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05-3先生の記憶

 手を外すといつの間にか明るい現実に戻っていた。

「あ、れ・・・?」

 向かいにいたはずのクロエは、座り込んだままぼうっと宙を眺めている。

「おはようございます、藤間さん。カレーは出来ております」

「ありがとうございます」

 クロエの視線を追うと、向かう先は壁の高い所に飾ってある二つの写真だった。

「しまった」

 翔の父と母の遺影を見上げたクロエは、両手で口を押えぽろぽろと涙を流す。

「・・・ここにいらっしゃったのですね」

 仏壇にも這い寄り、紫座布団の上に乗る。そこには藤間龍堂と藤間ステラが手を握り合って笑う写真があった。間に小さな男の子が立っている。

 クロエは震える手を伸ばして、その写真を掴む。そして俯きぼろぼろと泣いた。

「神志那さん。行きましょう」

「・・・はい」

 ふすまを閉めると、呻き声は少しだけ大きくなった。

「先に食べよう」

 翔はティッシュ箱を座敷にそっと入れて、ダイニングに戻った。テレビをつけて音を気にならないようにする

「何かわかったの?」

 美琴が心配そうに座敷を伺っている。

 カレーを注いで、翔もダイニングテーブルに着く。手を合わせて挨拶をして、スプーンを取った。

「クロエの育ての親が、俺の両親だったみたいだ」

「うっそー! じゃあ、義理のお姉さんか妹ってこと?」

「お嬢。声が大きい」

 ぱっと口を押えて座敷を伺うも、まだ呻き声が聞こえる。

「『義理の妹』だ。あの子を護らなきゃって強迫観念は、母さんの望みだったみたいだ。なんだかすっきりしたよ」

「しかし知らない間に死んでいたのだから、かなりのショックでしょう」

 神志那はパクパクと素早くカレーを掻き込み、あっという間に食べ終わる。

「・・・翔。話は変わるけど、七瀬ひまりの消息知らない?」

「あ、忘れてた。ザックさんが捕まえて、そのままあの会社に置いてきたな」

 美琴が身を乗り出す。

「まだ生きているわよね?」

「多分。連絡してみようか」

 スマホを取り出してオーレリアに電話をかける。3コールで彼女が出た。

「お忙しい所すみません。七瀬はどうなりましたか」

「ああ、あの子。うるさいから地下牢に幽閉しているわ。何なのかしらね。暴言のオンパレードと言うか。レパートリィが多彩なの」

 かなり疲れ切った声だ。あの後また何かあったのだろうか。

「ご家族が心配していらっしゃるだろうから・・・」

「そうね・・・。わかったわ。そちらの現在位置に転送する。せいせいするわ」

 向こうから誰かに話しかけられているようだ。

「いいえ、陛下。相手はクロエではありません。・・・変わったことはないかしら? 変な男が接触してきたり」

「いえ、特には」

 そうと言いながらオーレリアは溜息をつく。

「今日は疲れたみたいなので、明日外に遊びに出かけます」

「了解。気晴らしは大歓迎よ。・・・声が大きいです、陛下。やめてください。あなたが」

 電話口を手で塞いだのかもごもごというくぐもった声になる。そしてヒートアップしたのかすぐに解放された。

「ああもう、そうクロエを溺愛しないでください。そういう所はジギスヴァルド様そっくりですね」

 翔がその名前を知らないと思っているオーレリアは、父親の黒歴史を口にする。

「不服そうな顔をしても無駄です。いいえ、あの人も隙あらば彼女に触れておりました。貞操守護の術は最たる証拠ですよ・・・って。ごめんなさい。電話していたんだったわ」

「いいえ、大丈夫です」

 他の人から見た父の像に閉口するばかり。

「では、クロエをよろしくね。神父が接触してきたら、私達が来るまで引きのばして。それじゃあ、また明日。定期連絡をよろしく」

「はい、おやすみなさい」

 叫ぶオーレリアの声で耳がキンキンしていた。

「七瀬はこちらに転送されるみたいで」

「きゃあっ」

