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神が隠した現しおみ  作者: 夏野
最終話 黄昏ノ空蝉
35/38

 うたが持つ霊視の能力は、もともとの素質ではない。十二年前、行方不明になり帰ってきた後で、身についた能力だ。

 仁助がうたのために行方不明になった事件を調べていたように、宿禰もまた、なぜ霊視の能力が身についてしまったのかを、独自に調べていた。

 深萩神社に眠る様々な書物を読んでも、途中で霊視の能力に目覚めたという現象については、何もなかった。そもそも超自然現象というのは、型にはまらない現象なのだから、調べてわかるくらいなら、うたは苦労をしなかっただろう。

 宿禰も(あきら)めかけていた、そのときだった。

 うたがはじめて、知人以外の霊を見たのだ。確証はなかったが、うたは織本といたときに、霊視の能力が高まったのではないかと考えた。なぜそう思ったのかと問われれば、織本のうたに対する態度に釈然としないものがあって、うたではなく、他の誰かを見ているように感じられたからだ。

 そこで宿禰は仮説を立てた。

 もしかしたら、うたの中には別の誰かがいるのかもしれない。生者でなければ、もちろん目には見えない魂である。

 霊に憑依(ひょうい)されるというのは(たま)に聞く話だが、仮説が正しかったとして、その何者かの存在は、憑依という表現が合わないような気がした。

 ならばどういうことかと、宿禰はもう一度、書物を調べ始めた。

 そこで見つけたのが、空蝉(うつせみ)の術である。

「空蝉は、鷹取(たかとり)家の者が使っていたとされる術です」

「鷹取家……」

 仁助にはその名に聞き覚えがなかった。

「かの関ケ原の合戦で武勲(ぶくん)を立て、大名になった家です。古来は呪術者の家であったとか。しかし五代将軍様の代に、謀反(むほん)の疑いがあるとして、改易(かいえき)にされています」

 改易、つまりお家とり潰しのことである。

「須磨は、鷹取家の末裔(まつえい)なのか……」

「鷹取家の家紋は、三つ巴……私にわかることはそこまでです」

「どこかで見たような……」

 いつだったか、黒羽織の背中に、その紋を見たことがあった。

(あ……!)

 三つ巴は、兵馬の……西崎家の家紋である。


 平素は足の速い仁助だが、薄雲一座に向かう足取りは、どことなく重かった。

 うたのこともだが、もしや鷹取家の末裔は須磨だけではなく、兵馬もそうではないのか。許婚(いいなずけ)とされているが、別の関係にあるのではないか。うたを攫い、空蝉の術をかけた目的も、織本との関係も、謎である。

 わからない……わからないけれど……

(とてつもなく、嫌な予感がする……)

 事件の捜査のときは良くても、このときばかりは自分の勘が当たってくれるなと、仁助は必死に念じていた。

 薄雲一座の芝居小屋にたどり着くも、人の(にぎ)わいがないのは……

「ただいま休演中……次回公演は……」

 小屋の入り口は閉じられ、代わりにいつ子が読み上げた紙が貼ってあった。

「裏に行くぞ」

 伝吉も兎之介も、いつ子も環游も、うたに会いたい一心で、気持ちは(はや)っている。だが仁助だけは、自身の勘に(さいな)まれて、機敏に動けないでいた。

 裏に回ると、一座の人間のみ使用しているのであろう、出入り口が確認できた。伝吉が手をかけると難なく開いたので、皆が様子を見ながら中に入る。

 中はしんと静まり返っていた。小道具やらが所々に置いてあり、雑然とはしているが、音は聞こえない……と思っていたら、誰かの足音が聞こえた。仁助たちの前に姿を現したのは……

