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食堂での密談

 午前中の試合の興奮がいまだ冷めやらない修練場。その脇に建つエリューガル王国近衛騎士団の宿舎は、毎年この日には、出場者の待機場所として食堂が提供されることになっている。

 宿舎と修練場の出入り口とを繋ぐように幕が張られて、関係者以外の立ち入りは禁止され、宿舎の周囲と併せて警備の騎士や兵士も立つ。今年は、王太子の騎士二人に兵団の実力者が多数出ていることもあってか、興奮した観衆が宿舎へ押し寄せることを危惧して、心なしか警備の数が多い。


 それでも、食堂の窓越しにでも出場者の姿を見ようと考える者は少なくなく、今も警備の者に咎められない距離から、女性の集団が手を振る姿があった。


「人気者は大変だな」


 笑顔で手を振り返したところで聞き知った声がかかり、イーリスは視線を窓外から戻した。

 両手にカップを一つずつ持ってイーリスの正面に立つのは、兵団の実力者の一人、オーレンだ。イーリスがキリアンの騎士候補となった頃からの付き合いで、気心が知れた間柄である。


 カップの一つをイーリスの前に置くと、彼自身も窓の外を見やり、爽やかな笑みを浮かべて手を振った。片目を瞑ってみせたオーレンに対して、距離と窓と言う遮蔽物があっても分かる黄色い歓声が上がったことに、イーリスは呆れのため息を小さく吐く。


「あなたもね」

「これも仕事の内さ。王都の民とは良好な関係でいないとな」


 イーリスの向かいの席に腰かけたオーレンは小さく肩を竦め、澄ました顔でカップの中身に口をつける。漂う香りに手元のカップに目を落とせば、イーリスのカップにもどうやら同じものが入っているらしい。


「レナートの奴が淹れていたから貰って来た。お前にも持って行ってくれとさ」

「あら、ありがとう」


 レナートとオーレンの付き合いは、イーリスよりも長い。レナートが親の意向でキリアンに仕えるようになった十三の頃からと聞いたことがあるので、その年月は優に十年は越えている。

 片や王太子の側近、片や兵団長の息子と言う二人は、出会った当初こそ互いの立場故に反目することもあったそうだが、そこは子供。元々気の合うところがあったのか、親しくなるのにさしたる時間はかからなかったそうだ。


 多少、互いに張り合うことはあっても、人前では殊更大袈裟に見せているだけであって、イーリスから見ても二人は実にいい友人関係である。

 この珈琲にしても、初めに興味を持ったのはオーレンだったのが、気付けば自ら焙煎してしまうほどに嵌ったのはレナートだ。そして必ず、焙煎の方法や豆を変えた時などに試飲を任されるのはオーレンであることを、イーリスは知っている。


「こんな日にもわざわざ自分で珈琲を淹れるなんて、嫌味な奴だよな」

「貰って飲んでいる人の言う言葉じゃないわね」

「……違いない」


 厨房へと目を向けると、その中にいた見慣れた背の高い金髪と目が合って、相手に軽く頷かれる。

 それに頷き返して、イーリスもありがたく珈琲を味わった。そうしながら、さり気なく食堂内に目を配る。

 午後の試合に残ったのは、騎士と兵士、互いに四人ずつ。騎士は、イーリスとレナートの他には、ラーシュとライサ。想定通りの顔触れが残った。


 兵士の方は、騎士側の出場者に両翼が出ると知って急遽隊長格で出場者を固めた結果、オーレンの他は女性が一人と男性が二人。いずれも、過去の祈願祭で午後の試合にまで勝ち残ったことがあり、内一人は優勝経験もある顔触れが揃っている。

 昼休憩の今は、勝者八人以外にも、出場者の殆どがそれぞれ思い思いの席に座り、少し遅い昼食を取ったり談笑をしたりと、食堂内はそれなりに賑やかだ。


 その中でも、最も賑やかなのはライサだろうか。初戦で横腹に思い切り剣を叩き込んで倒した相手と、すっかり仲良く食事をしている。どうもあの試合で兵士に気に入られてしまったらしく、わしゃわしゃと髪を掻き乱すように頭を撫でられて嬉しそうに笑う姿は、まるで熊とじゃれる猫。試合で見せた姿が嘘のように、年相応の子供の顔を覗かせている。


