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小さな王子

 音のした方へとゆっくり視線を向ければ、侍女が扉を開き、エイナーが入室する姿と出会う。

 彼は今日も当然のように質のいい服を身に纏い、丁寧に梳られた髪は見事な艶を帯び、白皙の肌に輝く夕日色の瞳を煌めかせて、それはもう見事に絶世の美少年を体現していた。

 その姿は、相変わらず感嘆のため息が零れるほどに美しい。


 けれど、そんなエイナーを見つめていた私と目が合った途端、彼の方は表情に寂しげな色を帯びて、そっと私から視線を逸らしてしまった。

 二日前、部屋に駆け込んで私の目覚めを大いに喜んでくれた時とはまるで違うその反応に、私は少しばかり戸惑う。そして、その理由を探るべく視線を動かして、私の目はエイナーに続いて入ってきた彼の兄を捉えた。


 こちらも、変わらず精悍でありながらも美しい顔立ちは記憶のまま。けれど、記憶にある姿からは想像もできない穏やかな雰囲気を漂わせて、酷く優しげだ。周囲の人間が彼を恐れている様子も見受けられなければ、他者を拒絶するような素振りも存在せず、更に私を戸惑わせる。


 そこで、不意に私の中に一つの懸念が波紋のように広がった。

 エイナーの兄と言うことは、彼は当然この国の第一王子であり、よほどの事情がない限りは第一王位継承者――王太子と言うことになる。

 どうやら国を捨てることは私の死に繋がらないようだけれど、王太子と言う存在はどうだろう。こちらは、繰り返しの法則に当て嵌まってしまうだろうか。そうだとしたら、王太子に出会ってしまった私は、近い内にまた何者かに殺されてしまうことになるのだろうか。せっかく繋ぎ止めたこの命を、また散らしてしまうのだろうか。


 一抹の不安に、私は無意識にお守りを握る手に力を込めた。それを私の緊張と捉えたのか、私の元へ向かっていたエイナーの足が、不意にベッドの手前で一度止まる。

 躊躇いを表すように形のいい眉が中央へ寄って、その顔は、いかにもこの先へ進みたくなさそうだ。


 ここに来て、私はようやくエイナーの表情に差す影の意味に気付いた。

 彼は恐れているのだ。ここで彼が王子という立場で私と言葉を交わしてしまったが最後、「お姉さん」、「君」と呼び合った、攫われた子供同士だった私達の関係が変わってしまうのではないかと。

 エイナーにとって、彼を王子として見ることなく、正しく子供扱いされたあの夜の出来事は、色々な意味で貴重な経験だったのかもしれない。それが壊れて二度と手にできなくなることを嫌がる気持ちは、私にも容易に想像できた。


 けれど、いつまでもそうしているわけにもいかない。同じく足を止めた兄が促すようにエイナーの肩に触れ、そして、一拍を置いてエイナーの顔が私へと向いた。

 その表情は、彼の優しさを示すように柔らかい。


「……こんにちは。僕はエリューガル王国第二王子、エイナー・ガイランダルと言います。こちらは兄のキリアン。あなたが目覚めたと知らせを受け、見舞いに来ました。……お加減はいかがですか?」


 流石は王子と感心するべきか、王子に相応しい振る舞いをせねばならないことを悲しむべきか。

 エイナーの他人行儀な態度を前にして過った寂しさに、私もエイナーのことは言えないなと心中で自嘲しつつ、エイナー達に向かって感謝の思いを口にする。


「多大なお気遣い感謝いたします、エイナー殿下。キリアン殿下。わたくしはミリアム・リンドナーと申します。お陰様で、こうして起き上がれるまでに回復いたしました。ご尽力くださった皆様には、なんと感謝申し上げればよいのか……」


 今生での私は、令嬢としての教育を受けてはいない。この先も、この人生では令嬢として振る舞うことはあるまいと思っていた。だから当然、私は平民として、精一杯敬意を表した言葉でもって挨拶を返すことができれば十分だった筈なのだ。私自身も、そのつもりだった。


 それなのに。


(……私の口は今、何を吐いた? 何だか、自分でも驚くほどあっさり、平民らしからぬ言葉が出て来やしませんでした!?)