「うぐっ」

 座敷から悲鳴があがり、慌ててふすまを開ける。倒れたクロエの上にひまりが馬乗りになっていた。

「え、なに」

「ひゃん」

 クロエの胸に両手をついてしまい、ぐりっと掴んだ。

「・・・ゃめ、て」

 かつてのトラウマにより、クロエは恐怖で動けなくなる。神志那がひまりを持ち上げた。

「レディに何するのよ!」

「出るとこ出てからお願いします」

「しっつれいね!」

 ひまりを解放すると、きゃんきゃんと喚き始めた。

 目を見開いたまま固まるクロエに、翔は手を振るが反応はない。

「・・・ヴォルトミュラー様」

 両手が力を失って、完全に無防備になる。胸を差し出すような格好だ。

「なんでその名前・・・」

「お前は知らなくていいことだよ、ひまり」

 神志那が吹き飛ばされ土壁にぶつかる。

 そこには灰色のオールバックでスーツの男がいた。その肌は所々木炭の如く黒く、今にも焦げたニオイが漂ってきそう。無機質な目で無防備なクロエを見下ろす。

「おはようございます」

 そう男が言うと、ぱちりと瞬きをして彼女が起き上がる。足を延ばしたまま腰をひねり、柔らかで幸せそうな笑みを浮かべた。

「おかえりなさいませ。神父様」

 翔は言葉を失った。クロエは『神父』を恐ろしい人だと言った。同じ口で恋人に掛けるような甘い猫なで声を出している。

「娘が迷惑をかけたようですね」

 ヴォルトミュラーはひまりに向かって手を開くも、彼女は冷や汗を流していた。ゆっくりと近づいて、苦しそうに歯を噛み締めながら腕の中に閉じ込められる。

「悪い子だね、ひまり」

「ひっ」

 力を入れて抱きしめ、彼女の背骨をみしみしと軋ませる。

「ごめんなさい! イタイ! 痛い、ごべんださい、ごべ、ごめんなさい、おとうさまっ」

「謝れるのは大切なことだけれど、約束は守るものですよ。魔術師や原初の種族、特に帝国の連中に見つからないようにと何回言いましたか。『殲滅龍』が重い腰を上げれば、人は簡単に滅ぶのですよ」

 ごきっと左肩が外れ、ぼきっと右の二の腕が真ん中から逆方向に折れた。痛みに声を失った彼女をようやく解放する。畳に倒れ伏した彼女に翔は駆け寄った。

 ひまりの身体を調べて驚く。折って治癒術で戻した形跡が無数にある。常習的な暴力行為があるのだろう。

「酷い・・・」

「その位はしないとその子は判らないんです。やっていいことと悪いことを学んで欲しいのですが。まぁ、そこも愛らしい内の一つですね」

 目を剥き出して顔面蒼白。涙を流すひまりを前にして、誰も神父に噛みつけなかった。

 動けない娘の隣をすり抜けて神父はクロエに近づく。その柔らかなふくらはぎに触れ、足を撫でてスカートを捲り上げながら尻に辿り着いた。

 クロエはくすぐったそうに左手を差し伸べ、ヴォルトミュラーの頬を撫で、神父のハグを愛おしそうに受ける。

「契約は健在ですね?」

「はい、神父様。私の愛する御方」

 ヴォルトミュラーは彼女の言葉を嗤った。

「可哀想に。私のようなクズに憑かれたまま、まだ自由になれていないのですね」

 唇を奪われたクロエは、彼の背中に手を回して目を閉じる。

 翔は折れたひまりの腕を、知り得る治癒術を駆使して元に戻す。それを神志那や美琴に見られようと、今は構っていられない。

 関節が外れている左肩は、骨の位置が戻る際に再度ごきりと音がした。

「っああああああっ」

 ヴォルトミュラーが畳に胡坐をかいてクロエに手を伸ばす。彼女は男の足に尻を乗せて横抱きされる。

「知っていますか? 彼女が私に逆らえないのは、全ては君の両親のせいなのですよ。藤間さん」

 ちゅっちゅと首筋にキスマークを付けていく。胸を揉むとぴくんと反応する。彼女のどこが弱いのか全てを熟知していた。

「力が欲しかった私は悪魔・・・貴方の父上に魂を売った。しかし我が神は苦難にあるヒトを救わず、藻掻いて戦う力を得た人間をこのように罰しました。貴女もこのような炭の化け物から逃げたいでしょう?」

