勘違いの余波
気まずい沈黙の落ちる応接室に、厨房から届けられた菓子と珈琲の甘く香ばしい香りが漂う。
本来ならば、今頃はキリアン達を労いながら楽しくそれらを味わっている筈だった。けれど、今現在、四人共にソファに座ってはいるものの、テーブルに並べられたそれらに手を伸ばす人は誰もいない。
「――ひとまず、これであなたの誤解は解けただろうか、ミリアム」
キリアンからの静かな声に反応して、ソファの端に座って身を縮こまらせていた私の体が強張った。
両手で覆った顔は恥ずかしさと居たたまれなさで燃えるように熱く、キリアンへの返答に、私は微かに首を縦に動かすしかできない。頭の中はキリアンから聞かされたアディーシャについての話で一杯で、他のことを考える余裕もなかった。
もう、これで何度目だろうか。突飛な方向へ考える悪癖はそれなりに改善されたと思っていたのに、久々に思考をとんでもない方向へと独り歩きさせてしまうなんて。
声も出せない私のわずかな反応を拾ったキリアンからため息が聞こえて、私はますますソファの上で体を小さく丸めた。
けれど、そんな態度を返されるのも当然だろう。
まさかまさか、アディーシャはレナートの恋人でもなければ愛人でもなく、それどころかヤーヴァルにとっても後妻なんてとんでもない誤解で、正真正銘唯一の妻、おまけに三男二女の母親だったなんて。
しかも、若いのはその見た目だけ。実年齢はアレクシアとさほど変わらず、なんなら、アレクシアとは生まれた時から姉妹のように育ってきているときた。レナートとも彼が生まれた時からの知り合いで、二人は血縁でこそないものの、アレクシアを通じたその関係は、最早、叔母と甥のようなものだと言う。
私が二人の関係を誤解してしまった原因の親密さについても、アディーシャの性格とこれまでの付き合いの長さから、二人にとってはいたって普通のこと。勿論、そこに特別な感情などない。
当然、レナートを出迎えた面々にとっても同様に見慣れた光景であり、それが外部から見てまずいことだと気付いたのが、唯一私と共に外から見ていたタァニだった。
それなのに、盛大に勘違いをした私は勝手に出迎えを止め、慌てるタァニの言葉を聞こうともしなかった。挙げ句、エギシュ夫妻の人目を憚らない行為を私の目に触れさせまいとしたレナートを、半ば拒絶するように突き飛ばしてしまうなんて。
善意で行動してくれたレナートに、私は何てことをしてしまったのだろう。穴があったら入りたい。いや、埋まりたい。いっそ、レナートに感情のままに私目掛けて土を被せて埋めてもらいたいくらいだ。
レナートが私の行動に愕然とした表情を見せたのも、今なら理由がはっきりと分かる。私がレナートの立場でも、同じように衝撃を受けて言葉を失っただろう。どうしてと何故と、疑問と悲しみが一瞬にして思考を埋め尽くしたに違いない。
私はどれだけレナートを傷付けてしまったのか。これは、今度こそ本当にレナートに愛想を尽かされても仕方がないかもしれない。面倒な人間を保護してしまったと呆れ果てられても、その通りだと謝罪するしかないだろう。
そのレナートはと言えば、大人しくソファに座ってはいるものの、私との距離はソファの端と端。加えて、私が突き飛ばしてしまってからと言うもの、キリアンの話が終わった今でも微動だにせず沈黙している。俯いている為、その表情をはっきりと窺えないのが実に恐ろしい。
もっとも、自分のしでかしたことの結果を見るのが恐ろしくて、私がレナートの方へ視線すら向けられずにいるから、分からないだけなのだけれど。
