04-3血塗れの天使
今も見えている光景も、きっと現実なのでしょう。
女性に剣を向け、そして利き手じゃない方で剣を握って止めようとするの。
彼女は私を化け物だという。
それでもいい。彼女が生きているならそれでいいの。
うまく攻撃できないことは喜ぶべきことよ。
「あ、あ、お」
純白の腰羽根がばさりと羽ばたいて、ふらついた身体を支える。
言葉を失った私は武器を召喚しては、攻撃して、持ち上げられないから捨てる。
ホールは武器とかすり傷の女性で溢れていた。
「クロエ様。お気を確かに!」
ザックが鎧を着て血塗れのクロエに剣を向ける。
やめて。剣を向けないで。手加減が効かなくなる。
「に、げ」
ただ二文字分しか正気を保っていられない。彼は後ろにあの少女を隠し持っている。
そいつが私を攻撃したの。呪物を持っているから魔女。魔女は殺す。殺しなさいって、神父様の命令。
だから。殺すの。殺す殺す。殺したら、神父様が褒めてくれる。神父様。私の神様。
「い、や」
怖い人を愛しい人だとすり替えられていく。
違う、違う。あの人は私を穢した。
ううん。違うよ。あの人は神様なの。だからこの人たちを殺してあげないと、神様に救われない。私はそのために遣わされた天使なの。
頭の中で契約と本心が戦い合う。命じる者のいない戦闘人形は、周りにいる魔女たちを攻撃して回る。だが思考が鈍麻していて、その動きも緩慢で、とどめまでは刺さない。
魔女達にとってマスターの不在は好機だった。『魔女狩りの魔女』はラジコンの車と同じ。一人で自己治癒すらできない。
だから失血で動けなくなるのを待つしかなかった。ぼたぼたと頭から血が落ちる。服は元からそうだったかのように赤黒い。痛みすら感じず、ただ動く者を探す。
「ごろ、じ、だぐ、ないいい」
大きな斧を引きずりながら、クロエは誰かに助けを求めていた。
「クロエ様。まだそこにいらっしゃるのですね」
ザックの表情が緩む。彼女の腕はそれを見逃さなかった。腕を振り上げると、ミノタウロスが持つような巨大な斧が頭上で召喚される。重さを利用して彼に降り落とした。
ガツンと大きな音を立て、オーレリアの杖が阻む。斧の重みで足元に亀裂が入る。
「行きなさい!」
「・・・はい」
ザックは気絶した人間の少女を小脇に抱え、腰を抜かして息を潜める女性たちをどんどん拾っていく。
「ま、ジョ。・・・おー、れり、あ。・・・ころ、して」
血と共に涙も流すクロエが斧を手放したので、ズレ落ちて床に刺さる。地響きが建物を揺らす。
オーレリアは右手に魔術で弄ったライフルを召喚装備し、その大口径の銃口をクロエの胴に当てて、銃身が赤くなるまで何発も撃った。
ふらふらと後ろに何度も仰け反りながらも、羽根がバランスを取って倒れずに戻る。
「コロ、す」
彼女の周りに黒い雪のようなものが浮遊する。
「・・・やっぱり神父じゃないと」
オーレリアが床に杖を強くつく。命令を受けたクロエを止めるには、熱核兵器よりも高温の魔法で、一度細胞レベルで崩壊させないといけない。マスターのいない今は好機である。神父から奪い返した時のように、蘇生と同時に洗脳魔術を使えば、一時的に契約は眠る。
それはヴェロニカが半身を失った大魔法。オーレリアならそれ以上を消費するだろう。
恐らく存在そのものと、人々の記憶から彼女は消える。もしかしたら下手をすると周囲の人物も巻き込まれて、この街の記録が喪失するかもしれない。
「やるしかないわ」
羽を広げてバランスを取る『天使』が、オーレリアに手を向けた。雪は銃弾となり、オーレリアの詠唱が完了する前に強襲する。
防御魔法を展開するも粉々にされる。
もはやコレまでと目を閉じたが、死はやってこなかった。
「え」
オーレリアは開いた目を疑う。
周囲一面の球体防御魔術の陣。球体は防御魔術一の強度を誇る防御魔術展開方法。全方面からの攻撃を防ぐウィークポイントのない高等魔術だ。
オーレリアとクロエの間に立っていたのは、無知な人間であるはずの藤間翔だった。
「あなた・・・」
