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修練場の小嵐

「俺は、ガキのお守りなんて柄じゃないんだけどなぁ……」


 お守りはレナートの専売特許だろうとぼやくオーレンに、私はわずかに苦笑する。


「でも、お二人はとても仲がよく見えましたよ」

「えぇー。あいつと仲よくなってもなぁ……」

「仲が悪いよりはいいじゃないですか」


 ライサの行動の是非はともかく、少なくともライサは、オーレンに懐くくらいには彼を好いている。初対面で睨まれた私とは違って。

 自分で言葉にしたことによって先ほどのライサの態度がありありと思い出されて、私は視線を下げた。ライサは、明らかに私を嫌っていた。私はライサに何をした覚えもないけれど、あの奔放なライサですら睨み付けるほどに、何かが彼女の気に障ったのかもしれない。

 そう考えると、少しばかり悲しくなる。間違っても万人から好かれたいとは思わないけれど、初見で理由も分からず唐突に嫌われると言うのは、それはそれで悲しい。


「……私、何かライサさんに嫌われるようなことをしてしまったんでしょうか」


 思えば、これまで出会った人は皆、私に好意的で親切で優しい人ばかりだった。あんなにあからさまに睨み付けられたのは、エリューガルでは初めてのことかもしれない。

 ライサは騎士であるし、エイナーが誘拐されたことは、恐らく知っているだろう。もしかしたら、私のことはその時に既に聞かされていて、これまで私に対して何らかの思いを抱いていたのだろうか。

 例えば、こんな奴が本当にエイナーを助けたのか、とか。


(……有り得る)


 見るからにひ弱で剣さえろくに扱えない非力な女が、どうやって人攫いからエイナーを助けられたのか、騎士ならば疑問に思って当然だろう。ライサがどこまで詳細に話を聞いているかは知らないけれど、もしかしてあの睨みは嫌悪の感情からのものではなく、疑いの眼差しだったと言うことだろうか。

 しかも今私は、客人として王城に滞在している。キリアンの騎士を護衛に付けてもらうほどの厚待遇で。それは、私が泉の乙女であることや、今後フェルディーン家で保護されることなど、様々な事情からだけれど、説明されなければ分不相応すぎる待遇だと思われて当然だ。

 そこまで考えて、私ははっとした。


(――まさか。エイナー様を誑かした女とか思われてる……!?)


 浮かんだ馬鹿らしい考えを慌てて振り払ったところで、私の顔を覗き込むように身を屈めたオーレンと目が合った。私を探るように何度か瞬いたオーレンは、もしかして、と控えめに口を開く。


「ミリアムちゃん、今、何かおかしなこと考えてた?」

「えっ?」


 驚いた私が目を瞬くとオーレンは予想が外れたと思ったのか、申し訳なさそうに頭を掻いて、ごめんねと告げてくる。


「レナートが、ミリアムちゃんが急に黙り込んだ時は気を付けろって言うもんだからさ。百面相してたから、今みたいな時のことかと思って」

「私、そんなに顔に出てました……?」

「うん。しょんぼりしたかと思ったら妙に考え込んで、そうかと思ったら、顔を顰めたり目を見開いたり。なーんか、色んなこと考えてそうな顔してたよ」


 可愛かった、と最後に付け加えられて、私は恥ずかしさのあまり日傘で顔を隠した。顔が熱い。


「女性の顔をじろじろ見るのは、マナー違反ですっ」

「いやぁ、ミリアムちゃん、本当に可愛いね」

「オーレンさんって、取り敢えず可愛いって言っておけば収まると思ってませんかっ」

「えー? そんなことないよ? ミリアムちゃんが可愛いのは本当だし、俺は女性を褒める言葉は素直に口にする質なだけだもん」


 日傘の向こうにオーレンの笑う口元だけが見えて、私は反対に口をへの字に曲げた。

 これは確実に、私の反応を見て楽しんでいる。私が何か言えばその倍以上の言葉でもってやりこめられて、私が慌てれば更にオーレンがそれを見て楽しむ。そんな光景が容易に想像できた。

