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神が隠した現しおみ  作者: 夏野
第五話 花椿ノ怪談
26/38

 巴屋の番頭、十作が遺体となって発見されたのは、真昼のことだった。

 廊下を通りかかった女中が裏庭に倒れているのを見つけ、女中の叫び声ですぐに人が駆けつけたものの、十作はすでに息をしていなかった。

 十作は裏庭の真ん中に仰向けで倒れ、心臓には道中脇差が深々と突き刺さっていた。何よりも異常なのは、巴屋の庭には咲いていない椿が、十作の身体の上に落ちていたことである。

「門次のときと一緒ですね」

 殺され方、椿の花が置かれていたことは、門次が殺されていたときの状況と一致している。

「おそらく、凶器も同じだろうな」

 十作に突き刺さっていた道中脇差の刃の大きさは、門次の傷口と同じくらいだ。しかもその道中脇差には、真新しい十作の血痕が付着する前に付いたと思しき、赤黒く変色した血痕が付いていた。

 真っ先に駆けつけた仁助と伝吉に続いて、代官所からも役人が来たのだが……

「江戸のお役人様の足手まといになってはいけませんので……」

 と、事件の捜査には、あまり乗り気ではなかった。

 凶器が道中脇差だったので、代官所の役人も京太郎が怪しいと思ったのだろう。だが、佐原でも屈指の醤油問屋の主が犯人では、いろいろと面倒なことがあるのか、京太郎が裏から手を回しているのか、事情はわからないが、代官所の協力は頼めそうもなかった。

「それでもお役人かねぇ」

「こっちの好きにやらせてくれるんだ。かえっていいかもしれんぞ」

 捜査を打ち切れと言われたわけではないので、場所は違えど、いつも通りに捜査をするだけだ。

 もちろん今日は暖簾(のれん)を下ろしている巴屋では、奉公人たちを一ところに集め、仁助たちはまず、京太郎を吟味(ぎんみ)することにした。

「この道中脇差は、失くしたというお前の物か?」

 京太郎は(うつむ)いて何も言わなかった。しびれを切らした伝吉が、声を張り上げる。

「調べたらすぐにわかるんだ。黙っていた方が、心証が悪くなるぜ」

 観念したのか、京太郎は自分の物だと白状した。

「ですが私は殺していません……!」

「誰もお前が犯人だとは言ってはいない。十作は殺されて間もなかった。ところで今日はどこで何をしていた?」

「朝は名主さんのところへ行っておりました」

「帰ってきたのは……」

「九つよりは前だったと……」

「その後は……」

「……一人で部屋にこもっておりました」

 一度、女中が茶を持ってきてくれたが、部屋にずっといたことを証明するまではできず、他に京太郎の部屋に入った者はいない。

「門次に続いて十作まで殺されたが、本当に二人が殺される心当たりはないのか?」

「……花椿」

「なに……」

「そうです。きっと、あの二人は呪い殺されたんです。花椿の、おせんの幽霊に……!」

 奉公人を二人も亡くした心労か、悲哀か、それとも別のところに理由があるのか、ともかく京太郎は憔悴(しょうすい)していたので、これ以上の取り調べもできず、次は奉公人たちへの吟味に代わった。

「昼の九つくらいでした。昼餉(ひるげ)の準備ができたので、旦那様を呼びに行ったんです」

 十作の第一発見者は、おときという名の女中である。まだ二十には届いていないくらいの歳に見えた。

 京太郎の部屋に行く途中で、裏庭に面した廊下を通り、そこで十作を発見したという。

「何か声や物音はしなかったか?」

 この問いには誰も答えなかった。

 おときが補足するにはこうだ。

「気づかなかったです。私たち女中は昼餉を作っておりましたし、他の奉公人は店に出ていたはずですから」

 台所と裏庭は離れていて、ちょっとやそっとの音では気づかなかった。商いをしている表口でも、同じことが言える。

 犯行は、裏庭に人気がないときに行われたのだ。

「主人は名主のところに行った後、部屋にいたそうだが……」

「はい。旦那様が帰ってきてすぐ、私がお茶を出しましたときには、いらっしゃいました」

 お茶を出したのは、おときだった。

「主人に茶を運んでから、門次を発見するまでは、どれくらいの間があった?

