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私だけの相棒

 私は、レナートから持たされた人参を平等に両手に握ると、二頭に差し出した。たちまち、二頭は待ってましたとそれぞれが人参を頬張り始める。美味しそうに食べる二頭は、実に嬉しそうだ。

 そして、二頭の性格を表すように、その食べ方にも個性が現れていた。


 鹿毛の方は空腹だったのか人参が好物なのか、栗毛ほどとは言わないまでもその食べっぷりは勢いがよく、小気味いい速さで人参が私の手の中から消える。一方の月毛は、人参が食べられることを喜んでいるようではありつつも、まるで大事なものでも食べるようにゆっくりと一齧り一齧り味わっており、まだ半分も人参は減っていない。

 初めの内はそんな二頭の性格の違いを面白く眺めていた私だったけれど、私の手の中の人参を食べ終えた鹿毛はまだ食べ足りない様子で、すぐさまお代わりを催促するように私の肩を鼻先でつつき出した。


「ごめんね、少しだけ待ってもらえる?」


 月毛がまだ食べ終えていない現在、私は動こうにも動けない。

 一言断りを入れたものの、さてどうしようかと私が考えていると、鹿毛は早々に私に見切りをつけて、催促する人間をレナートへと変える素振りを見せた。どうやら、先ほどレナートが私に人参を手渡してくれた場面を、しっかりと目にしていたらしい。

 馬首を私の背後へと向け、柵に肘をついてこちらを眺めていたレナートに、まるで媚びを売るように接近していく。

 耳をぱたぱた尻尾をふりふり、(しな)を作って歩みながら大きな瞳を伏し目がちに潤ませて、女の子らしく控えめに、レナートの腕に鼻面を押し付ける。体格が小柄なだけに、全ての仕草の与える印象が他の馬より愛らしい。

 どうやったら自分が可愛く見えるのかを分かっているその態度に、私は思わず目を瞠った。


「えっ……」


 私の目の前で人参を勢いよく食べていた時とは、まるで異なるその態度。私の目はすっかりおかしくなってしまったのか、そんな彼女の姿に、祈願祭祝宴でレナートに熱い眼差しを送っていた数多の女性達の姿が被った。


「どうした? まだ食べ足りないのか?」


 驚き瞬くばかりの私の前で、更に驚くべきことが起こる。祝宴では女性達の視線に全くの無関心だったレナートが、どうしたことか鹿毛のおねだりを可愛い奴だと笑い、鼻面を優しく撫でたのだ。まるで、彼女の可愛さに惹かれたように。

 勿論、遠巻きに見られるだけだった祝宴の時とは違い、相手は人ではなく馬で、更に目の前に迫られてしまっては無視することは難しい。とは言え、まさかやたらと嬉しそうに鹿毛を可愛がるとは。

 思いもしなかったレナートの態度には、私は自分でも驚くほどの衝撃を受けた。


「……仕方ない奴だな。どれが欲しい? これか? それともこっちか?」


 挙句、鹿毛が強請るままに木箱に用意された人参を漁って、彼女の望みのものをその手にするではないか。

 あのレナートが、あからさまに色気を振り撒く牝馬にあっさり陥落している。その事実に、私は思わず足元から崩れ落ちそうになった。ついでに、勝ち誇ったように私へ流し目を向けてくる鹿毛の馬面が、大変に憎たらしい。

 男はこうして媚びればちょろいのよ、あんたには無理でしょうけど――今にもそんな声が聞こえてきそうだ。

 小柄な十歳の鹿毛の牝馬が、最早私の目には、色気を振り撒いて男を魅了する悪女にしか見えなかった。


(この子も確信犯……!)


