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黒竜住まう国の聖女~呪われ令嬢の終わりと始まり~  作者: 奏ミヤト
第五章 絡み合う思惑の果て
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精霊と新しいお守り

 様々な店が立ち並ぶ通りの一角。夕刻を知らせる鐘の音が街に響く中、大きな窓ガラス越しに仕立てられた服が展示されている店の扉が、軽やかな鈴の音と共に開いた。


「お先に失礼します、ジェニスさん、マダム・アン」

「ええ。今日もありがとう、サーラ。お疲れ様!」

「これから忙しくなるだろうから、今の内にしっかりお休み」


 中から出てきたのは若い女。それを見送るのは、女の格好をした男と老婆だ。

 若い女は二人に見送られて、通りを住宅の多い地区へ向かって歩いていく。その足取りは軽く、一日の労働を終えたばかりとは思えないほどに元気だ。

 やがて、一区画を進んで小さな広場まで来たところで、女は不意に駆け出した。その顔に浮かぶのは笑みだ。


「オロフ!」


 女の呼び声にはっと顔を上げたのは、広場に並ぶ屋台の端で人待ち顔をしていた、これまた若い男だった。


「サーラ!」


 ぱっと顔を輝かせた男は両腕を広げ、駆け寄った女を優しく抱き留める。頬を寄せ合い喜びに頬を染め、顔を綻ばせて何言かを囁き合った二人は、ややあって抱擁を解くと今度は指を絡めて手を繋ぎ、ゆっくり歩き出した。

 その姿はどこからどう見ても仲睦まじい恋人だ。若い二人は、初々しい幸せに満ち溢れていた。


「…………へっ」


 酒瓶を傾けながらその様子を眺めていた男は、皮肉げに口を曲げた。

 男はもう片手に握っていた硬貨を空になった酒瓶と共に屋台のテーブルに置くと、店員から差し出された新たな酒瓶を手に歩き出す。若い二人のあとを追う。一定の距離を開けて、静かに、滑るように。

 淀んだ表情ながら両の目だけは異様に鋭く、時に舌舐めずりでもするように喜悦を浮かべて人々の間を進む男の姿は、さながら獲物を狙う蛇のようであった。

 その時、女がちらりと背後を窺う。だが、男の姿は人波に紛れて分からない。気付けない。

 女を気にして足を止めた男に明るく首を振り、二人は再び歩き出す。

 茜色に染まり始める空の下、今日も人々の営みは平穏に終わろうとしていた。



 ◇



 揺れる馬車が停まり、差し出された手を取って降り立つ。私の髪を柔らかく擽った風は爽やかで、出発した頃よりもずいぶん暑さが和らいだ王都の気候は、季節の移ろいを感じるものだった。


「帰って来たばかりで無理を言ってごめんね、ミリアム」


 久し振りの王都の景色に目を向けていた私の手を優しく握って、ラッセがゆっくり歩き出す。レナートと違ってほっそりとした手をしっかりと握り返した私は、笑って緩く首を振った。


「無理だなんて。ラッセさんがお仕事に行かれる前にご一緒できて嬉しいです。誘ってくださってありがとうございます、ラッセさん」

「ああ、ミリアム……っ! そんなに嬉しいことを僕に言ってくれるのはミリアムだけだよ! 無事に帰って来てくれてありがとう! 本当にありがとうミリアム! 今の言葉だけで僕は明日からの仕事を頑張れるよっ!」


 笑顔で見上げた私の前で、ラッセが感涙に咽ぶように大袈裟に喜ぶ。久々に目にする大仰なラッセの反応は、私に改めて王都に帰って来たことを実感させるもので、自然と頬が緩んだ。


「ラッセさんったら、大袈裟ですよ」

「そんなことはないよ。僕の周りの大人はみんな酷いんだから! 僕がどんなに頑張っても、それくらいできて当たり前だろって顔して誰も僕のことを労ってくれないんだよ? ミリアムのいない間、僕がどれだけ周りの理不尽に耐えてきたことか……!」


