07-4螺旋くれたセカイ
彼の手を握って、エレベーターへ向かった。地下の最深部にあるのがクロエの部屋である。
アンゼルムが扉を開けて、クロエを部屋に入れる。そのまま閉じられそうになったため、慌ててクロエは外に出る。
「君の出番は」
「うん。それは、わかって、るんだけど」
スカートの裾を揃えて、髪の毛を整える。そしてようやく見上げた頬は桃色で、じんとアンゼルムに鳥肌が立つ。
「今日は、気を使ってくださってありがとうございます」
腰を落として、スカートを抓んでお辞儀をする。それは思っていたものとは違う固いものだった。
「どういう意味だ」
心が通ったかと思ったのは自分だけかと少し苛立つ。
「私が受け入れられることを、見せてくださったのでしょう?」
純粋な問いに、アンゼルムはほっと溜息をついて笑った。
「優しい、あなた。わ、わたし、私ね。昨日眠る前にたくさん考えたの。凄く卑しくて、その、凄く恥ずかしいことなんだけど」
彼の優しさは執着の裏返しだが、その嬉しそうな微笑に、真偽などどうでもよくなる。
「貴方の事を考えると、昔の記憶ばかりなのよ。私は今の貴方を知らなさすぎる。だから、お願いがあるの。毎日、ほんの少しだけでいいから一緒にいる時間が、欲しいです。お仕事をしているのを、見るだけでもいい、の、で」
視線が反れるも、頑張って黄金の瞳に合わせ、また羞恥で外れる。髪を耳にかけて、ポロリと落ち、また耳にかける仕草を繰り返す。
「可愛らしいお願いだな。私もできるなら君の傍にいたい。調整しよう」
「ありがとう、ございます。でも、無理はなさらないでね」
ほっと胸を撫で下ろしているクロエの小さな両手を取ると、一瞬だけ緊張と怯えがあった。かつてのアンゼルムなら抱き寄せて、この場で抱こうとしていたかもしれない。だが、ぐっと我慢する。
しばらくするとクロエの身体から緊張が抜け、手を握り返される。
上目遣いに何かを期待する瞳がアンゼルムを動揺させた。選択肢を間違えれば、彼女はまた心を閉ざす。
「あん、ぜるむ?」
彼女がグッと腕を引くと、また少しだけ顔が近づく。彼女からのキスの催促なんて想定外だ。
幾つもの国の生きとし生けるものを殲滅させてきた男が、こんなところで躊躇うとは思わなかった。
背をかがめて口づけると、彼女は目を閉じた。また触れるだけの児戯のようなキス。
どちらともなく離れると、クロエは耳や腕まで赤くして屈託なく笑っていた。
喰いつきたい。このまま部屋に連れ込み丸裸にして、新雪を踏み荒らす如くほとを暴きたい。そこに種をぶちまけて、刷り込んで、子を孕ませたい。
「うふふ。やっぱり。アンゼルムって唇まで硬いね」
その暢気な感想に、どろどろの欲に呑まれそうだった自我がすっと正気に戻った。ぐずつく右目を隠す。
「クロエはどこもふわふわしていて、ずっと触っていたくなる」
「む。お医者様にはもっと太りなさいって言われるのに。そうなの?」
二の腕をふにふにと撫でる彼女が愛おしい。殺し合いにのみ生きがいを見出していたアンゼルムには別世界のようだ。
「さぁ、オーレリアが来るまで休んでいなさい」
「うん、わかった」
控えめに手を振り、戸と鍵を閉めた。
アンゼルムは扉の横壁に背を預ける。唇を撫でて、感触を思い起こした。
小さい彼女とのデートでもあれほどの笑顔はなかった。いつもは気難しそうで、でもしばらくすると緊張がほぐれてよく笑うようになる。それでも、国を出る前の挑発的な彼女しか知らない。
「くっ、ははは・・・」
枯れた笑いが出る。
