調らしい。ここの店も誘致しても良いかもしれん」
「やった」
Sサイズのサンドイッチをぺろりと平らげてしまった。もう一切れをとって、ふとクロエは思い至る。
「珈琲だけ? ご飯は?」
「最近はあまり喰わない」
最後の一切れを素手で持って、アンゼルムに差し出す。
「はい、あーんして」
甘酸っぱいシチュエーションなのだろうが、アンゼルムからは猫に餌をやろうとしている姿にしか見えない。
「口開けて。食べないとだめよ」
ぱくりと喰いつき、そのまま彼女の手からサンドイッチを奪い取った。
「お昼、焼肉行く? 今時の焼肉は凄いのよ。棒刺してぐるぐる焼くんじゃなくて、既に小さく捌いてあるの。内臓も綺麗に分けてあって、なんと食べられるの。でももにゅもにゅしていて、美味しさはよく判らなかった。まぁ、お肉を食べたのが凄く久しぶりだったし、しょうがないよね」
パシャリとカメラの音が聞こえるが、アンゼルムもクロエも気にしない。
彼の魔術でメモリに残らないようになっている。上手く動いたとしても、撮っても撮っても撮った事実すらデータのキャッシュも残らない。角度を変えて机を写すと画像が残るのに。
次第に諦めて二人への興味関心は薄れていく。
「君の食生活をチェックしよう。オーレリアが肉を喰わせておらんとは」
「しょうがないの。動けるギリギリに、お仕事ができるギリギリに保っておかないと、オーレリアの友達が怖がるもの。みんなが安心して眠れるなら、私は我慢する。だから食堂には近寄れない。でも今日は・・・」
目を伏せて儚げに微笑み、フロートのコップを撫で廻す。
「帰る前にもう一度。あの二人が・・・何も知らずに気軽に声をかけてくれたあの子達がくれた、涙が出そうなほどおいしかったこれを食べたかった」
翔との出会いの元凶となったモデルの女2人の事を言っているのだろう。
生き残っていたもう一人が昨夜未明に亡くなった。それをどこからか知ってしまったのかもしれない。
「城に幽閉はしない」
ストローに口をつけようとして少しだけ止まる。それは胸に鎮座している不安の一つだった。
クロエはほっとして、美味しくて甘いそれを飲み干した。
慣例として、初夜から3日数える間は、花嫁は寝室から出ない。正しくは夫となる者の気が済むまで出られないともいうが、それは口にしなかった。
「貴方の口にした『愛している』って言葉、久しぶりに聞いた。他の方からいただいたそれも思い出したけど、あなたほどの熱量はなくてね。今思えば、次点はジギスヴァルド先生かな。論外さんはジェウル様、カリブロス様、ドゥルーズ様、ヴォルフ神父、ゲレオン様。それと」
「っ、・・・父上もか?」
意外な人物の名前に、思わずアンゼルムは驚く。久しぶりに見たその表情に、クロエは背もたれまで身を引いた。
「直接お家に来られたの。先生は慌てて私をクローゼットに隠して、守護籠の魔術を4つと目晦ましを5つ、隠蔽術を3つも重ね掛けした」
「話の内容は聞いたか?」
何故か焦っているアンゼルムに興味をそそられながら、昔を思い巡らす。
「目の前でお話していたから」
「何と言っておられた」
冷静沈着の彼らしくもなく、前のめりにクロエを問い詰めた。
「『下等種の小娘をアンゼルムに会わせるな。拒否するならば、私が直々にその娘を愛してやる。嫁がせよ、今日からあの娘は私のものだ。元の姿で抱いてやるから、光栄に思えよ』って。それで先生が珍しくキレちゃって、お家半壊の大喧嘩。その日の夜は星を見ながら眠ったの」
「ああ、あれか。星が落ちてきたという。おかしな言い訳だと思っていたが、龍種同士の決闘では高出力のエネルギーにより、金鉱物などの物質が検出されることがある。それをはぐらかしやすくするためか。ああ、だから兄上は速達で学園まで手紙をよこされた」
