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神が隠した現しおみ  作者: 夏野
第一話 夢中ノ涙花
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(おいねの死体だと……!)

 不忍池で独り言を言っていた娘が投げ文で伝えたことは、あまりにも物騒で、突拍子もないことだった。

「おいねとは、同朋町の娘のことか?」

「…………」

 娘はむっつりと黙り込んだまま、その口を開こうとはしない。

 手がかりの乏しいおいねの失踪について、何かを知っているなら教えてほしい。それともこの娘はおいね失踪に関わり合いのある人物なのか。いま、仁助は頭の中で様々に思考している。

 仁助はつとめて冷静に、娘に尋ねた。

「なぜ不忍池に死体があるとわかるのだ」

「神山、相手にするな」

「しかし、現においねはまだ帰ってきておりません」

「本当に何かを知っているなら話せばいいものを、この通り黙ったままなのだ。質の悪いいたずらをしおって」

「吹田様が怖いから話せないんじゃ……」

 (にら)みを利かせられた伝吉は、それきり何も言えなくなった。

 娘は投げ文のいたずらをするほど幼くはないし、ひねているようにも見えない。ただ実際はという可能性もあるが、仁助にはただのいたずらには感じられなかった。

 夕刻、おそらく仁助たちと会った後、娘はそのまま番屋に行って投げ文をした。運悪く、投げ文をしているところを通行人に見つかって、逃げたものの番太に捕まってしまったらしい。

 にわかに番屋の前に人の気配がして、すぐに飛び込むように二人の男女が入ってきた。

 娘の隣に座して(ぬか)ずく二人は、娘の両親であると名乗る。娘が地味な身形(みなり)なのに対して、大店の主人と内儀という感じが対照的であった。

「お前、何をやってるんだい」

 母は悲愴(ひそう)的に娘を(なじ)る。娘の(うつむ)いている顔は、泣くのを耐えているように仁助には見えた。

「うちの娘がとんだ粗相(そそう)をいたしまして、誠に申し訳ございません……」

「粗相ですまされるか!御上を揶揄(からか)うなど、お叱りだけではすまされぬぞ」

 両親は何卒、何卒と言って頭を下げるも、吹田は取り合おうとしない。このままでは娘は大番屋送りにもなりかねないと、仁助は自然に、言葉が(のど)を出た。

「吹田様、お待ちを」

 娘を見下ろしていた吹田の怒りの目が、仁助を(とら)えた。

「実はおいねの(かんざし)が、不忍池の近くに落ちていたのです」

 仁助は懐に納めていた簪を手に取って見せた。

「この娘はおいねの友達で、おいねを探していたところを不忍池で私たちと会っております。落ちていた簪からもしかしたらと思い、投げ文をしたものだと……そうだろう?」

 すらすらと流暢(りゅうちょう)に嘘が並べられたものだと、仁助は自分に感心した。そもそも簪はこの娘がいたところに落ちていたのだから、娘の物か、それとも他の誰かの落とし物という可能性もあるが、そう判断するのが普通であろう。しかも娘の簪だとすれば、親はそれは娘の物ですと言いかねない。娘本人にしても、正直に私の物ですと言ってしまうかもしれないのだ。

 でもこのままでは、娘は無事に帰ることができない。

 ()りなどの勘はからっきしだが、いまこの瞬間、娘はいたずらで投げ文をしたわけではないと、全身が訴えている。そう思えば、夢中だった。

 娘は差し出された簪をじっと見つめて、こくりと(うなず)いた。

 ほっと吐きそうになった安堵(あんど)の息は、身体の中に押し込める。

「それを早く言わぬか!」

 うまいこと、吹田の怒りの矛先は仁助に向いてくれた。

「申し訳ございません。ですからどうか、この辺で家に帰してあげてください」


 翌日、出仕した仁助が町奉行所から出ると、昨日と同じく伝吉が待ち構えていた。

「だめだったんですね」

 表情で察したのであろう伝吉が要領よく聞いて、仁助はそれに答えた。

「簪が落ちていたくらいでは、人手はかけられないそうだ」

 仁助は朝一番に、不忍池の中を捜索したいと吹田に願い出ていたのだが、却下されていた。

 投げ文を無視していいものかと迷った挙句、しかし簪がおいねの物であれば是が非でもと食い下がらなかったところ、仁助にしても投げ文の証言だけでは押し通そうとは思わなかった。

「あの娘はどうして、死体があるなどと……本当においねの友達だったとして、死体になっているなど想像もしたくないだろうに」

「調べてみましたが……」

 と伝吉が言ったのは、投げ文をした娘について調べてほしいと、仁助が頼んでいたからである。

「日本橋富沢町の呉服問屋、花鳥(かちょう)屋の娘で名前はうた。歳はおいねと同じだそうで。富沢町の花鳥屋っていえば大店で、商いも順調、それだけ聞けば特に問題のない両親と兄の四人家族ですが……そのうたはずっと病気だとか」