「ぃいえ、んっ。ぁっ、・・・クロエは、幸せ、ですっ」

 涙が伝うと、ヴォルトミュラーはせせら笑う。

「泣く程ですか。憐れな女だ」

 太腿を上ったり下りたり。抓んだり弾いてみたりしながら、ヴォルトミュラーは救急治療を受ける我が子を眺めていた。

「ほら、クロエ。見て下さい」

 神父の手には二つの遺影があった。いつの間にか壁から取ってしまったらしい。

「額縁が真っ黒です。その意味を知っていますか?」

「・・・それは亡くなった方のお写真です」

 クロエが一瞬言葉を詰まらせたことに、神父はにんまり笑う。

「そう。ジギスヴァルド王子とステラ奥様は死にました。君を助けに来るはずの王子様は死んだのです。君の大好きな先生は、もうこの世のどこにもいらっしゃらない」

 動作は全て彼に操られている。それなのにグッと唇を噛んだ。

「君を助けることができるのは、私か意地悪なアンゼルムだけ。ああ、可哀想に。あっはは! 命令していないのに涙まで流して」

 真顔の瞳から落ちていく雫が、ぽたぽたと服の色を変える。

 翔は泣き疲れて眠ったひまりの頭の下に座布団を折って入れる。神志那がジャケットを脱いで被せた。

「おや、手際が良いですね」

 クロエは目を閉じて息を整える。

 そして涙を拭った後、何かに憑りつかれたようにヴォルトミュラーの股間を撫でる。

「神父様。いつもの・・・おかえりなさいのごほうしを」

「今日はいい。眠っていなさい」

「はい、神父様」

 機械のスイッチを切るように、男の胸にもたれたクロエは微かな寝息を立て始めた。

「いい子ですね」

 その額にキスをした。翔は腹の中でぐらぐらと怒りを煮立たせながらも、正座をして背筋を伸ばして真っ直ぐ男を見据える。

 だが神父は美琴の方に声をかけた。

「城崎のお嬢さん。あなたの覚悟は受け取りました」

 美琴はひまりの汗を拭っていた手を止めた。

「元城崎組がひまりを拉致したという疑いは晴れました。それどころかあの城塞から取り戻してくれた。約束通り、捕えていた元組員達は無傷で家に帰します。今頃お父様にも連絡が行っております」

「でも・・・いくらなんでも、こんなのは酷いです」

 ヴォルトミュラーはクククと笑う。

「何がおかしいの!」

「いや、失礼しました。父君が現役の頃は、もっと凄いことをしていたというのに。ねぇ。神志那さん」

 わなわなと震える美琴を、神志那が大きな身体で隠す。これ以上を美琴に何かを言えば容赦はしないと、殺すつもりで般若の如く睨みつける。

「君がお嬢さんを護りたいように、私も娘には見せたくないのですよ。若き日の過ちを」

 眠るクロエの胸に顔を埋めて嗅ぎ、節くれだった手でぎゅっと尻を掴む。美琴と翔はようやくどういう意味かを察した。

 ヴォルトミュラーは彼女のおへそのあたりを撫でる。

「ここに邪魔者がいて、挿れは出来ないですが」

「やめてください」

 なおも翔は怒りを堪え、ようやくひねり出した。

「・・・今代の龍は我慢強いですね。ジギスヴァルドだったらもう殴りかかっていたかもしれません。嫁公認で娘を女として溺愛していたのだから、イカれ具合は彼の方が何手も上ですが」

 ヴォルトミュラーの視線は、いつの間にか翔に注がれていた。

「無駄話をお望みではないようですね。貴方は魔術師としての腕はかなりいいようです。残りの懸念は、君がどこまで知っていて、どう考えているのか。それ次第で殺します」

「っ、腕を試すために彼女を傷つけたのか!」

「ええ、そうですよ」

 まるで日常の事と言わんばかりに神父はきょとんとする。そしてにこにこしながら翔の様子を伺う。

 翔は親から受け継いだ魔導書の、最後の章を必死に思い出す。

 魔女化したクロエを目の当たりにするまで、何が書かれているか判らなかった。だがいまならわかってしまう。

 始まりは人間の力を増幅する『プロメテウスの炎』という杖だ。それと生贄を同じ火にくべ、人間の恨みと憤怒と祈りの底力をさらに増幅し、契約書に基づいて『魔女狩りの魔女』あるいは『天使』を創る。

 欠点は意志のない兵器と化すことであり、指揮者がいなければ四方八方をめちゃくちゃに攻撃する。それがあの建物で起きたことだ。

 認めたくないが、この神父がコントローラーである『マスター』であるらしい。

 ヴォルトミュラーは少し考えて、周囲を見回した。

「いい家です。アレも人並みに親だったということでしょう。息子にいい環境を残したがるのは人間と同じ・・・か。だが、人であるクロエには何も。ふむ、龍種は血の繋がりを重視するのでしょうか?」

 神父は胸ポケットから小さな紙を出して、畳に置いた。式神の札だ。それは催促の意だろう。

「この娘の腹にはエネルギーの炉があります。だから君の父親は人間を騙してでも、クロエを不老不死にしなければならなかった。研究者の鑑ですね」

「本に・・・書いてあった。父から譲られた魔術書に」

 翔は右手の上に魔術書を召喚する。

「『魔女を狩る魔女』。人間が『天使』と名付けたそれを、・・・創る方法。そしてその反動。『マナの子』と『岩漿の炉』。強化定着に必要な年数は『300年』。それも全部知っています。正確には、今ようやく知識が繋がりました」

