最初の試合
「エリューガルは、女性が騎士や兵士になるのは本当に当たり前なんですね」
「そうね。でも、エリューガルでも、一昔前まではこの手の職は男性の数が圧倒的だったのよ。それが変わったのは、女性で騎士団長になった方がいらしてからね。その方の影響で、騎士や兵士を目指す女性が一気に増えたの」
「女性で……」
「紅の獅子、なんて二つ名がつけられたくらいにとても強い方で。なんでも、兵士も騎士も弱すぎて話にならないから自分が率いて鍛えてやるって、当時の兵団長と騎士団長に面と向かって言い放ったんですって。怒った二人が彼女に決闘を挑んだものの、あっと言う間に負かされてしまって、彼女は騎士団長の座を奪ったとか……。騎士団長は副団長に降格させられて、彼女が団長を辞すまでは、騎士団の副団長は二人いたって話よ」
楽しそうに話すテレシアの口調とは裏腹に、語られる内容は凄まじい。
話を聞いた私の脳裏に即座に浮かんだ女性騎士団長の姿は、赤い髪を振り乱す、男性と見紛うばかりの筋肉に全身を覆われた逞しい女性だった。
それでは負けても仕方がない……気が、しないでもない。あくまで私の想像だけれど。
「ある時には、反対する兵団長を黙らせて自分の指揮下に入れて、騎士団長ながら、警備兵団までも率いて事に当たった女傑なのよ。今でも女性騎士の憧れの人なの」
「あ、憧れ……」
私なら、イーリスのような騎士になら憧れる気持ちは分かるけれど、団長を務めるほどの男性を負かしてしまう女傑となると、憧れよりも恐怖の方が勝りそうだ。
単純に、力で男性に勝ってしまう女性への驚きもある。平手打ち程度ならばまだしも、アルグライスで女性が男性を完膚なきまでに叩きのめすなんてことをやれば、逆上した男性に斬り殺されても文句は言えない。いや、平手打ちだとしても、その数倍の仕打ちが返ってくることは確実だ。
そう言ったこともあってか、騎士は元より、兵士も、アルグライスでは女性が就ける職ではなかった。兵士の方は女性の姿はそれなりにあったものの、その殆ど全てが他国からの雇われ兵だった。
「ええ。何を隠そう、イーリスも――」
言いかけたテレシアの声が、途中で歓声にかき消される。
場内を見れば、まさに今そのイーリスが紹介されたようで、彼女が高々と剣を掲げる様子が見えた。
意味を成さない勢いばかりの声の中に、時折、「イーリス様!」と声を揃えて叫ぶ女性の声や、「結婚してくれ!」と叫ぶ野太い声が混じっていて、歓声の度合いが今までよりも凄まじい。男女の区別なく異様な盛り上がりを見せる人々の姿に、私はただただ唖然とした。
だからきっと、女性の声で「抱いて」だとか、男性の声で「踏んでくれ」だとか聞こえてきたのは、気の所為だろう。多分、深く考えてはいけない類の声援だ。うん、絶対。
「まあ……イーリスったら、すっかり人気者ね」
確実に耳に入っただろう数々の声を華麗に無視して、テレシアがほのぼのと零す。その肝の強さに、私は思わず見とれてしまった。私なら絶対、そんな風には言葉が出て来ない。
そんなことを思う私の視線をどう受け取ったのか、テレシアが友人を誇るように明るい顔を私へ向けた。
「イーリスは去年の祈願祭で決勝まで勝ち進んだのよ。惜しいところで負けてしまったけれど、それが切っ掛けで、今、女性騎士の中では圧倒的な人気を誇っているの」
「イーリスさんって、そんなに凄い人だったんですね……」
驚いている間に、今度は圧倒的に女性の声で形成された歓声が上がる。
紹介されていたのは、サラサラの栗色の髪に菫色の瞳を持つ、いかにも若い女性が好みそうな整った容姿の、少し気障な雰囲気を漂わせた兵士だった。イーリスには劣るものの、女性人気の高さは、その声援の多さが分かりやすく示している。
「彼はオーレン・リンストルム。今の兵団長の息子で、あんな見た目だけど、これがなかなか切れ者でね。いずれは、兵団長になるんじゃないかとも言われているの。ただ……」
「ただ?」
「レナートのことを意識しているみたいで、何かにつけて張り合おうとするのよね……」
困った人よね、と頬に手を当てて零すテレシアの言う通り、剣を掲げて観衆に応えたオーレンは、何故か最後にレナートを一瞥して、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
テレシアの言から察するに、歓声の多さ自慢でもしていると言ったところだろうか。
一方のレナートはと言えば、オーレンの態度をまるで意に介する様子はなく、名を呼ばれて淡々と剣を掲げると、オーレンの時よりもやや華やいだ声援を当然のように受け止めていた。
その姿は、オーレンには申し訳ないけれど、単純にとても格好よく私の目には映った。
ただし、オーレンの目にはきっと嫌味な男に映ったに違いない。その証拠に、遠目からでもはっきりと、オーレンが歯噛みする姿が見えてしまったのだから。
「実を言うと、レナートは今年の祈願祭、出場するつもりではなかったのよ」
「そうなんですか?」
「でも、今年は俺も出るからお前も出ろって、オーレンがしつこかったみたいで……」
