記念品
最初の試合を見たあと、その興奮冷めやらぬまま、私とテレシアは午前に行われる十二試合の半分を続けて見てしまった。
次の六試合の前に一旦小休止が設けられ、観戦席の客の入れ替えが行われる。
試合の最中には落ち着いていた人の動きが俄かに慌ただしくなり、瞬く間に道には人が溢れた。その中を、午前中の試合観戦をこれで引き上げることにした私とテレシアは、流れに逆らうように出店の方へ向かって歩いていく。
現在の試合成績は、騎士三勝、兵士三勝の五分。
普段から王都内を巡回警備していて、人々の認知度が高い警備兵団への応援の声が大きかった為、前半最後の試合である六試合目にラーシュが登場した時、私は彼の勝利を願って、初めてと言ってもいいくらい経験のない、お腹の底からの声援を送ってしまった。
結果がラーシュの勝利に終わった瞬間には、思わずテレシアと抱き合ってその勝利を喜んだくらいに、観戦を楽しみもした。
気が付けば興奮で体は汗ばみ、今まで味わったことのない充足感に満たされて、口角は上がりっぱなしだ。
後半に組まれているレナートとイーリス二人の試合を見ないことにはなるけれど、この二人が午前中にその姿を消してしまうとは思えない。何と言ってもイーリスは、前年決勝まで進んだ実力者なのだから。
それに、エイナーが言うには、
「レナートが、自分が上の上なら兄上は上の下、イーリスとラーシュは上の中、って言ってたよ」
とのことらしいので、レナートについても負ける心配はないだろう。
ちなみに勿論、これを聞いたキリアンは即座にレナートに不満をぶつけていたけれど、これもやはりレナートは涼しい顔で「事実を言ったまで」とまるで相手にしていなかった。
私が、二人は気が置けない間柄なのだなと、改めて実感した出来事でもある。
「午後の試合はもっと凄いから、今から楽しみにしておいて」
「はいっ!」
「それに、午後はじっくり座って観戦できるように手配もしてあるから」
「もしかして、席を買ってあるんですか?」
来賓、関係者向けの観戦席の一部は、有料で一般向けに販売されていると聞いている。そう数があるわけではないので、競争率はかなりのものだと言っていたのはテレシア本人だったと記憶しているのだけれど。
「ふふふ……。とにかく、楽しみにしておいてちょうだい」
一瞬、テレシアの浮かべる笑顔が何やら不穏な気配に包まれた気がしたものの、試合の興奮に思考がふわふわとしていた上に、乾いた喉を潤すことに意識が向いていた私は、深く追求することなく相槌を打った。
出店で果実水を購入し、はしたないと思いつつ一気にそれを飲み干した頃には、私の意識はすっかり、午後の試合のことから目の前の出店へと向いていた。
飲食物を扱う出店の並びを通り過ぎ、城門により近い側へ向かうと、そこには、主に観光客向けと思われる工芸品や小物を売る出店が並んでいる。
安価な値段の木製の置物や装飾品から、手頃な値段の女性向けの小物や子供向けの玩具、少々高価な、エリューガルの有名工房の陶芸品まで、こちらの出店も多種多様だった。
中でも一際異彩を放っていたのは、アルグライスでは絶対に見ることのない、お守りを売る出店だろう。
私がエイナーから貰った、怪我の回復を祈るお守りと似たような商品が数多く並び、中には、今日の試合の出場者の勝利を祈願する為のお守り、なるものがあり、出場者の名が書かれた人の手ほどの長さの薄い木札を、男女問わず多くの人々が買い求めていた。
大抵が一人一枚購入しているようだったけれど、中には一人で複数の出場者の木札を購入している客もいる。
「あの木札って、効果はあるんですか?」
木札が多く購入された出場者は、このお守りの力で勝ち進んでしまうのではないか――そんな懸念をテレシアへ問うと、彼女はあっさり首を横に振った。
「あれには効果はないわ。どちらかと言うと、祈願祭の記念品ね。木札の裏には祈願祭にちなんだ図柄が描かれているのだけど、これが毎年違うのよ。だから、この木札を毎年楽しみにしている人は多いし、収集している人もいるの」
応援している出場者の名が書かれた木札なら、なおのこと記念になると言うことか。
