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正式な客人

 長い歴史のありそうな、重厚な雰囲気漂う城内を興味深く眺めながらテレシアに案内されたのは、大きな両開きの扉の前だった。


「ミリアム・リンドナー様をお連れいたしました」


 中からの(いら)えと共に扉が開くと、日の光を存分に取り込んだ、明るく広い部屋が現れる。

 入口の対面が一面ガラス張りのその部屋は、ガラスの向こうに城の中庭の緑が見える、所謂サロンだった。

 遮るもののない陽光が降り注ぐ部屋の中は、石壁に囲まれて冷やりとしていた廊下と比べて実に暖かく、そこかしこに飾られた花の香が仄かに香って、室内にいながらにして庭に足を踏み入れているようにも感じられた。


 生成り色の壁紙が更に明るく暖かな印象に見せるそんな室内には、既にキリアン、エイナー両王子と、彼らの護衛であるレナートとラーシュ――ラーシュとは、エイナーが毎日見舞いに来るのですっかり見知り合いになった――それに、レナート達とよく似た、騎士服と思われる服に身を包んだ見知らぬ女性の五名がいた。


「わざわざこちらまで足を運ばせてすまない」

「お久し振りです、キリアン様」


 キリアンと会うのは、あの日言葉を交わして以来だ。

 毎日見舞いにやって来るエイナーとは対照的に、キリアンは数日おきにレナートを寄越して怪我の具合や体調を聞くくらいで、彼自らが部屋へやって来ることはなかった。


 キリアンがそうした態度を取る理由は分かっているつもりなので、彼が部屋を訪れなかったことについては何も思わない。けれど、お陰で、打ち解けられたエイナーとは違い、キリアン本人を前にすると、どうしてもまだ緊張してしまう。

 おまけに、相変わらずの整った容姿が日の光を浴びて実に眩しく私の目に映るのだから、否が応でも緊張が増すと言うもの。


 白いシャツに青灰のクラバット、金糸で縁取りや刺繍が施された薄灰のコートに同色のスラックスと言う出で立ちは、ただ窓辺に立っているだけなのに実に絵になる美しさだ。

 彼の美貌は美しかった王妃譲りだと聞いたけれど、それ以上に、クルードの加護のようなものがキリアンを美しく見せている気がしてならない。


 流石、愛し子。これがクルードの愛情か。


「どうぞ、かけてくれ」


 示されたソファへ向かえば、何故か顔を真っ赤にしてソファから飛び上がるように立ったエイナーと目が合った。こちらは毎日顔を合わせているけれど、今日は普段の見舞いで見るシャツに半ズボンと言う軽装とは違い、キリアンと揃いのコート――こちらは全体に銀糸が使われている――に濃いワイン色のクラバットをきっちり締めた畏まった服装なのが、いつもよりも大人びた印象を受けた。


 ただ、真ん丸な目を瞬いて私を凝視したかと思ったら、おどおどと視線をあちこちに彷徨わせる様が、その印象を即座に台無しにしてはいたけれど。


「こ、こんにちは、ミリアム。……え、と……その、今日のドレス……と、とても、素敵です」


 よほど緊張しているのか、最近では珍しく言葉を詰まらせるエイナーに、今度は私が目を瞬いた。それほどまでに緊張を要することが、これからこの部屋で起こるのだろうか。

 エイナーの背後に控えるラーシュはエイナーの態度に額を押さえているだけで、彼から緊張感は伺えない。どちらかと言うとエイナーの言葉の間違いにだけ反応しているようで、ごく小さな声で「ドレス姿、ですよ……」と呟く声が聞こえたけれど、きっと緊張しているエイナーの耳には入っていないだろう。


「ありがとうございます、エイナー様」


 私がそう返した途端、エイナーは力尽きたようにソファに座り込んでしまった。

 そんなところからもエイナーの緊張のほどが伝わってくるのだけれど、やはり私にはそんなにもエイナーが緊張する理由が分からず、疑問ばかりが積もる。


「おや。さっきまでの饒舌振りはどこに行ったんだ、エイナー」


 キリアンが面白いものを見たとばかりに揶揄えば、エイナーの顔が勢いよく跳ね、その大きな瞳が精一杯の強さで隣に座ったキリアンを睨みつけた。


「あ、あれは兄上が……!」


 けれど、対面に座る私の存在が、それ以上エイナーに言葉を続けさせなかったらしい。言葉を飲み込み、悔しそうな顔でキリアンを一睨みすると、エイナーはそっぽを向いてソファに座り直してしまった。