「貴方は永遠に殺戮を続ければならないとも仰っていた。先生のように温厚にならないよう、奥様のハラワタを弄ったって」
警戒はしておくべきだろう。あの愚王が再度彼女を狙う可能性は高い。
奴の目的は国の乗っ取りではなく、クロエを殺してアンゼルムを目覚めさせること。そしてアンゼルムの理性が目を覚ましてから増えた生き物を、殺して回ることかもしれない。
フロートを飲み干したクロエは、幸せそうにぺろりと自分の唇を舐めて、くしゃみをする。
「冷えちゃった」
ふとアンゼルムを見ると、仏頂面とバチリと視線が合う。何を求められているのかわからずに、首を傾げて観察し返す。
「相変わらず、綺麗な顔ね」
「戦では軽んじられる要因になるが、君を魅了できたならその意味もある」
そうしてわざとらしくにたぁと意地悪な顔をした。クロエはさっと身を引いて、ふくれっ面になる。
「普通に褒められていてよ、ばか」
彼を直視できずにぷいっと外を見ると、ビルの谷間を二羽の猛禽類が連れだって飛んでいた。翔に助けられた蜜柑山にも似たような鳥だ。
「そっか・・・佳奈ちゃん達は、翔君の本当の家族じゃない」
「ああ、記憶と戸籍を弄られたのだろう。だが、物は考えようではないか? 血のつながりはないが、縁はあった」
「縁。そうね。そっちの方が幸せ、かも。・・・血の繋がりはただの繋がりだものね。本当に」
もう顔も思い出せない両親を想って苦笑する。彼らから血を分けて生まれたが、捨てられるくらい縁はなかった。
難しい顔をしていたクロエの頬を指先で擽り、鼻先を無ぎゅっと抓む。
「皇帝である以上、公務を優先するべきである。しかし、俺もまた一人の男だ。国の者たちには悪いが、君が俺のモノであると同時に、俺は君のモノでもあると考えている」
手を離して、彼女の右手を机の上で握る。飲み物で冷えた小さな手を、ぐらぐらと熱い手が覆った。
「だから何があろうと死力を尽くし、君の傍に戻る。約束だ」
クロエは目を大きく開いて、ただただ驚く。
「何か、不安があるの?」
温められた手の上に左手を乗せて撫でる。
「今は言えない」
「・・・そう」
クロエは目を強く閉じる。
「大丈夫。私には貴方だけ、だから」
温かい手から、冷えたクロエが熱を奪う。
不確定要素は拭えない。彼女がどのようにして夜の国に行けたのか。可能性は星の数ほどある。
「私は昔に比べてかなり知識や知恵を失っていると思う。だからたぶん部屋にじっとしていられない。町中を歩き回って、転んだり怪我したりしながら、たくさん知るりたいから。それが貴方の、つ、妻になるために必要だと思ってる」
新しい環境に胸を躍らせて、両手に拳を作る。
「怪我はいただけないな」
「過保護はダメよ。でも大丈夫。そんなに危ないことはしないから」
クロエの炎は、灰に埋もれながらまだ生きていた。彼女は変わり果てたわけじゃない。
「私はもう人形じゃないって証明したい。期待してくれる帝国のみんなの為に。貴方の為に」
蒸気機関車に似ている。燃料である石炭が燃え尽きると、灰は火格子から灰箱に落ちる。
しかし彼女にはそれがなかった。灰が溜まって火室が燻ってしまっている。放っておけば灰に埋もれて火は消えただろう。
クロエについてオーレリアから受けた報告は、一から十までが『無垢』『従順』。不満など一度たりとも口に出したことはないという。
昔はあんなに新しい両親から学んだ知識をひけらかすように喋っていたのに。それが知識と知恵が失われたという彼女の言葉に現実味を持たせる。
だから元気に抱負を述べるこの熱量は、火室を掃除しているようなものだ。
アンゼルムの惚れた彼女はもうすぐ戻ってくる。フットワークが軽く、どこまでもお人好しで愚かなクロエ。
そのコロコロ変わる表情とぬくもりと、たまに現れる攻撃性に、殺してばかりだった血塗れの龍は惚れた。もう一度、生き物の可能性を信じてみようと思った。
