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04-1血塗れの天使

 今にも雨あるいは雪が降ってきそうな灰色の空。空気は冷たく、呼吸する度に鼻が奥まで痛んだ。

 いずれ始まる就職活動の為に買ったばかりのスーツと、使い古したマフラーとコートを羽織っていた。

 気が重い。また来るとは思わなかった。美琴が張り切って選んだスーツに、始めに袖を通した理由が謝罪のためとは。この青いネクタイも美琴の祖父にいただいたものだ。

「情けないなぁ・・・」

 息が漏れると、口元だけが湿り温かくなる。

 翔は『LostPrincess』と書かれた門の前で立ち尽くしていた。手には心ばかりのお詫びの品。お菓子で機嫌が取り繕える筈もないが、ないよりかはマシだ。

 あの思春期真っただ中の双子に、始めから誠意やタガなんて期待する方が愚かだった。

 今回は相手が悪い。それこそ比類のないくらい。

 ほぼヌードの写真で、青年向け雑誌の特集が何ページも組まれるような人だからと言って、セクハラをしていいことにはならない。

 アレはちょっと凄かった。美琴が父親の部下に借りたソレを見せてきたけど、鼻の粘膜は弱くない筈なのに鼻血が出てしまったくらいだ。

「はぁ、・・・オーレリアさんにも誠心誠意謝らないと」

 鬱々としてキノコが生えてきそうにじめじめしていたが、パンッと両頬を自分で張る。

 双子の両親からはまだ電話もメールも返信がない。だからといって悠長に待つことは出来ない。後回しにしては、先方の苛立ちは募るばかり。警察に通報されていないだけでも、有難いことなのだ。

 翔は自分を奮起させる。大丈夫。プライドなんて元からないし、そんなものより相手の心の傷を癒すために奔走すべきだ。

 理由は思いつかないが、本能があの子を護れと急かす。

 この使命感はどこから来るのだろう。何度考えても、美琴の言う『恋』とは思えない。

「謝罪と誠意を示して、オーレリアさんとクロエ・・・いいや、関係者全員に安心して貰わないと。行くぞ」

 意気込むために独り言をぶつぶつ呟いていると、知らない男性がそろりと近づいてきた。

「貴様、オーレリアの知り合いか」

「え、あ。はい、今から面会を」

 透けるような金色の瞳は、太陽の黄金に似て輝いている。そして混沌とした闇よりも深い黒髪が不安を添え、傲慢な笑みは翔を本能的に警戒させた。

「丁度よかった。そこの愚か者がアポイントリストに載っていない者は入れられぬなどと申すものだから、破壊して入ってやろうかと思っていた。流石に騒ぎは起こしたくない。あれでいてクロエは怖がりだからな」

「あ、クロエとお知り合いなんですね」

 呼び捨て呼びに、彼はピクリと反応を見せた気がした。苛立ちではなさそうだが。

 そうこうしている内に、守衛が二人の姿を見つけて駆けて来る。

「またアンタかい! っと、クロエちゃんの彼氏くん」

「彼氏じゃないです!」

 やめてくれ。このクロエのファンみたいな男を前にしてそんなことを言ったら、変に火がついてしまうかもしれないじゃないか。

 慌てて訂正すると、金の瞳をぎらつかせた男が首に腕を引っかける。ほら言わんこっちゃない。翔は泣きたくて逃げたくてたまらなかった。

「よもやクロエに彼氏ができていたとは思わなんだ」

「違います。彼氏じゃないです。ただの友達です。あの、そろそろ約束の時間なんで」

「待て。お前に言付けを頼もう」

 翔を離した彼は、金の紋章がど真ん中に印字された名刺を胸ポケットから取り出す。

 上から下までいい服装をしている男だ。もしかしたらブランド品かもしれないが、どこの何とは全くわからない上品な装いである。身長もあって、鍛えてもいるようだ。

 若い身空で立ち上げた企業を上場させたやり手のような、デキる大人のオトコとはこういうものなのかもしれない。

 名刺の裏に電話番号だけを記入し、翔に渡した。

「では、行け」

 どこまでも尊大な彼に、とりあえず受け取って会釈だけする。そして警備員に連れられて門の内側に案内されて行った。

「・・・友達なぁ。ククク、面白い冗談だ」

 ようやく目的が達成できた男は、ビルに背を向けて街へとくりだした。



 警備から翔を社内に通したとの連絡があり、オーレリアは急ぎ足で玄関に向かう。

 彼は重客だ。これ以上双子が干渉しないように、頼まなければならないという意味で。

 翔が悪いわけではないことは重々承知しているが、クロエは変態をひきつけやすい。

 エレベーターから降りると、エントランスのソファに座っていた翔が慌てて立ち上がった。健気にも詫びの品まで持った彼は、その場に膝をつこうとするものだから、手のひらを見せて制止させる。