幸せそうだった。まるで、兄上と共にいた時のような。
勝ったのだろうか。死体になった彼女を蟲穴から救って、日常と幸福を与えたジギスヴァルドに。
比較することではないのは判っている。これが始まりなのは判っている。
彼女が今アンゼルムに多くの愛情を向けているのは、他に分け与える者が少ないから。ジギスヴァルドとステラに向けていた分も、まとめてアンゼルムに捧げられているのだ。
だが、触れると雷のように怒っていた女が、自分からキスをさせるのは興奮する。
うずうずしている右目から手を外し、長い息をつく。
その瞳は虹彩が横並びに二つあり、瞳孔と共に半分ずつ重なっていた。目尻側にも小さな虹彩がいくつか散らばっている。目尻や眉の上まで、いつのまにか大小さまざまな丸いふくらみがある。それは閉じられた瞼であり、龍化時の特徴が現れていた。
しかし、愚かしい。
温もりを信じ、愛を求める愚かしい姫君。ただ傾聴をしただけで、その身を捧げるとは。
だが、とても。とても。今この手で華を散らさせないように、配慮させる可愛さがあった。
ずぶずぶと底なし沼に足を踏み入れたような感覚がある。
300年前から判っていたはずだ。彼女はただのご令嬢ではない。帝国というるつぼにいながら、彼女のような女性はクロエしか見たことがない。
腹の探り合いをせずとも、傷一つない顔に出る。アンゼルムに新鮮な不満を見せる唯一だ。
喰らいたい。傲慢で愛らしい口を封じて、あの柔肌に牙を立てて血を啜る。涙する彼女の乳房を後ろから掴んで、あの細い腰に尻尾を巻きつけて暴き立てる。獣のように。
泣き叫ぶ彼女を凌辱したい。怒り散らす彼女を無理矢理に。怯える彼女を更なる恐怖へ堕として、快楽から逃れられないようにしたい。
喉が渇く。渇く。渇く。美味しそうな血潮があの白い肌の下をめぐっている。
だが、今日は抱かない。まずは堕ちたのだから、次は。
アンゼルムは大きく深呼吸をしながら、両手を天井に伸ばして伸びをする。
戦闘欲を切り替えるように、頭の中をさっぱりと切り替えた。
横並びに重なっていた瞳が、するりと一つに戻る。ぷくぷくとでき始めていた瞼のふくらみも消えていく。視界が一つになり、ようやくアンゼルムは大広間へと足を向けた。
だが気は抜けない。
あの兄上が。アンゼルムと同じで血も涙もない、あのジギスヴァルドが。
「人間の鉛玉を数発撃ち込まれた程度で死ぬはずがない」
もし目の前に現れ、彼女に真実を話し、許しを請うて愛を与えた場合、クロエが彼の元に戻らないとは限らない。
彼女を縛る鎖は多いに越したことはないのだ。
クロエはアンゼルムの理性を保つための礎でもある。
帝国にいた時の彼女は、よく事件や事故に巻き込まれていた。それは偏にゲレオン王の放った暗殺者に狙われていたからだ。
本人は全く気づいていなかったようだが、アンゼルムを死の化身にしたがったゲレオン帝の刺客だ。
ジギスヴァルドも不用心過ぎた。一年に一度の逢瀬に限ることで、アンゼルムの執着が薄れるはずがない。
廊下に誰もいないことをいいことに、ふっと苦笑する。
ジギスヴァルドは娘としながらも、クロエを心から愛していた。
確実にそこに愛はあった。だからこそ、第二王子の恋の勝算はかなり低いと思っていた。
それは誰が見ても判る位で、それなのに不器用で。判っていないのはクロエ本人だけ。
一番の誤算は、神父が異常性癖の持ち主だったこと。ジギスヴァルドにしては珍しい致命的なミスだ。
神父という職業だから安心したのだろう。聖職者とまで人々に言わしめる、神の言葉を代弁し、ヒトを救う筈の神父様。笑顔だけが清々しいその男がエラーを吐き出しているとは知らずに。
