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祈願祭終幕・誓いと夢

 ハラルドの向こう側、テラスへ続く窓の一つだけがカーテンで閉じられていることを不思議に思いながら、私は同じくいつの間にかキリアンの腕の中にいたエイナーと視線を交わし合った。


「疲れてはいないのですけど、お腹が空いてしまって。これから、エイナー様とお食事にしようとお話ししていたのです」

「そうでございましたか」

「それなら、私もご一緒していいかしら、ミリアム」

「……いいんですか?」


 私は、いまだ私を腕の中に囲ったままのイーリスを、今一度見上げる。

 イーリスからの申し出は、とても嬉しい。立食形式で食べることもそうだけれど、こんな賑やかな場で大勢と食事をした記憶は、残念なことに私には殆どなく、イーリス達とも楽しく食事ができればいいなと思ってはいたのだ。

 けれど、イーリスはせっかく会いに来てくれたフレデリクと過ごしたい筈ではないのだろうか。そう思ったのに、イーリスから返って来たのは、楽しみにしていた時間がやっと来たと言いたげに弾む声。


「いいに決まっているじゃない。それとも、ミリアムは私がいたらお邪魔かしら?」

「そんなことありません! 嬉しいです!」


 即座に喜びを伝えれば、だったら決まりねと、すぐさま私の手を取ってイーリスが歩き出す。当然のようにハラルドもフレデリクも、そして、エイナーに誘われた騎士二人とその兄も。

 あまりに自然に全員が連れ立って歩くことに、驚きとくすぐったい喜びが私の胸を突く。今日と言う日の締め括りにこんなに幸せな時間を過ごせることの喜びが、私に満面の笑みを灯させた。


 嬉々としてハラルドが料理を取り分け、エイナーやイーリスと共にその美味しさに舌鼓を打ちながら、私の口は話の種が尽きることを知らないかのように動き続けた。

 私が一つ話せばラーシュが続き、それにエイナーが相槌を打つ。こんなこともあったとイーリスが思い出せば、レナートが渋い顔をし、キリアンに突っ込まれて笑いを誘う。再び私が口を開けば、今度はハラルドがその豊富な知識を披露して皆の関心を集め、同じく知識を持ったフレデリクが控えめに問いを投げたと思ったら、そこから二人の専門的な話へ雪崩れ込む。


 話題も笑いも、一時だって絶えることない、楽しい食事の時間だった。

 そして、どう言うわけか真っ赤になった鼻と額を痛そうに摩りながら、オーレンがテラスから戻ってくる頃には、私達はすっかり大勢の人に囲まれて賑わいの中心になっていた。


 やがて、会話と食事が一段落した頃。お腹もすっかり落ち着いたエイナーが、少しばかり改まった様子で私へと顔を寄せた。


「……ミリアム。ありがとう」


 一体、何に対してのものなのか。覚えのない唐突な感謝の言葉に、私は目を丸くする。エイナーは私のそんな反応を予想していたのかくすぐったそうに笑うと、あのね、と続けた。


「僕の言葉で、ミリアムに感謝を伝えていなかったなと思って」

「感謝、ですか?」


 私が鸚鵡返しに繰り返せばエイナーははっきりと頷いて、私の両手をその小さな手で掬い上げた。


「今の僕があるのは、ミリアムのお陰だから。だから、ありがとう」

「それは……」


 エイナーが、攫われたあの日のことを言っているのだと、ようやく私も理解する。

 けれど、そのことならこれまでにも散々礼を言われているし、それこそ数え切れない親切の中に感謝の気持ちはたくさん詰まっていて、私の両腕では抱えきれないほど貰っている。

 それなのに、どうしてエイナーは今、改まってそんなことを言い出したのだろう。私が不思議そうに瞬くのを、エイナーが口元だけにほんの少し自嘲の入った笑みを灯して見上げた。


「あの日、僕を助けてくれたのが兄上やレナートやラーシュだったら、きっと今でも僕は、部屋に閉じこもったままだったと思うんだ。わけが分からない状況に膝を抱えて恐怖に震えて、兄様助けてって、ただ待つばかり……そんな体験をずっと引きずったまま、今日の祈願祭にも出られなかったと思う」