 正面に立つエイナーの瞳が驚いたように瞬き、背後のキリアンも、表情こそ変わらないまでも、私へ向ける視線がわずかに色を変えたのが分かった。果たして、彼の視線に含まれる感情は感心か、警戒か。

 二人の王子それぞれの反応に、私は自分の失態を瞬時に悟る。


 やってしまった。


 心なしか、ベッドを挟んで王子達の向かいに立つ侍女と医師の二人も驚いている気配がして、私は心の中で盛大に頭を抱えて叫んだ。


(私の馬鹿! 見るからに学のなさそうな平民の小娘から、臆することなくすらすら言葉が出てきたら、そりゃあ誰でも驚くわ! どうして平民を装えなかったの! こういう時こそ、豊富な人生経験が生かされるべきなのに!)


 きっと誰もが、私が緊張しながらも王子に対して慣れぬ挨拶をすると思っただろう。しばし室内に流れた沈黙が、そのことを嫌でも私に知らしめている。

 私だって、まさか何も考えなくともこんなに言葉が出てくるとは、今の今まで思わなかった。けれど、後悔しても体に染みついてしまった教育の賜物が音にしてしまった言葉は、もう取り消せない。次に口を開いた時に、とってつけたように言葉遣いを変えるのはおかしいし、このままでこの場はやり過ごすしかない。


 唯一幸いだったのは、皮肉にもその教育の賜物が、今の私の荒れ狂う内心の感情をおくびにも出さない淑やかな笑みを、苦もなく浮かべさせたことだろうか。

 気まずい思いを抱えつつも、私から言葉を発することが憚られるこの沈黙を破ったのは、ここでもやはりキリアンだった。継ぐ言葉を失ったままのエイナーの背に手を添えて、優しく彼に先を促す。


「あ、あの」

「はい」


 キリアンに背中を押されておずおずと切り出したエイナーに、私は普段通りを心掛けた笑みでもって応えた。エイナーを応援する気持ちと、私の貴族令嬢対応によってもたらされた混乱の責任を感じた為でもある。

 エイナーは私の笑みをどう取ったのか、気持ちを落ち着けるような少しの間を置いて、表情を改めた。


「ミリアム・リンドナー嬢。僕の命の恩人であるあなたの名を知ることができて、嬉しく思います。あの時は、助けてくださって本当にありがとうございました。……あなたの勇気に、感謝と敬意を」


 胸に手を当て、エイナーの頭が恭しく下がる。その動きには緊張が見て取れたけれど、それを補う綺麗な所作は幼くとも立派な一人の王子で、彼の気持ちは明確に私に伝わった。


「どうぞミリアムとお呼びください、エイナー殿下。わたくしの方こそ、殿下方を始め、多くの方々にお助けいただきました。こうして命を繋ぎ止め、再びお目にかかれたのも皆様のお陰でございます。本当に感謝いたしております」

「……僕のこともエイナーと呼んでください、ミリアム。どうか、傷を癒して早く元気になってくださいね」

「はい、勿論でございます。エイナー様が、回復の祈りを込めてくださったお守りもあるのです。きっと、すぐに元気になってみせますわ」


 私は、ずっと握り締めていたお守りを手の中から出して、エイナーに示した。

 不思議なことに、お守りを握り締めていると、そこから仄かな熱が全身に伝わっていくような感覚が得られるのだ。その熱には体の不調を和らげる効果があるようで、お陰で発熱によるだるさが随分軽減されて、思考にも鈍りがなく、しっかりと働かせられている。


