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黒竜住まう国の聖女~呪われ令嬢の終わりと始まり~  作者: 奏ミヤト
第五章 絡み合う思惑の果て
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昼下がりの王城

 視界のあちらこちらを、蒲公英の綿毛のような光――精霊――がいくつも舞っている。その内の一つが香りに誘われるように珈琲の入ったカップへ近付き、中身の黒い液体に驚いたように離れていく。

 そうかと思えば、別の精霊は何かを期待するように私の肩から身を乗り出して腰元を窺い、また別の精霊はレナートを気にしているのか、癖のある髪に興味深そうに近付いては離れてを繰り返している。

 珍しく私達以外に休憩を取りにやってくる人のいない憩い場の森で、精霊だけが静けさの中に賑やかさを灯していた。


「ふふっ」


 思わず零れた音に、レナートの横顔が反応をする。それに小さく首を振り、私は残りわずかの少し冷めてしまった珈琲を飲み干して、ほっと息をついた。

 昼食もお詫びのタルトも全て食べ終えた私とレナートは、満足感と共に午後の心地よい陽気にゆったりと身を浸していた。緑に囲まれて、何をするでもなく過ごしていられる――なんとも贅沢な時間だ。

 精霊が思い思いに私達の周囲を舞う姿を楽しく見つめながら、私は彼らを驚かせないよう、そっと姿勢を変えた。それから手にしていたカップを置き、今日これまで肌身離さず持っていたものをその手に取る。

 簡単に刺繍の施された布で綺麗に包んでリボンを掛けた、レナートへの贈り物――お守りだ。今日の王城訪問の、一番の目的である。


「レナートさん、こちらを」


 両手を差し出しつつレナートの名を呼べば、森の緑に視線を向けていたレナートが私を捉えると同時に、精霊達までもが待ってましたとばかりに一斉にお守りの周囲に集まった。

 一瞬私の手が光に包まれ、近付きすぎたことに気付いた精霊達が慌てて距離を取る。精霊の一部が申し訳ないと揺れる様ににこりとして、私は改めてレナートへと手を伸ばした。


「レナートさんの為に作ったお守りです」


 もう二度とレナートが大怪我をしないよう、危険がその身に降りかかっても守ってくれるよう、レナートの命が脅かされることがないよう祈りを込めた核は、ウゥスが面白いことになりそうだと言った通り、これまでとは異なる変化を見せた。

 その為、出来上がった核を包む方法もこれまでとは違うものになっている。包んでいるとは思うけれど、こんな形状でいいのかと多少悩むくらいには。

 ウゥスが言うには、核と聖紋が一組になってさえいれば核に込められた祈りは正常に作用するので、実のところ必ずしも聖紋で核をきっちり包み込む必要はないのだとか。とは言え、わざわざそんな説明を要する程度には滅多にないことではあるそうなので、恐らくレナートも見たことはないのではないかとのこと。

 果たしてレナートは、珍しい形になってしまったこのお守りを喜んでくれるだろうか。


「開けても?」

「勿論です」


 大事そうに包みを受け取ったレナートへ、わずかに緊張しながら頷く。

 レナートの男性らしい骨ばった手が丁寧にリボンを解き、布の包みをそっと開いていく。そして現れたお守りにレナートの瞳がまずは驚きにわずかに見開かれ、次いで興味深く瞬いた。その動きに、微かに硬質ながら小さな音が連なる。


「これは……」


 レナートの手が細い鎖を摘まみ上げ、その先に揺れるものを掬い上げるように手の平に乗せた。

 それは、レナートの手の平に収まる大きさの剣を象っている。もっと正確に言えば、革製の鞘を付けた剣を模した形をしたものである。

 鞘には、表は鮮やかな青と白、裏は黄褐色と赤でそれぞれ聖紋が縫い込められている。つまり、鞘の中に収まっている剣身にあたる物がお守りの核だ。核に鎖を通す為の柄だけは鎖と同質の貴金属でウゥスが誂えてくれたものだけれど、鞘は私が革から選び、核に合わせて型を取り、一針ずつ丁寧に聖紋を縫って作った。


「鞘を外してみてください」


 鞘にも鎖は通してある為、外してもどこかへ行ってしまうことはない。それを見て取ったレナートが鞘の側面に付いた小さな留め具を外せば、鞘が開いて核が現れる。

 店で選んだ時にはただ細長いだけだった鉱石は、小瓶の中身が空になる頃には下方は色味を濃くして細く尖り、上方は逆に色味を淡くして(なかご)に相当する四角柱を形成していた。更には鉱石の中心を縦に一筋、私の髪を埋め込んだかのような緑の筋が走っており、見様によっては琥珀の中に閉じ込められた針葉樹の葉のようだ。