 喜びを露わにしたのも束の間、くうっと声を漏らしながら片腕で顔を覆い、またしてもラッセがこれ見よがしに嘆いてみせる。

 僕ってなんて可哀想なんだと大仰に萎れる姿も、もしもこの場にレナートがいたならば呆れて即座に冷たい視線を投げただろうけれど、ようやく王都へ帰って来た私にとってはむしろ安心を覚えるもので。

 だから、私からの慰めを期待して嘆き続けるラッセに応えることもどこか嬉しくて、私は腕に隠れたラッセの顔を微笑みと共に覗き込んだ。


「そんなにお仕事は大変だったんですか?」

「そりゃあ、もう――」

「そんなことないッスよ、お嬢」


 ラッセが大きく頷き語り出そうとした――瞬間。背後から調子の軽い声が割り込んできて、ラッセの言葉を無情に切り捨てた。

 振り返った先にいたのは、私達の護衛を任されたフェルディーン家の私兵。笑った口の端から八重歯が覗く、どこかやんちゃな雰囲気の青年だ。私がフェルディーン家へ来てからというもの、もう一人の女性兵と共に私の護衛に任じられ、私の外出時には交代で付き添ってくれる人である。

 こうして彼と共に王都の街を歩くのも、当然ながら久し振りのことだ。


「若旦那、いっつも楽しそうに仕事してたんスから」

「あ。こら! 何で言っちゃうかな、馬鹿オロフ!」

「だって、お嬢に嘘は駄目じゃないッスか。それに俺、レナートさんから若旦那が調子に乗らないようにしっかり見とけって言われてるんッスもん」


 直前の嘆きは何だったのか。勢いよく顔を上げたラッセが口を尖らせるものの、オロフに悪びれた様子は欠片もない。それどころかラッセを無視し、私に向かって悪戯っぽく笑いかける始末だ。


「変な言い掛かりはよしくれるかな、オロフ。僕はミリアムとの時間を楽しんでるだけで、調子に乗ってなんかないじゃないか」

「えぇー、そうッスか? お嬢はどう思います?」


 オロフの悪戯な笑みとラッセの不満顔を交互に見やって、私は言葉で返答する代わりに、堪えきれずにふふっと笑い声を上げてしまった。変わらない日常を再び送れる喜びにどうしようもなく私の心が弾んで、声を抑えられなかったのだ。

 そんな私の反応は、ラッセとオロフにとって予想外だったのだろう。二人は一瞬意外そうな顔をして、けれどすぐに、私が何の変哲もないいつもの二人のやりとりに喜んだのだと気が付いたのか、柔らかな笑みを交わし合った。

 そうして楽しく歩くこと少し。私達は、外出の目的地の一つであるウゥスのお守り屋へと到着した。

 何故ここを訪れたのかと言えば、明日の朝には仕事でエルメーアへ立ってしまうラッセと大怪我を経験したレナートへ、私がお守りを作って渡したいと思ったからだ。


「お前は僕達の買い物が済むまで外で待機ね」

「了解ッス。どうぞごゆっくりー」


 オロフに手を振られながら、私とラッセは店の扉を潜る。店内に客はおらず、初めてこの店へやって来た時と同様の心地よい静寂が満ちていた。


「これはこれは。いらっしゃいませ、若旦那、リーテの愛し子」


 ラッセに手を引かれるままに店内を中へと進めば、陳列棚の向こうから特徴的な糸目が覗き、にこりとする。この店の店主、ウゥスだ。


「こんにちは、ウゥスさん。お久し振りです」

「お久し振りです、リーテの愛し子。――ご無事のお帰り、なによりでございました」


 いつも通りに挨拶をした私に対し、ウゥスは少しばかり改まった様子を見せた。

 姿勢を正し、私に対して恭しく礼をする。私を見つめる糸目は普段よりも柔らかく優しくて、たったそれだけなのに、私の無事な姿にウゥスが心から安堵しているのだとはっきり伝わってくるものだった。


「ありがとうございます、ウゥスさん」


 ウゥスは聖域の民。それも、東風を司る神を祖に持ち、彼自身も風を操ることができる人物だ。そんな彼ならば、誰かに知らされずとも、昨日の午後に王都へ帰り着いたばかりの私が東の国境の地でどんな事態に巻き込まれたのか――事の仔細を知ることは造作もないに違いない。