 そのお陰で言葉遣いを間違ったけれど、これが、決して気休めではないエリューガルのお守りの効力なのだろう。

 こんな凄いものを私の為に作ってくれるなんて、エイナーは本当に、なんて優しい子なのか。この子が傷ついたり死んでしまったりしなくて、本当によかった。

 何度目か知れない安堵と感謝が私の心を満たして、自然と笑みが深くなる。


「僕のお守り……」

「はい。先ほど侍女の方に伺いました。エイナー様がわたくしの為に祈り、作ってくださったのだと。わたくし、こんな素敵なものをいただいたのは初めてで……ずっと大切にいたしますね」

「――っ!」


 侍女から聞いた話を伝えれば、エイナーは途端に目に見えて顔を赤くし、狼狽えた。その反応に、てっきり喜んでもらえると思っていた私は首を傾げる。

 もしかして、お守りのことは秘密だったのだろうか。けれど、侍女の話し振りはその目で見たことを告げているようだったし、この部屋に集っている人々の表情からも、お守りのことを知らない素振りは見られない。

 何がそんなにエイナーを赤面させてしまったのか。


「エイナー様?」


 不思議に思う気持ちが、私に自然と彼の名を呼ばせていた。


「……あ、えっと……その」


 せっかく頑張っていたのに、すっかり王子からただの内向的な少年に戻ってしまったエイナーは、私からの呼び掛けに真っ赤な顔のままあちこちに視線を彷徨わせ、何とか言葉を探そうと必死になっている。

 その姿はどうにも庇護欲をそそられて、抱きしめたくなるほどに可愛らしい。けれど、早く助けの手を差し伸べてやらなければ、少々可哀そうにも見えてくる。


 今度もほどよいところでキリアンが助け船を出すのだろうかと、エイナーの後ろに立つ彼をちらりと窺ってみたけれど、どうやら彼は、今回は動くつもりはないらしい。

 もう二度も手を差し伸べたのだし、三度目は自力で頑張れと言うことなのか。キリアンは自分の腰ほどの背丈のエイナーの旋毛に目を落としたまま、弟がこの場をどう切り抜けるのか静観していた。この兄王子、弟に対してなかなかに厳しい教師のようだ。

 そこに、第三者の小さな声が、キリアンの更に後ろから聞こえてくる。


「エイナー様」


 恐らくはエイナーの護衛なのだろう。エイナーについてこの部屋へと来た、まだ年若い男性だ。どことなく見覚えがあるのは、もしやあの時、馬上から人攫い夫婦に声をかけていた騎士だろうか。

 そんな騎士の右拳は、エイナーを鼓舞するように軽く握り締められている。

 頼り甲斐のあるお兄さんと言った風体の彼の一言は、エイナーが混乱から抜け出る切っ掛けとして、十分だったらしい。おろおろと彷徨っていた夕日色の瞳がはっと動きを止め、一つの瞬きの後、ようやく私を正面に捉えた。


「お、お守り……喜んでもらえて、よかった……です」


 やや尻すぼみだったものの、エイナーの返答に私も「はい」と答える。

 心なしか目が合ったエイナーの顔が更に赤くなったような気がしたけれど、きっと彼自身、気分が高揚しているのだ。内向的なエイナーには、それだけ私との面会は大仕事だっただろうから。


「ミ、ミリアム。また、見舞いに来ます」

「はい。お待ちしております、エイナー様」


 私の言葉を最後に、なんとか言いたいことは言えたとエイナーが背後のキリアンを振り返った。それに対し、キリアンはエイナーを褒めるように深く頷く。

 そうして、エイナーは名残惜しそうに私に対して暇の言葉を告げ、先ほどの騎士を伴って退室していった。


 続いて、侍女がキリアンの為に椅子を用意し、医師は懐中時計を確認して、彼へ何事かを告げる。キリアンがそれに対して了承の意を示すと、その二人も揃って退室してしまい、ほのぼのとした空気の残滓が残る室内に残ったのは、キリアンと彼の護衛――あの日の月華の騎士――だけとなった。


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