ましてやその壊れた神父が、教会との太いパイプを持っていれば尚更。ヴォルトミュラー以外の人選はあり得なかった。
愛する者を異常者に引き渡さざるを得なかったジギスヴァルドの苦悩も理解できる。
クロエはアンゼルムと違って、ジギスヴァルド本人に会って計画を聞くこともなく、事実や結果だけを突きつけられてきた。
だから彼女は思っているのだろう。『ジギスヴァルドとステラには愛されていなかった。全てが演技であり、全てが研究の為』。
加えて、実の親に捨てられた彼女は思う。『それでもよかった。必要とされたならそれで』。
しかしそれは表の顔。クロエにもぐらぐら煮立つような腹の内がある。その愛への渇望が、アンゼルムに手を伸ばしている。今はもう彼しかいないからだ。
欲しいものはいつもジギスヴァルドが持って行く。だが、彼女だけは渡せない。ようやく自分の番が来たのだ。
『白薔薇の姫』は血を啜る殲滅龍の妻になる。
だが、まだだ。まだ、油断はできない。もし死んでいるとされているジギスヴァルドが目の前に現れて彼女に愛を囁いた時、クロエが誰の手を取るのだろうか。そこが一番の問題なのだ。
薔薇が壁に巻きつくように、クロエをぐるぐる巻きにして。アンゼルム以外を見ないようにしなければならない。
その為なら世論だって、諸外国だって、人間だって、兄の用意周到な計画の穴だって、想定外だって利用してみせる。
僅かな振動を感じて足を止めた。エレベーターの方向に異臭を感じる。タブレットを取り出してオーレリアに繋ごうとしたが、ジャミングされており繋がらない。
足元から炎が立ち上ると、左腰に大小の刀と右腰に太刀、背面に短刀がそれぞれ現れ、太刀を抜いた。エレベーターフロアに入ると、扉の隙間から僅かな煙が漏れていた。
ガヂン、ガヂンと何かが下から登ってくる。
「なんだ、お前か」
アンゼルムは刀を戻し、もう片方の大振りの太刀を抜いた。
衝撃音と共に扉がひしゃげる。三度目で合金の扉は吹き飛び、アンゼルムは刀で弾き返した。扉がエレベーターの入口横に刺さると、煙の中から影が飛び出す。
既に踏み出していたアンゼルムが、刀で影の槍を逸らす。腰に携えていた短刀を引き抜き、敵の首に宛がった。
下の調整室で防炎扉が閉じたようで、煙が晴れていく。同時にスプリンクラーが水をまき始めた。
「お前は暗殺に向かぬと伝えたはずだが。ソルデガルド」
「ああ、目的は暗殺じゃねぇからな。腕は落ちてねぇようで嬉しいぜ、アンゼルムよぉ」
必要最低限の礼節を弁えた服装に、物騒にも蒼天の甲冑をもあしらえた金髪の女性が煙の中から現れた。腰には大振りの白い天使の羽があり、槍を引いて下がり再度構えた。
「何のつもりだ」
アンゼルムは短刀を収め、一振りの刀だけを構えた。
「なんだ冷てぇじゃねぇか。神々のご執心だった『リリス』の誑かしに成功したんだろ。お前の悲願だったからな。そのお祝いに来たのよ。だが、話は後だ。俺と闘れ、アンゼルム」
オーディンの横顔が刻印されたコインを見せびらかされ、アンゼルムは溜息を吐かずにはいられなかった。ジャミングの元は明らかにあの聖なるコインだ。
「わかった。だが殺しはしない」
「ふざけんな! 殺す気で来い! 龍帝!」
強い相手を前にして任務を忘れているソルデガルドに刀を向け、もう片方の太刀に手をかけると、彼女はにたっと笑った。
小説が書けない日々が続いて落ち込んでいました。書けるようになってやっと調子が戻って来た気がします。




