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一月振りの再会

 目の前で、剣が風を切ってぶつかり合う。気合いのこもった勇ましい声が空気を震わせ、地面を力強く蹴りつけた勢いで砂が舞う。

 日傘を片手に固唾を呑んで勝敗の行方を見守っていた私の前で、ラーシュの剣が防具に守られた相手の急所を過たず打ち、相手が地面に尻餅をついた。


「勝負あり! ――次っ!」


 審判役の騎士の声に、ラーシュが対戦相手を助け起こしてその場を足早に去る。その際、私に向かって白い歯を見せて笑んでくれるのに、私も笑顔で応えた。

 そうして再び私の前方で、刃を潰した剣での打ち合いが始まる。


 *


 私がフェルディーン家へ迎え入れられる日まで、あと二日と迫ったこの日。私は、修練場で定期的に行われると言う、騎士団と警備兵団合同の訓練を見に来ていた。

 話を聞いた当初は、剣を知らない私が見に行っても邪魔になるだけでは、と遠慮したものの、城勤めの者達にとっては娯楽の一つであり、毎回見物人も多いこと、今回はキリアンやエイナーも参加することを教えられては、私の興味が湧かないわけがなかった。

 そうしてやって来た修練場は現在、基礎訓練を終えて、一対一の模擬戦の真っ只中。祈願祭の時にあった柵が取り払われ、簡易の仕切りで囲われた修練場は六つの区画に区分けされ、私が見物させてもらっている中央の区画以外からも様々な音や声が湧いて、実に賑やかだ。


 ちなみにテレシアからもたらされた余計な情報としては、この合同訓練、騎士や兵士との出会いを求める者達の「狩場」でもあるのだとか。

 実際、私が今いる場所から見える範囲だけでも、見物人の半数以上は女性だ。仕事の休憩の合間を縫ってやって来たと見える彼女達は皆、祈願祭の時とは違い、剣を交える男性達を真剣な――獲物を見定める猛禽類のような――眼差しで食い入るように見つめている。そこには歓声を上げて楽しむと言う和やかな雰囲気は一切なく、仕切りの内側に足を踏み入れてしまわないのが不思議なほどの異様な気迫に満ち満ちて、正に狩人の様相を呈していた。

 そんな彼女達の様子に薄ら寒いものを感じた私は、そっと視線を剥がすと、そのまま左右の区画へと順に首を巡らせる。


 私から見て右の区画にはキリアン、その奥ではレナート、正面にラーシュ、そして左手奥の区画にはイーリスがそれぞれ割り振られており、模擬戦不参加のエイナーは、正面奥の区画で成人未満の新人兵士と共に、引き続き指導を受けていると言う。

 今、ラーシュは一戦見せてもらった。では、次は誰を見に行こう……そんなことを考えていた私の視界に、その時、この国での私の数少ない知り合いの一人が人垣から抜け出てくる姿が入り込んだ。栗色の髪に菫色の瞳が印象的な兵士、オーレンだ。

 彼もこの訓練に参加していたとは、気付かなかった。


 きっちりと防具を着込む者もいる中、革製防具を腕に装着しただけの軽装のオーレンは、一戦終えた直後なのか剣を片手に軽く息をつき、服に付いた砂埃を払っていた。次いで髪を掻き上げ、わずかに滲んだ汗を拭う。

 相変わらず、そんな姿ですら気障に映るオーレンへと目を向ける女性は少なくなく、私は彼女達を刺激しないよう、そっと日傘の陰からオーレンの様子を窺った。

 私がオーレンの姿を目にするのは祈願祭以来、約一月振り。けれど、日々のレナート達との会話の中で比較的よく話題に上っていた所為か、その姿を見ても、不思議と一月もの時間が空いていたとは思えなかった。