 それでも、笑われたままでは収まらない腹の虫が、私に口を開かせる。


「揶揄うの間違いじゃないんですかっ」

「うわぁ、拗ねるミリアムちゃんも超可愛い。これは、レナートの奴が過保護になるのも分かるわー」

「ほらまた、そう言うことを言う! レナートさんだって過保護じゃないですっ。適当なこと言わないでください」

「こりゃ、お兄様も大変だなぁ」

「だからっ、人の話聞いてますか、オーレンさん!」


 私の反応を楽しむオーレンに抗議してみるけれど、彼は私が堪らず日傘の陰から顔を出したことに喜ぶばかりで、結局私は揶揄われっぱなしだった。オーレンに手玉に取られることを分かっていながら言い返してしまった自分の愚かさを身に染みて思い知らされながら、私は今度こそ口を引き結ぶ。

 せめてとオーレンを恨みがましい目で見上げてみれば、オーレンは軽い調子で謝罪の言葉を口にしながら、私の肩を宥めるように叩いてくる。かと思ったら、最後にふっと表情に優しさを込めて、


「ライサは、ミリアムちゃんを嫌ってるわけじゃないよ。あいつのあの態度は全部ハラルドの所為で、ミリアムちゃんは何一つ悪くないからね。気に病んじゃ駄目だよ」


 年長者らしくそんなことを言ってくるのだから、私はまたしても顔を赤くさせる羽目になった。

 聞いていないと思っていたのに、ちゃんと聞いていたことをこんな形で明かしてくるなんて、なんて卑怯なのだろう。


(ずるい)


 今度こそは、口に出さずに心中で零す。

 ただ、同時に感謝もしていた。あれだけライサと親しいオーレンが言うならば、ライサが私を嫌っていると言う事実はないと思っていいのだろう。ライサの態度の険しさが何故ハラルドの所為になるのかは気になるところではあるけれど、懸念が払拭されたことだけはよかったと思いたい。

 どうにも複雑な感情に深呼吸をして、心を落ち着かせる。そうして、私がなんとか平静を装えるようになった時だった――騒がしさを伴って、人垣の間から再び橙黄色が現れたのは。


「今から、あたしが賢くなったって証明してやるからな、オーレン!」


 目にもの見せてくれるとばかりにオーレンをびしりと指差すライサは、自信に満ち溢れていた。ただし、その格好は実に奇妙で、私とオーレンは目を瞬く。

 ライサは、何故か訓練着の上から腰に大判の布を巻き付けてスカートにしていたのだ。しかもその格好で、どうしてかエイナーまで連れて来ている。

 指導を受けている最中に、無理矢理ライサに引っ張って来られたのだろう。エイナーは稽古用の木剣を片手に息を弾ませながら、困惑しきりだった。

 周囲も騒然とし始め、私達に近い場所にいた訓練参加者達はすっかり手を止めて、これから一体何が起こるのかと、その成り行きを面白おかしく見つめる視線が一斉に集まる。


「エイナー様、判定してくださいね!」

「えっ? ライサ、ちょっと待って……」


 ライサは、いまだ状況が飲み込めていないエイナーに問答無用で言い放つと何故か私の目の前へやって来て、両足を踏み締め両手を腰に当てた。そして、挑むように背筋を伸ばす。

 私もまた、ライサの気迫に押されて背筋を伸ばすと――


「あた……わたくしは、ライサ・エルムットと申します! お目にかかれて光栄です、泉の乙女!」


 唐突に、ライサが巻き付けた布を摘まみ、私に向かって深く膝を折ったのだ。

 足を引く動きは優雅とは程遠く、姿勢も悪い。そして、挨拶と言うにはまるで宣誓をするかのように元気がありすぎたけれど、ライサなりに練習してきたのだろう。オーレンから聞いた話が頭の片隅を過り、私の中に閃くものがあった。