「・・・魔導書の文字が読めるとは。頭は悪くないようで嬉しいです。どうやら君は役に立ちそうです」

 ジギスヴァルドはクロエという作品を長寿にするために、魔女狩りに明け暮れていた教会に『天使』と称して魔女化魔術を売り込んだということらしい。

 人を助けることに喜びを感じる警察官の父の像ががらがらと崩れ落ちる。

 だからこの男は翔をすぐに始末しようとしないのだ。亡きジギスヴァルドの代わりに、その炉を扱えるのかを探られている。

「ジギスヴァルドは300年さえ過ぎればいいと言い残して消えました。しかし弟のアンゼルムの部下が早まったせいで、僅かに早く壊れてしまいました。これは完成になるのでしょうか。エネルギーの取り出し方は。その魔術書にはなんと?」

「それが目的ですか」

「・・・ええ。『天使』を創るのは神の所業です。悔しいですが、300年間研究し尽くして再現できず、未だ手がかりもない。我々には龍種の力が必要なのです」

 何の前触れもなく彼女の手が持ち上がって、ヴォルトミュラーの頬を撫で膝から降りて玄関の方に行ってしまう。

「いかがいたしましょう。神父様」

「お通しして」

 クロエは廊下に出て行った。

「貴方には我々と来ていただきます。悪いようにはしません。ジギスヴァルドと同じように、人間に力添えをして下さればそれでいい。成果が出れば、捕虜から研究員にして差し上げます」

 神父は深い溜息を吐きながら立ち上がり、翔を見下ろす。

「結果を残せなければ殺します」

 クロエが戻ってくると、大きな首輪と手枷足枷をしていた。その後ろから眼鏡をかけた血色の悪い吊り目の男が入ってくる。

 彼女は神父の胸元に手を入れて、頬を胸にぴとっとくっつけて深呼吸する。神父は腰を抱いた。

 眼鏡の男が呆れる。

「やれやれ、相変わらずですね」

「本当に。当時の自分を殴ってやりたいですよ。こんなに純粋でかわいい子に、意に介さない接待をさせるなんて。まるで違法キャバクラだ」

 そういいながら尻を掴み撫でる。頬を赤らめたクロエは熱い息を殺していた。

 眼鏡の男が翔を見下ろす。すると廊下から全身をアーマーで武装した鉄の男達が銃を持って走ってくる。銃口は全て翔を向いていた。

「一つ、約束してください。俺が力を貸す条件。クロエに気軽に触れないで欲しい」

 神父は翔に向かってにったりと嗤っていた。

「何故捕虜に譲歩しなければならないのでしょうか」

 だが眼鏡の男の方の反応は違った。

「ヴォルトミュラー殿。その娘はこいつの血縁なのだろうか?」

「生命としてこの世に出来たという意味では、義妹でしょうな。・・・ああ、貴方にも病弱な妹さんがいらっしゃいましたね」

「ええ、義理だとしても彼の気持ちは痛いほどわかります」

 ひまりはアーマーを着た一人の兵士に抱え上げられる。

「はぁ、面倒なのを敵にしてしまいましたね。・・・結果を出してくださるなら、考えておきましょう」

 翔は両腕を差し出すと、太い手錠をかけられた。それも魔術ですぐに見えなくなる。腕を広げると抵抗はあってガシャリと音はする。

「では、行こうか」

「翔!」

 叫んだ美琴と神志那に、いくつもの銃口が向けられた。

「大丈夫だよ、美琴。心配はいらない」

「殺すつもりはない。我々は殲滅龍ではないからな」

 美琴は足が震えながらも、彼を睨みつけていた。にこっといつもより優し気に笑う翔。それに神志那が笑って答える。

「家の管理は任せて下さい」

「ありがとうございます」

 開けられた道を連れられ、外に停車していた防弾仕様のベンツに乗せられる。ドアがかなり重く、全体の重量もかなりある。いつかアスファルトを割りそうだ。

 見慣れた景色が、スモークのガラス越しには知らない景色に見えた。

 両隣にアーマーの男達が座っているので、かなり熱い。左側の男がハンカチに薬剤を沁み込ませて翔に嗅がせた。

 翔は全く抵抗しなかった。尊敬していた父が許せない。だがそこにある意味も知りたい。

 眠りにおちながら、訳が分からない状況に気持ち悪さを覚えていた。

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