クロエの細い手を指先で磨く。
この娘がいなければ、今頃ゲレオンと共に人の世までも壊していただろう。
『母なる大地』に背いた生き物に待つのは、壮絶なる死である。アンゼルムはきっと人類の最大の火力をもって焼却されていた。
「ん?」
ふと、クロエはアンゼルムの腕を引いた。手首辺りに鼻を近づけて、目を閉じて何度も嗅ぐ。そしてむっと機嫌を悪くする。
「ねぇ、アンゼルム。もしかして怪我してる?」
「いや」
否定すると尚更、彼女は鼻先を腕に強く押し付ける。
「これ、神霊や天使に耐性のない龍種や魔族が傷を受けた時に発するニオイに似てる。適切でない処置と薬と湿布と包帯や軟膏が傷を腐らせている」
腕をアンゼルムに引っこ抜かれた。
「まいった。君の鼻は人のそれを越えてしまったのかな」
「誤魔化さないで。帰って手当をしましょう」
クロエはこれから映画や市営の連絡船で近くの小島にいこうと計画していたが、傷の手当てが先である。
「かなり深い傷のニオイ。壊死して腕が使えなくなったらどうするの」
「ふむ、それは困るな。では、君に治療を頼もう」
コップやトレイを描かれた場所に収め、再来店を願われながら外に出る。
こちらを監視する視線が煩わしい。アンゼルムが人々の注目を逸らす認識阻害の魔術を使うと、クロエは手を取って恋人繋ぎをしてそっぽを向いた。耳が赤らんでいる。アンゼルムもまんざらでもなさそうだ。
しかし門の前で守衛がリストにないクロエの外出に驚き、抜け道をバラされて踏んだり蹴ったり。
そんな二人の後ろに、アンダーツインテールにした一人の女の子が現れた。
「あっ、陛下。えっと」
ワイシャツに短いプリーツスカート。太腿が眩しい彼女は、翔の幼馴染である美琴だった。
「美琴ちゃん! よかった。昨日もいたみたいだけどお話しできなくて」
「いいえ、クロエ様。御無事で何よりです」
膝をついて首を下げようとした彼女に、クロエが抱き着いて辞めさせる。
「そんなことしなくていい。貴女は私の友達よ」
アンゼルムも美琴にこくりと頷く。彼女は体勢を立て直し、クロエに笑いかけた。
そんな柔らかくも微笑ましい時間に邪魔者が挟まる。
通りの方から破裂音がする。アンゼルムと美琴が同時にクロエを庇って、美琴が被弾。門の向こう側の植木へアンゼルムがナイフを投げる。
ギャッという声がして一匹仕留めた。だがもう一匹は走り去る。
アンゼルムは植木に近寄り、ソレの頭を掴んだ。
「これは」
手ごたえは生き物のそれだったが、ナイフに刺さっていたのは人間が使う式神の紙だった。
「美琴ちゃん!」
クロエは慌てて彼女の背中をまさぐり、首筋に刺さる針を見つけた。しかし引き抜くことを躊躇う。金の針に見覚えのある文字。
「これは、プロメテウスの」
壊し足りない程に憎い、ヒト専用の人外強制使役武器『プロメテウスの炎』から派生して作成された武器だ。首の後ろは神経の集まる急所。もし脳神経に接続されてしまっていれば、触れるだけで彼女を壊してしまう。
美琴は頭を抱え、苦悩を浮かべてのたうち回る。
「・・・あ・・・ぁぁ・・・だめ、こわれる」
彼女に何が見えているのかはわからない。
「美琴ちゃん。私のこと分かる?」
「・・・そんなこと、しないで。あぁ。だめ。ころすしかないの」
美琴は華奢な腕でクロエを突き飛ばし、無理に地面を踏み締め、建物の中へ走って行く。
「待って!」
追っていくクロエの背中を見ながら、アンゼルムは式神の紙を握りつぶす。
「温情をかけてやったというのに」
建物の中では魔女たちが出勤を始めていて、そこに現れた美琴に目を白黒していた。
彼女からは黒い靄の様なものが立ち上っている。
この建物の警備強化のために残っていた二人の騎士が、洋服に大剣を背負って走ってくる。