「気を付けてくださいね。先の方は、本当に切れるので」

「それは、何と言うか……」

「遠慮しなくていいですよ。ウゥスさんは、隠し武器としてちょうどいいですね、なんて言って笑ってましたから」


 柄を掴んで核を眺めるレナートがわずかに顔を引きつらせ、遠巻きにお守りを眺める精霊達が驚いて綿毛を震わせる。その様子を見て、私は核を持って店を訪れた時のウゥスの反応を思い出した。

 ウゥスは、彼自身の言った通り普通とは異なる変化をした核を見て、大いに喜んだのだ。そして、核をどう包むべきか悩む私に対して、楽しそうに嬉しそうに、それはそれはいい笑顔を浮かべて先の一言を言い放った。その時のウゥスは、どこか新しい玩具を与えられた子供のようでもあり、核の変化を誰よりも面白がる横顔はいっそ輝いてさえ見えた。

 そんなウゥスに対して、店内にいた風の精霊達はウゥスを嗜めるように軽い突風を浴びせ、ウゥスの言葉に顔を引きつらせていた私には、慰めるように微風を送ってくれていた。

 ただ、出来上がったお守りを見てからは、隠し武器になるのも悪くないどころか騎士であるレナートが持つに相応しいものなのではと感じるようになってしまったので、私もウゥスのことは言えないかもしれない。


「またあの人は面白がって……本当にそんな使い方をしたら、逆に呪われないか? お守りだぞ?」

「平気ですよ。私のお守りがレナートさんを呪うわけがないです」

「それはそうかもしれないが……だとしても、俺としては使う日が来ないことを祈るよ」


 万一にも血で汚れるようなことがあっては堪らないと、レナートは肩を竦めて鞘の中に大切そうに核をしまう。それから、私に微笑んだ。


「俺の為に素敵なお守りをありがとう、ミリアム。凄く嬉しい。大切にするよ」

「はい。私の方こそ、レナートさんに喜んでもらえてよかったです」

「これだけのものを貰って喜ばないわけがないだろう」


 私の頷きにレナートの手が伸びる。また頭を撫でられるのだろう……そう思った私の予想に反して頬にレナートの温かな手の平が触れ、私の心臓が小さく跳ねた。


「随分、心配をさせてしまったな。不安にもさせたし、悲しませもした。今更だが……本当に悪かった」


 私がレナートへ特別なお守りを作った理由を思ってか、レナートが悔やむように吐き出した。私を見つめる瞳にも浮かべる笑みにも微かに後悔が滲んで見え、指先が今は乾いている私の目元に触れる。

 王都への帰路では一言も、それこそ素振りすら見せることのなかったレナートの思いに、私は緩く首を振って自分の手をレナートの手に重ねた。


「レナートさんが謝ることなんて、何もないですよ。レナートさんの所為じゃないんですから。それに――」


 私よりも大きく、逞しい手。触れる手の平から伝わる温もりは、私にはっきりとレナートが生きていることを伝えてくれている。それは私にとって悲しみや苦しみを上回る、何よりの喜びだ。レナートが謝罪する必要など、どこにあるだろうか。


「それに、レナートさんは生きて私の前にいるじゃないですか。私には、それだけで十分です」

「……そうか」

「そうです。レナートさんは、私がたくさん泣いてしまったの、忘れたんですか?」


 力強く頷いたあとに私がわざとらしくおどければ、レナートの笑みがくしゃりと崩れ、彼の肩から力が抜けた。


「ありがとう、ミア」

「どう……いたしまして、レファ」


 普段は私が不安や後悔を口にし、それをレナートが受け止めて力強い言葉で払拭してくれる。それとは逆のやり取りにどうにもくすぐったさが湧き、私は小さく肩を竦めた。同時に、レナートも不安を感じることがあるのだと言う当たり前のことに初めて触れた気がして、不思議な気持ちと喜びが私の胸に灯る。

 この喜びもまた、幸せと言うのだろう。

 名残惜しそうに頬から離れていくレナートの手にすら、油断するとだらしなく顔が緩んでしまうのを堪えながら、私はお守りについてウゥスに言われていたことを思い出し、レナートに一つのお願いをする。