勿論、それだけでレナートが出ることを決めたわけではないけれど、それはこんな、誰が聞いているか知れない場所では口にしてはいけない。
祈願祭の出場には、ある程度の決まりがある。
各団の団長、副団長、そして国王直属の騎士隊の参加は不可。出場機会の平等性から、前年の出場者も参加はできない。
各団内での出場者の選出は、ただ実力あるのみ。基本は、既定の十人になるまで希望者が団内で互いに試合を行い、そうして勝ち続けた者に出場権が与えられる。
ただし例外として、警備兵団よりも数の少ない騎士団においては、王子の騎士に限り、参加の自由を認める――
つまり、キリアンの騎士であるレナートとイーリスだけは、本人が参加したいと言えば、毎年でも参加が可能なのだ。
エイナーに関してはまだ彼の騎士が定められておらず、今は第二王子付きの騎士隊に所属する者の中から選ばれたラーシュが、エイナーの騎士が決まるまでの護衛としてそばについている。つまりラーシュは今回、実力で出場権を勝ち取ったと言うことだ。
けれどこれもまた、偶然と言うわけではない。
全ては、エイナーが誘拐されたことに対して、王家の意思を示す為。今回、三人は何が何でも上位まで勝ち進まなければならないのだ。もっと言えば、三人の内一人は優勝することが望まれている。
そんなこととはつゆ知らない人々は、ただ単純に、王太子の両翼とも呼ばれるレナートとイーリス両者が出場する、稀にしか見られない祈願祭を楽しんでいるのだけれど。
やがて、出場者全員の紹介が終わると、一組を残して全員がその場から下がった。これから、最初の試合が始まるらしい。
試合は、勝ち抜き形式。午前中に十二試合を行って人数を八人までに絞り、昼食を挟んで午後に、引き続き残った八人による勝ち抜き戦が行われるのだ。
最初の対戦は、マリーゴールドを思わせる色の髪を短く刈り上げ、褐色の肌が目を引く小柄な少女の騎士と、縦も横もその少女の三倍はあろう巨体の兵士と言う組み合わせだった。
試合が始まる前から勝敗が決まっているような二人を目にして、私は心配になってテレシアの袖を引く。
「あの……テレシアさん。対戦相手が、あまりにも悪くないですか? その……女性の側に」
「普通はそう思うでしょうね。でも、心配いらないわ」
自信満々なテレシアに修練場を見るよう促された私が渋々会場へと目を向けると、二者の剣が、正に正面からぶつかり合うところだった。
上段から振り下ろされた兵士の剣を、少女の騎士が受け止める。私のいる場所まで響く金属音が、耳に痛い。
兵士がそのまま騎士を力押しで吹き飛ばそうとするのを、騎士の側は上手く力を受け流して、右へと払った。兵士はわずかにバランスを崩すも足を踏ん張り、騎士に払われた剣を、勢いをつけて返す。けれど、その時には既に騎士の姿はそこになく、小柄な体は兵士の剣の下を潜り抜け、彼女の持つ剣の柄が兵士の顎に命中した。
わっと歓声が上がり、兵士がよろめき、騎士は距離を取って剣を構える。
そのまま後ろに倒れてしまうかに見えた兵士は、けれど再び両足を踏ん張って、今度は猛然と駆け出した。雄叫びが、地響きのように修練場に轟く。
祈願祭の試合では、とにかく盛り上がることが大事だと言う。
それは、命が躍動することを、女神リーテが何より喜ぶからだ。だから、神に捧げるものではあるけれど、誰もが楽しみ、思い思いに声援を送り、試合の内容が盛り上がれば盛り上がるほど、この一年の豊作に繋がるとされている。
それ故に、出場者達も観衆が喜ぶよう、敢えて派手に動く者もいる。
ところ変われば神も変わり、祭りも変わる。
駆ける兵士に向かって、騎士も地を蹴った。両者が急接近し、互いの剣が今一度正面からぶつかり合う――ことはなく。
剣を薙いだ兵士の上を、騎士の小柄な体が跳躍する。空中で回転しながら兵士の背後に降り立つ姿は、さながら猫のようで。軽やかな身のこなしに驚いた次の瞬間、その小さな体のどこにそんな力がと目を瞠るばかりの強烈な横薙ぎが、巨体の胴にめり込んだ。
防具がひしゃげ、兵士の巨体がどうと音を立てて倒れ込む。
「――そこまで!」
審判役の騎士が、試合の決着を告げる。
同じ豊穣を司る女神の為の祭りがこうも違うことに驚きながら、私は目の前の試合の光景に、気が付けば歓声を上げていた。
テレシアの手を両手で掴み、思わず小さく飛び跳ねる。
「凄い! 凄いですっ!!」
「言ったでしょう? 心配いらないって」
「はい! あんなに強いなんて驚きました!」
人々の歓声に交じって、審判が勝者の名を告げる。
「――勝者、騎士ライサ・エルムット!」
焦げ茶の勝気な瞳が、歓声に応えてきらきらと輝く。その表情はどこか悪戯好きの子供を思わせて、今しがた巨体を倒した者とは思えないほど可愛らしい。
このライサ・エルムットが、私よりも一つ年下で、十歳の頃に行商人の父と共にエリューガルを訪れ、自らを騎士団に売り込み、特例で騎士団入りを認められた少女だと私が知るのは、もうしばらくあと。
彼女が、エイナーの騎士候補の筆頭だと知る、少し前のことである。