 剣を握ると豹変する――彼女が仕えるべきただ一人の主を得たらどうなるのだろうかと考えて、イーリスは心強さと空恐ろしさを同時に感じて目を細めた。

 そんな彼女達の後ろでレナートが別の兵士に珈琲を勧めているのを一瞥して、視線を正面に戻す。

 オーレンはどこから取り出したのか、クッキーと数種類のナッツが入った紙袋をテーブルの上に広げて、それを摘まんでいた。


「それは?」

「宿舎の前で無理やり持たされた」


 イーリスの視線に気付いたオーレンが差し出してくるので、イーリスもありがたく珈琲のお供にちょうだいする。摘まんだのは、毎年出店で売られる、ドライフルーツが練り込まれたクッキーだった。


「まさか、女の子に?」

「だったらお前に分けてやると思うか? 残念ながら、女は女でも同僚だよ」

「あら、親切な同僚がいるだけいいじゃない」

「親切? 知り合いの店の売り上げに貢献しろって、あとで代金請求されるこれが?」


 摘まんだナッツで紙袋をつつき、オーレンがぼやく。イーリスは、彼がつついたそこに薄く小さな文字が書きつけられているのを確認して、素知らぬ振りで会話を続けた。


「知り合い思いのいい同僚じゃない」

「俺としては、俺に優しくしてくれた方が、何倍も嬉しいんだけどな……」


 互いに珈琲を飲みつつ、オーレンはため息を吐き、イーリスはクッキーを味わう。頭の片隅では、差し入れと称して運ばれた、会場警備の兵士からの報告に、こちらの想定通りだと満足をしながら。


「それにしても、お前に結婚を約束した相手がいると知ったら、大層大勢の人間に泣かれそうだよな。……今年もフレデリク殿は来ていないのか?」

「来ていないわよ。わざわざ、その大勢を泣かせるようなことをする必要がある?」

「……まあな。でも、今年は盛り上がること間違いなしだろうに。相変わらず仕事熱心な御仁なことで」

「必要とされているってことでしょ。私は彼のそう言うところが好きだからいいのよ」


 イーリスには、フレデリク・ノルデンと言う名の、結婚を約束している恋人がいる。一見気難しい顔に、丸眼鏡がよく似合う優しい男だ。彼は、王都から馬車で半日のところにあるイーリスの出身都市エディルで、医師をしている。

 イーリスがたまの休みにフレデリクの元を訪れて共に過ごす以外、多くの患者を抱える彼が王都を訪れることは、そう多くあることではない。


 実を言えば、今年の祈願祭は仕事を全てレナートに任せて、イーリスはエディルでのんびり過ごすつもりでいたのだが、先の一件を受けて、休暇の予定は白紙にせざるを得なくなってしまった。このことを残念に思う気持ちが全くないわけではないものの、イーリスの予定が急に変更になることは、よくあることだ。

 勿論、それは医師をしているフレデリクにも言えることで、イーリスが手紙で祈願祭に帰れなくなった旨を伝えた際も、いつものことだと特に落胆した様子のない返事が返ってきた。怪我には十分注意するように、と付け加えるように書かれた一文は、彼の優しさか、医師としての忠告か。


 思い出して、イーリスはほんの少し頬を緩めた。


「……さらりと惚気てくれるなよ」

「珈琲を飲むにはちょうどいい甘さじゃない」


 現在独り身で、恋人もいない――一月ほど前に、何人目かの恋人と別れたと聞いた――オーレンが、途端に顔を顰めて嫌そうにする。その指先が、傍から見ると苛立ちを表すようにテーブルを叩いた。


