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01ー1魔女を狩る魔女

 どうやら私は、育ての父母を同時に失ったらしい。しかし全く実感はなかった。

 これまでもそう言いながら、天候が悪化した雪山から五体満足で自力で帰って来たし、人違いだったこともあったから。

 血の気を引かせるには、まだ早すぎる。

 広くて長い紫絨毯の廊下に点々と小さめのシャンデリアが並んでいる。左右には美術品の如く若いフルプレートの騎士達が立っており、窓から見える城壁の更に外には石造りの家が並んでいる。

 美しい光景だ。かつて目を奪われたこともあった。

 しかし国の成り立ちを想えば、それは正しいのか口を噤ませてしまう。

 全て、この帝国が侵略で殺し、奪った血塗られた住民や文化である。

 少女の前をせかせかと歩くのは、王宮で味方の少ない彼女によくしてくれている貴族である。

 彼が火急の用として、養父母が死んだことと、その弟が呼んでいることを知らせに来てくれた。

 突き当りの大きな扉には、純金でドラゴンスカルの紋章が描かれている。

「最後尾ではあるが私もいるから、気を強く持ちなさい」

「はい。ジリューシュ様」

 部屋の中で来訪者の名乗りが上がる。二人は並んで頭を下げる。少女はフードを被ったまま、スカートを広げて腰を深く落とした。

 ギイとも悲鳴を上げずに、するすると扉が開いていった。

「面を上げよ」

 そうそうたる面々が、王への道を開けて左右に立っていた。

 左には煌びやかな宝石や服飾の、少し腹の出たおじ様たち。右には謁見の間であろうと必要最低限にも武装する、筋骨隆々の男達。

 帝国を支える武官と文官たちだ。

 ジリューシュは文官たちの最後に並んだ。

 睨んでくる大人達に竦む足を奮い立たせ、少女は前を見据える。

 ゆっくりと王に至る道を登る。ヒールのないペタンコ靴のせいで、絨毯が足音を飲み込み、武官たちが暗殺を警戒する。

 こそこそと文官貴族たちから悪口が聞こえる。しかし武官達はよく統率されていて静かだ。

 視界が開ける。三階段の上に4つの椅子が置いてあった。

 尊き方より左上右下さじょううげである東洋と違い、西洋式は右が上座となる。つまりは右から王、王妃、第一王子、第二王子の椅子だ。

 少女はローブの紐を解く。両膝を突いてそれを床に広げ、その上に小さな杖と手作りの魔導書を並べて武装解除した。

「よくぞ参った」

 王でもないのに王の椅子に座る第二王子は、気難しそうに睨んでいる。

 髪は奈落の底よりも深く黒く、反対に瞳は太陽に似た黄金、あるいは刈り入れ時の稲のような色をしている。

 神々しいまでの輝きと、敵を残忍に嬲る戦い方もあり、血の気の多い民には讃えられている。

 耳には血のように赤い房のピアスが下がっていて、胸まであるストレートの髪を表が銀、裏が青のリボンで結び、左肩から前に垂らしていた。

 彼の後ろには『四騎士』と呼ばれる、帝国最強の騎士の内2人が控えていた。

 燃える炎のように赤い髪の騎士長。この部屋のどの騎士より矮躯な騎士。残りの二人はこの第二王子の命により、国外の仕事に従事しており滅多に帝国に戻らない。

 無論、事実上の最強は、王座にいる第二王子を除いて他はない。

 少女は胸の前で手を重ねて前のめりに礼をする。すると彼女の豊かな銀の髪がさらりと床を撫でた。

 きらきらふかふかの新雪に、蒼い影が降りた噂の姫君。第一王子が境の山で拾い娘とした、この国唯一の人間である。

「楽にしてよい」

 少女は顔を上げ、瞼を開くと、薄桃色の瞳が現れた。人間に稀に生まれるアルビノ。数奇な運命をたどり続ける彼女は、それを扱いあぐねていた。

「第一王子の養女クロエと申します。第二王子アンゼルム様のお呼び出しに従い、参上いたしました」

 アンゼルムの眼元と頬が僅かに緩んだ。

「呼んだのは他でもない。お前の養父であり、師でもある我が兄上が死んだことについてだ」

「殿下。私は師の娘であると同時に『婚約者』でもあります。そこをお忘れなきよう、お願いいたします」

 上席者の定めた立場の欠陥に異を唱えると、やはり貴族たちがざわつき始める。

「っふふ。今はまだ、だ」

「・・・それはどういうことでしょう」

 ばちばちと言わんばかりに睨み合う二人。

「殿下。そもそもあの師が死ぬこと自体が眉唾物とは思われませぬか?」

「私も兄上が素直に死んでくれるとは思っていない。だが落ちたのが、奈落だの冥界だの異界に繋がっているという噂の『リッターオルデンの滝』だ。しかも先の台風で濁り、木が根こそぎ流されている状態で」