彼の傍には見たことのある稀少な本が浮遊しており、手には鉛筆くらい小さく凝縮された子供用の杖が収まっていた。
ふっと振り返ってオーレリアの様子を確認した右の瞳は、金に変化していた。
「壁の生成は成功っと。ええっと、次は・・・存在することで魔女を呪う武器の『結晶化』。こう、かな」
オーレリアの無事を確認した翔は、ベルトの腰部に杖を挟む。そして大きな音を立てて手を叩いた。
あちらこちらに落ちていた武器は、白い光になって凝縮され、淡いピンク色の金平糖のような結晶になる。
大きめの巾着を開いて指を鳴らすと、ソレらがそこに収まっていく。
「多いな」
こんもりと山になった結晶を包んで、頭上に持ち上げる。すると空間が歪み、手がどこかへ潜り込んだ。
「あれは『格納』魔術・・・では、彼は魔術師・・・?」
歪な身体を引きずるクロエを、翔は睨み付ける。
「『完全治癒』」
彼の言葉を起点に、彼女の足元と腹と頭を囲むように、複雑な魔方陣が描かれていく。それぞれの線は独立して、様々な方向にくるくると回って光に包まれた。
「い、や。治癒、しな、いで。殺して」
「大丈夫だ。まだ戻れる」
ゾンビのようなグロテスクな有様の四肢が、どんどん元に戻っていく。
「誰。いない、のに。声だけ。オノレ、どこにイル」
翔は金に染まった右目を庇いながら、ぎゅっと拳を作った。
「最後に『戦乙女の施錠』」
見えないのをいいことに歩み寄り、腰に挟んでいた杖を彼女の胸に突き入れた。ショートケーキにフォークを入れるようにすんなりと、指に胸が触れる根元まで埋まる。
翔は杖をぐりっと半回転する、クロエは身動きが取れず息も止まっていた。
180°の位置で強い抵抗があり、力で捻じ伏せて360°回す。
「アアアアアアああああああっ」
ガヂンと錠は下りた。腰羽根が散って光になってほろほろと消える。
仰け反って顔を押さえるクロエの腰を支え、杖を引き抜くと胸の穴は消えた。先は血でぬらぬらとテカっていた。翔はそれをベルトの腰部に留める。
能力をロックされたクロエは、すぐに意識を暗転させて、彼の腕の中に落ちた。
彼女が作った武器が光になり、また金平糖のように小さく凝縮する。
翔が再度宙に格納庫への穴を作ると、勝手に巾着が出た。結晶は流れ星のように自ら袋に入っていく。
翔はクロエを抱き上げ、振り向きもせず彼女の部屋に入る。
「あれは・・・何者なの? 本当に第一王子・・・クロエの『先生』?」
袋は浮いたまま結晶を全て飲み込むと、きゅっと締めきられて紐が結ばれて落ちた。地面すれすれで格納庫の穴が開いて、飲み込まれる。
オーレリアははっと我に返り、傷一つない者に負傷者の救助を命じる。治癒魔法の明りがそこかしこから立ち上るのを確認したオーレリアは、クロエの部屋に駆け込む。
彼女はベッドに寝かされ、横に翔が座っていた。オーレリアは銃を構えてゆっくりと近寄る。
「お前は・・・」
「止せ、オーレリア。奴は高位の魔術師だ。隠し通し続けるつもりだったようだがな」
この部屋の主のような顔をしてドアを開けたのは、名刺を渡して来た金眼の男だった。
「・・・アンゼルム皇帝陛下っ!」
先程までのおしゃれな服装に、地上のどの物質よりも硬く軽い白銀色の鉄を編み込んだローブを纏っていた。細かな金の刺繍が美しい。
オーレリアは敵を前にしているが、皇帝に敬意を表すべきか迷った。
「よい。楽にせよ」
皇帝は翔を警戒することなくソファに座り、足を組んだ。
「守衛がご迷惑をおかけして申し訳ございません。しかし人間のふりをしなければ門はくぐれましたのに」
「魔女の領域に入れる男は、本人が魔女、あるいは魔女から認められた者だけ。そのセキュリティの高さがあるからこそクロエをここに匿わせた。だがあの門番は取り次がず、私はその資質を見られることはなかった。まぁ、急ぐものでもなかったので放っておいたのだが、流石に計画に支障が出てきたからな」
「あの人間の守衛が邪魔を・・・。どうして?」
宙に開いた暗闇に手を入れたアンゼルムは、小さな茶封筒をオーレリアに渡した。
