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騎士と主

 この世界は、豊穣の女神セー、知恵の女神テー、慈愛の女神レーと言う三人の女神によって創られたと言われている。

 その為、多くの国がこの三女神を、または三女神のいずれかを信仰している。

 多くの、と言うことは、三女神を信仰していない国も少なからずあるわけだが、エリューガル王国は、その少数の国の一つに数えられる。


 では、この国は何を信仰しているのかと言えば、山嶺の覇者とも聖域の盾とも呼ばれるエリューガルの守護者、黒竜クルードがそれにあたる。

 クルードは、遠くエリューガル王国がこの地に誕生する以前からシュナークル山脈の奥地に住まい、聖域を守護する存在として現地の人々に認知され、敬われていた。それがエリューガルの守護者へと変わっていったのは、ある一人の男を助けたことに端を発する。


 その男は、それと知らずシュナークルの山の一つに迷い込み遭難してしまった、近隣の国に住む若者だった。手足を負傷し、進むべき道も分からず、手持ちの食料も尽きてしまい、飢えと寒さで男がもはや死を覚悟したその時、彼に聖域を害する意思がないと見て取ったクルードが、慈悲の心で己の鱗の一欠片を与えたのだ。

 黒鱗は男に活力を与え、進むべき道を示し、彼を一つの山村へと導いた。そして村人に助けられて命を拾った彼は、村人に黒鱗を示して彼らからクルードの存在を知ると、国に帰ることなく、その村で暮らし始めた。


 一説には、その男は当時、王位継承を巡って戦争が勃発していた国から逃れた王族の一人だと言われているが、残念ながら、正確なことは現代に遺されていない。


 とにもかくにも、男は自身を助けたクルードへの感謝を示すために小さな神殿を作り、己に与えられた黒鱗を聖なるものとしてそこへ奉安。村人共々、日々クルードへ感謝を捧げて生きるようになる。

 すると、しばらくしてその村に不思議なことが起こり始めた。

 村人が耕した畑は実によく実り、家畜は丈夫な子を多く生むようになったのだ。また、架けた橋は決して壊れず、拓いた道は決して荒れることがなくなった。

 山村の貧しい生活が、みるみる豊かになっていったのだ。

 このことで、村人のクルードへの感謝の念は更に強くなったと言う。


 毎年、男が黒鱗を神殿へ奉安した日には、ささやかながらもクルードを称える祭りを開き、村全体でクルードの加護への感謝を示した。これは現在に至るまで引き継がれ、今では「守護竜の祝祭」として、エリューガルの国を挙げての一大祭りとなっている。


 やがて男がその村で結婚し、二人の間に子もできた頃のこと。領土拡大を名目にした、ある国の兵の一団に、突然、村が襲われると言う悲劇に見舞われた。

 男を始め、争いとは無縁の生活を送っていた人々は手練れの兵士相手になす術もなく、女子供はたちまち攫われ、男達は次々と殺されていった――


 そう、なる筈だった。


 だが、エリューガル建国史にそのような記述はない。代わりに書かれているのは、闇よりなお濃い黒鱗を持つ竜が、溶岩よりも赤い苛烈な色の瞳を怒りに見開き、今にも村人に襲い掛からんとする兵の一団を、人知を超えた圧倒的な力でもって一瞬にして壊滅せしめたと言う一文。


 村人の日々の祈りにクルードが応え、彼らの危機を救ったのだ。

 そして、いつか己が黒鱗を与えた男に更に一枚の黒鱗を与えると、天へ向かって吠えたと言う。


 シュナークル山脈がエリューガル王国を抱くようにわずかに曲線を描いているのは、この時の黒竜の声に応えて大地が鳴動し、村を侵略から守るべく、自然の砦を作り上げたからだと言われている。

 そして、黒鱗を与えられた男はその地に国を築くことを決意し、己がその国の最初の王となった。


 その王の名を、クルードの子――クルーディオと言う。


 この時、クルーディオが新たに与えられた黒鱗をどうしたのかは、どこにも記録が残っていない。しかし、彼が自らを「クルードの子」と称したこと、これ以後、クルーディオが王として人知を超えた数々の奇跡を起こして国を発展させてきたこと、彼の血族の中に時折、クルードと同じ色を持つ黒髪紅瞳の子が生まれ、また、クルーディオと同じく不可思議な力を有していたことなどの記録を見るに、黒鱗の行方は明らかである。

