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聖花の祭り

 警備の兵士が点在する街道を、馬車が軽快に進んで行く。

 小さな川に架かった橋を渡り、木立が涼やかな影を作る一帯を抜けて小高い丘を越えると、それまで緑ばかりだった車窓の風景は一変した。


「凄い! 花の絨毯じゃん!」


 馬車の窓に張り付くように身を乗り出したライサが、真っ先に歓声を上げる。

 黄色に青に水色。橙に紫、薄紅に白。色とりどりの花が咲き乱れる丘がいくつも連なって彼方まで広がり、その中央に、街道をやって来た者達を出迎えるように青灰色の屋根が連なる街並みが伸びていた。

 シーナン地方の中心都市、エディルだ。

 心持ち強く吹く風に、家々の屋根や窓に掲げられた白い旗が勢いよくなびき、時折、色とりどりの花びらまでもが宙を舞う。

 緩やかな坂道を下る馬車に揺られながら、街道の両脇にさえ、これでもかと植えられた花々の美しさに、私も車窓に顔を寄せながら静かに目を奪われていた。

 そんな私達に、イーリスの笑みが明るく告げる。


「――ようこそ、聖花祭(フィア・シーナ)へ」


 *


 遠乗りの日から二日。私の予想を裏切って、イーリス発案の聖花祭への旅行は、予定通りの日程で進められていた。

 私のことを殊の外心配していたレナートも、旅行中止か延期を真っ先に唱えるだろうアレクシアでさえも、私が行きたいのならば行っておいでと、旅行をあっさりと許可したのだ。

 この二人ならば、確実に私が旅行に行くことに難色を示すだろうと思っていたものだから、まさかの言葉に私は心底驚いた。思わず、本当に行っていいのかと、アレクシアからの言葉を伝えてくれたレナートへ聞き返してしまったくらいだ。

 けれど、それでも返ってきた答えは同じ。むしろ、私には旅行に行ってもらった方が、警備の兵士の気を引き締められて都合がいいとまで言われる始末だった。


 確かに、ただでさえアレクシアが野盗狩りに加わっているところに、更に「フェルディーン家の保護する娘が聖花祭へ赴く」状況が加われば、よほどアレクシアのことを知らない者でもなければ、嫌でも気を引き締めざるを得ないだろう。「フェルディーン家の娘(わたし)」の身に何かあれば、それこそアレクシアが黙ってはいないのだから。

 勿論、だからと言って、二人が私に対して旅行へ行くことを強要することはなかった。それどころか、私の身に起こった事情を考慮して、出発前日の夜までにどうしたいか決めてくれたらいいとまで言って気遣ってくれたのだから、私には旅行に行かないと言う選択肢は選び取れる筈もなくて。

 その結果が、目の前に広がる花に満ちた丘の光景だ。

 もっとも私自身、旅行へ行けるのならば行きたいと言う気持ちは少なからずあったので、彼らが行っていいと言うのであれば、そもそも私に断る理由はなかったのだけれど。

 ただし、イーリスに旅行に誘ってもらった当初とは、私の中の旅行の目的は随分と異なってしまった。


 今の私にあるのは、カルネアーデの屋敷でリーテの愛し子の力についてか呪いについてか、何かしら新たな知識を得ること。それに重きが置かれて、友人との初めての旅行も、旅行先の聖花祭を楽しむ気持ちも、少しだけ遠い。いや、私が敢えて遠くへ置いたと言うべきだろうか。

 出発前、私のことを心配する人達へと顔を見せに城へ寄り、皆に安心してもらえたことも、私を振り落としたことに酷く落ち込み、フィンと共に城の厩舎で過ごしているレイラへ言葉を掛けられたことも、確かに私自身が願っての行動ではあったけれど、どこか義務感に駆られてもいた。そうすることが皆を安心させるのだから、やらなければいけないのだと。

 旅行へ出発しても、馬車に揺られる車内での会話、途中一泊した宿でのひととき、再び早朝宿を発っての道中……どれもこれも、確かに楽しむ自分がいる半面、どこか他人事に思う自分もいた。


 今だって、一面花に彩られた丘の景色を前にして、その美しさに目を奪われて感動で言葉をなくしているのは本当なのに、ライサのように心から素直にはしゃぐことはできないでいる。