「半(とき)くらいかと……」

 京太郎自身が言ったことだが、おときが茶を運んできたとき以外に、部屋に来た者は誰もいない。

 半刻もあれば、犯行は可能だが……

「この中で、店を離れていた者はいないか?」

 京太郎だけに的を絞るのは得策ではない。仁助は等しく吟味した。

「私たちの中ではいましたけど、皆さんすぐに戻ってきたので、人を殺している余裕なんかありません」

 女中で台所を離れた者は、(かわや)に行った程度の時間だったという。

「私はずっと店を空けておりました。実は十作さんの家を訪ねていたんです」

 と言ったのは、手代上がりも初々しい番頭の為松である。

 そもそも、京太郎と一緒に江戸に行くはずだったのは、今回殺害された十作だったそうだ。しかし十作は体調を崩してしまい、十作の代わりに江戸で殺害されることになる門次が行くことになった。

「旦那様が江戸から帰ってきても、十作さんは回復いたしませんで……私は旦那様が留守の間も毎日、十作さんの家に様子を見に行っていましたんです」

 それで今日も十作を見舞ったのだが、十作は家にいなかった。病身でそう遠くには行っていないだろうとしばらく家の中で待っていたが、なかなかに帰ってこない。商いがあるので、昼前には巴屋に戻ってきたそうだ。帰ってきたのは京太郎が戻ってきて、すぐ後のことである。

 十作は巴屋に来ていて、入れ違いで為松と会えなかった。だが誰も、十作が店に来たことは知らないという。

「この店の番頭は、三人だったな」

 門次、十作、為松の三人である。二人が殺されたいま、残るは為松だけになった。

 大番頭が一人いたらしいが、昨年に亡くなってしまい、今年になって門次と為松が手代から番頭に昇格していた。

「主人がはじめに江戸行きに選んだのは古参の十作。しかし十作が行けなくなって選ばれたのは、門次だった」

 京太郎が門次を選んだのは、彼の日ごろの行いが改まればと思っていたからだ。だが、為松がそうとは知らず、同じ時期に昇格した片方を、しかも行いの悪い方が選ばれたことに不服を感じてはいないかと、仁助は鎌をかけて聞いてみたのだが……

「私は旦那様より、見張りを仰せつかっておりましたんで……」

「見張り?」

 為松は言うのを躊躇(ためら)ったが、やがて口を開いた。

「旦那様は、門次さんと十作さんが組んで、よからぬことをしでかそうとしていると、思っていたみたいです。そこで私に、留守のときは十作さんのことを見張ってくれと仰いました」

 見舞いではなく見張りのために、為松は毎日、十作を訪ねていたことになる。

「よからぬこととは……」

「詳しくは存じません。ですが……」

「主人は二人を(うと)ましく思っていた」

「ですが、殺したいとまで切羽詰まっていた様子もございませんでした」

 京太郎が犯人だとして、動機はそこにあるのかもしれない。

「私の他にも手代が二人、商いの用事で店を空けましたが、きちんと仕事を終えておりました」

 巴屋の人間で十作を殺せたのはたった一人、京太郎だけである。


「旦那、京太郎をしょっ引かなくていいんですか?」

 巴屋を出たあと、不服そうに伝吉は言った。

「証拠がない」

「証拠なら、あの道中脇差があるじゃありませんか」

「京太郎は失くしたと言っている」

「嘘に決まってますよ。為松の話じゃ、殺された二人を邪魔に思っていたみたいですし……」

 仁助には京太郎が犯人だという決め手が、いま一つ欠けていた。しかも京太郎を犯人とする材料が(そろ)いすぎているのが、かえって引っかかりを覚える。

「念には念をだ。地道に周辺の聞き込みから始めるぞ」

 不服があろうと、仁助の命令には嫌な顔をしないで、すぐに走ってゆく伝吉である。

 仁助も動こうとしたそのとき、小川を挟んだ反対側に、うたの姿を見つけた。常ならば声をかけて駆け寄るところを、仁助はそうしなかった。

 ちょうど小舟を降りるところだった。まず環游が降りて、次に万太郎が降りる。最後に降りようとしたうたは、ぐらりと身体をよろけさせてしまって、危ういところを万太郎が抱きとめる形で助けた。