「これは・・・」
数枚の写真が滑り出てくる。そのスーツ姿の男達に見覚えがあった。
「守衛のっ! こっちは郵便、ゴミ収集、タクシーの運転手・・・」
「そうだ。人間は組織的にここを窺っている。私をお前達に会わせれば、事が動き始める。だから阻止したかったようだ。だが、・・・いいものが見られた」
アンゼルムが腹から笑う。
「ははは。まさかクロエを封印するとはな。鍵か・・・あんな方法があるとはなぁ。一目見てお前の正体は分かっていたが、まさか独学で龍種の魔術まで理解していようとは。流石、クロエの惚れた男だな」
「何をおっしゃいます」
「投げキスを二度も貰っておったぞ? 私の知るクロエはそんなことはできん」
「いいえ、陛下。クロエは『ファンサービス』と言うものを学んでいますので、好きでなくとも、顔見知りでなくともできますわ」
クロエの為にオーレリアが必死でそれを訂正する。
睨む翔の気迫を楽しむアンゼルムは、にたにたしてソファに寄り掛かった。
オーレリアはソファに座るように、皇帝に強制された。迷っている間に、皇帝はカップや豆を浮遊させ、魔術で珈琲を入れる。
「クロエのファンに『透明人間』と呼ばれる男がいるのを知っているか?」
「え、ええ。何故かその方だけ見えないような、失礼な反応をしてしまう。でも、探してもそんなお客は」
かつんと音を立てながら、彼女の前に煎れたて珈琲を乗せる。
「あれは私だ。クロエは帝国の王族を視認できない。神父の呪いだ。私は目の前にいてもクロエには認識されにくいのだ」
ザックが部屋に入ってきた。その小脇にはゴシック服の少女が収まっていた。怯えきっていて、全く意思疎通が出来ない。
「殺したはずの女が血を滴らせながら追ってくるのだ。さぞや怖かったことだろう」
ザックにも珈琲を出し、着席を促した。まだ下働きの統轄の地位で皇帝の御前に座ることに抵抗があったが、目力で座らされる。
先程魔法武器から生み出された結晶を一粒だけ拝借していたアンゼルムは、抓んで彼らに見せる。
「クロエは兄上の最高作品であり『岩漿に繫がる炉』。これ一つでこの星を1年賄える。どこからそれを知ったのか、今の人間共はエネルギー源としてクロエを追っている」
「だから彼女と戦ったヴェロニカ様は死に体なのですね。星自身と戦っていたようなものだわ」
「だがあの子は魔術を行使する際に使う回路が細い。そこが欠点だ。『天使』は戦闘開始時にまず外付けの回路を作る。それが唯一の隙と言える」
アンゼルムは結晶をザックに投げた。
「これを砕いて魔力に戻し、適量をヴェロニカに飲ませろ。それでも有り余るだろう。くれぐれも多すぎないように、身体に馴染ませながら、慎重に少しずつだ」
ザックは頭を下げて部屋を出て行った。
「この惨状でとどまってよかった。もしかつてのように神父がクロエを操っていたなら、今頃この街はクレーターと化しておろう」
クロエが小さくうなされて、翔は彼女の顔を覆う髪の毛を寄せて隠れた顔色を診る。眠ったまま小さく言葉を呟いていた。翔は耳を近寄せる。
「・・・もう、いや。・・・代わりに、私を・・・殺し」
翔は彼女を胸に抱き込む。
「・・・誰も、死んでないよ。誰も」
その様子を眺めるアンゼルムはやはり楽しそうだった。
「あの、よろしいので?」
「愛玩すべき者達が仲良くしていたら、誰だって微笑ましかろう」
ザックもオーレリアも苦笑いしていた。翔はもう何も言わなかった。思い切り睨みつけて、彼を挑発した。
意図を察したアンゼルムは、こつこつと靴を鳴らして近づく。
さらさらのクロエの髪に、アンゼルムのごつごつした手が優しく触れる。
「お前は許された」
散々苦しそうだったクロエはすうっと眠りに入り、翔の胸元に顔を埋めた。
「クロエのことはお前に任せよう」
「俺達ペットは邪魔だから、自分たちの世話は自分たちでしておけ、ということですか?」
アンゼルムは口に手を当てて笑う。そして翔の金の右目に手を当ててスライドさせ、緑の瞳に戻した。