 私がこの地ですべきことはそんなことではないだろうと、勝手に私の心が私の行動に自制を掛けるのだ。そして、その度に私も自分自身を戒めた。

 忘れるな、私はただ旅行を楽しむ為だけにここを訪れたわけではないのだから、と。

 そう思っていた、筈なのだけれど――


 *


「まずは食事にしましょう。そのあとで、街を案内するわ」


 エディルに到着して馬車を降りた私達は、イーリス先導の元、昼時で賑わう街を早速歩いていく。

 石畳の道や立ち並ぶ建物の姿は、規模の大小こそあれ、王都の街並みと大きく違いはない。けれど、至る所に花が飾られ、売られている所為か、街を漂う空気は全体的に芳しく、随分と明るく華やかだ。行き交う人々も数多く、その賑わいの大きさは一目瞭然だった。

 街を彩る白旗も、近くでよく見れば青や緑系統の糸で花の線画刺繍が施されて、気が付けば、私の視線は興味のままに見上げて見入ってしまっていた。一歩進むごとに店からは客に向かって景気のいい声が飛び、花が、苗が、種が、様々な商品が人の手から手へと渡る。

 更に歩を進めて行けば、区画が変わって食欲をそそる料理の匂いが勢いを増し、勝手に私の胃を刺激した。


 それは、祈願祭で初めて出店を見て歩いた時のこと、レナートとラッセの二人と一緒に王都の街を観光した時のことを、私に思い出させるものだった。だからつい、私は匂いに誘われるままに、その足を居並ぶ出店へと向けてしまっていた。

 これまで体験した楽しい記憶と空腹、そして友人との旅行と言う初体験の前では、私の自制心は、私が思うよりもずっと脆かったのだ。

 イーリスが慌てて私を捕まえるようにその手を握ったことにも気付かないまま、右へ行き左へ行き、並ぶ料理に目を奪われて。我に返った時には私の胃はすっかり満たされ、その顔にはしっかりと笑みまで浮かべてしまっていた。

 それはもう、誰が見ても、聖花祭を存分に楽しむ旅行客だと分かるほどに満面のものを。


(……やってしまった)


 私の左右で、同じく空腹を満腹に変えて満足そうにするライサ達の顔を見ながら、私は自分の決意の緩さに心の中で大きく嘆いた。

 初めはこれでも、緩いながらも自制心が働いて、遠慮がちに出店を覗いてはいたのだ。それがいつの間にか、ライサと一緒になってあれもこれもと店を覗いては買い、買っては食べ、食べ終えては次の店を目指して、イーリスとテレシアを引っ張る勢いで出店巡りをしてしまっていた。

 そして、そんな私達女性四人の賑やかな集団は、人でごった返す通りでも十分に目立った。目立ってしまっていた。特に、感情を素直に表に出し、誰より美味しそうに料理を食べるライサは、店の側にとってもある意味でいい宣伝になり、注目を浴びた。

 加えて、エディル出身であるイーリスがそこにいることで顔見知りを呼び、次々に出店の方から声を掛けられ、商品を買う度におまけまでいただいてしまって。そのお陰で、予想以上に満腹にもなっている。


 こんな筈では、なかったのに。

 そう思いながらも、飲食用に設置された椅子に座り、締めに冷たい果実水で喉を潤すことを止められない自分がまさに今ここにいることに、私は自分に対して呆れ果てる。何なら、今飲んでいる果実水も店主の厚意で無料でいただいてしまったものなのだから、本当にどうしようもない。

 こんなことではいけないと思うのに、乾いた大地が水を吸うように体中に染み渡る果実水の美味しさが、私の決意をいとも簡単にぐらつかせていた。

 いつの間に、私はこんなにも意志が弱い人間になってしまったのだろうか。これまでは、記憶さえ思い出せば、それからあとは脇目も振らずにただ必死になれていたのに、今はそれがどうにも上手くいかない。

 私は呪いなのだと、母の似姿をしているだけの存在なのだと、長い人生も幸せな人生も望んではいけない、この祭りだってただ楽しむなんて駄目だと言い聞かせても、次の瞬間には目の前にその決意を揺らがせる誘惑が現れて、私をあっさり捕まえてしまう。

 エディルへ到着するまではしっかりと自制できていた筈なのに、ここに来て、楽しさがどうしようもなく私を手招くのだ。


 果実水を飲み干した勢いに誤魔化して大きく息を吐き、私は空を仰いだ。視界には、いくつもの白い旗が見える。旗は強い風にはためきながらも実に楽しそうで、刺繍された花の形が一時も同じ姿を見せない様も、必死に己を律しようとする私に対して、風に吹かれるようにただ楽しめばいいのに、とでも言っているようだった。