「待って。エントランスでの土下座はやめて」

「すみません」

 彼の首に関係者の名札をかけると、まるで売られて行く仔牛のよう。

 エレベーターで最上階の所長室に到着し、ソファに座らされる。二面が硝子で街がパノラマの素晴らしい景色だが、翔の目に入るはずもない。

 ふかふかのクリムゾンレッドの絨毯にはシミ一つなく、事務机は細部まで装飾が凝られた木造り。隣には金の刺繍がされた大きな旗が立っている。コート掛けハンガーにはローブと大きな帽子がかかっていた。

 金刺繍の旗を応接室に飾るとは、まるでどこかの行政の長の部屋みたいだ。

「珈琲でいいかしら?」

「はい」

 もてなされると居心地は悪くなるばかり。3人掛けソファにかける高身長の翔は、ちょこんとしたリスくらい小さく見えた。

 翔はソファから降りて、机の隣で土下座をする。

「この度は大変申し訳ございませんでした」

 胸を持ち上げるように腕組みをする向かいのオーレリアは、翔の後頭部に溜息をつく。

 ここで彼を糾弾し遠ざけてしまえば、クロエの友達はまたゼロになる。それはあまりよろしくない。

「頭を上げて、ソファにかけて下さい」

 友達という存在のお陰で、彼女の表情が柔らかくなったと、関係者に好意的に評価されている。だからからこそ、全てを追い払うことが正しいのか判断つかない。

「命を救っていただいたことは感謝しています。しかし・・・、いえ、まずは内容を見て」

 クロエのスマホを翔に渡すと、メッセージを見るように促す。彼の反応次第でこの先を決めることにした。

 双子とのメールは、始めこそただの撮影の裏話だった。他のタレントの話も多く、クロエも楽し気である。

 しかしだんだん過激になっていき、性行為やAV、生理の事まで。奴らはセクシャルハラスメントを越えた話題を振っていた。通報されていないのが奇跡だ。

「アイツらっ、何やってっ!」

 わなわなと怒りが爆発する。行為の経験回数や内容を聞いたりし、これまたクロエが頑張って真摯にそれに応えている。そしてまた増長していく。

 こんなことで処女だと知ることになるとは。それにオナニーの回数まで。

「クロエはスマホを持つことをしばらく放棄したわ」

 翔は二人のメールアドレスを選択し、着信拒否リストに入れ、オーレリアに返却した。

「これで双子からの干渉はできません。アイツらには俺から言って聞かせます。親にも伝え、しっかり叱って貰います。二度と煩わせませんので、ご安心ください」

「よろしくお願いします。・・・しかし佳奈という子はきちんと教育されていらっしゃって、クロエにいい影響を及ぼしています。あの子、最近珈琲を煎れてくれるんですよ。飲めたものではないのですが、皆でおいしい煎れ方のレクチャーをしてあげたりします」

 オーレリアは組んでいた足を下ろして、窓の方を見た。遠い目で過去を懐かしむ。

「・・・諦めていたあの子が、意識して優しく笑うように・・・なりました。諸事情あって、クロエは勘違いされやすい。だからスタッフに好かれることは、本当にいい傾向なの。彼女にはぜひクロエと友達のままでいて欲しい」

 スマホを返しながら翔はほっとした。身内の恥に怒り心頭だったが、まだ良心がいた。

「後日、本人と親から正式に謝罪を」

「結構です」

 ぴしゃりとオーレリアが吠え、翔はどきりとした。

「クロエをその二人に会わせたくないの。ごめんなさい。これは私の我儘よ。だから、私は貴方に肉体労働をして頂き、この件を終わらせたいと思っております」

「願ってもないです。得意ですから。是非、こき使ってください」

 オーレリアは観葉植物の横に立てかけていたビーチパラソルを翔に持たせる。

「今の時期に海、ですか」

「ええ、それでもまだ早くはあるけれど、写真が夏に本になるまでには、それなりに時間がかかるものなの。でもあなたは海に行くわけじゃないわよ」

 にったりと笑う女所長にぞわっと寒気がした。

「まずは地下の倉庫を片付けて貰おうかなって思ってね。かなり散らかっているの」

 ひろぉいひろぉい倉庫をと付け加えられ、彼女がかなり怒っていることを思い知らされる。いや、あまりに穏やかに終わったから忘れていたが、怒鳴られなかったこと自体に驚かないと。

 ぞっとするような加虐的な笑顔だったが、それはしょうがないこと。翔は役に立てるよう粉骨砕身頑張ろうと気合を入れた。

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