「そう拗ねるな。・・・だがあながち間違いではない。いずれ我が妻となる彼女を悦ばせていろと言いたいのだ。神父が嫉妬して、巣穴から出てくるくらい濃密にな。そうだ。子を成すことも特別に許そう。どうだ? 皇帝の女に種付けなど、通常なら許されぬ。願ってもない役得だろう?」
「はぁ?!」
翔が起き上がってクロエを離す。ベッドから降りて、無茶苦茶な貞操観念に怒る。
「女性を何だと思っているんですか! だいたいあなたは!」
「ハハハ。冗談ではないか。頭が固いぞ」
「ちゃんと話を聞け!」
突如立ち位置が逆転し、悪戯が成功した子供のように、皇帝は心底楽しそうに大笑いする。
「護って貰うために、あろうことか身体を差し出させるのは間違っている!」
「女を好きにしていい許可を得たというのに何が不満なのだ。孕ませた後が心配なのか? 安心しろ。殺さずに産ませてやる」
胸倉をつかむと、微妙な表情でザックが止める。
「クロエにも気持ちはある。物のように扱うな」
「そうだな。あの子がお前を咥え込んで、離してくれないかもしれぬ」
「アンタの頭にはセックスのことしかないのか! この色ボケが!」
大声で怒鳴る翔の怒りを楽しむせいで、深い眠りに落ちたクロエが呻いて起きた。ぱっと手を離した翔は天蓋の中に頭を突っ込んだ。
皇帝は翔が握ってしわになった胸元を叩く。
「お前の様な魔術師が何故人に混ざって生きて行けるのか、興味深いな。僥倖なのは、人間側の誰に絡め取られてはいないことだ」
「彼が魔術師だと気付けませんでした。申し訳ございません」
オーレリアが立ち上がって頭を下げると、アンゼルムはご機嫌で許す。
「この男に帝国や原初領域の種族についての基礎知識が無ければ、予測もできんさ」
アンゼルムは結晶を抓んで光に透かす。
「『魔女を狩る魔女』あるいは『天使』の武器は、魔女を豆腐のように斬り伏すことが可能だ。存在するだけで近くの魔女の力を削ぐ。それを無害な結晶に変える技か・・・。稀有な魔術師だな。召し抱えたい」
「お断りします」
「そうか。残念だが、いずれお前は俺のものになる」
苛立たしい言葉を無視し、起き上がったクロエを立たせる。彼女はぼうっとアンゼルムの方を見ていた。
「誰かがいるのは判るんだ、けど。・・・先生?」
目をこするが、ぼんやりとして眩しい。首から上はほぼ透明だ。
「その髪もいいが、昔の方が俺好みだ。クロエ」
「違っ。陛・・・下っ」
「そのワンピースはパジャマか? だが露出が足りんな。それともこの手で脱がして欲しいのか?」
傍に近寄って、耳元で囁かれてぞくっと身体が反応した。顔が見えないからなおさら次に何をするかわからない。身構えて動けなくなる。
「愛い奴め」
アンゼルムは怯える彼女を腕に閉じ込めた。クロエはひゅっと短く息を飲んだ。目を見開いて固まっている。
「震えておるのか。やはり、俺は怖いか」
彼女を離すと、ほっと息をつく。だから顎を掴んで唇を奪った。皇帝陛下からの寵愛を受け止めきれず、クロエは両手の指を開いて宙を掻いた。
ぺろりと唇を舐められて緊張が極まる。アンゼルムは左手を腰に滑らせて尻を揉んだ。
「んんっ、ぁ」
「こちらを向いて口を開けよ」
嫌がって顔を逸らせば、口の中に指を突っ込んで、力づくで開かせて舌を捻じ込む。噛むわけにはいかず、クロエはアンゼルムの肩に捕まった。
尻を掴む手が、布越しに尻穴を擦る。ちゅくちゅくというキスの厭らしい音に、翔は茫然と見ている事しかできなかった。
クロエの乳首が布越しにも勃っているのが判る。そしてアンゼルムの下半身をクロエは腹に感じた。足が震えて力が抜けそう。
「そうだ。思い出せ。これがお前の夫となる者の味だ」
「・・・やっ。わたしは、まだ・・・せんせ、を、見つけてない・・・」
彼の胸を力の入らない腕で突き放す。暴れるも可愛い抵抗にしかなっておらず、アンゼルムは楽しそうだ。
「この期に及んで、なおも亡き我が兄上に貞操を誓うか。まぁ、そうでなければな。嫌がる女を手籠めにするのは、中々できん楽しい経験だ。抱いてくれという女が多い中、俺を待たせるなど。お前は果報者だぞ? 感謝しろ」
