目覚め
「…………」
最初に目に入ったのは、真っ白な天井と、そこから下がるシャンデリア。
次いで下げた視界に映ったのは、天井と同色の蔦模様の廻り縁、淡いピンクの小花が散りばめられた、白緑色とクリーム色とで交互に彩られた壁紙、窓から差し込む日の光を柔らかく遮るレースのカーテンだった。
一目で平民の家ではないことが分かる景色を目にして、私は酷く落胆した。私の願いも空しく、どうやら次の「ミリアム」も貴族身分に生まれてしまったらしい。ただ一つ幸運なのは、前回とは比べ物にならないくらい家族に愛されているだろうことか。
額がひやりと冷たく、気持ちがいい。すぐそばでは、恐らく侍女だろう使用人の動く気配がする。
まだ上手く働かない頭でそれらを感じ、私の中で、一つの答えが導き出された。
繰り返しの人生を重ねる毎に思い出す記憶の量が増える私は、時折、その情報量の多さに十歳の体が堪えかねて寝込んでしまうことがあった。新たに始まった人生十年分の記憶が一時吹っ飛ぶくらいには、混乱もする。
今は、まさにその状態なのだろう。
こういう事態に陥った時には、貴族身分の方が手厚い看病を受けられて、正直ありがたい。今もきっと、私が目覚めたことに気付いた侍女が、それを知らせて医師を呼ぶよう、別の使用人に伝えてくれているのだろう。こんな豪華な一人部屋が与えられ、侍女が甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる家だ。医師と共に、娘を心配する家族もこの部屋へやって来るに違いない。
(私は、今度は一体どんな貴族家庭に生まれたのだろう? 早いところ思い出してしまわなければ。家名、両親の名、兄弟の有無、今この部屋にいる侍女の名――)
発熱の所為で思考がまとまらない中、なんとか思い出そうとしていると、病人のいる部屋にやって来るには騒々しい足音と、勢いよく扉が開かれる派手な音が室内の空気を震わせた。
そして。
「――お姉さん!」
私の視界いっぱいに、見覚えのある少年の顔が飛び込んできた。
(――え?)
日の光を受けて艶やかに煌めく黒髪。涙を滲ませた、沈む夕日を思わせる澄んだ瞳。声変わり前の高い声。不安と安堵とが混ざり合った、くしゃくしゃの顔。
真新しい記憶に刻み込まれた少年の――エイナーの、もう一度出会うことがあるかどうかと考えていた姿がそこにあって、私は驚きに目を見開いた。
恐る恐る瞬いても、目にしたエイナーの姿が別の誰かに変わることも、煙のように掻き消えてしまうこともない。確かにエイナーが、私があの夜助けた子供が、現実の存在として私の目の前にいる。
(――ああ……)
「あ、あの。僕のこと、分かりますか? 覚えていますか……?」
部屋に飛び込んできた勢いがしゅんと消え、不安そうに私を覗き込むエイナーの姿に、私は不意に笑いたくなった。
私の想像ではない、あの夜の記憶にはないエイナーの表情、言葉。
それが無性におかしくて、嬉しくて、愛しくて。
エイナーの問いかけに応えようと、はくりと乾いた口を開け――けれど、最初に零れたのは言葉ではなく。
ぽろりと一粒、目尻から涙が転がり落ちる。
「お姉さん……?」
エイナーの指先が、優しい手つきで私の涙を拭ってくれた。その感触に、私のエイナーを見つめる視界がみるみる滲み、あっと言う間に歪んで顔が見えなくなる。鼻の奥がツンと痛み、喉がひくりと鳴って、それ以上は堪え切れなかった。
「――……っ」
堰を切ったように涙が溢れ、次から次へと零れて流れ落ちていく。
「……ぃ……る」
みっともなくしゃくり上げながら出した声は、自分でも驚くほど掠れて意味を成さなかったけれど、間近で見ていたエイナーには伝わったのだろう。
掛け布団の中で必死に動かした手をエイナーが掬うように握って、泣き笑いの顔を私に向けて、大きく頷いてくれた。
「はいっ」
「……い、き……てる」
「はい。生きてますっ」
(私、生きてる……!)
力強いエイナーの肯定の言葉に、もう一度私の目から涙が一気に溢れ出した。
あの時、私はもうすっかり死んだと思っていた。あの傷では助かる筈がないと諦めていた。ここで死んだとしても、どうせ記憶を持ったまま別の人間に生まれ変わるのだから、この命に必死にしがみつくこともないと、助かりたいと強く思うことすらなかった。
それなのに。
助けて、と。死なせないで、と。死なないで、と。涙交じりに叫んだエイナーの声が思い出される。
私が諦めていたことを、彼は、この小さな男の子は諦めなかったのだ。
とめどなく流れる涙の所為でよく見えないエイナーの顔を見上げて、私は精一杯口角を上げた。
「君……も、生き、てる……」
「はい。僕も生きてます!」
エイナーに握られた手が温かい。ほんの少し力を入れると、それ以上の力で、けれど優しく握り返された。
お互いがちゃんと生きている証のようなその温かさと感触に、改めて死んでいないのだと実感して、私は泣きながら、いつの間にかゆっくりと眠りに落ちていった。