 すぐに身体を離して、二人は通りへと上がり、うたと環游は藤壺屋のある左へ、万太郎は巴屋のある右へと、それぞれに別れた。

 何てことのない場面だ。あそこにいたのが万太郎ではなく自分であったとしても、環游でも、他の誰かでも、転びそうになっているうたを同じように助けただろう。

 なのになぜ、頭に血が上るような感覚に(おちい)ってしまうのだ。それは昨夜、万太郎が誘ってくれた料亭で、万太郎とうたの姿を見たときに似ている。

(ぼうっとしている場合ではない……)

 仁助は気持ちが晴れないまま、役目に戻った。


 聞き込みを終えた仁助が宿に戻ったとき、まだ伝吉は帰っていなかった。

 どうも身が入らず、部屋の障子戸を空けてぼんやりしていると、宿の者がきて、訪ねて来た人がいると言う。一体、誰だろうと待っていると、先ほど見たうたがにこやかに、大きな包みを持って現れた。

「お弁当を作ってきました。よろしければ、伝吉さんと一緒にお召し上がりください」

 今日の夕餉(ゆうげ)は近くの蕎麦屋で済ませようと思っていたので、うたが作ってくれた弁当とどちらがよいかと言えば、後者だと即答する。

 仁助はうれしい気持ちが込み上げていたのだが、それは喉元まできて止まってしまった。

「ああ……」

 そっけない返事だった。礼を言えないほど不義理な人間でもなければ、素直になることもいつもならできた。だが今日だけは、うまくできない。

 うたは仁助が疲れているのだと思った。だから自分がいては邪魔になるとすぐに帰るところを、伝えたいことがあったので、口を開いた。

「この近くに椿神社というところがあって、花椿の怪談に関わる神社なんです」

「万太郎に教えられたのか?どうせ食べ物につられて、ほいほいついて行ったんだろう」

 仁助のつっかかるような言い方に、すぐにうたは二の句が継げなかった。

 おせんの幽霊を見たかもしれない。知人の幽霊しか見えないと思っていたが、どういうわけか先日に関わったある事件では、まったく知らなかった人間の霊も見ることができた。だからおせんの幽霊を見たかもしれないと思い、仁助たちが捜査している事件には、花椿の怪談が絡んでいるのを知って、調べてみようとしているのだと、ただそれだけが言いたかった。

 時折、仁助に軽く揶揄(からか)われることはあっても、今日みたいにつっかかられることはなかった。食べ物に弱いことは事実でも、責められたことはない。

「……それで、神社の文献を調べてみようと、名主さんのところにお願いに行ったら、快諾してくれました。だから……」

 江戸にある深萩神社の儀式で神子(みこ)を務めたとき、宮司の宿禰から儀式についてをたくさん教えてもらったのだが、深萩神社には神社の歴史などがまとめてある文献があり、うたはそれを見せてもらっていた。なので椿神社にも文献があるかもしれないと調べたところ、実際に文献が存在して、文献を管理している名主の許可をもらうことができたのだ。

「事件に首を突っ込むんじゃねぇって、いつも言ってるだろう!お前は何べん言やぁわかるんだ!」

 仁助に怒鳴られて、うたは(すく)み上がった。

 目の前の人は、とても怖い顔をしている。

 どうしよう、仁助の(かん)に障ってしまったのだ。

「……ごめん、なさい」

 仁助がしまったと思ったときには、うたは逃げるように部屋を出て行った後である。

 後悔したところで、一度言ってしまった言の葉を取り消すことはできなかった。


 十作の事件から三日が経った。

 仁助たちの捜査に進展はなく、江戸に帰る期日がひしひしと迫っている。

 事件以来、万太郎はうたを訪ねていなかった。いくら気楽な若旦那とはいえ、おいそれと遊びに出られるわけもなく、巴屋は商いを休んでいるので、家でじっとしているのだった。

 そんな中、藤壺屋に巴屋の主人の京太郎が訪ねて来た。

「とんだ不幸なことで……」

 もともと藤壺屋と巴屋は懇意にしている間柄である。立て続けに番頭を二人も、しかも殺人事件で亡くした主人が訪ねてきても、嫌な顔をするどころか、労わる調子で主人の文右衛門と妻の蕗は迎え入れた。