 明らかではあるが、人々はそれら全てをただクルードの加護であるとし、黒鱗はクルーディオの血族によって秘されているとしている。


 こうして、黒竜クルードはエリューガルの守護者として、この国では今日に至るまでその信仰が続いているのだ。

 そんなエリューガルでは、クルードを象徴する黒と紅は神聖な色とされており、二つの色を併せ持って生まれた王族は「クルードの愛し子」として、一般に神聖視される。これまでの国の歴史においても、二つの色を有する者の治世は国が安定し、大いに発展してきたこともあり、その誕生は例外なく盛大に祝福されていた。


 そして当代の王の子であるキリアン・ガイランダルは、数百年振りに生まれた黒紅の子だった。幼少より文武両道に長け、分け隔てなく民を慈しむ広い心を持ち、決して驕ることのないその人柄は、亡き王妃譲りの見目のよさも相まって民に大変親しまれている。


 そんな、次代の王として民の期待をも一身に背負うキリアンだが、どんな人物も人である以上、決して完璧ではないわけで――


「――おい、レナート。お前、俺の話を聞いていたか?」


 不意に呼ばれた声にレナートはうんざりしながら顔を上げ、訝しげな眼差しをこちらへ向ける己の主に向かってひっそりため息を吐いた。

 レナートがキリアンと共に執務室へ戻ってから、かれこれ十分以上。よくもまあそれだけ喋ることがあるものだと呆れてしまうほど、キリアンの口からは止めどなく言葉が流れ出ていた。


 それはこの場ではよく見られる光景で、レナートにとっては話半分に聞き流すのがすっかり癖になってしまっているものでもある。キリアンからは真面目に聞くことを強要されるのだが、聞かずともその内容は大体察しているので、真面目に聞こうと言う気はとうの昔に失せていた。


「聞いていますよ、殿下。エイナー様はよく頑張っておられました」

「……そうか、聞いていたならいい。まったく、俺のエイナーはどうしてあんなに可愛いのだろうな……。笑った顔は勿論だが、懸命に努力する姿も、客人へ真摯に対応しようとする姿も、客人の言葉に恥じらい赤面する姿も、どれもこれもエイナーの一挙一動が愛しくてたまらない。客人の前でなければ、俺はもう何度、募る愛しさに任せてあの小さな体を抱きしめたことか! ……分かるか、レナート! あの時、俺がどれほどの忍耐を強いられたかっ!」


 何故か自分の執務机ではなく応接用のソファにだらしなく体を預けるキリアンは、ほぅとため息を吐いたかと思えば頬を緩ませ彼方を見やり、舞台役者もかくやとばかりの身振りで愛を表し、そうかと思った次の瞬間には必死な表情をレナートへ向けてくる。

 その百面相振りは、先ほどまでミリアム・リンドナーと言う名の少女と対面していた立派な王太子然とした姿とはまるで別人だ。もしも彼女がこの姿を見たならば、卒倒してしまうのではないか。それ程までの変貌振りである。

 だが、悲しいかな、レナートにとってはごく日常の光景であった。特にここ最近は、毎日こうだ。キリアンは暇さえあれば手ではなく口を動かし、仕事を滞らせている。


「……客人の前ですから、殿下が耐えるのは当然のことでは?」

「お前、少しは自分の主を褒めようとは思わんのか?」

「褒めるところがあれば、無論、褒めて差し上げますよ」


 レナートは、キリアンの言葉を右から左に聞き流している間に書いた手紙を小さく畳んで筒へ入れ、部屋の片隅の止まり木で大人しくしている鷹の足に括りつけた。

 その様子をじっと見つめる紅の双眸には気付かぬ振りをして執務室の窓を開け放ち、腕に止まらせた鷹を空へと放つ。

 鷹は一度大きく上空を旋回すると、己の行くべき場所は心得ているとばかりに、方角を定めて一直線に飛んでいく。瞬く間に小さくなるその姿をしばらく眺めてから、レナートはようやく室内へと視線を戻した。