 けれど、残念ながら彼にできるのはそこまで。人にはない力を持つ聖域の民とは言え、この国の民の一人として王都の一角でお守り屋を営むウゥスには、生憎とそれ以上を成すことは許されていない。

 だからこそ、きっとウゥスはこうして直に私の姿を見るまで、誰よりも気を揉んでいただろう。多くを知っても動くことのできない歯痒さと共に。

 その結果が目の前の表情に表れているのだと思うと、私の心に温かなものが灯って自然と笑みが零れた。


「無事に、帰って来られました」

「ええ。本当にようございました」


 そう言ってウゥスが頷くと同時、不意に頭上から光の粒が雨のように降ってきて、私は目を瞬いて天井を仰ぎ見た。私の反応に対してか、小さく微かに楽しそうな笑い声も耳を掠めて、降ってきた光の粒が私の周囲でふわふわと踊る。

 よく見れば、それは金粉や銀粉を纏ったように煌めく、不定形の何かだった。

 周囲を楽しげに浮遊するそれは私の見る前で一つに集まり、渦を巻いては四散する。そうかと思えば、再び集まり伸び縮みしながら軽快に跳ねる。旋毛を描きながら広がり、最後に平べったく伸び切っては、初めに目にしたのと同様の細かな光の粒になる。

 不思議なそれは様々に形を変えては店内を自由に動き、一時でさえじっとしていなかった。


「どうしたの、ミリアム?」

「あの、光が」

「光?」


 私が光の集う一角を指差せば、ラッセはそちらに顔を向けてみるものの、不思議そうに首を傾げるだけだった。どうやら、この存在はラッセには見えないらしい。

 と、軽く手を叩く乾いた音と共にウゥスの弾んだ声が店内に響いた。


「これは素晴らしい。あなた様にもこの子らが見えるようになりましたか、リーテの愛し子」

「見えるように……?」


 今度は、私が首を傾げる番だった。ウゥスは、ええと首肯して、片手の平を自身の前に軽く掲げた。そうすれば、たちまち店内を漂っていた光の粒がウゥスの下へと集まってくる。

 きらきらと輝く光の粒達はあっと言う間にウゥスの手の平の上で綺麗な球体となり、私は驚きに目を瞬いた。


「リーテの愛し子が初めてお越しの際には、『私の風』などと少々言葉を濁して伝えましたが、この子らは私の力に影響を受けて意思を持った風……人に分かり易い言葉で表すならば、精霊や妖精と称されるものでして」

「まあっ! 精霊! あの時の風もそうだったなんて……私、初めて見ました!」


 声を弾ませた私の前で球体が自慢気に、そして喜びを表すように震えて波打つ。その様は蒲公英の綿毛に似て、思わず私の顔が綻んだ。


「残念、僕には見えないみたいだ」

「力を持たない人の目には、なかなかに映りにくい子らですからね」

「それなら仕方ないですね。僕はしがない商人ですから」


 肩を竦めてからりと笑うラッセは、それでもどこか羨ましそうにウゥスの手の平の上を、何とか精霊を目にできないものだろうかと凝視する。

 その様子を、精霊の側も感じていたのだろう。不意に球体が歪んでウゥスの手の上から姿を消すと、一瞬ののち、どこから拝借したものか、一枚の小さな布切れをマントのように羽織ってラッセの目の前に再び現れた。

 形も球体から大雑把に人型を模し、光る体から右腕と思われる煌めきが私とラッセの前髪を悪戯に揺らして、ラッセが目を丸くする。


「わあ、驚いた! もしかして、見えない僕を気遣ってくれたのかな?」


 小さなマントがくるりと一回転して肯定の仕草を見せればラッセの顔に笑みが灯り、それを見た精霊も一層嬉しそうに体を震わせる。

 私の耳には、同時に笑い声とも歓声ともとれる小さな声の合唱が聞こえて、聖霊の喜びように思わずこちらまで嬉しくなってしまった。


「姿は見えなくても、僕にもこうして精霊の存在を感じられるなんて、凄く嬉しいよ。ありがとう」


 言いながらラッセが精霊へ手を差し出しかけて、何かに気付いたように「あ」と小さく声を漏らす。そして、差し出した手の指の内、人差し指だけを改めて精霊へ向けて伸ばした。