 と、対戦待ちの兵士に呼ばれてオーレンが剣を相手へ手渡した拍子に、その彼とばちりと目が合う。


「おっ! ミリアムちゃん、久し振りー!」


 真面目に訓練に臨む兵士の顔に、一瞬にして笑顔が咲いた。かと思ったら、私に向かって手を振りながら、オーレンが足取り軽く歩み寄って来る。

 その表情は裏表なく私との再会を喜んでくれていて、一斉に私へと女性達の視線が刺さるのを気にするのが馬鹿らしいくらいに明るく、私も笑顔でオーレンに相対した。


「お久し振りです、オーレンさん」

「いやあ、ミリアムちゃんは今日も可愛いね。日傘姿も超似合う! 元気にしてた?」

「はい。オーレンさんも、お変わりありませんか?」

「俺? 見ての通り元気だけど、ミリアムちゃんの顔を見たらもっと元気になったかな?」


 癒しの美女様々だよね、とさらりと盛られる言葉達に、私は無言で苦笑する。オーレンの口から次々飛び出る誉め言葉にいちいち反応していてはきりがないことは、祝宴の時に学習済みだ。

 一月振りでも全く変わらないオーレンはその後も私の格好を褒め倒し、私が労いの言葉を掛ければ大袈裟に喜び、再び可愛いねと、まるで挨拶のように口にする。それでも、社交辞令を聞かされた時のようにその言葉に虚しさを感じないのは、オーレンの性格が故か、オーレンもまたレナート達と同じく「ミリアム(わたし)」を思ってくれていると知ったからだろうか。


 あの日、レナートが口にした「俺達」には、オーレンもハラルドも含まれている。

 ハラルドはどちらかと言えば身内贔屓が強いのだろうけれど、あのあと身支度を整えて昼食を共にさせてもらった際にそれを言えば、イェルドからは「孫は無条件で愛しいものだよ」と、例えと言うにはややずれた言葉を貰ってしまった。

 相変わらず、イェルドはハラルドをどうしても私の祖父にしたいらしいことに困惑しつつも、イェルドの言葉にうっかり納得してしまった自分も、確かにいて。本人には悪いけれど、眦を下げて私へ微笑んでくれるハラルドは、孫を見つめる祖父と言う言葉が実に似合うのだ。

 そんなことを思い出しながら、オーレンの笑顔につられるように、私も笑みを深くする。


「オーレンさんも、今日の訓練に参加されていたんですね」

「本当は本部で留守番だったんだけど、暇そうにしてるなら来いって連れ出されちゃってさ。酷いよね。俺、これでも結構忙しいのよ? でも、お陰でこうしてミリアムちゃんに会えたなら、来てよかったかな。帰ったら、ハラルドの奴に自慢してやらなきゃ」

「そんなことをして、ハラルド様に怒られても知りませんよ?」

「わぁ! 俺の心配してくれるの? ミリアムちゃん、やっさしーい」


 大仰に喜んで、オーレンの手が私の日傘を持つ手とは反対の手を、流れるように掬う。その行動に私がきょとんとする間に、オーレンに取られた私の手は彼の口元へ近付けられ――


「オーレン、見ぃつけたーっ!」

「ぐぇっ!?」


 私の手の甲に吐息が触れる寸前、オーレンに背後から何かが飛びつき、その体が大きく海老反った。

 驚いて反射的に手を引っ込めた私の目の前で、オーレンの首に褐色の腕白な腕が巻き付き、胴にしなやかな足が絡む。栗色の髪の向こうから派手な橙黄色がぴょこりと覗き、大きな焦げ茶の瞳が現れた。

 祈願祭で見た大きな子猫――基、ライサの勝気な瞳が私を見つめて一度瞬く。


「――あぁっ! 泉の乙女!」


 一拍の後、思い出したような大声と共に、私はライサにびしりと指を差された。周囲に響くその声は嫌でも私に視線を集中させ、突然の注目に緊張した私の、日傘の柄を握る手に力がこもる。