「……なんだ、つれないな」

「兄上とは、今は話しません!」


 つんと顔を背けるエイナーに、キリアンはやれやれと肩を竦める。けれど、その顔はエイナーの反応にただ嬉しそうにするばかりだ。

 キリアンとは、会うのはまだこれで二度目だけれど、兄弟仲は今日もすこぶる良好らしい。何とも微笑ましい光景に、私の頬まで自然と緩んでしまう。


 そんなほのぼのとした場にテレシアによってお茶が用意されたところで、キリアンの視線がエイナーから私へ移り、じっと探るように見つめられた。

 ここ最近で、テレシアから色々と話を聞いてしまったからだろうか。キリアンの目を通じてクルードが私を見定めているような錯覚に襲われて、私は知らず知らず、膝の上の手を握り締めてしまっていた。


 大丈夫。私には、エイナーを助けたことについては、やましいところは一つもない。あの日話したことだって、嘘は何一つ言っていない。ちょっとやそっとでは信じてもらえないだろう特異な事情なら、山ほどあるけれど。


「……なるほど。あなたは、私が今日あなたをここへ呼んだことの意味を、よく理解しているようだ」


 感心する響きに、私ははっとした。

 実のところ、部屋を出る許可が与えられた時から、予感はしていた。

 怪我のこともあって、私が部屋を出ないことはそれほど不自然なことではなかったけれど、どことなく私を部屋の外に出してはいけないと言う雰囲気は、そこはかとなく漂っていたのだ。それが、突然身嗜みを綺麗にして部屋の外へ連れ出されるなんて。


 つまりは、そう言うことだと思っていいのだろうか。私は、期待してもいいのだろうか。


「それでは……」

「ああ。私達は、あなたを改めて歓迎しよう。ようこそエリューガル王城へ、ミリアム」

「今日から、ミリアムは正式に僕の客人です!」


 無意識に詰めていた息を吐き、私は、自分の予想が外れていなかったことに心底から安堵した。もう疑いの目を向けられることはないのだと思うと、強張っていた体もゆっくり解れていく。


「ありがとうございます。キリアン様、エイナー様」


 正直なところ、動きがあるのはもう少しあとなのではないかと思っていた。なんせ、アルグライスは遠い。実際にあの国からエリューガルの近くまで旅をしてきた私には、その遠さはよく分かる。だから、私の話の真偽を確かめる為にあの国へ行って帰ってくるのに、一月程度では無理だろうと考えていたのに。

 それが、こんなに早く認めてもらえるなんて。


「今まで通りあなたにはテレシアをつけるので、今しばらくはゆっくり療養するといい。それから、彼女はイーリス・レリオール。レナートと同じく、私の騎士だ。今後は、あなたと顔を合わせる機会も増えるだろう」

「どうぞお見知りおきください、ミリアム様」


 どうやら五人目の女性が着ていたのは騎士服のような、ではなく、本当に騎士服だったらしい。

 豊かに波打つ明るい藍色の髪を項で一つにまとめた凛々しい女性の姿に、私の胸が高鳴る。彼女の発する張りのある声も、私にはその凛々しさをより高めて見えた。


「騎士様……」


 意図せず漏れた声は、驚き半分、感動半分。アルグライスではいないも同然の女性騎士の存在に、私はキリアン達がいることも忘れ、ついつい憧憬の眼差しを送ってしまった。

 これまでの人生、騎士になろうかと考えたこともある私にしてみれば、イーリスはまさに憧れの存在だ。しかも、彼女は第一王子の騎士。キリアンに「私の騎士」と言わしめる存在。憧れの頂点の人と言っても過言ではない。


(鍛えられた体躯、切れのある身のこなし、すらりとした長い手足! なんて格好いい方なの……!)


 うっかり上から下まで舐めるように見てしまったけれど、イーリスはそんな私の不躾な視線を受けても笑みを崩さず、それどころか、アルグライスのことを知っているのか、私が感動する理由を察してくれた。


「そう言えば、アルグライスでは女性の騎士は稀でしたね」

「それは、なり手がいないと言うこと?」

「いいえ。アルグライスの女性は剣を持つことをはしたないとされているようなので、なれない、と言った方が正しいでしょう。功績を上げた騎士の家族ならば、女性でも騎士になれるそうですが……騎士団長の娘くらいでないと難しいそうですよ」


 エイナーの疑問に間を置かず応えるイーリスに、私は素直に驚いた。

 いくら陸続きとは言え、距離が遠ければ遠いほど、その国に対する正確な情報は伝わりにくい。アルグライスはただでさえ大国アルヴァースを挟んで東側と遠く、その上、東方に十ある小国群の一つ。取り立てて目立つことのない国なのに。


「レリオール様は、アルグライスのことをよくご存じなんですね」

「どうぞ、イーリスと呼んでください。先日までアルグライスに行っておりましたので、この場の誰よりも、ミリアム様とアルグライスについて語り合えるかと」

「え……」


 思わず漏らせば、彼女からは私の驚きを肯定するように笑いかけられた。


「そう言うことだ。もし何か聞きたいことがあれば、イーリスに尋ねるといい」


 家を飛び出して、もうじき三か月。その内の三分の一近くは眠っていた為に、それだけの時間が過ぎ去ったと言う実感は、正直私の中にはない。

 けれど、旅の最後の衝撃的な出来事の所為で、これまでの旅の記憶はすっかり色褪せてしまっている。ひたすら駅馬車に揺られていた最初の頃のことは特に、ある種の懐かしささえ覚えてしまうくらいに。