そんなことをぐるぐる考えつつ、私が自分の行動を猛省していると、テーブルを挟んだ向かいでキリアンの動く気配がした。
次は一体、何を言われるのだろう。
咄嗟に身構えるけれど、予想に反して聞こえてきたのは陶器の擦れるほんのわずかな音。続いて、ため息とは違う小さく息を吐く音がして、キリアンがテーブルの上の珈琲を飲んだのだと分かった。
そのことに、何かを言われるわけではないのだと私が密かに安堵していると、キリアンが今度はレナートに向かって口を開く。
「お前もお前だぞ、レナート。あれだけミリアムを心配しておきながら、行動が迂闊すぎるだろう。呆れて物も言えん。……お前、少しはオーレンを見習ったらどうだ?」
呆れ交じりの苦言に、今度はレナートが身を固くする気配があった。ぐ、と小さな呻き声も聞こえた気がしたけれど、すかさず続いたイーリスの淡々とした声の方が大きくて、私にははっきりとは聞き取れなかった。
「それはどうでしょう、殿下。オーレンも一人の女性と長続きしたことはありません。見習う相手としては、不適任では?」
「それでも恋人ができるなら、少なくとも女性に対する気遣いはレナートよりできる証拠だろう。助言の一つも乞えば、こいつも多少はましになるのではないか?」
「そう言うことでしたら、ハラルド殿に乞うてはいかがです?」
「そちらからは執事としての答えしか貰えんと思うが……それでも、何もないよりはましか?」
「少なくとも、ミリアムに対しては有益な助言をいただけるかと」
「助言の前に、苦言を山ほど聞かされそうだがな」
容赦のない言葉がレナートに浴びせられ、今度ははっきりとレナートの呻く声が私の耳にも届く。言い返す様子がないところを見るに、二人の言葉はレナートにとって非常に耳に痛いものと言うことなのだろう。
何気にオーレンのことは褒めているようで貶している気もしたけれど、そちらには目を瞑り、私はようやく火照りが冷めた顔から恐る恐る両手を降ろした。ただ、まだレナートの方を見る勇気はないし、キリアンやイーリスのようにテーブルへ手を伸ばす気も起きず、下ろした両手はそのまま膝の上だ。
「――それはともかく。誤解が解けたなら、本題に入るぞ」
まったく、との小さなぼやきと共にキリアンが珈琲の入ったカップをテーブルに戻し、真剣な瞳が私達を見た。
それだけで室内の空気が引き締まり、私もレナートも顔を上げて姿勢を正す。
「とは言え、こちらも誤解が原因の話ではあるのだが……」
そこで一旦言葉を切ったキリアンは、改めて私を――私の格好を――見て眉間を揉み、落ち着いて聞いてほしい、と前置く。
「ミリアム。タルグ砦の者達には、あなたはレナートの伴侶だと思われている」
「……はい?」
思いもよらない単語が出てきて、私は目を丸くした。
伴侶。
それは、キスタス人にとっては唯一愛称を呼ぶことを許されるくらい、特別な存在だ。けれど、私にとっては、はっきりと縁のない存在である。
それが。よりにもよって、誰の、だと?
「分かりやすく言うと恋人……いや、婚約者か。アディーシャが、アレックス殿からの手紙の内容を勘違いしたようでな。お陰で、二人はいずれ結婚する仲にあると言う誤解が、砦中に広まってしまっているのだ」
「こ……こっ、け、けけっ……こっ!?」
驚きが過ぎて、私の口からは鶏かと紛うような言葉にならない音しか出てこない。
恋人だの婚約者だの結婚だの、またしても私に全く縁のない言葉を立て続けに聞かされて、大きな混乱が襲い来る。
(……待って。待って待って待って!? 何で!?)