「……最近のお前はエインゼルツの氷瀑のようだ。お前にとってもエイナーは弟のようなものだろう。エイナーが可愛くはないのか」


 戻した途端に不満げな半眼に睨まれ、意図せず再びため息が漏れる。


 そう――クルードの愛し子として民に親しまれ、その英明さ故に次代の王として大いに期待されるエリューガル王国第一王子、王太子キリアン・ガイランダルは、一見、非の打ち所がない人物に見えて、実は重大な欠点を持つ。

 この男、歳の離れた弟のことを殊の外溺愛しており、弟に関することには、常の明晰な頭脳も少々暴走した言動を取ることをあっさり許してしまうほど、兄馬鹿なのだ。


 もっとも、キリアンがここまでエイナーに対する思いを明け透けに言い放つ相手は、キリアンが幼少の頃から仕えているレナートを含めて数人くらいのもので、今も執務室に二人きりだからこそ、彼の口から出る言葉ではあるのだが。

 しかし、実はキリアンがエイナーを可愛がっていることは王城に勤める者なら誰もが知るところであり、なんなら、王都に居を構えている民ならば、この兄弟の仲がすこぶるいいことは周知の事実だったりする。

 これで本人は、家族や側近以外には、弟に対する深すぎる情愛をほどほどに隠せていると思っているのだから、頭の痛い話だ。


 とは言え、兄弟仲がいいことは、決して悪いことではない。互いを嫌って兄弟仲が殺伐とし、継承争いを心配しなければならない関係よりは、多少行きすぎでも溺愛し、溺愛されている方がまだましだ。

 ただ、それを悪意ある者に利用されるようでは駄目なのだ。まして、そこで私情を優先させてしまうようなことは、あってはならない。


 レナートに視線を寄越して口を尖らせるキリアンは、駄々を捏ねる子供のようだ。レナートとはたった三つしか離れていないが、そんな表情をすると、まるで六つも七つも下の少年のように見えてしまう。

 レナートにとってエイナーは弟のようなものだろうとキリアンは言うが、レナートに言わせれば、エイナーの前にキリアン自身が手のかかる弟のような存在だった。血を分けた弟が既にいるレナートにしてみれば、これ以上「弟」が増えるのはご免被りたい。

 レナートがキリアンを無言で見下ろしていれば、その冷たい視線に堪え兼ねたのか、キリアンの顔がすいと逸らされた。


「……言いたいことがあるなら言えばいいだろう。他の者はいないのに、いつまでもその喋り方でいるな、気持ち悪い」


 その指が嫌々向かいのソファを指差して、レナートに着席を求める。

 レナートは無言のまましばし考え、二人分の紅茶を淹れてから、先ほどまで自分が座っていたその場所へと腰かけた。そして、自分が呼んだにも拘らず、居心地が悪そうにレナートと視線を合わせようとしないキリアンを、真っ直ぐに見る。


「……だったら言わせてもらうが、いい加減弟離れしろ。いつまでもお前がそんなだから、エイナーに危険が及ぶんだろう」


 レナートの飾らない言葉に、キリアンの肩が微かに震えた。

 今回の第二王子誘拐事件。それは、見方によってはキリアンの所為で引き起こされたとも言えるのだ。

 エリューガルの近隣国であれば、クルードの愛し子が何を意味するかをよく知っている。それ故、愛し子に王位に就かれては不都合だと考える国は、少なくない。


 そうでなくとも、クルードの守護と言う信を得ているエリューガルは、同時に未開の聖域にも認められ交流を許されている、ある意味で強大な力を持った国なのだ。こちらにその気はなくとも、他国にとっては恐るべき強国。愛し子の即位によって、更にその力が増すことを脅威に思われても仕方がない。

 これまでの歴史でも、愛し子が誕生した時代には、国に対する嫌がらせから愛し子の即位を阻もうとする武力行使まで、その大小を問わず数多くの事件が幾度となく引き起こされてきた。


 その為、キリアンの誕生と共に内外への警戒を強めてきたのだが、国内ならばまだしも、国外ではどうしても隙は生まれてしまう。今回はそこを突かれて、まんまとエイナーを攫われてしまった。