「お守りと、ティーティスの羽根を貸してもらえますか?」

「構わないが、どうするんだ?」


 不思議そうにしながら、レナートが首に下げていたティーティスの羽根とお守りを手渡してくれる。

 久々に目にしたティーティスの羽根は、レナートと共に土砂に埋もれ血に汚れ雨に打たれたにも拘らず、初めて目にした時の姿を失うことなく、傷どころかわずかの汚れすらない綺麗な状態で鮮やかな瑠璃色を煌めかせていた。

 その羽根を、まずはレナートに断って革紐から外す。それから今回作ったお守りに重ね合わせ、何かに導かれるような感覚で、鞘に縫った聖紋の一部に羽根の軸を深く差し込んだ。そうすれば、羽根がない時は水面に輝く光のようだった聖紋は、羽根と一体となって今度は晴れ渡る空へと変貌して見えた。風を切って飛ぶ鳥の見る空だ。

 長さのある羽根は先端が鞘から出てしまっていたけれど、それすら誂えたようにお守りと見事に調和している。まるで、私の作ったお守りがティーティスの羽根を得てようやく完成したかのようだった。

 そんなことを思いつつ、今度こそ出来上がったお守りをレナートへと差し出す。


「ウゥスさんに、ティーティスの羽根も一緒にしてみたらと言われたので合わせてみたんですけど……どう、ですか?」


 ティーティスの羽根と一つになったお守りを再び手にし、じっくりと眺めるレナートの反応を気にして見つめていれば、お守りに落ちていた視線が私を向いて緊張を解すように微笑んだ。


「綺麗だな。初めに見た時よりずっといい。こんなことを言うと作ってくれたミリアムに失礼かもしれないんだが……見ていると、このお守りはティーティスの羽根があってこそ、と言う気がしてくる」

「レナートさんにもそう見えますかっ?」


 思わず身を乗り出した私の反応にレナートがおかしそうに吹き出して、「ああ」と一つ首肯した。


「これは……もしかすると、ウゥス殿には分かっていたのかもしれないな」

「ウゥスさん、ですか?」

「あの人は聖域の民だろう? 俺達のようなただの人間より、よほど色々なものが見えていてもおかしくない。してやられたな」

「ふふっ。確かに、そうかもしれませんね」


 何の力も持たない人間とは異なり、神の力の片鱗を宿す存在、聖域の民。私やキリアンのような愛し子よりも明確に神に近い彼らであれば、私の作るお守りにティーティスの羽根が必要となることを見越していたとしても、何ら不思議ではない。

 あのウゥスのこと、今頃はお守り屋の店内で、私達がティーティスの羽根を合わせたお守りを見て驚いていることに、一人ほくそ笑んでいるかもしれない。楽しげに弧を描く糸目の姿が簡単に想像できて、私の口元が緩む。

 そんな私の目の前に、レナートに手渡したお守りが差し出された。


「付けてくれるか?」


 不意に向けられたレナートの背に、驚きとは違う意味で、またしても私の心臓が小さく跳ねる。

 騎士服に覆われた、広く大きく逞しい背。それは何の変哲もない、見慣れたレナートの姿の一つである。これまでだってレナートの後ろ姿は見飽きるほど目にしているし、今更心臓が跳ねるほど動揺する理由なんてどこにも見当たらないものだ。

 それなのに、早くなる鼓動と共に、不思議と妙な緊張感が私を襲っていた。

 受け取ったお守りをレナートの首に回す瞬間、大きな背に覆い被さるような体勢になったことに思わず息まで止めてしまった自分の行動にも疑問符を浮かべながら、緊張の中、手が震えないことに感謝しながら鎖の留め具をきっちり嵌める。


「……できましたよ、レナートさん」

「ありがとう」


 レナートが、首から下がったお守りを満足げに見下ろす。私はその姿を安堵の気持ちで見つめながら、おかしな緊張感から解放されていくのに気付いて、そっと胸を撫で下ろした。

 と、不意に私に影が差す。

 何がと思う間もなく私の額にレナートからの口付けが落ち、驚いて目を見開く私の反応を楽しむ青の瞳を、私の両目が至近距離で捉えた。


「もうっ、何するんですか」


 抗議の声を上げてみるけれど、レナートは気にする素振りを見せないどころか反省の欠片もなく腕を伸ばして私を抱き締め、その勢いのまま二人一緒に敷布に倒れ込んでしまった。

 軽い衝撃と共に世界が回転し、私の視界はレナートの騎士服の濃い布地で埋め尽くされる。レナートが喉の奥で小さく笑う音が耳のそばで聞こえ、私は反射的に次に出てくるであろう言葉を待ち構えるように耳を欹てた。