アレクシアの手紙の内容は分からない。けれど、どう考えても、こんなちんちくりんの子供の私なんかが、立派な騎士であるレナートの婚約者であるわけがないだろうに。そんなの、不相応極まりない。
それなのに、何がどうしてそんな誤解が広まってしまったのか。実際に私の姿を目にして、どうして誰も疑問に思わなかったのか。もしかして、キスタス人の目は節穴なのだろうか。
けれど、そう言うことであるならば、これまでのことも今度こそ正しく理解ができた。
ヤーヴァルの「レナートに勿体ない」も、タァニの「そんなことをしたら全員袋叩き」も、なるほど意味は通る。レナートから婚約者を奪うような真似をすれば、それは確かに彼を怒らせるだろう。その婚約者が私だと思われていることには、疑問しかないけれど。
私がレナートに勿体ないなんて、そんなことは絶対にない。むしろそこは逆だろう。それならば、まだ理解できる。もっとも、呪いである私には恋人も婚約者も、ましてや夫なんて不要だし、望むなんてとんでもないことなのだけれど。
ともあれ、砦の皆が執拗に私にレナートの話を聞きたがったことも、これでようやく合点がいった。あれはレナートの話を聞きたがったのではなく、正確には私とレナートの話を聞きたがったのだ。
思い返せば、皆には私とレナートの出会いから順を追って聞かれていたし、その都度、私のレナートへの気持ちも聞かれていた。
この時、私が口にした好意は単純に一人の人に対してのもので、一人の異性に対するものではなかったとは言え、私をレナートの婚約者だと思い込んでいる周囲には、それはそれは盛大な惚気に聞こえたに違いない。皆が私の話を聞いて生暖かな眼差しを送ってきたのも、納得だ。
(は……恥ずかしすぎる……っ!)
断じて! 断じて、私にそんなつもりはなかったのに! 誤解なのに!
せっかく熱が下がった顔に再び熱が集まって、私の顔が勝手に下を向く――と、そこまで考えて、私ははたと動きを止めた。
そう。これらは全て誤解なのだ。アディーシャの勘違いから始まった盛大な誤解であって、真実ではない。ならば、先ほどキリアンがアディーシャについて私に話してくれたように、砦の皆にも同じように誤解であると話せばいいではないか。
そうすれば問題は即解決。今後、こんなおかしな誤解をされることもない。
「キリアン様! 皆さんに早くお話ししましょう! 私とレナートさんは婚約なんてしていないと!」
「残念だが、それはできない」
がばりと顔を上げ、テーブルに両手を付く勢いで身を乗り出した私の一言は、けれどキリアンにあっさり却下されてしまった。
まさかキリアンに反対されると思わなかった私は、信じられない思いで目を見開く。
「そんな。どうしてですか?」
誤解を解いて、皆に騒がせてすまないと謝罪すれば終わる話だろうに。レナートにとっても、知り合いの多いこの砦で私なんかを婚約者にしたと思われたままと言うのは、甚だ迷惑でしかないだろう。
それなのに何故、キリアンはそんな簡単なことができないと言うのか。
「あなたには迷惑をかけることになるが、これ以上の面倒を避ける為にも、ここにいる間はレナートの伴侶……婚約者として振る舞ってほしいのだ」
普通に考えれば、誤解させたままにしておく方が面倒になる。だから、誰もが事態が大きく拗れてしまう前に誤解を解くことを望むものだ。けれど、改めてキリアンからは全く逆の言葉が紡がれた。
正直、意味が分からない。
「どう言うこと、ですか?」
説明を求めるべく私が再び身を乗り出せば、キリアンは説明を始める代わりに私の隣を一瞥し、彼自身は口を閉じてしまう。
確かめずとも、そこにいるのはレナートだ。これは、詳細はレナートに聞けと言うことなのだろう。けれど、レナートと顔を合わせるのは、まだどうにも気まずい。
そう思うもののキリアンが再び口を開く気配はなく、このままでは話が進まないのは明白で。私は気が進まないながらも、呻いた以外にはいまだ黙りこくったままのレナートへと、渋々窺うように視線を向けた。そうすれば、レナートの横顔も自然な動きで私の方を見て、彼の深く青い瞳と目が合ってしまう。
「……っ!」