 顔がいいだけに、そんな仕草も見ている側には大して嫌悪感を抱かせないのは大したものだと、いつも思う。そう言うところは、まだしもレナートよりも愛嬌のあるオーレンの方が得をしていそうだ。そして、だからこそ、オーレンが言葉なしに情報を伝える手段として用いるのだろう。続けて三度、少し間を空けて二度。その後は、手遊びに見えるよう不規則な間隔で指がテーブルを叩く。


 警備は継続、ただし、要警戒――オーレンの指は、報告を受けての警備への指示内容をイーリスにそう告げていた。


「……幸せそうでなによりだよ、まったく」

「お陰様で」


 窓の外に新たな女性の一団を認めて、イーリスはそちらに再び手を振った。オーレンもそれに便乗すれば、彼女達は大喜びで駆け去っていく。

 その背中を見送ったところで、見知った者が歩く姿にオーレンがおや、と反応した。


「食堂に姿がないと思ったら、外に出ていたのか」


 見える景色を左から右へと歩いていくのは、少し前に行われた午後の対戦相手を決めるくじ引きで、イーリスと対戦することになってしまったラーシュだ。


 一昔前までは、午前の試合からの続きで勝ち抜き戦を行っていた、午後の試合。ところが、それでは午後の試合の勝敗の行方が、午前の試合終了時点で簡単に予測できてしまうことが度々あり、より盛り上がらなければならない午後が、盛り上がりに欠けることがあった。

 そこで、試しに午後の試合前にくじで対戦相手を改めて決めてみたところ、予想外の組み合わせになることもしばしばあって、これが大当たり。出場者側にとっても午後の試合へ向けての意欲を新たにさせる利点があり、以後、この方針は現在まで変わることなく続いている。


 なお、今年のこのくじ引きでは、イーリス対ラーシュの他は、オーレンはライサと、レナートは五年前に優勝した兵団の顔見知りと、それぞれ初戦で対戦することになった。なかなか盛り上がる組み合わせができたと言えよう。


 そんな午後の試合一番手をイーリスと共に務めるラーシュの歩く先には、彼を待つ子連れの一団。小さな子供二人がラーシュに気付いて駆け寄ると、彼はそれを満面の笑みで出迎えて両腕に抱えた。そのあとを年配の夫婦、ラーシュと年齢の近い男女、もう少し若い少年と少女がそれぞれ続く。


「家族総出で応援とは……ファレル一家は相変わらず大所帯だよな」


 ラーシュは六人兄弟の次男。祖父母と両親、それに長男が農業に従事し、すぐ下の弟が警備兵団の事務部署で働いていると聞いている。長男は結婚を控えているとかで、ラーシュによく似た赤銅色の髪の、随分と日に焼けた顔をした男性の隣に立つのが、その婚約者だろう。仲睦まじく寄り添う姿は、見ているだけで微笑ましい。

 今後は、ますます家族が増えそうな一家だ。


「賑やかよね」

「今の内だろう。残念だけど、すぐに静かになるさ。……対戦相手がお前じゃなきゃ、ラーシュが勝ち進む目もあったろうに」


 あいつもくじ運がなかったなと零すオーレンに、イーリスは緩く首を傾けつつ、両手で持つカップの側面を指で撫でた。

 オーレンの眉が、イーリスの警告を意味するその合図にわずかな反応を見せるのを横目に、小さく肩を竦める。今日は何も起こらないけれど、との意味を込めて。


「あら。応援されると普段以上に頑張れると言うし、まだ分からないわよ?」

「負ける気がない顔で言っても、嫌味にしか聞こえないな」

「……そりゃあ、負けるつもりはないもの」

「……そうかよ。まったく、ラーシュも大変だな、こんな同僚がいて」

「あなただって大変でしょう。次の相手は舐めてかかると痛い目を見るかもよ」


 初戦で巨体の兵士の横っ腹を叩いたライサは、次戦では小柄で軽い体を十全に生かした速さで相手を翻弄し、最後は足払いで相手を倒して喉元に剣を突き付ける形で勝利を収めている。


