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06-1欲望の蟲

 けたたましく響いていたアラームがふと消えた。煩わしかった赤色灯も止まる。

 油絵画家の足元に散らかった絵の具のように、赤い彩を添えた白い廊下を歩いていた。

 ヒトの死体が壁に寄せられて道が作られている。周囲には鼻を曲げる鉄臭さが充満していた。

 監視カメラに自分の姿をはっきりと記録させるために、男は逐一カメラに顔を向けた。

 黒い髪と金の瞳を惜しげもなく晒す。ワイシャツ、灰色ブレザーと黒のズボンという特徴のない出で立ち故に、その異質な目力は嫌でも印象に残るだろう。

 人の形をした、人の天敵。神ですら手こずる『悪龍』と人は言う。

 山奥にあるこの施設は既にこの男の制圧下に在り、後はただここに幽閉された者達に会うだけ。

 角を曲がると少し先に部下が立っていた。男とは反対にきっちりと覆面をしていて、真っ黒で特徴のない装いが個人の特定を不可能にしている。

 その部屋はガラスで二つに分断されていた。向こう側の部屋は医療機器が溢れかえっており、血と肉の塊が散乱している。

 中央には巨大な肉が鎮座していて、どくりどくりと脈打つ。鼻先には瞼のない目がたくさんあった。

 べったりと筋組織が天井にも床にも張り巡らされて、時折ゼリーの様な血が滴る。皮を剝がされたような痛みが常に全身を苛んでいた。

 男がそのガラスに触れると、指先から振動が伝って強化ガラスが爆ぜて音を立てずに崩れ落ちた。肉が震えて後ずさる。

「我はアンゼルム。君の望みを叶えに来た。よくぞここまで堪えたな」

 男は右手を伸ばして、鼻先に触れる。ぬるぬるした得体のしれない粘液と腐臭。それなのに彼は嫌な顔一つしなかった。

 まるまるとした大きな目から、はらはらと涙が流れ落ちる。

「思うがままに答えよ。お前は何を望む? 新たな生か、あるいは死か。それとも、誰かの死か?」

 首を垂れようとしているのか、肉塊は妙に平べったくなる。アンゼルムはこくりと頷いた。

「わかった。任されよう」

 触れていた鼻先から手を離すと、ねとっと糸を引く。小さな小瓶を取り出し、コルクの栓を咥えて開けた。

 肉塊は頭のてっぺんにある鼻穴でゆっくりと深呼吸をした。

「『格納』」

 男の指先を起点に大きな魔法陣が現れると、質量を無視して肉塊は瓶に吸い込まれていった。

 ピンクに染まったそれを、胸の内ポケットに大事にしまう。かなりの熱を持って脈動していた。

「陛下。被験者はこの者で最後です。魔術師様は目標地点まで退避済みで御座います」

「流石は我が精鋭達だ」

 帰り道で後から一人走って来て合流した。彼は比較的経験数が浅く、目の当たりにした哀しい現実に打ちひしがれて俯く。

「先輩。やはり全員死を望んだのですか?」

「『天使創造』の土壌に適合したせいで、以前と似ても似つかぬ姿にされて、失敗作だバケモノだと言われ続けたらオレだって耐えられないよ」

 先輩は後輩の背を叩いた。

「でも一人だけ未来を選んだ。女の子だってさ」

「・・・女の子。幸せになって欲しいです」

 無言で部下二人の話を聞いていたアンゼルムは、廊下のど真ん中に転移扉を開いた。その向こうに覆面だが特徴的な尖り耳の男が首を垂れている。彼の背後がこの地下施設の入口に当たるエレベーターだ。

「おかえりなさいませ。アンゼルム様」

「仕上げを頼むぞ」

 アンゼルムと部下二人はエルフの後ろに回る。

 立派な杖を振り上げた彼は、床にひびが入るくらい力を込めて突き立て、大掛かりな『治癒魔術』を発動した。

 床に魔法陣が現れて、みどりの風と共にたくさんの鳥や動物が滑り出て奥へと走った。

 広い施設の最奥まで満遍なく魔術を送り込んだエルフは、杖を引き抜いて振り返る。

「では参りましょう」

 廊下の先では、殺されていた人間たちに、動物たちが治癒魔術を届けて消える。血塗れの服に驚いて記憶を手繰り寄せている事だろう。

 他者の無事を確かめ、データの欠落の有無を確認し、高価な機械の点検をする。そうやって5時間もすれば殺された時の記憶は鮮明に戻り、勤勉な監視カメラの映像で、被験者の喪失がアンゼルムの仕業だと気付くはずだ。

「・・・神父はいなかったな」

 皇帝の独り言に、精鋭三人は緊張する。壁のない手すりだけのエレベーターのモーター音ばかりして、ずんずん昇って行く。

「折角お越しいただいたのに、申し訳ございません」

「いや。お互い無事で何よりだ」

 神父率いる『天使の教会』にさらわれた研究材料を全て殺し、あるいは奪う。二度とクロエの様な悲劇を繰り返さないように。

 それは実験にヒトを巻き込んだ、愚かな兄の尻拭いだ。

 かつて神々が龍を殺す武器をヒトに与えた。すると奴らはそれで神をも殺し、地上の覇者となった。

 だが龍種は与えた武器を放置しない。

 後に、こうして何度も襲撃を受けた『天使の教会』は、龍種に目をつけられている異端と認められ、ヒトの手で解散させられた。

 神父は信仰を神から金に鞍替えし、『天使の教会』の残党と共に、ヒトを人外にする研究を続ける。

 そんなある日、極東の国でクロエがモデルとして雑誌に登場した。その美しさと素朴な無表情の愛らしさに、彼女は国境を越えてネットを騒がせる。

 罠だと理解していたヴォルトミュラーだったが、その足で日本行きの航空機に飛び乗った。

 クロエさえ手に入れれば、彼は最強に戻れる。

 天使を見たこともないくせに、そんな兵器があるわけがないと馬鹿にして罵った奴らを見返すことができる。一瞬で殺すことさえ。

 天使がいれば、奇跡の顕現として世界中に信徒のいる最強の宗教の信徒を奪うことさえできるのだ。

 その暁には、この世界のどこかにある帝国の領土を見つけ、全ての異形を滅す。

 かつては一介の兵士だったヴォルトミュラーが得た、二度目のチャンスであった。

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