 けれど、それきりレナートが動くこともその声が聞こえてくることもなく、ややあって私はそっと顔を上向かせる。


「……レナートさん?」


 目にしたのは、レナートの閉じた瞳。口元は緩く弧を描いて穏やかだけれど、やはりそれらが動く気配はない。


「レファ?」

「……しばらく、このままでいさせてくれ」


 心配になって呼び掛けてみれば、返ってきたのはそんな一言で。反応があったことに安心はしたものの、聞こえたレナートの声がどうにも気怠げだったことが、逆に気にかかった。


「構いませんけど……もしかして疲れてますか?」

「いや。ただ……幸せを噛み締めてるんだ」


 聞こえたはっきりとした声に抱き締める力がわずかに強まり、元々密着していたレナートとの距離が更になくなる。布越しのレナートの体温がより明確に感じられ、その温かさに私もレナートの言う幸せの欠片を感じた気がして、そっと目を閉じた。そして、優しく、けれど力強く私を抱き締めるレナートの腕の心地よさに身を浸す。

 さわさわと風が吹き、瞼の裏で木漏れ日が揺れる。時折、野鳥の囀りに混じってほんの微かにチリリと鈴の音のような小さな音が耳を掠めるのは、精霊達だろうか。

 耳を澄ませば、触れる布越しに穏やかに脈打つレナートの心臓の鼓動が聞こえてくる。そのことに訳もなく嬉しさが込み上げて、私は自分からレナートに身を寄せ、手に触れるお守りをそっと包み込んだ。


「ああ……今日はもう、このまま何もしたくない……」

「レナートさん、やっぱり疲れてますよね……?」

「そんなことはない」


 レナートにしては珍しい怠けた一言に私が目を開ければ、レナートは相変わらず目を閉じたまま、拗ねるようにわずかに口を曲げていた。

 その目元をよく見れば、落ちる影の所為だけとは言えない隈が薄っすらと存在している。口では疲れていないと言うけれど、本音は疲れているのだろう。体は正直なものだ。


「休憩時間は、どれくらいあるんですか?」

「……あと二時間程度は」

「それなら、少しの間きちんと横になって休んでください」

「必要ない。こうしていれば十分だ」

「駄目ですよ。体に掛けるものはないですけど、枕でしたら私の膝があるので使っていただいて構いませんから、寝てください」


 レナートの疲労を思い、私が重ねて休むことを勧めた瞬間だった。それまで閉じていたレナートの両目がかっと見開かれ、鼻先が触れるほどに真顔が迫る。


「ミリアム」

「ひゃいっ」


 あとわずかでもレナートが顔を寄せれば鼻先どころか唇が触れ合いそうな近距離に、驚きと緊張と混乱とで声が上擦る。反射的に体が動いて顎を引いたけれど、残念ながらレナートとの距離は全く開いてくれた気がしない。それどころか、顎を引いたことを咎めるようにレナートの眉が寄った気がして、私をますます混乱が襲った。

 一体、何がそんなにレナートの気に障ってしまったのだろう。私がしつこく休息を取ることを勧めたからだろうか。それとも、顎を引いてしまった行動が真面目に取り合わない態度に見えてしまったのだろうか。

 原因を探ろうと考え込み始めた私を、レナートの不機嫌にも聞こえる低く厳しい声が引き留める。


「いいか。冗談でも、軽々しくそう言うことは言うな」

「……ふへ?」

「髪もそうだが、膝も安売りするなと言ってるんだ」

「――え?」


 至近距離に迫って至極真剣どころか鬼気迫る顔で何を言うかと思えば――膝。高級素材になる私の髪とは比べることすら馬鹿らしい、安売りする価値すらない私の膝である。


「いいな、ミリアム?」


 念を押してレナートが迫るけれど、私には何故そこまで言われるのか理解ができなかった。

 だって、もう一度言うけれど、私が口にしたのは何の変哲もないただの膝なのだから。


「ひ……膝……貸しちゃ、駄目……なんです……?」


 呆気に取られた私の口からは、間の抜けた声しか出てこなかった。

 意味が分からない。

 枕代わりに短時間膝を貸すくらい減るものでもなし、家族ならば目くじらを立てるようなことでもないだろうに。母だって体が弱る前はよく私に膝枕をしてくれていたし、これまでの人生でも、私が十歳になるまでは両親兄弟問わず、互いにしたりされたりした記憶はある。他愛のない家族の触れ合いの一つではないか。

