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議場外の一騒動

 扉が開き、議場から大人達が次々と退出していく。その背を見ながら、初めての大規模な会議に出席し終えた緊張からようやく解放されて、エイナーはふぅと小さく息を吐いた。


「お疲れ様でした、エイナー様」


 後ろに控えていたラーシュが、すかさず労いの言葉を掛けてくれる。それに小さな頷きだけを返して、エイナーも地方官達が退出するその波に乗った。

 あくまで表情には薄く微笑を貼り付け、充実した時間を過ごせたと、会議に出席できたことに満足そうに議場を出て行くエイナーを、何人もの視線が追って来るのが分かる。驚き、感心、嘲り、畏怖、疑心……目は口ほどに物を言うとは言うけれど、クルードから力を授かってからこちら人の視線に怯えて生きて来たお陰で、今では力を使わずとも彼らのエイナーへ向ける感情が、視線そのものからは勿論のこと、表情や仕草から、ある程度は分かるようになった。


「エイナー殿下。初めての会議へのご出席は、いかがでしたか?」


 退出するエイナーの隣に並んで声を掛けてきたのは、兄の名代として会議に出席していたカニアだ。片眼鏡の奥の瞳が、にこやかな笑みを湛えてエイナーを見下ろしている。そして、特に潜めてもいない彼の声は当然、少しばかりのざわめきしかないその場ではよく聞こえ、たちまち周囲が耳をそばだてる気配がした。


「大勢の大人に囲まれて、緊張なさいませんでしたか?」

「そうだね。少し緊張したけど、それ以上にとても勉強になったよ、カニア」

「左様でございますか」

「これまで何もできていなかった分、僕ももっと勉強して、一日でも早く父上や兄上をお支えできるようにならないと」

「それは立派なお心掛けでございますね」


 他愛ない会話を重ねて、互いに微笑み合う。

 そんなに耳をそばだてなくとも、まだ政について何一つ任されていない子供の自分の口からは、大したことは出て来ないのに――そんなことを思いつつも、エイナーも彼らが耳をそばだてる理由は十分理解していた。

 彼らは恐れているのだ。エイナーに発現した力のことをよく知る年配の地方官達は、特に。


 視線が合った者の感情を視てしまうエイナーによって、これまでに何人の人間が内に秘めた野心を暴かれ、国に仇なす者として処分を受けて来たか。そんな場面を幾度となく目撃してきた彼らにとって、エイナーは畏怖の対象なのだ。そう言った者達は、頑としてエイナーと視線を合わせようとしないから、会議中でも実によく目立った。

 一方、比較的年若い地方官達の中には、そう言った事情を知らない者も多い。エイナーの力について、正確に知らない者もいる。その為、彼らは逆にエイナーの一挙手一投足を具に観察し、これまで引きこもっていた弟王子が後学の為と称して会議に出席したことを、好意的に見る者、批判的に見る者、単に好奇の目で見る者と実に様々だった。


 ただし、それでもエイナーに向けられる感情には、兄に向けられるものとは絶対的な温度差がある。それは偏に、神殿がエイナーのことをクルードの愛し子として認めていないからに他ならない。王妃が亡くなったのも無理にエイナーを出産した所為だと、そう言う声はいまだにある。今この場に兄がいない分、その感情は随分とはっきりエイナーへ向けられていた。

 少し前のエイナーであればそれらの感情をただ恐れ、兄や父、ラーシュに助けを求めただろう。けれど、今のエイナーにとってはむしろ、その感情は自分を成長させる為の糧だった。自分に向けられる感情全てが、今はどこか心地よくさえある。


「頑張ってくれるのは嬉しいけれど、無理は禁物だよ、エイナー」


 そんな言葉と共に、とん、と肩に大きな手が乗る。見上げれば、エイナーと同じ夕日色の瞳を柔らかく細めた父がそこにいた。その後ろには父の護衛として騎士団長も控えており、エイナーに温かな眼差しを送っている。

 彼は、数少ないエイナーの味方の一人だ。あのアレクシアが自ら後継にと指名した人物で、父と兄の信頼も厚い。エイナーも、力を恐れず偏見もなく自分を見てくれる彼のことは嫌いではなかった。


「心配いりませんよ、父上。兄上と、無理はしないと約束していますから」

「エイナー殿下がご無理をなされば、キリアン殿下が心配なさいますからね。それはもう、政務が滞るくらいには」

「やれやれ。あの子は相変わらずエイナーに甘いね」

「キリアン殿下に甘い陛下が、何を仰るのやら」


 カニアがこれ見よがしにため息を吐き、騎士団長がさらりと父を突く。父は苦笑しながらそれらの言葉を聞き流して、一瞬、その視線を人だかりの一方へと投げた。

 議場を出ても、素直にそのまま場を去る者は少ない。多くの者が、今しがたの会議でのことや、他地方との情報交換の為に立ち話をしているのだ。父が視線を投げたのも、そんな者達の一部だった。エイナーの位置からは人の陰に隠れてその顔は見えないけれど、服装からその人物が誰であるかの見当はつく。

 エイナーは、相手から見えない側の手をぐっと握り締めた。湧き出そうになる怒りを堪え、父が視線を投げたことに気付かない振りをして、父を見上げる。


「父上、僕――」


 言いかけ、廊下の奥からこちらへ足音荒く人がやって来るのに気付いて、エイナーは言葉を途切れさせた。相手の存在に気付いたラーシュが、すかさずエイナーの身を半分ほど隠す位置に立つ。

 それと同時に、目の前に白い神官服の男が到着した。


「陛下! 一体どう言うことなのです!」


 国王への礼もそこそこに父に詰め寄るや、神官は廊下中に聞こえる声で周囲の注目を一瞬にして集める。言葉遣いこそ丁寧ではあるけれど、その目つきは到底国の長に向けるものではなく、その神官は明らかに父のことを下に見ていた。自分も同じ人間の筈なのに、たかが人間風情が、と嘲る感情がはっきりと浮かんでいる。