 これまで、イーリスに一度も勝てたことのないライサのこと。レナートと実力が伯仲しているオーレンを相手に勝てる見込みは薄いのだが、祭りの会場の雰囲気が、ライサに味方しないとも限らない。

 加えて、イーリス達は一戦のみで午後へ勝ち進んだが、ライサはこれまでに二戦しているにも拘らず、まるで疲れを知らないかのように元気だ。

 この昼休憩で体を休めたあとの一戦、有り余る体力を持ったライサ相手では、オーレンと言えど、油断していると勝敗がひっくり返ることもないとは言えない。


 もっとも、そうなったらそうなったで、詰めかけた観衆は大いに騒ぐことが目に見えているので、祈願祭の趣旨としては大成功なのだが。


「生憎、俺は決勝でレナートと対戦すると決めているんだ。どんな相手だろうと、負けるつもりはないな」

「それは、私にも勝つって言っているんだけど?」


 イーリスがラーシュに勝利した場合、その次の相手はオーレン対ライサの勝者である。


「そう言ったつもりだぞ?」


 さも当然とオーレンが言い切り、自信ありげにその口角が上がる。

 いや、対戦が待ちきれず、その感情が口元に現れてしまったのだろう。これまでに似たようなオーレンの表情を見てきたイーリスには、彼の考えていることが手に取るように分かった。


 今回の祈願祭に両翼が出る理由を、オーレンは誰より詳細に知っている。父親である兵団長からも、この件に関して調査を任されてもいる。いるのだが、そんなことよりも、親友との正々堂々の勝負が何より楽しみなのだ、この男は。

 午後の試合を待ちわびる様子はまるで子供のようだと思いつつ、オーレンのそう言う面は、決して嫌いではない。


「ツェレトの風が吹くには早すぎるわよ、少し落ち着いたら? あんまり吹きすぎて雨雲を呼ばれても困るのだし」

「……恵みの雨になるなら、迷惑じゃないと思うけどな」

「恵みの雨で済めば、ね」


 エリューガルでは、祈願祭の時期に植えた農作物が花をつける頃、強く吹き付けるように西風が吹く。シュナークル山脈の西の一角、ツェレト峡谷から吹くその風は、西海で熱された空気をエリューガルへ運び入れ、暑い季節の到来を告げる。

 時に嵐の前触れともなるその風をエリューガルの人々はツェレトの風と呼び、腕白な子供を指して例えることがあるのだが、勿論、今この場でその言葉が意味するものは、そんな可愛らしいものだけではない。


 イーリス達としては、三人のいずれかが決勝に進めればそれで目的は達成できる。仮に決勝でレナートとオーレンが激しい試合を繰り広げてくれたなら、それはそれで、兵士も騎士も互いに勝るとも劣らない力を持っているのだと、内外に国の強さを知らしめることにもなる。

 目星はついているものの、残念ながら、いまだ相手を追い込められるほどの明確な証拠を掴めていない、エイナー誘拐の首謀者。果たしてその人物は、この芽吹きの祈願祭が終わった後、どう言う行動に出るだろうか。


 少なくとも、積極的に人前に出るようになったエイナーの姿に衝撃を受けるだろうことは、まず間違いない。向こうは、誘拐が成功するにしろ失敗するにしろ、エイナーはいよいよ部屋に引きこもり、キリアンを、ひいてはエリューガル王家を大いに苦悩させると予想しただろうから。エイナーの予想外に元気な姿だけでも、首謀者の動揺を誘うには十分な筈だ。


 先ほどもたらされた情報でも、祭りを楽しむ客に交じって、首謀者側の手の者らしき人物を発見したとのこと。エイナーの姿に驚き焦る顔が目に浮かぶ。


「俺は仕事には真面目な男だぞ? 信用しろよ」

「そうね。じゃあ、せいぜい私との試合で体力をたっぷり消耗してちょうだい」


 残り少なくなった珈琲を飲み干して、イーリスはカップの淵を一撫でした。


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