 ご機嫌に鼻の下を伸ばして早く人参をちょうだいとレナートに迫る鹿毛は、すっかり彼に夢中だった。私のことなんて、まるで眼中にない。

 対面した際、機嫌よく顔を寄せてくれたから少なからず私に好印象を持ってくれたと思っていたけれど、それすら計算の内だった気がしてならない。

 この鹿毛の頭にあるのは、いかに男性に可愛がってもらえるか。運よく私に貰われれば、レナートにこうして甘えられると言う打算があったのだろう。なんて馬だ。


 選んだ三頭の内二頭もの馬にこうまでしてやられるとは、私はもしかして人を――今回の場合は馬だけれど――見る目が全くないのかもしれない。何と言っても、見る目がなかったばかりに、人攫いに攫われてしまったのだし。

 色々とがっかりしながら、ようやく人参を食べ終えた月毛の穏やかな瞳に顔を戻して、私は無理矢理小さく笑った。

 そんな私の眼前へ、何故かレナートから新たな人参が差し出される。


「ほら、ミリアム。こっちの馬が、人参をまだ食べたいそうだ」

「……へ?」


 反射的に差し出した手に人参が握らされて、私はぽかんとしたままレナートを見やった。

 何故、と言う私の気持ちが伝わったのか、レナートの方も、どうしたと首を傾げる。


「俺だって、手伝いくらいはするぞ?」

「手伝い……」

「動きたくても、動けなかっただろう?」

「そう、ですね……?」


 つまり、レナートは動けない私の代わりに、まだ人参が欲しいと言う馬の為に人参を取っただけだった――ようやく状況を飲み込んだ私は、レナートのそばで同じく呆けている鹿毛へと、すっと人参を差し出した。


「……人参、どうぞ?」


 鹿毛自身で、それが食べたいとわざわざ選んだ人参だ。当然、喜んで食い付く筈だった。

 けれど実際に彼女が見せた行動はと言えば、眦を吊り上げて私を上から睨み付け、鼻先にあった人参には見向きもせずに低い声で嘶いて、鼻息荒く駆け去ると言うものだった。

 誰があんたなんかから人参を貰うもんですか! ――そんな捨て台詞と共に、悔しそうにハンカチを噛み締めて走り去る令嬢の姿が、私の脳裏に浮かんで消える。


「行っちゃった……」

「打算で主人を決めようとするから、こうなるんだよ」


 同じく走り去る馬の後姿を眺めていたレナートから零された一言に、私は今日何度目か、レナートへと振り返った。


「もしかして、気付いていたんですか?」

「そりゃあ、こっちは十年以上、グーラ種と付き合いがあるからな」


 分かって当然とも取れるレナートの口振りに、それなら私に教えてくれても、と言う言葉が咄嗟に出かかって、私は慌てて飲み込んだ。代わりに、ぐぅ、と声にならない唸り声が喉奥で鳴る。

 これは、私が貰い受ける馬を選ぶ場だ。他者に助けられて決めるのでは意味がない。馬を見る目がないのも、馬に馬鹿にされるのも、それが今の私。そんな私でも受け入れてくれる馬を、選ぶ場なのだ。


 初めに選んだ三頭の内二頭が除外され、必然的に残った一頭に、私は改めて向き直る。

 この月毛の馬は、果たして私にどんな判断を下すのだろうか。

 月毛は一度私と瞳を合わせると、結局鹿毛に食べられず私の手の中に残ったままの人参へと、貰ってもいいかとの伺いを立てるように遠慮がちに首を下げた。


「あの子が選んだものだけど……よかったら、どうぞ」


 月毛は特に気にした様子もなく、再び一口一口を味わうようにゆっくり人参を咀嚼していく。そんな彼女を見ていると、先ほどまで二頭に振り回されて荒れていた私の心が、不思議と凪いでいった。

 おっとりとまでは行かないまでも、一つ一つの動作がゆったりとしている月毛の周囲はまるで時間までもがゆっくりと流れているようで、私の心がようやく平穏を取り戻す。


 それは、あの乗馬を趣味にしていた人生の時に、愛馬と共に過ごした時間で感じていたものとよく似ていて。気付けば私は、人参を食べ終えてこちらを静かに覗き込む月毛へと、手を伸ばしていた。