 クロエの心臓が跳ね上がる。呼吸を整えようと目を見開く。第二王子に弱みは見せられない。

「確認させてください。それは奥様もご一緒だったのでしょうか?」

 アンゼルムに聞いたのだが、それより先に小太りで小心者の大臣が、豚のような悲鳴を上げた。

「は、はい。私がこの目で見ました。リッターオルデンの滝で妃殿下とお話をされているのを。先日の大雨で増水しておりまして、上流から倒木が。避けようと足を滑らせた妃殿下を追うように、お二人は抱き合いながら濁流にっ。くっ、私がお声をかけておればこんなことには」

 彼女はその言い分が許せなかった。だから、顔を振り上げて王子様を睨みつけた。すると彼は楽しそうに口角を上げる。

「ありえません。お二方はとても賢い方。そんな危険な場所に自ら近寄りません。きっと何か思惑があられたのでしょう。私はあの滝壺の向こう側で、生きていらっしゃると推測いたします。あなたもお分かりの筈です、アンゼルム様。私の師は、あなたの兄上なのですから」

 この少女が声を張り上げるところはなかなか見られない。いつも意地悪なアンゼルムから逃げようとする彼女が、憤ったメスライオンの如く唸っている。

 貴族達ももはや口を挟む度胸はなかった。

 彼女が実験動物として採集され、帝国に連れてこられた幼少より、アンゼルムも顔見知りである。制限付きだが二人で出かけることもあり、かねてより彼女が腹に獣を飼っていることを知っている。

 その顔が見たいだけのために、彼女に意地悪することすらあった。怒った顔がかわいいというやつであるが、少女にはたまったものではない。だから、あまりいい印象を持たれていない。

「お前の気持ちは分かった。では逃げたあるいは自害したその理由に、父に兄上が毒を盛った嫌疑を挙げよう。証拠がたんまりあるのだが、それも否定するか? この毒が誰になら生成可能なのか、お前ならわかるだろう?」

「・・・あれは、確かに・・・あのような絶妙な調合は・・・しかしっ」

 日頃あまり酷使しない少女の声帯が僅かに掠れていた。唇の色素は明るく、まるでチェリーのようにぷりぷりしている。

「お前はまた、兄上が追い詰められていたことも知っておろう?」

「無理心中ではないだろうかと、私には見えました」

 貴族が念を押した。

 それでもやはり自分から死ぬはずはないのだ。あの人が危ない事をする時は、決まって何かを成し遂げたい時。

 しかし反論するには、その証拠や根拠がない。

 ぽたりと汗が床に落ちると、文官貴族から床を汚したと罵倒される。一人ではなく何人もが声を上げて、傍で振りかぶられた腕の影がサッと少女を襲った。

 気丈に振る舞っていても、16歳の少女である。

 幼い経験から怒鳴り声と拳が苦手で、思わず髪を掴んで引き寄せ、耳を覆い怯えた。生みの親から受けた仕打ちが、フラッシュバックしてしまう。

 髪を掴んで引きずり回して、売るために根元から切ってしまう実母。野生動物をおびき寄せて狩る為に、夜通し彼女を木に吊るしてしまう実父。気持ち悪い髪と目の色だからと、ゾンビに見立てて石を投げ木の棒でぶつ村の子供達。