 エイナーは、続けて私へ告げる。


 あの日、エイナーを助けたのが私だったから、変わらなければいけないと思ったのだと。

 エイナーの存在に気付いても、見捨てて自分一人で逃げることもできたのに、それをしなかった。それどころか、簡単に折れてしまいそうなほど頼りなく細い体で、必死にエイナーを庇い、逃がそうと、恐ろしい人攫いに立ち向かってくれた。その姿に、このままの自分ではいけないと強く感じたのだと。


「僕は王子で、この国の民を守る立場にいるのに、そんな僕がいつまでも兄上やラーシュに頼ってばかりじゃ駄目だって。あの時、本当は僕の方がミリアムを守って立ち向かわなきゃいけなかったのに……こんな情けない僕じゃ、いつかこの国の王になる兄上を支えられる人に、頼ってもらえる人になんかなれっこない」


 そう気付かせてくれたのが、(ミリアム)だった――


 私の手を握るその力が、やや強まる。


「僕が自分一人で立てるようになったのは、ミリアムが助けてくれたからなんだ。今の僕はまだまだ足りないものだらけだけど……いつか、兄上を一番に支えられる存在として堂々と立てる人になるから。……だから、ミリアムには見ていてほしいんだ」


 ――(エイナー)が、国を統べる兄上(キリアン)のそばで、共に国を導く人物になる日まで。


「……エイナー様……」


 まさか、あの日の私のただただ必死だっただけの行動が、エイナーにこんなにも大きな影響を与えていたとは、知らなかった。何も持たなかったあの時の私でも、確かな人の助けになれた驚きと喜びに、私の胸が熱くなる。

 エイナーの決意に、私もエイナーの手を握り返した。


「勿論です。ずっとエイナー様のことを見ています。応援しています……!」

「ありがとう、ミリアム!」

「私も……皆さんからいただいたものを大切に、進んで行きます」

「うん。僕もミリアムのこと、見ているね」


 破顔するエイナーに向かって、私も改めて決意を固める。

 私も、変わらなければ。まだ、この繰り返す人生から完全に抜け出せたかははっきりしないけれど、少なくともこれからは、繰り返す切っ掛けになる死を回避する為ではなく、ただのミリアムとしてこの人生を前向きに生きていく為に、前を見て進むのだ。


「……あ。でも、さっきのことだけは忘れてね?」


 一人心の中で拳を握っていたところに、エイナーが気まずそうにぽそりと耳打ちをしてきて、私は一瞬、はて、と固まった。さっきのこと、とは、もしかして、あの愛し合う男女もかくやとばかりの兄弟の熱い抱擁のことだろうか。


「キリアン様との……?」

「あれは、その、兄上がポンコツになった時のおまじない……みたいなものでっ。僕と兄上は、いつもあんなじゃないから! だから、忘れて!」

「ポン、コツ……?」


 いつだったか聞いた単語が、先ほどのキリアンの様子に被る。

 あの時のキリアンは、確かにエイナーに対して愛情過多ではあったけれど、私の目にはいつものキリアンとさして変わりなく見えたのに。

 あのキリアンをしてポンコツとは、一体、エイナーはまた何を言い出すのだろう。


「それに、兄上がミリアムに失礼なこともしてしまって……本当にごめんね、ミリアム」

「いえ、失礼なことなんて、何も」

「ううん。きっと、僕達が踊っている間に、誰かが変なことを兄上に言っちゃったからだと思うんだけど……」


 納得できない私を置いて、エイナーの視線が間違いなく真っ直ぐに、同僚の兵士と語らうオーレンの背中を見つめる。次いで、来賓との会話に忙しいキリアンの横顔も捉えて、その目をすっと細めた。


「兄上にはちょっと、反省が必要だと思うんだ。……ねえ、イーリス。兄上とラーシュに伝言があるんだけど、頼める?」


 強請るようでいて確かな命令の気配に、イーリスがすぐにエイナーへと身を屈め、何事かを耳打ちされて去っていく。その口角は悪いことを企むように吊り上がって、何やら楽しげだ。