解放されたクロエは涙を零した。両手で顔を覆っても掬い切れずに床に落ちる。股がしっとりと湿っていて、すごく気持ち悪い。
この身体は神父のせいで、触られると素直に応じてしまう。それが堪らなく恥ずかしい。嫌いな男に弄ばれ続けた汚い身体だと思った。
「・・・っ、っ。・・・はぃ。あぃ、がと、ご・・・ざい、ます」
帝国に美しい女性はごまんといるのに、どうしてアンゼルムはこんな傷物の女を欲しがるのだろうと、クロエは泣きながら考えた。離れていた間に何があったか知っている癖に。
警戒して少しだけ後ろに下がると、嫌な予感の通り、アンゼルムが太ももに触れて撫で上げる。
「ひっ、あっ」
「身体は正直だなぁ、クロエ。ほとは俺の種が欲しいと泣いておるわ」
「ぃ・・・ゃっ」
クロエは目を見開いてはくはくと空気を求める。抵抗も小さなかすれ声しか出なかった。足の間で蠢く手に感じる自分が恥ずかしい。
「ほう・・・」
目を強く閉じて先生を想う。幾度となくやって来た空しい行為だ。どんなに祈っても、先生は助けてくれない。
その時、スパンとアンゼルムの腕が下向きにチョップで叩き落とされた。
「嫌がる女性に触れるなど、皇帝のすることではないんじゃないですか? 性犯罪者」
「本当にお前は面白い奴だな。未来の妻に何をしようが、お前には関係ないだろう」
翔はクロエを背に庇う。それすらもアンゼルムにはスパイスにしかならない。
ぬっとりと愛液を纏った手をクロエに見せつけながら舐めた。
「っひ」
即座に顔を逸らして翔の後ろに隠れる。クロエは自分で自分を抱きしめた。
「その女は我が兄上の弟子にして婚約者。だが死んだ兄弟の女を、飢えさせないようにするのも王の務めだとは思わないか?」
「流石は王様。スピーチは上手いですね。破綻していますが」
翔は美琴の家で遊ぶことも少なくなかった。正義感が強い少年がいれば、口の上手い下っ端や、喧嘩っ早い男などに揉まれる。
だからアンゼルムが笑いながらも睨みつけるが、怖いとは思わなかった。
「舌だけはよく回るな。小僧」
ただ、いつ攻撃が来てもクロエを連れて避けられるように身構える。
アンゼルムは腕を組んで顎を摩った。
「まぁいい」
クックックと笑いながら、アンゼルムはソファに座った。
「クロエを信仰の対象とした天使の教会は、既に潰した。だが奴らは形を変え、一企業としてこの国に根を下ろしている。ようやく追い詰めた。この国を奴の死地にしてみせる」
渦巻く程の闘気を見せられて、翔は彼の寒暖差に冷や汗を掻く。
「契約書を破壊する方法をいくつか試す。貰っていくぞ。クロエはこの男と共に街を歩け。それで神父を釣るのだ」
「しかし!」
オーレリアが不満を述べると、アンゼルムは彼女を睨んだ。
「小僧が親族を連れて、クロエと食事に行った日。神父共は慌てふためいておった。アレは今思い出しても笑える。接触するかかなり迷っておったようだ」
クロエも翔も、オーレリアやザックでさえ、そんな存在には気づいていなかった。
「奴は魔術師を量産している。だがその程度の敵は、小僧の力量なら返り討ちにできよう」
「お言葉ですが、俺はそんなに凄い力は持っていない」
「黙れ。師を失った魔術師の言葉ほど信用できないものはない。独学で己が力量も知らぬくせに」
何一つ外れたことがなく、歯を食いしばるしかできなかった。
「では帝国の各種族の王を集めよ。これからの作戦を説明する。小僧、お前は帰っていい。クロエを連れて、な」
「・・・はい」
アンゼルムを殺しそうな憎悪を込めて睨み付けると、彼は心地よさそうにする。
「せいぜい励めよ、クロエ。でなければ、兄上だけではなくそいつにも捨てられてしまうぞ」
俯いたクロエの髪の毛の隙間から、見開かれて涙に埋もれていく瞳が見えた。翔は彼女を引き寄せて抱き締める。
好きな女性をここまで痛めつけるアンゼルムが信じられない。どうしてこんな仕打ちができるのだろう。