 オーレンによって私の手からするりと日傘が抜き取られるのに驚くことなく、私もライサへと淑女の礼を披露する。


「こちらこそお目にかかれて嬉しく思います、ライサ様。わたくしはミリアムと申します。どうぞ、泉の乙女ではなく、ミリアムと。そうお呼びくださいな」


 一瞬静まり返った周囲が、一拍を置いて途端に湧く。その中で、ライサの元気な声が一際大きく響いた。


「エイナー様! あたしの挨拶どうでした? ミリアムより上手でしたっ?」


 ライサはたちまち礼を解くと、やはり淑女と言うより少年と言った態度で、遠慮のえの字もなく私の名前をあっさり口にする。

 そんな彼女に、オーレンとエイナーが同時に、こいつは駄目だと言わんばかりに額を押さえた。


「えぇ! 何でっ? あたしもミリアムもあんま変わんなくないですか! あたしだってオジョウサマの皮の一枚くらい被れてましたよねっ?」

「皮を被るとか言うな! だから合格点貰えないんだろうが、お前は! あと、ミリアムちゃんとお前を一緒にするんじゃない! あんまりどころか比較にもなんねぇよ!」

「煩いなぁ! オーレンには聞いてないっての! エイナー様!」


 どうでした、とライサに期待のこもった眼差しを向けられて、エイナーはその形のいい小さな口から一つ息を吐いた。そして、いつもの美少年のごとき微笑みを可愛らしく浮かべて、一言。


「――ライサ。特訓、しようね」

「嘘ぉおおおー!!」


 たちまち、ライサは頭を抱えてその場に蹲る。けれど、へこたれることを知らないらしいライサにとっては、この程度、落ち込むには値しないらしい。そんな馬鹿な、あたしは賢くなった筈なのにと呟いたかと思ったら、何かを閃いた顔で私に迫ってきた。


「もう一回! ミリアムの見せて!」


 真剣な眼差しが私に強く訴えて、私に視線を逸らさせない。何がそこまでライサを必死にさせるのかは分からないけれど、こうまでお願いされては、私も首を縦に振る以外になかった。

 けれど、それをよしとしないエイナーが間に割って入って来る。


「そこまでだよ、ライサ。君はまだ模擬戦の途中じゃないか。僕だって、指導を受けている最中なんだ。訓練が終わったあとに、ミリアムにお願いして時間を作ってもらおう」

「えぇー! まだ時間はありますって、エイナー様!」

「駄目だよ!」


 エイナーが厳しくライサを咎める一方、ライサは私の腕を掴んで離すまいとして、素直に言うことを聞きそうな様子ではない。

 お互い、駄目だ、嫌だと言い張るばかりで埒が明かない状況に、私はエイナーへと顔を向けた。


「エイナー様。私は構いませんよ」

「でも」

「一度だけですから、そんなにお時間は取らせませんし」


 渋るエイナーへにこりと笑い、私は改めてライサに向かい合った。


「では、もう一度だけ。今度はゆっくりとやりますので、見ていてくださいね」


 殊更ゆっくり、私はしずしずとその場で膝を折る。ライサは真剣な表情でその様子を眺め、一際深く膝を折った状態で静止した私の周囲をぐるりと歩き回ると、徐にその手を私へと伸ばした。

 そして――ぺらり、と私のスカートが捲られる。


「――え?」


 それは、誰の呟きだったか。

 私だったような気もするし、エイナーだったような気もするし、全く別の兵士か騎士から上がったような気もする。そんな曖昧な、吐息に混ぜて思わず零れたその音が、一時その場の時を止めた。

 騒めいていたのが嘘のように静まり返る中、平時と変わらないライサの声だけが、場違いにその場にのんびりと響く。


「……ふぅん。あたしと変わんないように見えるんだけどな……」


 続いて「えいっ」と言う何とも軽い掛け声と共に、私の視界が何故かスカートの布地で一杯になる。


「――っっ!?」


 瞬間、私の手は反射的に思い切りスカートを押さえつけていた。そして響く、オーレンの怒声。


「ライサァアアアア!!」


 再びライサの頭に拳骨でも落ちたのかライサが叫ぶ声が聞こえたけれど、私はスカートを押さえつけるのに必死で、服が汚れるのも構わずにぷるぷる震えながらその場にへたり込んでいた。すぐに誰かが駆け寄ってくれた気配を感じても、その時の私は顔を上げると言う簡単なことすら行動に移せず、ただ地面の一点を見つめて呆然とするばかり。


(何? 何っ? 何が起きたの、今……!?)


