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神が隠した現しおみ  作者: 夏野
第四話 地獄ノ怨言
18/38

 いつ子が目撃したのと同じ時刻、仁助と伝吉は殺人事件の舞台にいた。

 何か見落としがあるのではないか。刻一刻として、痕跡は消えてしまう。(はや)る気持ちの他には、浅はかだったという気持ちが、二人を(さいな)んでいた。

 証人がいる。ならば犯人は確定しているし、言い逃れもできないはずだと決め込んでいたが、久兵衛が犯人だという証拠は見つかっていなかった。

 慎重に調べれば、料亭にいたということもわかったはずだ。勇み足で捕らえた結果、いつ子を苦しめてしまった。

「夕方だから見間違いってことはねぇはずで……」

 伝吉の声にも、明らかな自責の念が含まれている。

 いつ子は人を(おとし)める嘘を吐くような人間ではないことはわかっている。

 しかし、久兵衛は料亭にいたことが確認されているため、犯行が不可能だったことが立証された。ましてや、同じ人間が二人いるはずもない。

「仁様、親分。落ち込んでいる暇はありません。早くいーちゃんを助けないと」

 まだ幼さを含んだ凛とした声が、二人を奮い立たせた。

 事件の模様が何もわからない。早く解決しないと、いつ子が可哀そうだと闇雲になっていた心に響く声だった。

「ああ、そうだな」

 傷ついた友達のために、うたがこの場所に来てみれば、格好悪い同心と御用聞きを見たといったところか。励まされた仁助は、うたに力強く答えた。伝吉もみなぎる力を与えられたようだ。

 ちょうど役者は三人。時刻も場所も、同じ状況下となって、見分をしてみることになった。

 仁助が久兵衛の役を、伝吉が殺された男の役を、うたがいつ子を演じている。

 うたは縁の下に屈んで、当時のいつ子よろしく、二人の様子をうかがった。そして、うたは二人に報告する。

「はっきり仁様の顔が見えました」

 うたといつ子は年恰好もほぼ同じ、どちらも視力は悪くない。そのうたが、犯人役である仁助の顔がはっきり見えたのであった。知っている顔ならば、見間違えるはずがないほどである。

「俺もうたの顔が見えた。隠れていても、(のぞ)いたとなれば姿が見えている」

「ということは、久兵衛にはいつ子の姿が見えてたってことですかい?」

「でもいーちゃんに気づいていたなら、犯行を止めるか、いーちゃんも口封じに襲っていたんじゃ……」

 うたは何と物騒なことを考えられるようになってしまったのか。それはたびたび捕物を手伝わせてしまっている自分の所為(せい)だと、仁助は考える。しかし今はそれどころではない。

 偶然にいつ子は目撃してしまった。ならば久兵衛にとっても、いつ子に目撃されていたことは偶然であったはずだ。

「偶然でなかったとしたら……うた、いつ子は針の稽古の日は、いつも同じ道を帰っていたんだな」

「はい。お針は五のつく日と十の日にあって、十の日は暮れ六つ前に終わるから、そのまま家に帰っています。お針の帰りじゃなくても、いーちゃんはこの近道を普段から使っていました。私も一緒に通ったことがあります」

 月の中、五、十五、二十五日は昼九つに終わり、十、二十、三十日は暮れ六つ前に終わる。前者の日はお弁当を持参して、食べ終えればうたといつ子は、どこかに遊びに行くことが常である。後者は時刻も遅いので、そのまま家に帰っていた。

 いつ子が目撃した日は、後者にあたる。

「突発的な用事でも発生しなければ、いつ子がここを通ることは決まっていた」

「つまり、いつ子が目撃者になったのは、仕組まれていたってことで……」

「調べればいつ子が稽古に通っていることも、その帰りには決まった道を通っていたこともわかるはずだ。それにいつ子は好奇心旺盛な性格……言い争う人物を見れば、こそと見ることも想像できたかもしれない」

「でも、どうしていーちゃんが……」

 仁助の予想が当たっているとすれば、久兵衛はいつ子を目撃者にして、嘘つき娘と(おとしい)れたことになる。いつ子は人に恨みを買うような人間ではない。しかも大店の主が、どうしていつ子を恨んでいようか。久兵衛は目撃者に仕立て上げるのは誰でもよかったのだろうか。

「やっぱりあの野郎の陰謀だ」

「え……?」

 怒りを込めて吐き捨てる伝吉に、うたが聞き返した。

「久兵衛は木花屋を(うと)んじていたんでさ」

 これは内々でしか知られていないことだがと前置きして、仁助が説明した。

 波川屋久兵衛は江戸の乾物を買い占めて、価格統制を行っている。買い占められた乾物の値は上がり、庶民を苦しめていた。これには一部の乾物問屋も関わっていて、波川屋と巨額の利を得ていた。