「・・・っ、っ」

 ぐわんぐわんと頭が痛い。息がリズムよくできない。手が痺れてくる。

「やめないか」

 王子が上段から降りて、ふらつく彼女を抱き上げた。

 彼女の育ての母がしていたように、背中を撫でて体温を知らせる。そこは冷たい記憶の中であり、温かい現実はこちらなのだと引き寄せた。

 般若顔の貴族に囲まれているのに、飛びぬけて大きな山に抱き上げられて視界が明るく広くなる。きらきらのシャンデリアに届きそうな錯覚さえした。

 彼女の冷えた頬を自らの胸に宛てさせて、アンゼルムは子をあやすように揺らす。

「アンゼルム様。そういうのはいささか・・・」

「彼女は兄上の養女。つまりは可愛い姪だ。今はな。異論はなかろう?」

 段々と自分の置かれた状況に気付いた娘は、顔を真っ赤にして隠した。

「おろし、降ろして、あんぜっ」

「魅力的なお誘いだ、クロエ。だが」

「あっ、ええっと。お、お見苦しい所を、お見せして、し、失礼を、致しました。もう、大丈夫だから。いえ、大丈夫ですので。お、下ろしてください、まし。アンゼルム様」

「いいだろう」

 元居た場所に下ろされて、へなへなと尻もちをつく。

 彼は壇上に上がり、王の椅子に座る。

「聞け、お前達。皇帝一族がひとり、第一王子の娘クロエも証言し証明した」

 少女の目が潤んでぽろぽろと涙が落ちる。養父の汚名を晴らすどころか、彼にしかできないことを証明することしかできない。

 それでも、渾身の目力でアンゼルムを睨みつけた。ぞくぞくするほど愛らしく、嬉しいのを彼は無表情の裏に隠す。

「決裁権者第一位の我が父、ゲレオン皇帝陛下が毒で倒れて動けない。帝位継承権第一位の兄上は執務が履行できない故、一時的に死亡としよう。よって、今日にでも俺が皇帝に即位する」

 うおおおと文官も武官も諸手を挙げて喜ぶ。

 クロエにはまるで第一王子の死を喜んでいるように見えた。

 目を閉じて項垂れる彼女の前に、アンゼルムが下りて来る。

「顔を上げよ、クロエ」

「・・・はい」

 涙に濡れてゆらゆらと揺れる薄桃色の瞳が、アンゼルムの胸を鷲掴む。この愛らしい表情に見つめられるのは、彼女を打ち負かす醍醐味の一つだ。

「君を私の妻とする」

「・・・え」

 頭が真っ白になる。妻ってなんだっけ。

 お祭り騒ぎだった周りもしんとして、文官は怒り出し、武官は笑いながら冷やかす。

「私は、わたくしは、師の婚約者、です、よ?」

「そうだ。第一王子の正妻公認の『見せかけの婚約者』。兄上が本当に君に手を出す気なら、腹にこんな大事の魔術は仕込まない」

 臍を下から上に指で撫で上げる。あまりに力強いから、肉があまりないクロエには少し痛い。

「薄いな。もう少し喰え」

 床のくすんだ赤いローブを見て、クロエはあることに気づく。

「・・・そんな」

 この国は二階層の派閥がある、一つは腕に覚えのある精鋭揃いの皇帝派閥と、薄氷に立つ貴族派閥。そして二つ目の層は、第一王子派閥と第二王子派閥。

「まさか」

 材料採集の時にどこにいるか判りやすいからと、与えられた赤いマント。

 赤とは第二王子アンゼルム派閥を差す。なぜ先生は第一王子派閥の蒼いマントを与えなかったのか。

 ドラゴンスカルの帝国紋まで、金糸で織り込まれた意味があったとしたら。

「・・・先生公認って、こと?」

 ではどうしていなくなったのだろう。養父は事あるごとに『皇帝になりたくない』と言っていた。彼を消して得られる地位に意味などない。ただ正面から要求すればよかったのだ。