「しばらくは商いも休ませていただくことにいたしました。これからを考えると、気が重くていけませんな……」

 残る番頭は、手代から昇格したばかりの、長い目で見れば経験の浅い為松だ。普段から店を手伝ってくれる万太郎の負荷も増えると思えば、気の休まる日はない、しかも、花椿の怪談、おせんの幽霊に呪い殺されたような二人の死に方が、噂となって商いに支障をきたすのではないかとも、悩みの種は尽きない。

「私たちにできることがあれば、何でもいたしますから」

「ありがたい限りで……さっそくですが、お願いをしたいことが……」

 京太郎は申し訳なさそうに、二人に言った。

「どうぞ何でも仰ってくださいまし」

 蕗に後押しされて、京太郎は重い口を開いた。

「こんなときに不謹慎かもしれませんが、じきに江戸に帰られると万太郎から聞きましたので。実は、花鳥屋の娘さんのことでございます」

「うたでございますか?」

「はい。あの子は、江戸に許婚(いいなずけ)のようなものはいるのでしょうか……?」

「さあ……お前、聞いているかい?」

 文右衛門に顔を向けられて、蕗はいいえと首を振った。

「もし、まだそのような決め事がないのであれば、ぜひうちの万太郎の嫁になってはくれないかと」

「いいお話じゃない。ね、お前さん」

「ああ。万太郎さんのお嫁さんになりたい人は、佐原に五万といるだろうに、三国一の花嫁さんだ。そうだ、うたも気が乗りましたならば、ぜひ私たちの養子にして……」

 本人たちの知らないところで、話は進もうとしていた……


 当のうたは一人、花椿の怪談を調べるため椿神社にいた。

(仁様に怒られたけど……)

 仁助がお役目以外で怒っているところを見るのは、はじめてだった。基本は冷静で、穏やかな仁助が怒るのは相当のことがあったからで、その原因が自分なのだということに、ひどく落ち込んでしまう。

(嫌われたらどうしよう……)

 仁助は優しいから、事件に巻き込まないように(おもんぱか)ってくれているのはわかっている。

 でも、うたは仁助の役に立ちたかった。今までも散々、危険な目にはあっていて、今回もこれ以上調べようとするのならば、叱責(しっせき)されるだけではなく、もう相手にされなくなるかもしれない。

 うたは神社の石段に(うずくま)った。

(怖い……仁様に嫌われるのが、とても怖い……)

 差し入れた弁当箱を返しに来たのは伝吉で、仁助も美味い美味いと食べていたとは彼の談だが、本当は迷惑だったのではないか。そう思えばあの日以来、差し入れを持って行っていないし、会ってもいない。

 仁助にどんな反応をされるのか、考えるだけで怖かった。

 しばらく顔を伏せていたうたは、急に自分が、いまどうしているのかが、わかなくなった。

(あれ……?そうだ、私は誰かを待っている……)

 思い出したのは、誰かに会うために神社に来たということだ。

 だが、一向に待ち人は来ない。

(どうして来てくれないの……?)

 うたはふっと顔を上げた。

(違う……これは私ではない)

 自分ではない他の記憶が、うたの頭の中に入ってくる。記憶は鮮明ではなく、待ち人が現れずに恨めしいという気持ちだけが伝わってきた。

 このままでは恨みに支配されそう。うたはもがくように手を伸ばした。触れたのは、椿の花。

 目の前が、真っ赤に染まってゆく。椿の雨が、降りそそいだ。

「……さん!うたさん!」

 はっと見つめる景色の中には、万太郎がいた。

 埋め尽くすほどに振っていたはずの椿は、どこにもない。椿は静かに、神社の側に控えているだけだった。

「かなりうなされていたので……」

「もう、大丈夫です」

 まだ心配そうにしている万太郎に、うたは努めて明るく言った。

「何かご用ですか?」

 店が落ち着いてきたので、つい会いに来てしまったと言った万太郎は、重い雰囲気を(まと)っている。

「うたさん……」

 ゆっくりと万太郎の言葉を待った。

 万太郎は一瞬のうちに覚悟を固めて、思わず()らしてしまいそうなほどまっすぐに、強い眼差しでうたを見た。

「はじめて見たときから貴女を好いていた。私と、一緒になってほしい」

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