 大店の娘にしては身形が地味だったと仁助は思った。まして家が呉服問屋なら、なおさらである。

 たしかに身体は華奢(きゃしゃ)であったが、病に侵されているというほど、やつれているようにも見えなかった。医者ではないので断定はできないが……

「あと、奇妙な噂が……」

「奇妙な噂?」

「うたって娘は、なんでも小せぇ頃に神隠しにあったそうで、帰ってきたときには呪われちまっていたとか……」

 仁助はいささか憤慨して言った。

「ばかばかしい……何にしろ、あの娘が何かを知っていることは間違いない。会いに行ってみるか」

 昨日一日中おいねの捜索をしても、消息がわからずじまいだったというのに、うたは投げ文で死体があると伝えてきた。いたずらではないとすれば、うたは何か手掛かりをつかんでいて、知らせたことになる。

 懐に持ったままの簪を、着流しの上から触れて、うたという娘はどこか孤独そうだったと思いを()せた。

 そして二人は日本橋富沢町へと向かった。

 立派な店構えに、立ち働く奉公人たち、藩御用達の看板と、(はた)からは順風満帆に見える。だが、内には(ひず)みが生じているように感じられてならない。

 違和感とまでは言わないが、番屋で見た娘と親子がちぐはぐな感じがして、仁助の胸に引っかかっている。

「昨日は御上のお手を(わずら)わせてしまい、とんだことをしまして……」

 仁助と伝吉を出迎えた主の田左衛門(たざえもん)は、恐縮しきっていた。

「ちと娘に聞きてぇことがあるから呼んできてくれ」

 渋った様子を見せていた田左衛門は十手には逆らえないと踏んで、重たい腰を上げようとする。しかし田左衛門が立ち上がるよりも前に、後ろから来た青年が制した。

「うたならどっかに行っちまって、いねぇよ」

 太い眉が田左衛門と似ていて、うたを呼び捨てで呼ぶあたり、青年はうたの兄かもしれない。商家の若旦那にしては不愛想な感じである。

「あれだけ大人しくしていろと言ったのに……お役人様、聞き分けのない娘で申し訳ございません。どうかこれで昨夜のことはご内聞に……」

 そっと差し出されたものは、同心になって幾度か経験していた。特に受け取る理由がないので、今まではそれとなく断っていたのを、今日は断固として拒絶してみせる。

「言いふらしたりなんかしねぇよ」

 受け取ってくれなかった同心に不安げな顔をした田左衛門を後にして、仁助は店を後にした。

 すたすたと風を切る足の行き先は、すでに決まっていた。

「もらえるもんは、もらっときゃいいのに……」

 と言いつつ、伝吉も受け取らない一人である。以前に受け取ってしまったときに、こっぴどく祖母に怒られてからはもらわないでいるのを、仁助は知っている。

「どうも気に入らねぇんだよ」

 常より毒気を含んだ言い方に、伝吉はそれ以上なにも問わなかった。

 無言のまま、ひたすらに先を急げば、わけもなく不忍池に着いていた。そして仁助の予想通り、昨日と同じ場所にうたが立っている。

 昨日の(おび)えた様子とは違って、うたは凛として仁助たちの方を振り向いた。彼女もまた、仁助がここに来ることを予期していた……仁助にはそう感じられた。

「伝吉、俺はあの娘と話してくる。しばらく暇をつぶしていてくれ」

「へい」

 一度、風が強く()いだ。幼いころ、神隠しにあったという少女はその風にさらわれそうなほど、壊れやすそうで、(はかな)そう。

 うたが童顔なのは、大きな瞳の所為(せい)である。小柄な体躯(たいく)がより幼く感じられた。

「店に行ったらいなかったから、ここにいると思っていた」

 うたは逃げずに、仁助が近づくのを待っている。唇は引き結んだまま、声はまだ聞こえない。

「昨日ここで会ったときに、俺達には何も言わずにあんたは投げ文をした」

 同心と御用聞きであるとは、一目瞭然のはずだ。それをわざわざ番屋に投げ文をしたのは……

「いたずらでなければ、なぜ投げ文などしたのか。おいねの死体がここに沈んでいるのをどうして知っているのか、その理由が言えないからだろう」

「…………」

「おいねには無事でいてほしい。そういう意味で、死体になっているとは信じたくない。だが、あんたが何かを知っているなら教えてくれ」

 仁助は暗に、うたを信用すると告げていた。

 うたが名乗って打ち明けられないのは、後ろ暗いことがあるからなのか、それともただ単に名前を知られたくなかったからなのか。そのどちらかであると仁助は思っていたし、ただうたは真剣であると確信している。

 閉じられたままだった小さい口が動き出したのを、仁助は(とら)えた。

「おいねちゃんはずっと、ここで泣いています」

 はじめてその声を聞いたとき、ひどく安堵した。少女は幻の中に存在しているという感覚に(おちい)っていたのだ。

 呪われているとは誰が言ったものか。そんな禍々(まがまが)しさは皆無で、だけど真顔の少女の微笑までは想像できなかった。

 仁助はやっと思考を打ち切って、うたの答えの意味を考える。仁助が何かを言うよりも、うたの次の言葉の方が早かった。

「どこにいるのってきいたら、指をさした」

 うたの視線は不忍池へ、仁助はまだ、意味がわかりかねている。

「私は……霊が見えます」

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