建物は外から見えないように魔術をかけているとはいえ、ガラスの内側では戦闘が勃発して爆発と砂煙が起こる。
アンゼルムは爛々と燃える目をして、中空に作った穴に手を突っ込み刀を取り出した。
「不死者と番えば、子もまた異能を発症する。だが奴に与する女は、貴族の妻か娘でない限り、最期は生きて出られぬハーレムに放り込まれるというのに」
アンゼルムが刀を抜いて建物内に入ると、丁度翔が上階から下りてきたところだった。
「美琴? なんで。どうして」
彼女は首に針を刺されたまま、様子を伺っていた魔女達に手を翳す。大きな魔法陣が現れて、眩く光りエネルギー波が放たれようとした。
「させない」
全力で走り寄った翔は、その腕を羽交い絞めにして魔法陣の動きを止める。クロエは彼女の前に回り、美琴の顔に右手のひらを当てた。
「イオルムンガンドル帝国の宝を護りし魔術師よ。剣を取れ、槍を取れ、杖を構えよ、矢をつがえよ。立ち上がれ。偽りの炎は眠りと共に潰える」
はきはきとしたクロエの声がロビーに響く。彼女を馬鹿にしていた先輩魔女も、その後姿を頼もしく思う。
クロエの身体に魔力が満ちて、また黒い龍羽根が顕現する。室内だというのに柔らかな光と風が舞い上がった。
美琴は苦しみ藻掻いて泡を噴く。男の腕でもそろそろ抑えきれない。
「貴女のやるべきことを思い出して」
光の珠が集まって美琴に入っていく。苦しみに悲鳴を上げていたが、光が胸に溶けていくと穏やかなものに変わる。
首に刺さっていた針は、ゆっくりと自発的に抜け落ちて床を叩いた。
体を丸めて小さくなって、額を床に擦り付ける美琴を翔が抱きしめる。
「わた、わたし、わたしは、えっと、」
クロエは王が部下に位を与える時のように、ひざまずく美琴の頭に手を置く。
「王を護る者よ。覚醒せよ」
「っはぁっ」
まるで反動のように美琴が体を反ると、危うく額を打ち付けそうになって翔は避ける。焼き切れていた彼女から闇と恐怖が消えた。
誰も動けなくなったフロントで、アンゼルムだけが嬉しそうに拍手をクロエに送る。
「精神攻撃を得意とする悪魔族に、ここまでのダメージを与えることができるとは。神父の娘も隅にはおけないな」
「っ、それは七瀬ひまりの事ですか? 彼女は」
「うっ、げほげほ」
美琴が肩で息をし涙を流す。
「見え、ました。黒く大きな獣が、ゲレオン殿下のお側に」
「これ程の使い手だったか。あるいは既に父上の慈悲を貰ったか。いずれはまみえよう」
龍帝は強者の存在に目を細め、にいっといやらしく口角を上げた。
美琴の洗脳を解いたクロエも、膝に手をついて肩で息をする。ぴりぴりと肌の表面を電気が走っている。疲れ果て呆然としていて、今なら殺すことだって容易い。
「翔、く。美琴ちゃんを、医務室、に」
「っ、わかった」
目を閉じて荒い息を整える。ぱりぱりとクロエを中心に発生していた電磁波も、次第に落ち着いて行った。
「あらあら、楽しそうなことを」
長身の女性が群衆の後ろから現れ、筋肉質な腕で太い槍を振った。質のいいスーツの上から、要所に鎧をつけた蒼目の女性。肩に付かないボブの金髪を流している。
その頬や首や額に包帯や湿布が治療の跡がこれでもかとあり、クロエだけはその香りからアンゼルムに傷をつけた犯人だと察する。
アンゼルムとは逆に、龍や魔族に耐性のない神聖属性の者が傷を受けてうまく治療ができていないニオイだ。
「本物の、天使さま・・・?」
「こんにちは、アンゼルムの大切なお嬢さん。今、神々が人間に下げ渡した『プロメテウスの炎』の強制使役能力を無効化いたしましたわね」
突如としてクロエは口の中に指を突っ込まれ、舌を捕まえて引っ張られた。
にこにこと上品な笑みをしているが、次の瞬間目を開き歯を見せて怒るように笑った。その槍兵は殺気による危機感でびりびりとクロエを痺れさせる。