「「「うた!」」」

「うーちゃん!」

「嬢ちゃん!」

 皆が安堵(あんど)の息を吐いたのは、ぱっと見た限りでは、うたは怪我(けが)をしている様子もなく、顔色も良かったからである。

 兎之介といつ子は泣きそうになりながら、うたに駆け寄った。

「よかった、無事で……早くかえ……」

 兎之介がつかもうとした手を、うたは避けた。しかもうたは、(おび)えた表情で後退(あとじさ)る。

「貴方たちは、誰ですか……?」

 一瞬で、その場に緊張が走った。

 声も姿も、うたそのものなのに、彼女の言葉を誰も信じられないでいる。

「うた、何言って……」

「私はうたではありません……!」

 とうとう逃げ出してしまったうたを、呆然(ぼうぜん)と立ち尽くす兎之介たちに代わって追いかけたのは、仁助だった。

「うた!」

 また離れてしまう前に、うたに手を伸ばす。しかし仁助はうたに触れられなかった。

 うたを(かば)うように前に現れた人物がいたからだ。

「八丁堀の旦那が、何の用ですかい?」

「お前……」

 若い男だった。化粧映えもするであろう顔には、美しさがある。

「一応、薄雲一座の座長の月臣(つきおみ)だけど……」

「俺たちはあの娘に用がある。……うたは、どうしてここにいるんだ」

「残念ながら、あの子はうたって名前じゃありませんよ。お(よう)って子で……人違いじゃありませんか」

「てめぇ!旦那の前で嘘を吐くとは、いい度胸だぜ」

「嘘なんか吐いてませんよ。俺たちと一緒に旅をしてきた、一座の娘なんで。それに、さっきお蓉がうたじゃないって、言ってたじゃありませんか」

 月臣に怪しい様子は見られなかったが、彼は役者だ。人を(だま)すくらいお手のものだろう。

 だが、うたが否定したのも事実である。

 仁助たちはなす(すべ)なく、小屋を後にした。


「あの人たちは……?」

 次回公演に向けて一座は準備していたのだが、この日は月臣とお蓉を除いて、皆は出払っている。

 突然の来客に、お蓉は困惑していた。

「江戸のお役人たちだ。行方不明になった娘を探しているようで、お前さんがその娘に似ていたから、勘違いしたんだとよ」

「……私は本当に、お蓉なんですか?」

 彼女は記憶が欠落していた。

 目覚めたら一座にいて、月臣からは自分が一座の一員で、お蓉という娘だと教えられた。しかし本人は、何も思い出せないままなのだ。

「そうだよ。ゆっくり思い出してくれればいい。ま、今は記憶よりも科白(せりふ)を覚えてほしいな」

「科白?」

「次の公演で、お蓉には巫女の役になってもらう」

「私、できません……」

 記憶をなくす前はいざ知らず、記憶がない今、とても芝居にでることなどできないと、お蓉は固辞するが……

「大丈夫。科白は呪文だけだから。……とっておきのね」


「どうなってやがる……!」

 兎之介の怒りは収まらなかった。

 アワノウタをうたう巫女、それが薄雲一座の次回公演の演目であった。

 深萩神社の儀式で神子を務めたうたは、儀式の最中、アワノウタをうたっている。当初、アワノウタは儀式でうたうと定められてはいなかったのだが、うたの機転によって、うたったという経緯がある。つまり、五十年に一度催される儀式の中で、昨年に神子を務めたうたの代の儀式を知らなければ、アワノウタをうたう巫女という発想は、得られるものではないのだ。

 しかし、うたに関係があると一座に踏み込めば、うたそっくりの娘が、自分はうたではないと否定した。

「あれはうただ」

 仁助はそう断言した。本物のうたを見分けられないほど、生半可な気持ちでうたを好いてはいないという自信と直感である。

「あいつら、記憶がねぇうたを騙してるんですよ」

「せっかく見つかったのに……」

 伝吉も怒り、環游は嘆くように言った。

「でも、どうして記憶がないの……?」

 痴呆になった、あるいは頭を強く打ったときに、記憶損失になってしまうことがあるが、前者では絶対にあり得なければ、頭部を怪我しているようにも見えなかった。

「うーちゃん、何も悪いことなんかしてないのに……」

 (かたく)なだった両親が、仁助との縁組を許してくれた。仁助との未来が、決まっていたのに……


 様々な想いが交差してから五日後、変化という変化は現れなかった。

 (ちまた)を騒がす盗賊も捕まらなければ、といっても、盗賊は海野家の屋敷に現れてから、どこにも出没している形跡もなく、うたは記憶を失くしたまま、一座で働いている。

「一座の連中は口を(そろ)えたように、うたをお蓉と言い張ってやがる。肝心のうたには記憶がねぇし……まあ、三食寝るところもあって、(ひど)い仕打ちを受けているわけでもねぇようですし、いつ子と環游も見張ってるんで、大丈夫だとは思いますが……」

 いつ子と環游の二人は、薄雲一座に下働きとして潜入していたのである。はじめにうたを訪ねに来た手前、断られると思ったが、月臣は一つ返事で承諾していた。

「そうか」

「…………」

 伝吉はそれ以上を言うのをやめた。

 淡白な仁助の返事は、彼の心情を表しているわけではない。無力さを噛みしめて、やっと出会ったのは、記憶の失った愛しい人だった。

 冷静さを努めてはいるが、本音は計り知れない。

 うたに空蝉の術を使ったのは須磨で、織本も噛んでいる。うたは空蝉によって何者かを隠され、その所為(せい)で霊視の能力が目覚めてしまった。神隠しなどに合わなければ、両親に(うと)まれることはなかった。

 この理不尽な仕打ちに、(いきどお)りを覚えてならない。

 もしもこのまま、記憶が戻らなければ……あるいは、何者かにとって代わられてしまったならば……

 うたがうたでなくなることが、何よりも恐ろしい。


「何であいつらを雇ったんだ!」

 舞台裏では、月臣の弟、影臣(かげおみ)の声が響いていた。怒声を浴びせられているのは、月臣である。

 顔立ちが良く似ている二人であった。

「人手は多い方がいいだろ」

「兄貴は俺たちのことがばれても……」

 そこまで言って、影臣がある視線に気づいた。振り返れば、物陰から様子を(うかが)っているうたと視線が合った。

 うたはびくりとして、視線を下に落とす。

「お前の所為で、とんだ厄介だ!」

 今度はうたに向けて悪態をついた影臣は、苛々(いらいら)しながらその場を去っていった。

 月臣は苦笑いを浮かべて、うたに近づき、安心させるように優しく肩に触れる。

「あいつ、最近気が立ってるんだ」

「……影臣さんは前から、私のことが嫌いだったんですか?」

「そんなことないよ。今だって、お蓉のことを嫌っているわけじゃない」

 影臣のことは、何一つ覚えていない。彼は、忘れられたことが気に食わないのではないかと考えるも、記憶が思い出せないのだから、どうしようもなかった。

「あの、今日は何日ですか?」

「二十一日だけど……」

「急がないと……」

 お蓉は思い出して、月臣に頭を下げたあとで、小道具が置いてある場所から折り紙を拝借して、自身が起居している部屋に向かった。

 その後は一心不乱に、折り鶴を作る。

 なぜ二十一日に折り鶴を作るのか、お蓉にはわからない。作り方は覚えているのに、目的が思い出せないまま、誰かのために祈りを込めていた。

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