 だが、木花屋は波川屋の価格統制には従わずに、安値で乾物を売り続けていて、木花屋には客足が途絶えていなかった。波川屋にとっては目の上のたん(こぶ)である。

 いつ子、もとい木花屋を貶めることが、久兵衛の目的だったのではないかと、推察するところであった。

「いつ子の証言では、久兵衛は動揺する様子も見せずに、落ち着いていたそうだ。ついかっとなってという咄嗟(とっさ)の犯行ではない。そこから踏まえても、どうにも仕組まれているように感じる」

「だけど、いくら木花屋を陥れたいからって、人を殺すでしょうか?」

「いや、逆だ……!久兵衛の本当の目的は、殺しの方だ」

 いつ子主体で考えていて見落としていたが、そうだ、人殺しという罪をわざわざ背負うはずはない。

 久兵衛はもともと男を殺害することが目的で、木花屋を貶めることはあくまで付随した目的であったと考えるのが自然である。

「殺されたのは……」

「それが、どこの誰だかわかんねぇ。でも旦那、男の身元がわかれば、波川屋との繋がりも見えてくるんじゃ……」

「ああ。あとは料亭にいたからくりを見破ることと、証拠となる凶器の行方か。おそらく、足がつくと考えて、久兵衛は凶器を持ち去っている」

 凶器は匕首、簡単に購入できるものではない。購入元が特定されてしまえば、自ずと辿(たど)り着かれることを恐れ、久兵衛は凶器を隠し持っている。

 犯行時刻は夕方、まだ人目につくときに、どこかに凶器を捨てることはしなかったはずだ。事件後はずっと仁助が懇意にしている同心の助力で、その同心の手下に波川屋を見張らせているのだが、久兵衛が外に凶器を捨てに行った形跡はないという。

「こうしちゃいられねぇ!」

 息巻く伝吉は、一足先にその場を後にした。見通しは立ったものの、難航することが目に見えている事件である。しかし、引き下がることはできない。

「ごめんなさい。もしかしたら見えるかもと思って来たんですけど……」

 うたには霊が見えるという特殊な能力がある。さらに特殊なのは、知人の霊しか見えないということだ。

 だからうたには、そもそも殺された男の霊がいまだ現世に彷徨(さまよ)っているのかは不明だが、殺された男の霊が見えるはずはない。でも、万が一、と思ってしまって、空き家に(おもむ)いていたのだが、やはり気配も感じられなかった。

「気にするんじゃねぇよ。いつも言ってるだろ」

 わざと伝法な口調で、仁助は苦笑してみせる。

 霊が見えるのに、知人の霊しか見えず、仁助の役に立てないことをうたは気に病んでいた。だが、仁助からすれば、うたを危険に巻き込みたくない。毎度、手伝ってもらっている身分で言えた義理ではないが、うたが気に病む必要は一切ないのだ。

 こくりと(うなず)く様子が子どものようで、同心風を吹かせる仁助には愛らしかった。

 同心の顔のまま、仁助もまたうたと別れて町に駆けだした。


 家に帰ったうたは、真っ先に母のおかじにつかまっていた。

「どこに行ってたんだい?」

 常には行先を気にされたことはないのに、なぜ尋ねてくるのか。うたにはわからなかった。

 稽古の日はともかく、いつ子と遊ぶ約束をして出かけた日などは、この家には兄以外で行先を気にかけてくれる人はいないはずなのに。

 もしかしたら、帰りが遅い自分を、母は心配してくれたのだろうか。

 無性にうれしくなった期待は、すぐに的が外れていたことを知る。

「まさか木花屋に行ってたんじゃないだろうね」

「はい。いーちゃんに会いに行きました」

 うたは(なか)憮然(ぶぜん)と答える。おかじの考えていることを、(さと)ったからだ。

「いいかい。もういつ子ちゃんに関わっちゃだめよ。無実の人を犯人呼ばわりしたそうじゃない」

 刹那(せつな)、うたは頭に血が上った。

「いーちゃんは噓なんか吐いてない!」

 友達を悪く言われ、うたは思いのたけを声にしていた。

 いつ子はどれだけの人に悪態をつかれなければならないのか。これ以上、いつ子が苦しむ(いわ)れはないのに。しかも自分の娘の友達が苦境にあれば、可哀想にと同情してもいいようなものを、この人は何もわかってない。いつだって、わかってくれようとはしてくれないのだと、やりきれなくなった。