「ミリアムも買ってみる? 初めての祭りの記念に」
「そう……ですね」
少し離れた位置で木札の売れ行きを眺めながら、私は三人の顔を順に思い浮かべた。
効果はないと言われても、三人に少しでも私の応援する気持ちが伝わればと考えると、三人分の木札を購入したくなってくる。かと言って、裏の図柄が皆同じであるなら、記念品としては三人分も買う必要はあるだろうかとの躊躇も生まれる。
ちなみに、現在最も売れ行きのいい木札はイーリスだった。彼女の名が書かれた木札は次から次に手に取られ、ほんの短い間だけでも、十人の女性が購入する姿を目にした。流石は、圧倒的人気を誇っているだけはある。
次点で木札の減りが早いのは、オーレンだろうか。最初の試合で勝利したライサの木札も、そこそこの売れ行きのようだ。けれど、全体を見れば、やはり王都に暮らす人々にとって普段から身近に存在している兵士の木札の方が、売れ行きはよさそうだった。
しばらく考えて店へと向かい、私は最終的に一枚だけ木札を購入することにした。一番、優勝してほしいと強く思った一人の木札に手を伸ばす。
「誰の木札にしたの?」
「……内緒ですっ」
テレシアの元へ戻るや否や、書かれた名を覗き込んでこようとする彼女の視線から木札を隠し、図柄を見る余裕もなく、私はいそいそと手提げに木札をしまい込んだ。
「いいじゃない。減るものでもないし」
「駄目ですっ。だって、一枚しか買わなかったんですよ?」
「あら、そんなことを気にする彼らじゃないわ」
確かに三人は、私が誰の木札を買ってもそれをただの事実として受け取るだけで、買ってもらえなかったと機嫌を悪くしたり、それを面白おかしく話の種にするような人達ではない。
テレシアの期待に満ちた眼差しに押し負けて、私は手提げの中から渋々木札を取り出し、名が見えるように手の平に乗せた。
飾り枠が彫られた木札の中央に、流麗な書体で書かれた名は――レナート・フェルディーン。
「あら。イーリスじゃないのね」
「イーリスさんは、もうたくさんの方が購入していたので……」
「ふぅん……? レナートが優勝できるといいわね」
「そう、ですね」
レナートの木札を選んだのはそんな理由ではないだろう、と言いたげなテレシアの視線に何となく気恥ずかしくなって、今年の図柄でも見てみようと言う素振りで、私は木札を裏返した。
表と同様に飾り枠が彫られたそこには、水辺の枝に止まる一羽の鳥が描かれていた。黒く長い嘴に瑠璃色の四枚翼、水面に届きそうなほど長い琥珀色の尾羽。頭の後ろに撫でつけたように伸びる冠羽はちらりと鮮やかな赤が覗き、そこだけ白く縁取られた円らな瞳が、何とも愛らしい。
「まあ! 今年は水辺のティーティスなのね。これは運がいいわよ、ミリアム!」
「運がいい……?」
「ええ。ティーティスは女神リーテの住まう泉の守護者なの。滅多にその姿を現すことはなくて、その美しい鳴き声で森の木々や大地を自在に操って、リーテの泉を人目から隠す役目を担っている鳥なのよ。だから、森でその姿を見かけることができたら、それはリーテの泉へ近づくことを許された証で、幸運が訪れるって言われているのね。その話に準えて、ティーティスを安易に描くことは禁止されているのよ」
以前、ティーティスが木札の図柄として描かれたのは、五十年以上も前。テレシア自身、幼い頃に、祖父がこれまで購入した木札の中に、一枚だけあるのを見たことがあるのみだと言う。
「図柄がティーティスなら、私も久し振りに木札を買っておこうかしら」
「テレシアさんは、誰の木札にするんですか?」
「そうねぇ……。ラーシュには悪いけれど、ミリアムがレナートなら、私はイーリスかしら。これでも、第一王子殿下の侍女ですもの、私」
身内を応援するのは当然、と出店へ向かうテレシアの背を見送って、私はもう一度、ティーティスの絵を眺めた。
木の枝の様子から見て、ティーティスは鳩より一回り程度小さな鳥だろうか。細部まで細かく色彩豊かに描かれたその姿はとても綺麗で、今にも絵の中から抜け出て飛び立ちそうなほど、生命力に溢れていた。こんな見事な絵を小さな木札に閉じ込められるなんて、よほど腕の立つ絵師なのだろう。記念品として安価な値段で売っていい代物とは、とても思えない。