 それでも、キリアンの心遣いはありがたいと思うものの、残念ながら、故郷に対する郷愁のようなものは欠片も私の中になかった。

 ひとつだけ、ほんの少し気にかかることがあるとするなら、世話になった仕立屋のことくらいだろうか。ただ、これも旅費を稼ぐ為に唯一世話になったと感じていると言うだけで、気にかけるのは礼儀のようなものだ。私一人の針子が抜けた程度で傾く経営状況でもなし、取り立てて彼らの現在を聞きたいと言うほどでもない。


 今の私は、戻る気のない国のことを聞くより、これから暮らしていく国のことを知りたいと思う。あの国に、未練はないのだから。


「お気遣いありがとうございます」


 キリアンは私の感謝をどう受け取ったのか、ふむ、と微かに呟いて、カップに手を伸ばしただけだった。

 ゆっくりと紅茶を味わった後、再び切れ長の瞳が私へと戻って来る。

 その視線に、私はここでの話はまだ終わらないのだと悟った。

 次は何を聞かれるのか、はたまた聞かされるのか。私が密かに構える中、キリアンが一つ頷く。


「ところで、ミリアム。あなたの母君は、この国の生まれと言うことだったが……。あなたは母君について、どれほどのことを知っているだろうか?」

「母……ですか?」


 思いがけない質問に、私の口が無意識に問い返す。まさか母のことを聞かれるとは予想外で、私の頭の中に疑問符が浮かんで消えた。

 もしかして、キリアンは私の話を聞いて、母のことも調べていたのだろうか。いや、そうに違いない。私の話の真偽を確かめると言うならば、話の中に出てきた母のことも調べるのは当然だ。けれど、私と同じ髪色のエリューガル生まれの女性、と言う話だけでは特定できなかった――そう考えれば、彼からの問いかけも納得できる。


 けれど、問われて私は返答に困った。何故なら、殆ど知らないのだ。母のことを。

 当然ながら、母を知らない一番の理由は、私が幼かったから。

 難しい話を理解できる年齢でもなかったし、私から母について問うことも、母が積極的に自分自身のことを語ることもなかった。


 だから、私が母について知っていることと言えば、エステルと言う名であると言うこと、エリューガルの生まれであると言うこと、そして、アルグライスであの男と出会うまでの数年間、旅芸人一座の一員として各地を転々としていたと言うことくらいだ。

 もっとも、最後については「色々なところに行って、お歌や踊りをたくさんのお客さんに見せていたのよ」と言う母の言葉からの推測にすぎない。けれど、訪れたことがあると言う国の話を寝物語によく話してくれていたので、ほぼ間違いないだろう。


「では、家名は」


 正直に私が知る限りのことを伝えたあとに短く問われて、私は緩く首を振った。

 今思えば、母は頑なに家名だけは口にしようとしなかった。同じ使用人からはエステルと名だけで呼ばれていたし、あの男からは「おい」だとか「お前」だとか、名すら呼ばれていなかった為に、私が母の姓を気にすることもなかった。


 ただ、短剣の柄に刻まれた紋章を見せて「これはお母様の家の印なの」と言っていたことは覚えている。けれど、その形見の短剣もあの人攫い騒動の中で失くしてしまったので、もう二度と目にすることはできない。

 幌布を裂いたことまでは覚えているけれど、あのあと、私はあの短剣をいつ手放してしまったのだろう。あれだけが唯一、私に遺されたものだったのに。


 今までは、命が助かったのだからそれ以上のことを望むべきではないと、なるべく考えないようにしてきたけれど、一度思い出してしまうと、喪失感の大きさに後悔が押し寄せる。

 遺髪すら遺すことを許されなかった母の存在を、ただ一つこの世に遺してくれた短剣。あの短剣が手元にあったからこそ、私は辛い日々をなんとか耐え抜いて来られたのだ。

 それに、私の希望でもあった。柄の紋章を頼りに、いつか母の縁者を探せるかもしれないと。探して、母が遠い異国で亡くなったことを知らせ、せめて短剣を母の代わりに故国の土に還そうと考えていたのに。


 私自身がエリューガルへ来られたことを幸運と思って、全て諦めなければならないのか。


「イーリス」


 視線が手元に下がる私の前で、キリアンがイーリスを呼ぶ。イーリスが動く気配がし、しばらくして戻って来た彼女がテーブルへと何かを置く音が続いた。


「ミリアム。これを」


 キリアンに呼びかけられて、私はゆっくりと顔を上げた。そして、彼が指し示す物を見て、息をのむ。


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