「お前まで変な目で見られるんだから」

 もう、見られているではないか。呪われた子と、自分が世間で(ささや)かれていることぐらい、知っている。いつ子のことを思えば、自分の噂など大したことではないが。

 うたは反駁(はんばく)する気にはなれなかった。どんな言葉を言ったところで、母には通じない。虚しいけれど。

「わかったなら返事くらいおし」

 黙ったまま部屋に向かった我が子に、おかじは溜息を吐いた。

 それから半刻(はんとき)くらいして、店の商いが終わった兎之介は、廊下でそわそわしているおかじに行き会った。どうしたんですかと、客対応を終えたばかりでまだ丁寧な名残のある兎之介が聞けば、

「いつまで()ねているつもりなんだか……そろそろ夕餉(ゆうげ)なのに、部屋から出てこないんだよ」

 とおかじが返事をした。

 うたのことを指しているのだとすぐにわかって、また母はうたの気に障るようなことを言ってしまったのか、しかも心配なら自分で確かめに行けばいいのにと、兎之介は(あき)れる。

 ここで自分が母を責めれば、おかじは癇癪(かんしゃく)を起こしてしまうと予想して、兎之介は何も言わなかった。それに、以前のように母がうたを(うた)んじていないことも段々とわかってきて、今回は目を(つむ)ることにした。今だって、本当は心配しているのに、怒ったような素振りをしている。そんな行動に、身に覚えのありすぎる兎之介なのであった。

 俺が呼んでくると請け合って、兎之介はうたの部屋の前まで来た。

「うた」

 返事はなかった。嫌なことがあると黙ってしまう妹の性格を承知している。

 入るぞと断りをいれて、兎之介は(ふすま)を開けた。

「……!」

 部屋の中は無人だった。厠にでも行っているのか。それならいいが……兎之介が(あわ)て始めたところで、文机の上に置いてある紙が目に入った。

 その紙には、『しばらく家出します。心配しないでください』と、紛れもないうたの筆跡で書いてある。

 紙の他にもう一つ、兄様へと書かれた文も置いてあった。


 翌日、奉行所では仁助が上役の吹田に大目玉を食らうという、見慣れた光景が広がっていた。

 いつ子の証言を鵜呑(うの)みにして久兵衛を捕らえたこと、相手は大店の主、どうしてそのようなことをしてくれたのだと、くどくど、かれこれ毎日、顔を合わせるたびに怒鳴り散らされるのだった。

「まだあの事件を調べているそうだな」

「は……早く犯人を捕らえなければ、木花屋の娘が可哀想ですし、殺された男が報われません」

「嘘つき娘に振り回されていると、まだわからんのか!」

「いいえ、吹田様。娘は嘘など吐いて……」

「黙れ!嘘だろうが本当だろうが、どっちでもよい!」

「は……?」

 どっちでもよいとは、どういうわけか。いつ子を嘘つき呼ばわりされることも心外だが、吹田はいつ子が嘘を吐いているから惑わされるなと、そこが主筋ではなさそうである。

「断じて波川屋の詮索をしてはならぬ。これは命令だ!」

「しかし……」

「命令に背けばお役御免と思え!及川のようにはすまぬぞ」

 吹田が口にした名前に、思わず仁助はぴくりと反応した。そう、彼もまた波川屋に関わって、災難を被った人物である。

 ここまで言えばわかっただろうと納得して、吹田は去っていった。入れ替わるように仁助の元に現れたのは、仁助の同期、西崎兵馬だった。

「上からの圧力ですよ。波川屋は老中御用達の店ですからね」

 吹田の言っていることは脅しではなかったのだ。おそらく、いや絶対に、波川屋を探り続ければ同心職を失うことになる。

 今まで仁助は権力と関わったことはないが、知らないだけで、権力によって握りつぶされた事件が、この世には存在する。泣き寝入りをするのはいつだって、庶民の方なのだ。

 木花屋は波川屋の権力に屈しなかった。だから(ひど)い目に合ってしまったという理屈こそ、おかしい。

だが、一同心に何ができるだろうか。権力に屈するのを受け入れるか、(あらが)って身を滅ぼすか。かつて及川という同心は、抗い、北町奉行所に異動させられたのを知っている仁助にとって、二つの選択が身近に迫っているのを、ひしひしと感じた。

「だからといって……」

 仁助が否定すれば、兵馬は溜息を吐いた。

「不幸になるのは貴方だけではない。いいんですか、母上様を不幸にしても」

 不浄役人と呼ばれているとはいえ、武士の身分を失えばどうなるかを理解できないほど、血気に(はや)っているわけではない。同心だった父を、同心という職にも誇りを持っている。その誇りを失いたくはない。

 何より(ろく)を失えば、母と路頭に迷うことになる。まだ育ててもらった恩も返せていないのに、母に不幸を敷いていいわけがない。

——わかりきっている……

「俺は犯人を捕らえるだけだ」

「……どうなっても知りませんよ」

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