「握手って、僕の手だと大きいよね?」


 浮遊するマントから、精霊の大きさを考えたのだろう。精霊を視認できる私に向かって、指なら大丈夫かなと確認するようにラッセが尋ねる。

 すると、ラッセの言葉を理解したのか、私が返事をする前に精霊の方から嬉しそうに両腕でラッセの指に抱き着く姿が私の目に映った。精霊の喜びがマントを水平にはためかせ、心なしか煌めきも強まったように見える。


「わあ、指が温かい。ねえ、ミリアム。僕、精霊と握手できてるのかな?」

「はい。とても嬉しそうにラッセさんと握手されていますよ」

「そっか、精霊も喜んでくれてるんだ。よかった。仕事前にミリアムと出掛けられて精霊にも出会えて、今日はなんていい日なんだろう! 本当にありがとう!」


 満面の笑みを浮かべるラッセに、精霊は喜びを爆発させるように勢いよくマントを宙へと飛ばし、自身も人型を崩して再び目の前から消えてしまった。


「まあ……」


 ひらひらと力なく宙を漂い落ちてくるマントを受け止めて、私は何が起こったか見えないラッセと顔を見合わせる。けれど、その時間は長くはなかった。一拍を置いて、私とラッセの視線を断つように、何かがぽとりと私の手の中へ落ちてきたのだ。

 マントの布地の上できらりと光るのは、この店で売られているお守りの核となる鉱石の一つ。ラッセの瞳の色に似た緑に、幾筋もの白が混ざり合った珍しいものだった。

 同時に手の平へ視線を落とした私達は、またも同時に顔を上げ、互いに疑問符を浮かべる。

 急に頭上から物が落ちてくるなんて、精霊の仕業であることには違いない。けれど、彼らの行動の意味が掴めなかった。


「ウゥス殿、これは……」

「そちらは、あの子らから若旦那へ贈り物……と言ったところでしょうか。あなた様と触れ合えたことが、よほど嬉しかったようです。どうぞ遠慮なくお受け取りください」

「いいんですか? 僕、これと言って特別なことはしていませんよ?」

「だからこその喜び、と言うものでして」


 妖精や精霊と言った存在は、基本的に自分達を知覚できない相手に対しては積極的に存在を示すことはしないのだと、ウゥスが私達へ語る。

 純粋な心を持つ幼い子供や、偶然にその姿を目にして彼らの存在を強く信じる者の目には多少映りやすく、そんな人々の目に映ることを楽しむこともあるけれど、それらはあくまで例外。聖域の民や神の力を源にして存在する彼らの有り様の基本もまた、聖域の民や神と同じであるのだ、と。

 だからこそ、ウゥスも私が初めて店を訪れた際、私の目に精霊の姿が映っていないことを見て、彼らの存在を明らかにすることはなかったのだそうだ。


「でも、それならどうして私は呼ばれた気がしたんでしょう?」

「たとえ見えずとも、あなた様は力持つ者ですからね。内に宿る力が、無意識にこの子らの存在を知覚していたのでしょう」

「じゃあ、今回はどうしてミリアムに精霊が見えたんです?」


 ラッセの口から、ごく自然な流れで当然の疑問が出る。それは、同じく私も抱いたものだった。

 ウゥスが私に向かって「見えるようになった」と言ったことを考えれば、精霊が敢えて私に姿を見せてくれたのではなく、私自身に何かしら変化があったことになる。けれど、以前の私と今の私との間で、精霊が見えるようになるほどの大きな変化が起こった自覚はない。

 答えを求めるようにウゥスの顔を見上げれば、彼はにこやかな笑顔を私に向けて、簡単なことだと告げた。


「それだけあなた様の力が増したと言うことですよ、リーテの愛し子」

「私の力が、ですか?」

「ええ。国境の地であなた様を襲った出来事が、よくも悪くも内に眠る力をわずかながら呼び覚ましたのでしょう」


 すっと胸元を指差され、私は無意識に両手を握り締める。

 一瞬にして穏やかな時間が崩壊したあの日の出来事は、私を襲った絶望と恐怖と安堵と……様々な感情と共に、未だに私の心に強く焼き付いている。いや、この先どれほどの時が経とうと、きっとあの瞬間のことは忘れることはないだろう。