「あれは神々だけのもの。ヒトの身を越えるばかりか、早々に神に手を伸ばすおつもり?」
クロエに殺気を向けるソルデガルドの手を、アンゼルムが弾いた。
「気持ちの悪い演技をするな。少し考えればわかるだろう。それとも、君の名のソル(太陽)はただの飾りなのか?」
「は」
ソルデガルドの眉間にぎっと皺が寄る。
「『プロメテウスの炎』を産むためにくべられ、残り火で復活したのがクロエだ。神父というマスターの存在が必要だったのは、この様に洗脳状態を簡単に解くことができるからに相違あるまい」
ソルデガルドはギリギリと音が出る程槍を握りしめる。だがその苛立ちも次第に落ち着いて、拗ねた様に唇を尖らせた。
「まぁいいでしょう。ただこの私が加勢したというのに、朝からいないとはいい度胸ですね」
「お前など呼んでいないが」
ロビーの応接椅子や机がカタカタと震える。二人はピリピリと睨み合い、自動ドアのガラスが軋む。
蛍光灯が緩やかな点滅をしていることに震えるクロエの肩を、アンゼルムはそっと抱き寄せる。
「私の婚約者を怯えさせないでいて貰おうか」
「貴方の口から婚約者なんて繊細な言葉が出るなんて。ふふ、生贄の間違いなのでは?」
ソルデガルドはいつでも槍を構えられるように手を添えた。
「お前はこの拠点を破壊しに来たのか?」
「いえ。貴方が思い切り戦えるよう、彼女を護りに」
「だが、現状を見ろ」
意識すらしていなかった有象無象の魔女や騎士達を見回すと、その武器の先は全てソルデガルドに向けられている。
ソルデガルドは深いため息をついて、力を込めてゴスンと槍を床に差した。太い穂先が半分刺さり、塵一つなかった床はひび割れてしまう。
「私はスピンドルストン連合王国、女王の勅命で参りました。敵意はございません」
だがアンゼルムに向けた目にのみ、害意が滲み出ていた。
「皆の者、武器を下ろせ」
武器を構える者達は戸惑いを隠せない。
微笑む彼女が皇帝に向ける殺意は本物である。それに彼自身が気づかない筈がない。
「昨日の喧嘩の続きを受けるつもりはない」
彼の手は刀には触れず、殺気の全てを受け流す。
「残念」
張り合いを無くしたソルデガルドの殺気がしまわれたことにより、誰ともなく剣先を降ろした。
「多神教の神々が私に助力をすると?」
「ええ。ただ貸し借りだと思う必要はありません。望みは『リリス』の警護だけれど、無理であればただ共に戦ったという実績だけを作ればいいとのこと。上の連中は是が非でも、陛下との『繋がり』が欲しいらしい」
ソルデガルドは少し苛立っていた。取り繕う口調も、気を抜けば砕けてしまいそうになる。
「冥界の王はまた違うことをおっしゃっておりました。世界に死をもたらす愚王が国を統べないようにしろと。またあれほどの死で溢れると、ようやく見つかった冥界の後継者や新任職員がパンクしてしまう。膨れ上がったイオルムンガンドル帝国は経済を回せる王でなければ務まらない。残念ながら、もはや殺す時代じゃない」
「ふむ。クロエの覚醒で、神族の方針が変わったか」
その情報を含めて考えながら、アンゼルムは魔女や騎士達に床や天井の補修と掃除、またいつも通りの出勤を命じた。
ソルデガルドはクロエを興味津々に見下ろす。
「本当にコレが『リリス』か?」
意外過ぎて口調が乱れる。指を鼻先に突きつけられ、クロエは跳ねた髪や洋服をスカートの先まで整えた。しびれはいつの間にかどこかへ行ってしまったようだ。
「そうだ」
「クロエと申します。よろしくお願いします、ソルデガルド様」
丁寧に頭を下げる彼女に、ソルデガルドは顎と腰に手を当てて首を傾げ、四方八方から見回す。
「弱いのか強いのか。美味そうな魔力を溢れる程有しておきながら、その実小さ過ぎる魔術孔しかない。マグマ流を釘跡から覗いているようですね。・・・気持ち悪ィ」