「エイナー様、イーリスさんにどんな言伝を頼んだんですか?」

「……内緒っ!」


 人差し指を口元に当て、年相応の子供の顔でエイナーが笑う。

 同時に、イーリスからエイナーの伝言を聞いたらしいキリアンが、愕然とした表情でこちらへ顔を向けた。すぐさまこちらへやって来ようとするのを、すかさずラーシュに羽交い絞めにされて止められ、たちまちじたばたとキリアンが暴れ出す。

 一体、エイナーはキリアンに何を伝えたのか。キリアンは悲愴な声で弟の名を叫んで必死に腕を伸ばし、それを、ラーシュが白い歯を見せて爽やかに笑いながらも、しっかりと捕まえて離そうとしない。そして、そんな二人を一瞥もすることなく、満足げな表情で戻ってくるイーリス。

 俄かに騒がしさが戻った広間のその様子に、ハラルドの呆れたため息が落ちる。


「……これでは、どちらが兄か分かりませんな、エイナー殿下」

「……仕方のない人ですよね」


 しみじみと呟いたエイナーのその一言は、この祝宴で、何故だか妙に私の耳に残った言葉だった。



 ◇



 騒がしくも楽しい祝宴を時間が許す限り堪能し、祭り一色の一日を初めて過ごしたその夜のこと。

 私は、不思議な夢を見た。



 ――始まりは、朧げな母。そして、その隣に寄り添う見知らぬ誰か。

 ぼんやりとした二人は、けれどその腕に何かを抱いて幸せそうで。手を伸ばそうとした瞬間、波立った水面に掻き消えた。

 そうかと思えば眼前に黒衣が翻り、いつか見た、血よりもなお濃い紅の、昏い瞳が視界を過る。

 沈鬱に沈む碧眼に黒衣が絡み付き、諦めを滲ませながら水面に立った波紋に消えた。

 また、暗く沈んだ水面に、覚えのない、青みがかった白金色の少女がふわりと浮かぶ。

 ひらりと視界を過るのは、私のよく知る、アルグライスの貴族服。煌びやかなドレスが、一面花のように咲いては消えた。

 少女の駆け去る先には、日の光を浴びる赤褐色の、柔らかな微笑。仲睦まじく少女を腕に抱き留めて、二人の距離がたちまち縮まる。

 知らない光景が、風のように流れていく。川のように押し寄せてくる。水面が、ひび割れる――

 不意に、誰かがそっと、指差した。

 空間を奔ったのは、赤い、紅い、朱い糸。

 一本、二本、三本――次第に増えて、絡まり合った刺繍糸のように、縦横無尽に空間を埋め尽くす。

 その中で、じわりと生まれる、遠い痛み。

 手の平が熱い。背中が熱い。腹が熱い――息が、できない。

 けれど、藻掻くように手を伸ばした瞬間、世界は全て、静かな水面に溶けた。

 最後にそこに残ったのは、何と言うこともない装丁の、一冊の――本。

 誰かに読まれるのを待つように固く表紙を閉じたその本は、けれど手を伸ばす前にとぷりと水に沈んで消えた。

 あとに残ったのは、何も映すことのない、暗い、昏い、静謐な水面。

 目を閉じて、私の全ても沈んでいく――消えていく。

 微かな意識の片隅で、誰かが私の名を呼んだ――



「――――……ィス……っ!」


 ぱちりと目を開いた私の視界に入ったのは、天井に向けて伸ばされた私の手。

 瞬いて、ぱたりと手をベッドへ落とす。

 すっかり見慣れたエリューガル王城の一室。その天井をぼんやりと眺めて、私は上手く働かない頭のまま、ゆるりと寝返りを打った。

 いくつもの鳥の賑やかな囀りが遠く近く聞こえ、締め切ったカーテンの向こうからは、すっかり昇った太陽の穏やかな暖かさが感じられる。


「……わ、たし……」


 胸元にある左手を見つめる。どこも怪我をしていないのに、何故か手の平が痛む錯覚に、ぽやんとした頭が疑問符を浮かべた。



 芽吹きの祈願祭のその夜、私は夢を見た。

 そんな、気がした――


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