 そんな出来事が、まさか私の力を増す切っ掛けになり、今日こうして精霊を目にできたことに繋がるとは思ってもみなかったけれど。


「力が増したなら、もしかしてミリアムは他にもできることが増えたのかな?」

「分かりません。ウゥスさんに言われて、私も初めて知ったので」


 もしかしたら、私の力の変化について、キリアンならば気付いていたかもしれない。けれど、そのことをすぐに私に伝えれば私がどんな反応をし、どんなことを考えるのか――私の性格をよく知るキリアンのこと、まだ伝える時ではないと考えたのだとしてもおかしくはないだろう。

 まさか、ウゥスはそんなことまで知っていて、今こうして私に伝えてくれたのだろうか。

 そっと窺ったウゥスの糸目は私に彼の考えを読ませることはなく、逆に視線に気付かれてにこりと笑まれてしまった。


「あなた様の力については、私が言葉で説明するより実際にやっていただくのがよろしいでしょう」


 そう言うと、ウゥスはお誂え向きとばかりに私の手の中の鉱石を指差した。


「せっかくですから、こちらをお使いいただくとしましょうか」

「使う?」

「ええ。こちらを、若旦那へお渡しするお守りの核にお使いください」


 思わぬ一言に、来店の目的はまだ告げていなかった筈だと私が目を丸くすれば、隣でラッセが敵わないと言うように肩を竦める。


「ウゥス殿のそういうところ、狡いですよね」

「風はどこにでも吹くものですから」


 悪びれなくラッセに返したウゥスは、私がエイナーのお守りを作った時同様、懐から液体の入った小瓶と櫛を取り出し、勿論こちらもご用意しておりますと、何処か得意気に笑ってみせた。


「まあっ!」

「やっぱり狡いですよ、ウゥス殿」

「お褒めに与り光栄です、若旦那」

「褒めてませんってば」


 今度は不満を露わに口を尖らせるラッセに苦笑して、ウゥスは気を取り直すように手を叩き、改めて鉱石だけを私の手の中へと置く。


「では、リーテの愛し子。こちらに祈りを込めてください。今のあなた様ならば、少しの祈りでも、この店のどんなお守りよりも効力の高いものとなる筈ですから」

「そんなに……」


 ウゥスの言葉に驚いた私は手の中の鉱石に恐る恐る目を落とし、俄かに感じ始めた緊張に小さく喉を鳴らした。

 祈る行為は、力の行使を伴う。エイナーのお守りを作った時には、何も知らずに強く深く祈った結果、意図せず多くの力を消耗してしまった。その力が以前よりも増していると言うのだから、今の私が力を行使すれば更に意図せぬ結果に繋がらないとも限らない。

 しかも、祈りを込める鉱石は精霊自らがラッセへ贈った、ある意味で特別なもの。私の力の所為で何かがあっては、ラッセも精霊も悲しませてしまうことになる。


「そう緊張なさることはありませんよ、リーテの愛し子。あなた様の力は、とても安定しておいでですから」


 心配することはないとはっきりと頷くウゥスに背を押され、私は一つゆっくり深呼吸をして、目を閉じた。

 タルグ砦でキリアンに教わった、力の制御の基礎を思い出す。習慣付けるといいと言われ、これまで毎日欠かさず続けてきたことを一つずつなぞっていく。心を落ち着け、内にある力へと意識を向けるのだ。一呼吸毎に深く。静かに。

 同時に鉱石を両手で包み込み、私はエルメーアへ向かうラッセの道中の安全を祈った。


 今回のエルメーア行きは普段の仕事とは異なるのだと、ラッセは言っていた。何でも、王家直々の依頼――つまりは命令――により、姉イレーネの嫁ぎ先であるラザク商会からの依頼と偽装して、エルメーア国王から依頼された物資を運ぶのだとか。