「彼女は元人間だ。300年ほど神父の人形になっていたから、力は持っていても使い方を知らん」
ソルデガルドはなおも何かを考えていた。
「貴女に回路を繋げば、大技使いまくっても永遠に戦えそうですね。・・・テメェさえも殺せそうだぜ。龍帝様」
「っ! 何を言うの。アンゼルムを殺すというなら」
流石のクロエも彼女には勝てる気がしないため、その後が続かない。
「えっと、そうね。死ぬ気で抵抗します」
「くっはは。死ぬ前提かよ。もったいねぇな。ごほん。失礼いたしました」
クロエが慣れないシャドーボクシングを見よう見まねですると、その全てにソルデガルドの手のひらを当てた。
「良い提案だ、ソルデガルド。お前の戦力、そこに無尽蔵の炉をくべる。いいな。望み通り、お前をクロエの護衛に任命しよう」
「なら追加で、喧嘩祭りの参加権を下さいませんか。神の国の者は参加要項で弾かれますが、最高権力者なら捻じ込めるでしょう?」
帝国では毎年、喧嘩祭り、武闘大会、紅白戦闘訓練など、約8つの大会を開催している。その内の全てで優勝すれば、アンゼルムに挑む権利が得られる。大会は毎年増減しているが、アンゼルムは563戦中563勝の全戦全勝中である。
「我が国の半数以上が聖なる力への耐性がない。その為、私が参加する時と同じように、武器装備攻撃補助魔術一切なしでの参加となるが、よろしいか?」
「何だよ、それ。サイッコーに面白そうじゃねぇか! ・・・つまりは回復魔術のみを赦されるということですね。ふふ、首を洗って待っていてくださいましな。陛下」
ソルデガルドの不満顔は一気にやる気に満ちる。
「連合王国では『大人しくしていろ』とばかり言われてきましたが、『強いが正義』の帝国とは気が合いそうです。強者と戦えるなら、なんていいことづくめ」
パンと背中を叩かれたクロエが咳き込む。
「それと貴女、自我がはっきりとありますね?」
「え、あ、はい」
「この私が、感情まで人形の女に執着できるはずがなかろう」
その言葉にクロエのお腹はヒュッと竦んだ。
「確かに、っはは。陛下は気の強い女が好きですからね。学園時代の口ぶりでは一生独身だと思っておりましたが、あの頃話していた『龍を怖がらない少女』が実在し、かつそれが『リリス』だったとは」
頭をぽんぽんと優しく撫でられ、彼女が顔を上げて大笑いするものだから、廊下に反響する。
「アンゼルムから許可は頂きました。・・・その魔力、いただきましょう」
丁寧なのか失礼なのか分からない口調にクロエがぽかんとしている間に、大きな手でがっつりと顎を掴まれる。
「抵抗もないとは。んー、ふむふむ」
瞬きもせずに目を覗き込まれて、何となく頭の中を読まれて掘り起こされている気がする。だが害意はなさそうなので終わるのを待つ。
「テメェ。アンゼルムが言うほど頭よくねぇ、ですね」
図星を突かれて、クロエは笑いが堪えられなかった。
「私はただの人間で、そもそもお馬鹿だから両親に山へと捨てられました。それと300年前から魔術も魔法も勉強をしておりませんから」
ソルデガルドは自由な左手で宙を何度か抓む。何かを引っ張ってどこかに繋ぐ。遠隔操作で手を広げて、宙で何かを寄せていく。その度に頭がすっきりしてくる。
「ああー、これだ。うわ、ひどい。知識類を切り落とし、思考を鈍麻させたのか。でも、これは・・・。あー、いた。ここまで丸々太っているのは初めて見ます。でも、死んでいる。龍種の血にあてられたのでしょうね」
「なぁに?」
「知識や自我を喰う精神体の寄生虫『本の蟲』。それを除去しました」
神父がいなくなって自分を取り戻したとはいえ、どこか昔に比べて落ち込みやすい感じがしていた。
クロエの口が嬉しさを隠せない。
「頭の応急処置手術はこれで終わりです。自然治癒で少しずつ治っていくでしょう。後は、・・・少し唇借りンぞ」