けれど、それよりなにより、私はテレシアから聞かされた話に引っかかりを覚えていた。
ティーティスのことも、それにまつわる話も今日初めて聞いた筈なのに、以前どこかで耳にした気がするのだ。
けれど、ざっと記憶を浚ってみても、ティーティスに直接つながると思しきものは見当たらない。それでも頭のほんの片隅で「知っている」と訴える私の記憶に、自分で困惑してしまう。
一体、どこで聞いたのだったか。もしくは、読んだのか。もう少し落ち着いた場所でゆっくりと考えれば、思い出せるだろうか――そんな悶々とした思いを抱えながら木札を眺め続けていると、テレシアがその手に木札を持って帰って来た。
「すっかりティーティスが気に入ったみたいね」
テレシアからおまたせと声をかけられるまで、ずっと木札に目を落としていた私を見て、テレシアが笑う。そして、思い出したようにすっと私の耳元に顔を寄せてきた。
「そうそう。ミリアム、知っていて? この木札にその人を勝たせる効果はないけれど、祈願祭の夜に枕の下に敷いて寝ると、木札に書かれた名の人が夢に現れてくれるのよ」
「ひぇっ!?」
驚きで、危うく木札を取り落とすところだった。テレシアの言った言葉が頭の中を一周し、イーリスに掛けられていたいくつもの熱い声援が思い出され、木札の名を脳裏に描いて勝手に顔が熱くなる。
「わ、私、そんなつもりで買ったわけじゃ……!」
「あら、どうしたの? 顔が真っ赤よ?」
慌てる私に対して、テレシアは至極楽しそうだ。
これは完全に揶揄われている。そして、私の反応を楽しんでいる。
「ミリアムったら、何をそんなに慌てているの? 枕の下に敷いて寝なければ、夢に現れることはないのよ? それとも……そんなにレナートを夢に見たいとか? レナートとのどんな夢を想像したのかしら?」
「もうっ、テレシアさん!」
私が堪らず声を上げれば、テレシアの方も気が済んだのか、彼女の口から笑いながら謝罪の言葉が出て来た。ただし、当然反省の色は見られない。
「ふふ、ごめんなさい。あなたがあんまり可愛くって」
「……可愛いって言えば、何でも丸く収まると思ってません?」
テレシアの言う可愛いは、見た目ではなく、私の反応が子供っぽいことを指して言っていることくらいは分かる。
なにせ、私自身は相変わらず、可愛さとは無縁の貧相で貧弱な田舎娘なのだから、私の容姿をしてそんな言葉が出てくる筈がない。見た目がある程度見られる容姿なのは、これまでの丹念な手入れとテレシアの見立て、それに化粧のお陰だと十分理解している。なにより、可愛いなんて言葉で簡単に釣られるほど、私は子供ではない。
たとえエリューガルでは子供だとしても、アルグライスでは一人前と認められる年齢なのだから、もう少し子供扱いは控えてくれてもいいのではないだろうか。
「あら。可愛いと言ったのは私の本心よ?」
「……そう言うことにしておきます」
そちらが子供扱いするならば、こちらが大人の対応をするまで。
笑いの気配の収まらないテレシアにこれ以上言い返すことをやめ、私は次の出店へと足を向けた。他にも見てみたい出店はあちこちにあるのだ、こんなところで時間を食っているわけにはいかない。何と言っても、時間は有限なのだから。
その後、自分の持ち物と言う持ち物を全くと言っていいほど持たない私は、あちらこちらの出店を覗いて、日常使いにとハンカチ、髪留めやリボン、それらを収納する小箱を購入した。
途中、テレシアと別れて一人で出店巡りを楽しみもした。
押し花を使った小物を販売する出店で、カルネアーデ家の紋章に似た花の押し花を目にしてしまい、思わず足を止めて見入ったり、私があまりに熱心に見入っていた所為か、店員さんから押し花の栞をいただいたり。かと思ったら、何やら困った様子で右往左往していた高齢の男性を見かけて、警備の騎士に預けたりなんてこともあったけれど、概ね満足のいく買い物ができたと思う。