 どうも、西海の端で起こった戦の気配が、エルメーアの近海にも見え隠れし始めていると言うのだ。

 西海で最も力を持つエルメーアに、本当に戦の手が伸びることは現実的ではないと言うことだそうだけれど、何事も備えておくに越したことはない。

 そう言った事情から、ラッセ達が船を進めるのはエルメーアの本島ではなく最も大陸寄りの島の一つで、本島へ向かうよりは危険は少ないと言う。けれど、戦の気配に緊張する状況下では、何が起こるか分からないものだ。たとえ、船に積まれた物資が武器ではないのだとしても。

 護衛に就く私兵にはジェニスも含まれていると言うから、普段よりも格段に警戒して海を進まなければならないことは明白だろう。


 そんな仕事に向かうラッセが無事に帰って来られることを一身に祈りながら、私は薄絹でそっと包み込むように鉱石に力を纏わせる。やがて、手の平に感じる鉱石がわずかに熱を帯びた気配を感じたところで、私はゆっくりと瞼を押し上げ小さく息を吐いた。

 両手を開いて鉱石を確かめれば、石の表面に、先ほどまではなかった星屑のような煌めきが宿っているのが確認できる。


「これは……上手くできたんでしょうか、ウゥスさん」

「いやはや、お見事。大変よくできておいでです、リーテの愛し子」


 私が鉱石を示せば、ウゥスはしげしげと眺めるまでもなく、何も言うことなしとばかりににこりとした。


「ミリアム、体は平気?」

「はい。全く問題ありません」


 前回のことがあった所為だろう。ラッセの手が私の背に触れて、手の中の鉱石から私の顔色を窺うように緑の瞳が覗き込んできた。けれど今回は全く疲労を感じることはなく、私の返事にラッセが安堵すると共に、正面のウゥスからも満足気な頷きが返ってくる。

 生憎と実感は乏しいけれど、どうやら本当に少しは私も成長しているらしい。


「よかった。僕の為にお守りを作ってくれてありがとう、ミリアム。大事にするよ!」

「まだ早いですよ、ラッセさん。でも、そう言っていただけて嬉しいです。私の方こそ、ありがとうございます」


 互いに礼を言い合って、私はラッセと笑顔を交わす。

 そうして、意図せぬ力の発露に戸惑う私へ助言をくれたシシシュや、忙しいだろうに親身になって今の私に必要なことを教えてくれたキリアンへ感謝の思いを抱きながら、私はでき上がったお守りの核を優しく握り締めた。


 その後、ラッセのお守り作りに必要な他の素材を選んだ私は、レナートのお守り用に鉱石を選び取り、同じく祈りを込めて小瓶に託した。

 ちゃぽんと小さな音を立てて液体に沈んだ鉱石は、やや細長い形の透明度の高い淡い黄色。小瓶の中で私の髪と共に光を反射して煌めく様はまるで細い月のようで、レナートへの思いが自然と私に取らせた石ではあったけれど、実にレナートに似合いのものに思えた。

 出来上がったお守りを、レナートは喜んで受け取ってくれるだろうか――いや、あのレナートのこと、きっと喜んでくれるに違いない。その時のレナートの様子を想像して、私は目を細めた。


 帰路の間にすっかり怪我が治ったレナートは、既に今朝から城へ出向いている。一日くらいゆっくりしたかったと、見送りに出た玄関先で名残り惜しそうにしていたけれど、今頃はきっと怪我をしていたことを感じさせない様子で、不在のキリアン達に代わって仕事をこなしているのだろう。

 このお守りが、そんなレナートの疲れを癒す一助にもなってくれたら嬉しいと思う。

 そんな思いも抱きながら私が小瓶の中の鉱石を見つめていると、同じく小瓶に視線を落としたウゥスが、ふむ、と小さく呟く声が聞こえてきた。


「どうかしましたか、ウゥスさん?」

「いえ、大したことではありませんよ。ただ、こちらの核は何やら面白いことになりそうでして」

「面白いこと、ですか?」


 小首を傾げる私へ、ウゥスは期待を滲ませた眼差しを向けてにこりとする。


「よろしければ、核が出来上がりましたら一度当店へお持ちください」


 これはまた、私の祈りが何かやらかしてしまったのだろうか。一瞬、手にした小瓶にどきりとしつつも上機嫌のウゥスを信じて頷き、私達は店をあとにした。

 店を出る直前、また来てねと言うように私とラッセの周囲をくるりと一回りした精霊にも、挨拶をして。


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