 それなのに、レナートは家族にたかが膝を貸すことのどこが問題だと言うのだろう。


「駄目に決まってる。まさか、ラッセやエイナーに貸したりしてないだろうな?」

「貸してませんよ。二人から言われたこともないですし。それに、ラッセさんはともかく、エイナー様には流石にそんなことできるわけがないじゃないですか」

「……それなら、いい」


 たとえ私より年下でも、エイナーはこの国の王子だ。頭一つ分偉いだけの王族と冗談めかして言われるくらい身分に緩いとしても、私とエイナーが友人関係にあるとしても、王族と平民、節度は大事である。

 それに、王子であるエイナーと必要以上に親交を深めることがどんな結果をもたらすのかを考えられないほど、私は馬鹿ではないつもりだ。人の噂が厄介なことは、繰り返した人生で嫌と言うほど知っている。

 そこまで考えて、私はレナートの態度の答えを見つけた気がした。


 私とエイナーが友人であるのと同様、私とレナートは家族である。けれど、そうではない見方をする者がいることをレナートは懸念している、と言うことではないだろうか。

 おかしな噂と言うものは、兄妹で抱擁を交わしただけでも立つ時は立つものなのだ。ミュルダール家で、セルマがレナートに結婚を考える相手がいるのではと言っていたし、私は子供ではあるけれど女性であることを考えれば、場合によっては結婚相手にいらぬ誤解を与えかねない。

 なるほど、それであればレナートの言動の説明がつく。……筈だ。多分。

 誤解を与えると言えば、幸い誰もいないとは言え、今現在レナートが私を抱き締めているこの状況こそが誤解を与えそうな気がしないでもないし、真っ先にラッセやエイナーの名を挙げた理由も、膝を貸していないと答えてよしとされた理由もいまいちよく分からないのだけれど。

 ともあれ、今はレナートの言葉に素直に従い頷くことが、この場を収める最適解であることは間違いないだろう。


「あの……膝を貸すのはやめますね、レナートさん」

「そうしてくれ。それに、俺はこのままで十分休めるんだ、気にしなくていい」


 このまま、と言いながら今一度しっかりと私を抱き締め、レナートが私に示すようにゆるりと瞼を閉じた。

 薄い隈の上に長い睫毛が影を落とし、疲労の色が一瞬濃くなる。それでもレナートの見せる表情は穏やかで、私はレナートが瞼を持ち上げないのをいいことに、整った綺麗な顔を飽きることなく見つめていた。

 やがて、レナートから規則正しい呼吸が聞こえ始めて、私は目を瞬く。

 深く、ゆっくりと、穏やかに。私が腕の中で軽く身動いでも、精霊達が様子を探るようにレナートの髪や頬に触れてもそれは変わることはなく。

 どうやら、本人の「十分休める」との言葉通り、レナートは私を抱き締めた格好のまま、すっかり寝入ってしまったようだった。その寝顔は、少し前に見た包帯に包まれたものとは異なり、苦痛は欠片もなく実に安らかで、私の口元が自然に緩む。


「……おやすみなさい、レファ」


 穏やかな森の空気と午後の柔らかな陽気が、私とレナートを包み込む。緩く吹いた風がレナートの髪を揺らすのをぼんやりと眺めながら、私はふと、今日はよくレナートに抱き締められる日だと、そんなことを思った。

 腕の温かさとその重みが、本当に心地いい。

 手の中のお守りにレナートが十分に休めるよう祈りながら、私もまた、誘われる眠気に逆らうことなくそっと瞼を閉じた。


 *


「…………何、あれ」

「何って……ミリアムとレナートですけど」

「そうだけど、僕が言ってるのはそう言うことじゃなくてっ!」

「エイナー様、お静かに。気付かれてしまいますよ」

「どうして二人はそんなに冷静なのっ? おかしいでしょっ? 何であんなに距離が近くなってるの、あの二人っ」

「えぇー。今更じゃん?」

「ミリアムは、大怪我をしたレナートを付きっきりで世話していたそうですからね」

「じゃあ、僕も大怪我――」

「そんなことをしてもミリアムを悲しませるだけで、世話はしてもらえませんよ、エイナー様」

「……エイナー様って、時々あたしより馬鹿ですよね? 覗きに行かなきゃいいのに、こうして来ちゃったし」

「も……もうっ、二人の意地悪っ!」


 ミリアムとレナート、二人以外に誰もいないと思った憩いの森……その草陰にこっそり潜み、二人の様子を遠目に見ていた存在があったことを知るのは、綿毛の精霊達だけである。


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