その瞬間、私の心臓が大きく跳ねた。同時に、先ほど聞いた言葉が一気に雪崩れ込み、忘れていた恥ずかしさが別の意味を伴って再び這い上がってくる。
伴侶。恋人。婚約者。結婚。
縁遠い筈の言葉を嫌でも意識させられて、体が一気に熱くなる。
そんな私とは反対に、憂いの色が濃かったレナートの表情は何故か徐々にいつもの柔らかさを取り戻していて、その変化を間近で見つめ、意味もなく私の口が戦慄いた。そして、レナートが瞳を細めて安堵に微かに笑んだその瞬間――とうとうこの状況に耐えきれなくなって、私は思い切りレナートから顔を逸らしてしまった。
何とも最悪な行動である。私から顔を背けたいのは、むしろレナートの方かもしれないと言うのに。
けれど、反省はしても、あまりの羞恥にあとほんのわずかもレナートと顔を見合わせてはいられなかったのだ。
顔が熱い。心臓が煩い。
この反応は、砦で過ごした半日、周囲の人々によって散々にレナートを意識させられた所為だと分かっても、まさか本人を目の前にしてこんなに動揺してしまうとは、自分でも思わなかった。
正面に座るイーリスが私の反応を面白がって声なく笑うのを睨み付けても、煩い心臓が落ち着く様子は微塵もない。イーリスだって、確証がなかったからひとまず話を合わせろとしか伝えなかったのだとは言うものの、それこそが私がこうなった原因の一端だろうに、他人事のように面白がるなんて酷くないだろうか。
「ミリアム」
「っひゃ、い!」
レナートが私の名を呼ぶ声に、私は裏返る声と共に弾かれたように背筋を伸ばした。
ただレナートに名を呼ばれただけなのに、またしてもこんなに動揺してしまった自分自身に、嫌でも恥ずかしさが増す。
その羞恥から逃げるようにきつく目を瞑った私の耳に、吐息に混ぜた微かな笑い声が届き、それから、私の煩い心臓とは真逆の落ち着いた声が謝罪の言葉を紡ぐのが聞こえてきた。
「君への説明……の前に、まずは謝罪だな。俺達の所為で君を変なことに巻き込んで、迷惑をかけて、本当に申し訳なかった」
優しい声が、静かに私の背を撫でる。
「いや、まだあと半日はミリアムに俺の伴侶の振りなんて面倒を強いるわけだから、申し訳なかった、と言ってしまっては駄目か。本当にすまない。……せめて、これからの半日は君がこれ以上嫌な思いをしないよう、俺が責任を持つ。だからどうか、あと少しだけ堪えてもらえないか」
目を瞑ったままの私に届く柔らかな声は、見ていなくても、私にレナートの表情を容易に想像させた。
申し訳ない思いと、顔を背けた私に対する少しの困惑を表すように眉を下げ、それでも口元にはこちらを宥める笑みを浮かべて、私が口を開くかレナートの方を向くか、何かしらの反応を返すことを願っている。そんな顔だ。
そこに、私に許してもらおうと言う思いがないのが、何とも優しいレナートらしい。
気付けば、顔の火照りも、あれだけ煩かった心臓の鼓動も落ち着きを取り戻していた私はゆるりと瞼を押し上げ、申し訳程度にレナートへと横顔を向けた。そして、レナートの表情がまさしく想像した通りであるのを目にして、強張っていた体から余分な力が抜けていくのを感じる。
「……私の方こそ、勘違いをして皆さんにご迷惑をおかけしてしまって……すみませんでした」
考えてみれば、今回のことは私にも非はあることだ。
砦の皆との会話の中で大袈裟だと感じたことは何度もあったし、あまりに的外れなことを言われて困惑したことだって少なくなかった。そして、それら感じた疑問をイーリスにぶつけることもできた筈なのだ。
けれど、強く気にしなかったし、問うこともしなかった。その結果がこれだと思えば、自業自得の面は大いにある。落ち着いて考えれば、この事態はレナート達の所為ばかりとは言えない。
「ミリアムが謝ることはないだろう。君は被害者なんだから」
「レナートの言う通りだ。あなたは何も悪くない。謝罪は不要だ」
それなのに、レナートもキリアンも揃って首を横に振る。
「そんなことはないです。せめて、私がタァニさんのお話だけでもちゃんと聞いていれば、アディーシャさんのことで皆さんにご迷惑をおかけすることはなかったんですし」