 そんな私の元へ、オーレンの背中から飛び降りたライサがすぐさまやって来た。私よりほんのわずかに低い位置にある瞳が、品定めをするように私を上下に舐め回し、「ふぅん」と一言。腰に手を当て、何故か非常に胡乱げな瞳で睨み付けられる。

 その瞳は、本当にこんな奴が、とでも言いたげだ。


 私とライサは、直接の面識はない。私は彼女の試合を見て、そして彼女は、祈願祭で泉の乙女を演じた人間として、それぞれ互いを認識しているだけだ。ライサも祝宴に参加してはいたけれど、私がその姿を見たのは初めの内だけで、彼女が私の方へ近寄って来ることはなかった。

 つまりは、これが初対面。それなのに、不躾に眺め回され睨まれるとは。失礼と言うよりも一抹の不安を感じて、私はぐ、と口を引き結んだ。

 そして、ライサが口を開きかけたその時――ごっ、と言う鈍い音と共にライサの小さな頭に大きな拳骨が落ち、ライサの頭が勢いよく私の視界から消える。


「お……っ、前なぁ!! いきなり背後から飛びついて首を絞める奴があるか! 危ないだろうが! 俺を殺す気か!」


 オーレンの怒声が続き、私に向かって言われたわけでもないのに思わず肩が跳ねた。一方、殴られた側のライサはまるで堪えた様子もなく、目を吊り上げてたちまちオーレンに噛みついていく。


「あたしに気付かなかったのはそっちじゃん! なのに殴るって酷くない!? オーレンの所為で、あたしの頭が馬鹿になったらどうしてくれんの!?  超痛いんだけど!」

「これ以上馬鹿になりようがない奴が何言ってる!」

「はぁああっ!? これでもあたし、少しは賢くなったんだよ!?」

「そう言う台詞は、礼儀作法の一つでもまともに披露できるようになってから言えよ! お前が、いまだにハラルドから合格点貰えてないの知ってるからな!」

「ぐ……っ!」


 試合での一幕を彷彿とさせる二人の言い合いに私が目を白黒させる中、言葉を詰まらせたライサは、何故かオーレンへ言い返すのではなく、私を再び睨み付けてきた。怒った猫のように唸ると私に指を突き付け、「そこ動くなよ!」と言い捨ててその身を翻す。

 それはまるで、小さな嵐のよう。

 あっと言う間に人垣の向こうに姿を消してしまったライサを無言で見送って、私は呆然と瞬く。試合で見た姿と変わりないところを見るとライサもまた元気なようだけれど、彼女の突拍子もない行動には驚かされてばかりだ。


「まったく、ライサの奴……。驚かせてごめんね、ミリアムちゃん。あの馬鹿には、あとできつく言っとくから」


 一番の被害者である筈のオーレンがやれやれとため息を吐きながらも、何故かライサの身内であるかのように私へと謝罪する。そうしながら、あいつは模擬戦をちゃんとやっているのだろうかとのぼやきを零して、オーレンもまた、ライサの去った方を眺めていた。

 その姿にはどこか慣れ親しんだ印象を受けて、私はオーレンをじっと見上げる。


「オーレンさんは、ライサさんと親しいんですか?」

「親しいと言うか……あいつ、祈願祭の時に馬鹿が露呈しただろ? それで今、騎士団長命令で、ハラルドに一般常識だのマナーだのを教わりに来てるんだよ。お陰で、すっかり兵団の連中と顔見知りになっちゃって」


 なるほど、この王都で新人兵士の教育教官であるハラルドは、彼の兵士以前の経歴を考えても、今のライサの教育係には打ってつけの人物と言うことなのだろう。

 ただ、座学が嫌いなライサにとっては、ハラルドの授業はそれだけで鬱憤の溜まるものでもあるらしい。お陰で授業後は毎回、暇そうな兵士を捕まえては彼女が満足するまで体を動かしてから、城へ帰って行くのだとか。