 勿論、今回の件はキリアン一人に責任のあることではない。責任と言うなら、兄弟の護衛としてそばにいたレナート達にこそ、責任がある話ではある。それでも、キリアンではなくエイナーが標的とされたことには、弟に対して過保護な彼の責任が重いと言わざるを得ない。


「……分かっている」


 先ほどまでの饒舌振りが嘘のように、沈んだ声がぼそりと答える。


「……反省もしている」


 背けた顔から視線だけが寄越されるのを感じながら、レナートはそれに素知らぬ振りをして頷いた。


「そうだな、大いに反省してくれ。どこかの馬鹿が、怒りに任せて誘拐に加担した奴を斬り殺してくれたお陰で、俺達がエイナーの行方を捜すのにどれだけ苦労したことか」

「ぐっ……」


 実際には、誘拐を企てた者はすぐに特定され、誘拐判明から数時間でエイナーを救出できたのだが、キリアンに灸を据えるにはこの程度の誇張は許容範囲だろう。

 言葉に詰まって顔を顰めるキリアンの横顔を眺めて、レナートは密かに留飲を下げた。

 キリアンと同じく弟を持つ兄の立場から考えれば、弟を大事に思う彼の気持ちは理解できないでもない。だが、何事にも加減と言うものがある。


「エイナーはあんなことがあったと言うのに、しっかり前を向いているだろう。それなのに、兄のお前がいつまでもぐだぐだうじうじしていてどうする」

「……仕方ないだろう。今まで『兄様』と呼んで可愛く笑いかけてくれていたのが、急に『兄上』に呼び方が変わった上、俺が部屋を訪問すると、勉強中だからとすげなく追い返されるんだぞ? 毎日のお茶の時間だって、何かと理由をつけて断られる。それなのに、目覚めないあの娘の元へは毎日通って……! お守りなんて、俺は作ってもらったこともないのに! こんな寂しいことがあるか!? 俺は悲しい! 大いに悲しいんだ!」


 テーブルに身を乗り出して大袈裟に天を仰ぐキリアンからは、まるで反省が感じられなかった。何だかんだと言うが、要は弟に構われなくなったことに拗ねて、それを周囲に八つ当たりしているだけ。ただの兄馬鹿の戯言でしかない。

 ここ最近のキリアンの口数の多さは、偏にこのエイナーの変化に起因する。

 これまでは、兄が弟を構うように、弟も兄に依存している傾向があった。それが急に自立に目覚めたとなれば、兄としては寂しさを覚えるのは当然。だが、その成長は誰にとっても喜ばしい変化なのだから、さっさと兄として受け入れてやればいいのだ。

 熱くなるキリアンを冷めた目で一瞥し、レナートはまるで堪えない様子で、自分で淹れた紅茶に口をつけた。


「弟の兄離れを素直に喜んでやればいいだけだろう。どうして悲しむ」

「だからお前はエインゼルツの氷瀑だと言うんだ!」


 エインゼルツの氷瀑――シュナークル山脈東部にある、解けることを知らないエインゼルツ山の美しい滝――滝までの道程が非常に険しく、また、滝へ到達できても美しさを堪能するより先に、凍てつく寒さに凍死する訪問者が後を絶たないことから、エリューガルでは冷酷無情な人や薄情者などの例えとしてよく使われる言葉である。


 こちらは、兄弟の為を思って苦言を呈していると言うのに、まったくもって不本意な言われようだ。

 レナートは出そうになるため息を堪え、自分を睨みつけるキリアンを睨み返して、そちらがそう言うならばと、望み通り冷酷に言葉を吐いてやることにした。


「……では、お前はエイナーに自室に引きこもったままでいてほしかったのか? 自分の身を守る術を満足に持たず、自ら危機を切り抜ける力を持たず、兄に頼りきり己の足で立つこともままならない人間のままの方がよかったと?」

「誰もそんなことは―――」

「言っていないと?」


 キリアンに最後まで言わせず強く問えば、目の前の顔がレナートの言葉の正しさを証明するように歪んで口を噤んだ。

 浮いていた腰がソファに重く沈み、苛立ちも露わに頭を掻いて項垂れる。深く長く息が吐かれ、それからようやくキリアンは沈黙した。


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