ひっくひっくと喉を弾ませながら、クロエは翔の背中を掴む。
「今回のお前は誰も殺していない。負傷者にもちゃんと言い聞かせておく」
「傷・・・ついた人が、いる、の?」
頭を抱えて震える彼女を意にも介さない。
「それと、今から藤間翔はお前の騎士様だ。ご挨拶しろ」
クロエは少し考えた後、彼から離れ床に正座をし、胸で手を重ねて頭を深々と下げた。
「・・・よろしく、お願い、致し、ます」
「顔を上げて、クロエ。俺はそんな」
「では、行っておいで」
クロエは箪笥から小さな猫の金色のチャームがついた、白のボストンバックを出す。
一番下の棚から短パンとスカートとズボンを一枚ずつ。二番目からは長袖と半袖を二枚ずつ。三段目からは柄のはっきりした膝丈のワンピースパジャマ。最上段からはぱんつとブラジャー。ソックスやストッキング、生理用品を移し替えた。
アンゼルムがランジェリー入れを覗き込み、黒いレースパンツを手に取る。
「こちらの方が奴を誘惑するにはいいだろう」
「ほんとやめて下さい!」
ぽかんとしたクロエは少し考え、収納するだけの引き出しを開けて、サンプルで貰ったほぼ紐の水着や、身体にぴったり吸い付くドレスを見せた。
「ドレスは素肌に着るといい」
「そういうのがいい・・・の?」
「あの男は性に薄そうだ。刺激は多いに越したことはない」
クロエは顔を赤くしたが、次第に悲しそうに俯く。
「『それ』を・・・『あなたが』望むの?」
不安気な彼女に、アンゼルムは珍しく少し時間をかけて薄く笑った。
気が変わった彼は、虚空から眼元だけの煌びやかな金の面を掴みだして着用する。左右には赤い房がさがって揺れる。その房に導かれて、クロエは顔を上げた。
ぼやけてほぼ透明にしか見えずにいた彼の顔が、仮面によってある程度見えるようになる。両目部分は影に塗りつぶされているが、猫のように黄金の虹彩だけは輝いている。
クロエの身体から緊張が幾分か抜けた。
太く逞しい手がクロエの下腹部を撫でる。指の腹で子宮の形をなぞっても、逃げようとしない彼女の腰を抱く。今度はてのひら全体で腹を撫で、耳元に口を寄せて愛を囁いた。
「全てを終わらせた後、宣言通りに君を娶り可愛がる。二度と渇くことのないように、二度と寂しくならないように、この薄い腹に俺の子を身籠らせてやろう。たくさん喰わせてやるからもう少し太れよ」
「・・・っ、・・・わたし・・・」
「君は永遠に俺の側にいるのだ。・・・逃がしは、しない」
ポッと首や肩まで熱くなる。下腹部から離れていく手の感触に、僅かな期待をしてしまった。
神父すら触れなかった、ぐらぐらと煮立つお腹の奥。そして、先生すら下さらなかった、満たされた家族の幸せ。何よりも、アンゼルムはあの宣言をした頃と変わっていない。
「・・・ふ、う・・・」
泣いてしまいそうで、自分からアンゼルムの胸に額を当てる。耳元でくくっと笑われた。
「案ずることはない」
クロエはそっと目を閉じた。彼はその首に手を回し、頭を押さえてこめかみにキスをした。
離された彼女は目を開け、仮面を被った彼にはにかむ。
「・・・はい」
二人がどんな関係性か知らない翔は、意地悪されてもそう感じていないクロエに驚くばかりだった。
「話を戻して申し訳ございませんが、陛下。うちは枕営業を禁止しています。たとえ皇帝陛下の命令であろうと、致しかねます」
オーレリアがアンゼルムを睨んで噛み付いた。
「セックスなんてしなくても、神父共をつり上げることは出来るわ。そうよね! 藤間君? ハイと言いなさい」
「言われるまでもありません」
「好きにするがいい。結果さえ残せば、過程は問わん」
バスルームに隠れたクロエは外出着を身につけた。外は寒いのに短いスカート、そして重ね着した薄手のTシャツと緩いコートで戻ってくる。
服とスキンケアでいっぱいになった鞄を引っ張り上げて肩にかけようとした。翔がそれを取り上げる。
「俺が持つよ」
「ありがとう」
入口の横にある靴箱を開けると、色とりどりの靴が入っている。