 意地悪な第二王子に撫でられて思考を邪魔される。手を祓うと、貴族たちがまた批判を上げた。

「我が師は、ただ森で目立つようにと下さっただけ。だからこの赤は貴方の者ではないの。私はあなたには従いません」

「蒼の方が森では目立つと思うが」

「それは今が紅葉の時期だからです! 通常時の森は緑ですから!」

 煩く反応したのは大臣達だった。

「なんという傲慢な女め。アンゼルム様、首を刎ねてしまいなさい」

「そもそもアンゼルム様の赤をそこまで汚して破いて伏せておきながら、それを纏いのうのうと登城するとは。恥を知れ」

 怒りが勝り、いつもならば怖くて耳を塞ぐはずの彼らの誹りを、物ともしない少女の強い瞳。

 彼女がする表情の中で、アンゼルムが最も好ましく思っている瞳である。だがそれを口にも態度にも出すわけにはいかない。

「・・・よかろう。考える時間を与える。お前達もこの者に手を出すな」

 少女は土下座をして、杖と魔導書を帯に挟む。立ち上がってローブを纏った。

 去ろうとする彼女の肩をアンゼルムが掴み、振り向き返す。

 驚きすぎて脳が理解を拒み、少女には凄くスローモーションに感じた。

 腰を抱き寄せられ、唇を奪われる。まつげも長くきめの細かい美しい彼の顔が間近にある。それをぼんやりと見ている事しかできなかった。

 この人が何を考えているかわからない。

 恐らく先生はこの男から逃げ切ったのだと思う。

 そうでなければ、きっとこの男は己が手で殺る。つまり第一王子を殺した手で、今はその養女を抱きしめている。そんな可能性の一つとして、こいつは敵なのだ。

 王子の目は閉じているが、少女は薄く開いている。胸が苦しい。腰を抱く彼の手は優しくて、まるで何もなかった頃みたい。

 クロエにとって、彼は意地悪なおじうえ。出会ってからは欠かさず、誕生日ごとに大量の薔薇を送ってくれた。そして朝からいろんなところに連れて行ってくれて、研究室の虫になりがちだったクロエの知見を広めてくれたのだ。

 知らなかった。

 そんなつもりだったのなら、誕生日の朝に貰う108本の薔薇は、園で採れた最大本数などではなく『プロポーズ』。そして二人でするお出かけは『デート』だったことになる。

 王子に唇を解放されて、後ろに下がろうとして抱き留められる。顔が熱い。

 戦では『血塗れ殲滅龍』とも呼ばれる数百年の時を生きる男が、人間の小娘相手に自己満足の求婚と逢瀬を重ねていたなんて。きっと誰も信じられないだろう。

「・・・わたし」

 でも彼の妻になることだけは許されない。

 今こそが、先生へ恩を返すチャンスなのだ。

「お前は必ず俺の元に戻ってくる。必ずな」

 王子は耳元で穏やかに囁いて、クロエを自由にする。足がよろめいてふらふらした。

 少女は泣きそうだった。本当にこの人はいつもいつも突然で、大勢の前でこんなことして。

 本当に大嫌い。嫌いよ。

「・・・私は、師のもの、です」

「ああ。今は、まだな」

 にまにまと馬鹿にしたような笑みが腹立たしく、無礼を承知で少女は背を向ける。ローブが小気味よくバササと音を立てた。

「よろしいのですか?」

「いや、あのような反抗するおなごでなくとも」

「私の娘の方が」

 それぞれに都合のいい女を宛がおうとされ、四騎士に彼らを下がらせた。


 使用人だけになった部屋で、アンゼルムは王座の向こう側の大きな壁に近づく。手で触れると、壁に白い石造りの城壁が写った。

 番人に門を開けて貰っている暗い朱色のローブが見えた。

 にこにこ笑いながら感謝を述べる彼女に、王子は手を伸ばし握りしめる。彼女の姿はその拳から逃れて行った。

「・・・いつか、必ず。君を」

 握り拳をもう片方の手で更に覆う。

 この手の内に戻るころには、きっと彼女は心も身体も満身創痍。たくさんの試練に打ちのめされてボロボロだろう。

 そんな目に遭わせたくないけれど、やはり彼女は予想通り行ってしまった。

 彼女が引き留められるに値する、時間と思い出が足りなかった。拾って育ててきた兄には敵わない。

 一年に一度だけは合わせてやると約束した兄は正しかったのだ。その程度で、彼女の執着を得られるはずがない。兄は難し気なその顔の下で嗤っていたことだろう。

 歯を食いしばりながらも自分を律し、無感情の仮面を被って、彼女がこの国を離れる姿をただ眺めた。

「・・・恨むぞ。兄上」

 君が俺達を諫めてくれたから、他国への侵略作戦は鏖殺から占領、そして自治を認めるようになった。

 国民は増え、文化は発展し、経済レベルが押し上げられたのだ。

 だから、君に笑われないように、怒られないように。君が帰ってくる頃には、もっといい国にしておく。

 せめて心だけは壊してくれるな。命だけは失わないように。

 いつか必ず、迎えに行く。いつか、必ず。

 我が白薔薇の姫よ。必ずだ。

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