 嫌がる素振りを見せず触れさせてくれた指先に、温かな馬の体温を感じる。遠慮がちに撫でると、もっとしっかり撫でろとでも言うように体を寄せられて、驚きよりも喜びよりも、真っ先に安堵が来た。

 ここまで、二頭の私に対する態度を間近で見ていたにもかかわらず、月毛は私のことを嘲るでも見下すでもなく、ただ穏やかに見つめてくれている。あれだけの醜態を曝したのに、そんな私を受け入れてくれているようだった。


「……ありがとう」


 素直にそう思う。

 これでもし、この月毛の彼女にまでつまらない人間を見るような視線を向けられたり、意地の悪いことをされたり、触られるのを嫌がられたりしたら、私はしばらく立ち直れなかっただろう。もうグーラ種の馬はいらないとさえ、思っていたかもしれない。

 もっとも、始終穏やかにこちらを見守るような態度だった月毛が、私に対してそんなことをするとは、本心から思っていたわけではない。それでも、先に二頭からあんな仕打ちを受けたあとでは、どうしたって臆病にならざるを得ないと言うものだ。


 感謝を込めて首を撫でれば、月毛の方からは私を抱くように首が下がった。肩にかかるその重みに、私も存外に逞しいその首に腕を回してぎゅっと抱き着く。私がそうしても月毛は嫌がる素振りなく受け入れ、私の好きにさせてくれている。

 この子とならば、上手くやっていける気がする――しばらくの間、月毛と抱き合いながらその思いを強めて、私はレナートへと宣言した。


「レナートさん。私、この子にします」


 振り返った私に、レナートが柔らかく微笑んでくれる。それに、私も嬉しくなって顔を綻ばせた。けれど、そうして私とレナートがしばし見つめ合う形になってしまったところで、何やら腹を立てた月毛がレナートと私の間に顔を割り込ませた。

 たちまち私の視界は月毛に遮られ、私の視界を遮った彼女はレナートを厳しく見据える。


「おっと。俺は邪魔だったか」

「えっ?」


 おどけた声と共に、月毛の顔の陰からレナートの手が挙がるのが見えた。更には土を踏む音がして、地面に落ちていたレナートの影が少しばかり遠ざかる。どうやらレナートは月毛の眼力に負け、降参とでも言うように両手を挙げて柵から数歩後退してしまったらしい。

 その様子を牽制するように強い瞳で見つめる月毛は、今まで見せていた穏やかさはそのままなのに、急に控えめな態度が鳴りを潜めてはっきりと意思表示をしだして、その変化に私は少しばかり狼狽えた。

 もしかして、月毛は私が彼女を選んだことを不満に思っているのだろうか。

 けれど、私の内に芽生えた不安を払拭するように、姿の見えないレナートから楽しげな声だけが私に届く。


「よかったな、ミリアム」


 それは、私の選択が間違いではないと確信するようで。


「あの、これは……私のことを認めてもらえたってことで、いいんでしょうか……?」

「ああ。その馬の主人は君だ、ミリアム」


 グーラ種と付き合いの長いレナートの力強い断定に、私はすぐ横にある月毛へと顔を向ける。落ち着き払い、どこか大人びた様子も窺える大きな褐色の瞳に、わずかな不安を覗かせた私の顔が映っていた。

 その顔は、少しどころかだいぶ情けない。それでも、レナートが言うようにこの子は私を主人だと認めてくれたと言うのか。私が、上手くやっていけると感じたのと同じように。


「あなたは、私のことをあなたの主人として、認めてくれる……の?」


 月毛から返って来たのは、瞬きが一度だけ。けれどそれは人で言うところの頷きに似て、私には、はっきりと私の言葉に対して肯定の意思を示してくれたように感じられた。


「ありがとう。私、ちょっと情けない主人かもしれないけど……これからよろしくね」


 感謝と喜びの気持ちを込めて月毛を撫でれば、こちらこそ、とでも言うように月毛が顔を寄せ、その尾を高く振る。見上げた顔も嬉しそうで、先ほどレナートへ見せていた厳しさは、すっかり消え失せていた。