「それこそ、俺の所為だろう。どうせ俺の言うことを聞かないからとあの人の好きにさせてしまったから、君に誤解を与える結果になったんじゃないか。それに、誰もミリアムに迷惑をかけられたとも思っていない。むしろ、君は俺達に怒っていいんだぞ?」
「怒るだなんてとんでもないです! 私の方こそ――」
なおも私にも非があると言い募ろうとしたところで、ぱん、と手を叩き合わせる音に私の言葉は遮られた。音の出どころを見れば、イーリスが手を合わせた格好のまま、呆れ顔でこちらを見ている。
「はい、そこまで。そう言うところもミリアムの悪い癖よ。誰もミリアムに非があるなんて思っていないのだから、レナートの謝罪を素直に受け入れなさい」
「悪い癖って、イーリスさんまでそんなこと……」
「でも、三対一なの。諦めて認めなさい。そんなことより……いいの、ミリアム? せっかく作ったんでしょう?」
すっと落ちるイーリスの視線を辿り、私は小さく「あ」と零した。視線の先には、皿に綺麗に盛られた菓子がある。レナート達をもてなす為に、作り方を教わりながら手ずから作ったものだ。
伸ばした生地の上に刻んだ数種類の木の実を敷き詰め、焼き上げたあとにたっぷりの蜂蜜をかけた菓子は、皿の上で美味しそうに照り輝いている。初めて作ったにしては、上々の出来だろう。
もっとも、私は焼き上がりを見ていないし、蜂蜜をかけたのも食べやすい大きさに切り分けたのも、皿に盛ったのも厨房に残った面々がやってくれたのだけれど。
ともあれ、私が厨房から出ていく際に言ってくれた通り、できあがってすぐに応接室まで持って来てくれたのだ。私の誤解から始まった衝撃的な話の数々でうっかり忘れてしまっていたけれど、どうせなら、できたてを感じられる内に食べてもらいたい。
「話なら、食べながらでもできるでしょう。一旦休憩も兼ねて、レナートに食べてもらったら?」
「……そう、ですね」
イーリスの言葉に頷くものの、キリアンから話を聞いた今では、皆が私に菓子作りを勧めたのは、私の甘いもの好きが知られたからだけではないのだろうと理解している。
伴侶が伴侶の為に、手ずから料理を作って労を労う。
それはきっと、伴侶を何より大切にしているキスタス人にとっては大きな意味のあることなのだろう。
そんなこととは露知らず、単純に新しい甘い菓子が食べられること、珈琲とも合うならレナートも美味しく食べてくれるだろうことに胸を躍らせながら作っていた自分を思い返すと、またもや恥ずかしさが込み上げる。
けれど、それよりもせっかく作った菓子を食べてもらいたい気持ちに強く押され、私は菓子を小皿に取り分けてレナートへと差し出した。
「砦の皆さんから、よく食べるお菓子があると教えていただいて、皆さんと一緒に作ったんです。その……レナートさん達に、と」
「わざわざ俺達に?」
「いえ、わざわざと言うか……」
レナートに皿の上の菓子をまじまじと見られ、居たたまれなくなった私は取り繕うように口を開きながら、差し出した腕を引きかける。
けれど、それより先にレナートの手が伸び、皿が私の手からレナートの元へと移ってしまった。
「そう言うことか。あいつら、俺に伴侶ができたと思って面白がったな……」
菓子に視線を落としたまま納得したレナートは、私が菓子を作った理由を正しく理解したらしい。その顔は、私を菓子作りに巻き込んだ女性達の顔を思い浮かべてでもいるのか、実にうんざりとしていた。
それでも、菓子に罪はないとばかりにすぐに表情は柔らかさを取り戻し、私に向かってふわりと微笑む。
「ありがとう、ミリアム。美味しそうだ」
先ほどよりもはっきりとしたその笑みは、またしても今日の私にとって大層な目の毒だった。たちまち気持ちが落ち着かなくなり、体温が上がる。実に心臓に悪い。
だと言うのに、レナートの腕が菓子ではなく私へ向かって伸びたと思ったら、これまたいつものように優しく頭を撫でるものだから、その不意打ちに私は大いに慌て大いに照れた。
その結果。
「……は、はい! あの、わ、私もまだ食べていないんですけど、教えて頂いた通りに作ったので! きっと美味しいと思います! ぜひ召し上がってくださいっ!」
動揺のあまり、私は言わなくてもいいことまでうっかり口走ってしまっていた。