「えっと、歩きやすいの」
紫色の運動靴を履いて、ミュールをビニールに入れる。翔がそれを受け取って鞄に詰めた。
「後は・・・」
部屋を見回していると、オーレリアが近寄ってきてクロエを抱き締める。
「無事で」
クロエは何も言わずに背に手を回して目を閉じた。
アンゼルムの声かけでようやく離し、サングラスと帽子、そして赤いお守りを渡す。
「お守りよ。肌身離さず持っていなさい」
「ありがとう」
泣きそうになるオーレリアは、自席に戻っていく。
扉を開けた翔の手を取って、二人は出ていった。
アンゼルムは笑いながらドアを見ていた。
「どう、されましたか」
またベロッと指を舐めた。オーレリアはげんなりして、ティッシュ箱から大量に紙を出してその手を拭う。
「そうだな。お前には言っておこうか。クロエの腹に掛けられていた『貞操守護術』が解けておった」
「えっ・・・そんなはずは・・・人間達から奪い返した時も確かにありましたし。それからは完全な隔離をしていたはずだから、そんな・・・」
オーレリアは顔を真っ青にして慌てふためいていた。それをザックが落ち着かせようとする。
「気にせずともよい。恐らくはヴェロニカから融解された際に力が弱まり、何かの拍子で爆ぜたのだろう。お前達にはどうしようもないことだ。あの娘の保護において、全幅の信頼を置いているから安心しろ。そんなことより早く各種族の王を呼べ。無駄話もいい加減にせんか」
慌てて頭を下げたオーレリアとザックは瞬間転移した。
一人になったアンゼルムはソファの背に寄り掛かり、ティッシュで拭かれた手を光にかざす。
深く長い溜息を吐きながら、その手をソファに落とした。
「『ヒトは一年もせずに金庫の開け方を忘却する生き物だ』と言うから、求婚のことなど覚えていないと思っていたが・・・」
300年以上前に、振り払うように別れたのだ。
普段からぽやんとした娘だった。一生懸命に取り組んで、やっと人並みに出来るような。だからこそ実の親は彼女を捨てたのだ。
そんな娘があのような壮絶な苦しみを経験すれば、一年に一度しか会わない義理のおじの言葉など覚えていないだろうと高をくくっていた。
だがあの反応は、覚えているどころか寄る辺にしている節さえある。
「ハハ、あー・・・参った。・・・なんという誤算だ。あのように・・・フフフ。300年と少し、尽力してきた甲斐があるというものだな」
クッションを背とソファの間に挟んで角度を調整する。頬杖をついて珈琲を飲んだ。先程のクロエの反応を思い出しながら味わう。
「・・・ふふふ、俺が嫌いなのではなかったのか? 嘘をついて皇帝を惑わすなどと。仕置きが必要だな」
コートの内ポケットから、伝統的な布組紐飾りで纏められた一房の毛束を取り出す。
影になった場所だけ蒼く色づく銀の髪。それは兄の工房のパーツ保管庫から見つかった。
針金で雑にまとめられていたそれには、『被検体N』というタグが付いていた。
「神父から助けようと挑んだ騎士の殆どが、帝国騎士あるいは雇われ冒険者だったから、流石の鈍感も兄上は当てにできないと気づくか。・・・今考えても、四騎士エーヴェルハルト卿の喪失は痛かったな。だが、彼より先に神父の人となりを聞いていたならば、俺もいてもたってもいられずに助けに行ったかもしれん。アレも純粋で鈍いクロエを可愛がっていたからな」
あの日謁見の間で触れた時には既に切り落とされていた髪だが、これを見ると思い出す。
いつか必ず妻とすることを宣言した時、彼女が僅かに見せた苦悩。そしてシガラミの存在。
「クロエが抱いてくれた深い愛情を含め、全てを絶ったのは兄上の方だ。『死人に口なし』。・・・貴方が大切にすべきだった、その全てを奪ってやろう。業への報いを受けよ、痴れ者が」
アンゼルムは自らの資質を大いに利用し、第一王子から王位を奪った。だが、それではまだ足りない。
ようやくクロエを直接救う手はずが整った。彼女の身も心も手中に収め、その名前が『被検体N』ではないことを突きつけてやらねばならない。