掴まれたあごを強引に寄せられ、唇も奪われた。舌が口に入って来て、クロエを捕まえた。頭の中で何かと繋がる金属音がする。
すると彼女は口を離してぺろりと自分の唇を舐めた。
「これで良し。痛い所は?」
ぬとりぽたり。彼女の左拳では、潰れた生き物の死骸から粘液が滴り落ちている。手を開くと、小さな火が燃え上がって灰ごと消えた。
「大丈夫みたい。これが契約?」
「ええ、私は貴女から魔力やマナを吸収できるようになりました。出し惜しみはしないことですね」
「えっ」
「あ?」
クロエは腕を組んでふくれっ面をした。演技であることは一目瞭然だが、周囲はハラハラしていた。
「ソルデガルド様。貴女とは今日お会いしたばかりだし」
ちらりとアンゼルムを見ると、笑いだしそうなのを堪えている様だった。
大男でも怯むソルデガルドの苛立ちを前に、クロエは手を差し出す。
「私はクロエ。第一王子ジギスヴァルド殿下の養子よ。だけどね、苗字を賜ることはお断りしたの。だから、私はただのクロエ。ふふふ、ある意味では王族のペットとも言えるのかしら」
ソルデガルドは首を傾げながら、その手を取った。
「私はソルデガルド・ネメシス・レイ。貴女の彼氏と腐れ縁ってやつです」
周囲の魔女たちが何やら息を飲んでいたが、クロエは嬉しそうに握って振る。
「これでお友達ね。レイって光って意味よね? かっこいい苗字。いいなぁ」
「ぶははっはははははは」
生まれてこの方持ったことのない家族とのつながりを示す苗字。それを羨ましがって笑われてしまった。
「何かおかしい?」
「いや。そのままでいてください」
ネメシス。それは神に無礼を働いた人間に、罰を与える義憤の女神。
レイ。それは人間以外の者さえも粛清対象と出来る冠位であり、スピンドルストン連合王国に属する国家の王族である。
こちらの行動如何で神を害すると裁定されれば、敵も味方もなく武を奮うだろう。
「貴女は人形にされるだけあって綺麗ですね」
「ふふ、それはどうも」
『人形』とはとても嫌な思い出を彷彿させる最悪の言葉。でも彼女が使うと、何故だか神父まで殴り飛ばされたような爽快感がある。
オーレリア達なら絶対に言わない誉め言葉がとても新鮮だ。
「それとアンゼルムから襲われないようにも護衛して差し上げます。そこのとこ、困っていたのでは? 昔の彼は貴女に触ることばかり考えていたから」
「人聞きの悪いことを言うな」
流石に看過できない言葉をアンゼルムが遮ると、クロエはソルデガルドに感謝を述べる。
「クロエ。本気にしないでくれ」
その細い手を取って、じっと彼女の瞳を見つめる。クロエがぽかんとしたから、畳みかけるようにその手に口づけをした。
しかし彼女はあっけらかんと言い返す。
「男の子って、そんなものじゃないの?」
「ははははは! 一本取られたなァ。アンゼルム」
耳元にて大声で笑われ、クロエは思わず耳を塞いだ。素晴らしい肺活量のソルデガルドは意にも介さず話を続ける。
ずっと耳を塞いではいられない。
失礼に値するとおもって手をはずすと、代わりにアンゼルムに抱き絞められ、大きな手が左耳を、熱い胸が右耳を塞いだ。
「傷の具合はどうだ? ソルデガルド」
「んぁ? まぁ、ぼちぼち、だ」
傍目には元気が有り余ってはいるものの、言葉尻が濁る。
「安心しろよ。今日一日は休ませてもらうつもりだ」
「ああ、わかった。こちらも今日はクロエと水入らずで過ごすつもりだ」
にやにやしながら両手を上げる。
「邪魔はしませんよ。かなりいい攻撃を入れさせて貰いましたし、貰いもしましたから」
「懸命だな」
アンゼルムはクロエの額にキスをして、仲の良さを見せびらかす。
「では、また明日」
「皇帝とはいいご身分ですね。ったくよぉ」
振り向かずに右手を上げて返事をし、二人は階段を降りて行った。