 それができれば誰もこんなに悩まないのだけれど、吹く風や旗に文句を言っても仕方がない。

 ぱたぱたと軽やかな音を立てて靡く旗を恨めしげに眺めていると、その前をいくつもの花びらが風に巻き上げられながら飛んでいくのが目に入った。更に、その花びらに連れられるように、突然、人々が盛り上がる声が耳に飛び込んでくる。

 空気が膨れ上がるようにわっと湧いた歓声は、私のみならず、全員の視線を通りの向こうへと向けさせた。


「何だろ?」

「パーティーでも開いているのかな?」


 それにしてはなかなかの盛り上がりようで、捉えようによっては、乱闘騒ぎの始まりにも聞こえる。もしもそうならば、せっかくの祭りに流血沙汰が起きるところは、見たくはない。

 私とライサが顔を見合わせ頭に疑問符を浮かべていると、この祭りを誰よりよく知るイーリスが、私の不安を吹き飛ばすように笑った。


「パーティーは少し近いわね。あれは、結婚式を挙げているのよ」

「結婚式っ? あたし、見てみたい!」


 勢いよく反応したライサに、だったら行ってみましょうかとイーリスが立ち上がる。それに続いて私達も店主に果実水の礼を伝え、人だかりを目指した。


「知っている? 聖花祭で結婚式を挙げると、聖花(シーナ)の花嫁のように一生幸せな結婚生活が送れるって言われているのよ」


 出店の通りを抜け、道幅が広くなった次の通りを進みながら、テレシアが楽しそうに告げる。

 聖花の花嫁とは、かつてこの地に住まい、のちに人間の男性と結ばれた聖域の民のことなのだそうだ。その聖域の民が夫と共にこの地を花溢れる土地へと変え、今のシーナン地方の元を作り上げた。

 今では花の祭典となっている聖花祭は、元々はその夫婦を称える為に始まったもので、このシーナン地方では、守護竜の祝祭、芽吹きの祈願祭に次いで大事な祭りだったのだとか。


「聖花祭が『美しき宝物(フィア・シーナ)』って別名で呼ばれているのも、聖域の民へ愛を告げた男性の言葉『私の誰より大切な人(フィア・オル・シーナ)』から来ているの。素敵だと思わない?」

「お陰で、聖花祭で結婚式を挙げたいと考える人達の為に、シーナン一帯は広い庭を持つ店や家が多くて、この時期は特に、結婚式の為に場所を貸し出しているのよ。あそこもその一つね」


 イーリスが指差す先、私達が目指していた人だかりで賑わう場所を見れば、確かにそこは敷地の前面に庭を設えた料理店だった。テーブルが並ぶ庭の中央には一組の男女がおり、幸せそうに腕を組んで、周囲からの祝福の声に応えるように満面の笑みを見せている。店の二階には二人の頭上へと色とりどりの花びらを降らせる店員の姿があり、ただでさえ花に囲まれた庭が、更に花に埋もれていくようだった。

 その内、祝いの歌が参列者の口から奏でられ始めると、道を行き交う人々も足を止め、共に歌を口ずさみ手拍子をし始める。それはやがて大合唱になり、歌い終わるとたちまち拍手と歓声がその場を満たした。

 同時に、花嫁が手にしていた花束が空高く放られ、それを目敏く狙っていたらしい若い男女の一群が一斉に手を伸ばして、店の前の通りで争奪戦が起こる。


「えっ! どうして花束放り投げてんの?」

「あれは幸せのお裾分けよ。男女どちらでも、受け取った人は結婚が上手くいくんですって」

「女性が受け取ったら、近い内に幸せな結婚ができる。男性が受け取ったら、それを持って意中の女性に求婚すれば、必ず受けてもらえるんだそうよ」


 これもまた、この地を作り上げた夫婦の話に纏わるものらしい。男性が愛を告げる際、聖域の民が最も愛した花をささやかな花束にして贈ったところから、なのだとか。

 テレシアとイーリスそれぞれの話に耳を傾けながら、私は投げられた花束の行方を興味と共に目で追った。上手く取ることができずに誰かの手の上で次々跳ねて宙を泳いだ花束は、最終的に誰より高く手を伸ばした一人の青年の手に渡り、その瞬間に歓声が沸く。


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