 その様子に、あの時の態度が私に対する不満の表れでないのだとしたら、もしかしたらこの月毛は、レナートが嫌いなのかもしれないとの考えが過る。この子に主人として認めてもらえたことは素直に嬉しいけれど、この先付き合いが増えるだろうレナートと上手くやっていけないかもしれないと言うのは、少々問題になりそうだ。


「できれば、あなたにはレナートさんを嫌ってほしくないんだけど……」


 この分では、もしかしてフィンとも上手くやっていけない可能性が頭をもたげる。

 始終穏やかに見えることと、誰とでも仲よくできることは別の話だ。この月毛が、どうしてもレナートやフィンを受け入れ難いと感じていた場合、私はこの子の主人として、できる限り仲よくするようにと命令しなければいけないのだろうか。

 仲良くしてほしいと思うのは私の側の都合だし、そんな命令はする方もされる方も嫌な気持ちになるだろう。できれば、そんなことはしたくない。


〝……ナマエ〟


 早速問題に直面して頭を悩ませる私に、声が届く。


「そうですよね、名前も付けてあげないと。レナートさんは――」


 言いながら後ろを振り返った私は、そこで言葉が途切れた。今の今までそこにいた筈の、当然いるだろうと思っていたレナートがいないのだ。

 目を瞬いて、首を傾げる。次いで、首を左右に振ってレナートの姿を探せば、少し離れた場所で人参の入った木箱を手に馬丁と何やら話し込んでいるのを発見した。

 馬場の柵から離れているとは言え、会話の内容までははっきりとしないまでも、声は聞こえる距離だ。ただ、あれやこれやと二人が話す様子からは、私が振り返る直前にレナートがそちらに移動したとは到底思えず、私は再び首を傾げた。

 では、先ほどの一言は、誰のものだったのだろう。考え込む私の肩を、月毛が鼻で優しく突く。


「ごめんね。レナートさんがそこにいると思ったのにいなくて、戸惑っちゃって」


 謝罪を込めて鼻筋を撫でながら、気持ち良さそうに目を細める月毛を眺めていた私の手が、不意に止まった。

 まるで閃きを得るように唐突に、一つの思いが過ったのだ。

 撫でる手を止められたことを不思議がる月毛の褐色の大きな瞳と、私の瞳が間近で見つめ合う。私からの言葉を待っているかのように静かに視線を注ぎ続ける月毛に、私はまさかとの思いを抱きながら問うた。


「……あなた、なの?」


 長い睫毛に縁取られたその瞳が、ゆっくりと瞬く。


「名前を付けてほしい、って」


 確かに聞いた一言を口に出せば、今一度、月毛の瞳が瞬いた。言葉はなかったけれど、私にははっきりと、その通りだと答える月毛の意思が伝わった。


「――っ!」


 泉の乙女に発現する力には、獣と心を通じ合わせることのできるものがある――文献で読んだ一文が俄かによみがえり、私は信じられない思いで目を見開いた。できるならそんな力が発現してほしいと思ったのは、厩舎へ向かう道中のこと。

 驚きで声の出ない私に向かって、月毛が瞬きでは足りなかったかと首を大きく縦に振る。


 まさか。では、先ほど私が聞いたあの声は、月毛の彼女の声だった――?


「あ、えっ、ほん――」


 ちゃんと伝えたいのに、感情が先走って言葉が上手く出て来ない。代わりに出て来るのは、もう、そうそう出るようなことはないだろうと思っていた筈の涙だ。

 こんなことで泣いていては、せっかく主人と認めてくれたのに呆れられてしまうかもしれない。私は慌てて涙を拭い、精一杯の感謝と喜びの気持ちを込めて、月毛の首にしがみ付くように抱き着いた。


「ありがとう……! 私、あなたを選んでよかった! 大好きよ!」


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