 真っ白になった頭では、考えても考えても、今起こったことがまるで理解できない。

 私はただ、ライサに乞われて礼を披露しただけだった筈だ。それなのにどうして顔が熱を持ったように熱く、決して寒くない筈なのにおかしいくらいに体が震えるのか。地面に座り込んでしまっているのか。全く何も分からない。


「んもう! 何でまた殴んの!? あたしは真面目に勉強してただけなのに!」

「どこが真面目だ! どこが!」

「だって、スカートの中で足がどうなってるか、ちゃんと見たかったんだもん!」

「だからって、公衆の面前で人様のスカートを捲る奴があるか!」

「何で? あたしもミリアムも女じゃん。別にいいでしょ!」

「よくねぇよ、このすっとこどっこい娘が!」

「……もしかしてミリアムって、可愛い顔してるけどあたしの父さんと一緒で付いてんの?」

「何でそうなる!」

「だって――」


 ライサとオーレン、二人の言い合いが不意に途切れる。

 ようやく静かになった――この場に注目していた誰もがきっと、そう思っただろう。私も、勝手に耳に入ってくる騒がしい音が聞こえなくなったことに、どこかほっとしていた。

 けれど、その安堵が間違いだったことを、私を含め、その場にいた者達は全員、次の瞬間思い知ることになる。


「ミリアム、あたしと違ってつるぺたじゃん?」


 そんな言葉と共に、誰かの両手が私の胸を、背後から鷲掴みにしていた。


「――っっ!?」


 本日二度目。飛び上がらんばかりの衝撃が私の全身を駆けて、頭の中で声にならない絶叫がこだました。わきわきと容赦なく動く褐色の指に収まりかけていた筈の体の震えが再燃し、眩暈までしてくる。

 そして、そんな私にとどめを刺したのは、何とも無邪気で残酷な一言だった。


「……ん? なんだ、ちゃんとあるじゃん。あたしのより小さいけど!」


 よかった、ちゃんと女だった。そんな言葉に、私の中の繊細な何かが粉砕された気がした。ふらりと私の視界が揺れたのは、気の所為ではないだろう。

 衝撃のあまり頭が考えることを放棄して、一瞬、見える世界が白く弾ける。


「ミリアム!」


 私の体を支える小さな腕と三度修練場に轟く怒声を遠くに感じながら、私の中にこれまでに生きてきた人生の記憶の欠片が、不意によみがえった。

 笑いながら駆け去って行く悪戯っ子達。あれは、王都から離れた片田舎に農家の娘として生まれた時だっただろうか。本当に平和で長閑で争いとは無縁の場所で、子供達の笑い声がいつだって聞こえるような村だった。

 娯楽が少なかったものだから、腕白盛りの男の子達は、よく女の子達にちょっかいをかけてはその反応を見て楽しんでいたのだ。私も、時々やられていた。

 家の角から飛び出して驚かせたり、その悪戯の派生で勢いよく抱き着いてきたり。他にも、木の上から大量のミミズを落とす、川の水を浴びせる、泥団子をぶつける、美味しいと言って渋い果実を食べさせる、通り過ぎざまにスカートを捲る……数え上げればきりがない。

 どんな悪戯も声を上げて驚き、最後に子供達に向かって「こらっ」と怒鳴ってやれば、子供達は大成功だと笑っていたものだ。


 ――そう。あれはまだ、可愛い悪戯だった。小さな子供の悪戯だったのだ。

 けれど、今回はそうではない。悪意がなくとも悪戯でなくとも、衆目が集まっている状況であんなこと……! ライサの年齢が十五歳で厳密には子供の範疇とは言え、流石に笑って許せる範囲を超えている。何より、こんなことは王族を守る騎士のすることではない。


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