「見ての通りライサはこの国の生まれじゃないから、座学嫌いってのに輪をかけて、違う国の文化を学ぶってのは苦労してるみたいなんだけどね」

「まあ。では、ライサさんは移民だったんですか」


 瞳や髪の色が奇抜な人が多いエリューガルでは、肌の色の違いもさして目立つものではない。私も特に気にしていなかったけれど、ライサがこの国の生まれではないと言うことまでは考えが及んでいなかった。

 ただ、それはここがエリューガルだからこそなのだろうとも思う。もしもライサのような人間がアルグライスに現れれば、たちまち差別的な目で見られたに違いないのだから。


「ライサは、十歳の時に親父さんに連れられてこの国に来たんだ。その時、初めて目にしたとある騎士様に惚れちゃったらしくて、絶対に役に立つから騎士団に入れてくれって直談判。それだけでも例を見ないってのに、実力を見るのに試しに一戦交えた騎士をうっかり伸しちゃったもんだから、その騎士様が面白がっちゃって」


 ライサは特例で、十歳にして近衛騎士団入りが認められてしまったのだとか。

 オーレンが言うには、エリューガルで騎士団へ入団するのに、普通はそんなことをしても門前払いされるだけなのだと言う。


 この国では一般に、騎士を志す者でもまず自分が住む地域にある兵団へ入団し、新人兵士として教育を受ける。その後、王都であればこの合同訓練に参加して、他地域の兵団であれば半年に一度行われる希望者を募っての試験を受け、自分を騎士団へ売り込むのだそうだ。ただし、いずれの場合も十六歳以上でなければ入団は認められないのだとか。

 レナートのように騎士団所属の家族の口利きで入団が許されることは極稀で、ラーシュもイーリスも、それぞれ最初は兵士として働いていたと言う。


「ライサさんはやっぱりお強いんですね」

「そうだなぁ……。十五歳にしては、剣の才能はあると言えばある方かな。実際、うちの本部にいる同じ歳の兵士で敵う奴はいないから」


 それだけの強さがあるならば、今年が初めてとは言え、ライサが祈願祭に出場できたのも頷ける。

 ただ同時に、私はその年齢に驚いていた。明らかに子供だとは思っていたけれど、まさか私とたった一つしか違うとは思いもしなかったのだ。と言うよりも、ライサの年齢について考えたことすらなかった、と言うのが正しいだろうか。

 参加者の中で唯一、明らかに子供で祈願祭に出場して、午後の試合にまで勝ち進んだことにただ驚き感動して、正確な年齢なんてものは意識の端にも上らなかったのだ。

 それが途端に明示されて、私の中に少なくない衝撃が走る。


「十五歳……」

「はは。驚くよねー。ミリアムちゃんは大人びてて超美人なお姉さんだってのに、あいつはあのままで大丈夫か、他人事とは言えちょっと心配になるよ、俺も」


 正直なことを言えば、私とたった一つしか違わないのに、少女と言うよりも腕白少年を思わせるライサの言動には、本人には申し訳ないながら、少々驚き呆れている。

 アルグライスでも、平民の中にはライサに近い程度に腕白な少女は、いないこともなかった。それでも、腕白な中にも女性らしい振る舞いや恥じらう気持ちは、常に持っていたように思う。あんな、突然背後から飛びついたり不躾に他人を眺め回したりなんて態度は、精々十に満たないか、その前後くらいまでで自然と変わっていったものだ。

 それなのにライサは、もうあと三年もすれば成人するとは思えない奔放さ。アルグライスにいたならば一年後には一人前とされることに、戦慄すら覚えてしまう。


 お陰でオーレンも、ライサのその奔放さには手を焼いているらしい。オーレンが職務中であっても、ライサの溜まった鬱憤を晴らす為に頻繁に相手を迫られているのだとか。

 なまじ強さを持つライサにとっては、今は全く敵わない実力者であるオーレンを相手にする方が何度でも挑めてちょうどいいのだろうけれど、その時のことを思い出している間のオーレンの表情は渋く、その苦労が伺い知れた。


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