「これはマイエル神官。随分と苛立っているようだが、何かあったかな?」


 騒めきが遠のいた廊下に、神官の非礼を指摘することなく鷹揚に応対する父の言葉が静かに響く。穏やかな微笑さえ浮かべてみせる父だったけれど、その笑顔の下ではお楽しみの玩具がやって来たと心弾ませていることを、エイナーは知っていた。

 そして、今回の会議に出席する聖都の役人に同行して王都へやって来たらしい、父の玩具であるマイエルは、父が期待した通りの凡庸な反応を返す。


「何かあったではありません! キリアン様が城におられないとは、どう言うことなのです! 一体、あなたはキリアン様をどこへ追いやられた!」


 大事な会議にあの方を出席させないとは何たることかと、その口は唾をも飛ばす勢いで、随分と見当違いなことを言いたい放題だ。

 カニアによれば、初日は議場への入退室を敢えて王族専用の扉から行ったそうで、父がこうして議場の外に姿を現すのは今日が初めて。それもあって議場の外に留まる人の数が多いようだったけれど、今のマイエルの目にそんな他者の姿が映っているかは怪しいものだ。それくらい、溜まった鬱憤をここぞとばかりに晴らさんとする彼の勢いは、なかなかに激しかった。


 マイエルは、その発言から明白ではあるけれど、クルード派に属する神官だ。

 クルード派にとって、クルードの愛し子である兄は、クルードに次ぐ崇拝の対象。兄は人間の上に立つ存在であり、国王である父より偉く、誰より丁重に扱われなければならないと言う認識でいる。その為、この国を導く存在でもある兄が大事な国の会議の場に姿すら現していないことは、マイエルにとっては実に許し難いことなのだろう。

 更に彼の中では、兄は会議に出席しないのではなく、父によって不当に出席させられていないと言うことになっているようだった。勘違いも甚だしいけれど、それではなるほど、彼の勢いの激しさにも納得がいく。


 けれど、残念ながらマイエルの猛烈な非難も、父にとっては退屈な時間を紛らわせる為の愉快な見世物でしかなかった。公衆の面前でこれ見よがしに喚き散らすような無能は、父にとって相手にする価値はないのだ。マイエルはただ、父の次の楽しみをもっと盛り上げる為の道具の一つに過ぎない。


「随分な言い方をする。だが、私は何も、キリアンを無理に欠席させたわけではないよ」

「では何故、今この場にキリアン様はおられない? まさか、あの方の意思だとでも言うおつもりか!」

「ああ、そうだよ」


 まさかそんな筈がないと言わんばかりのマイエルは、父の即答に目を見開いて絶句する。

 恐らく、その反応は父の期待通りだったろう。エイナーがそっと横目に伺った父の横顔は、父にとって退屈な会議のあとと言うことも併せて、実に楽しそうだった。勿論それは、エイナーが家族だからこそ分かるわずかな反応ではあったけれど。


「そんな……そんな馬鹿なことがあるか! キリアン様ほどこの国を思っておられる方が、この国を導かれるお方が、大切な会議を放るなど!」

「キリアンにとって、大切な会議よりも大切なことがあった……それだけのことだ。あなたはキリアンのことを随分と信奉しているらしいが、その割にあの子のことを理解してはいないようだね、マイエル神官」


 嘆かわしいとばかりに父が首を振れば、マイエルの顔が怒りの為にか紅潮した。けれど、続く言葉はない。一体それは何かなどと言ってしまえば、マイエルが兄を理解していないことを認めることになるのだから、当然だろう。

 握った拳を震わせ、マイエルの視線がわずかに下がる。その時、初めてこの場にいたエイナーの存在に気付いたのか、マイエルの瞳が恐れにかっと見開かれた。


「ひっ!」


 エイナーの夕日色の瞳と正面から目を合わせてしまった瞬間、その口から情けない悲鳴が漏れる。身を仰け反らせ、あからさまにエイナーから視線を逸らして後退り、マイエルはたちまち顔を赤から青へと変化させた。


「な、何故、でっ……第二王子がここにいるのだ!?」


 出来損ない、と出かかった言葉を咄嗟に飲み込み、マイエルが神官服の裾で顔を隠しながら喚く。


「おかしなことを言う。エイナーもこの国の王子なのだから、会議に出席することくらいあるだろうに。そうだね、エイナー」

「はい、父上。本日はお声掛けくださってありがとうございました。お陰で、教師に聞く以上のことを学べました。明日以降もぜひ出席したいです」


 エイナーが父へと礼を言えば、マイエルは信じられないものを見たような顔を裾の顔から覗かせていた。

 けれど、エイナーがそちらへ視線を向けようとした途端、その顔はすっかり裾の向こうへと隠れてしまう。彼はどうあっても、エイナーの視線どころか顔自体を視界に入れたくないらしい。いや、もしかするとエイナーの存在自体を意識したくないのだろう。

 だからだろうか。これまで公の場に出ることすら厭い、仮に出て来ても兄の陰に隠れていたエイナーが堂々と人前に姿を見せ、父の言葉にしっかりと答えたことに周囲が感心する中でも、マイエルだけは頑なに現実を認めるつもりはないらしかった。


「な、何と言うことを……! 陛下、あなたは聡明なキリアン様を差し置いて、知恵の足りない子供を会議の場へ入れたと言うのか!」


 聞こえていた筈のエイナーの言葉をなかったことにしたマイエルの口から、暴言が飛び出る。その瞬間、エイナーの脇に立っていたラーシュの瞳が冷気を帯びた。いつもは明るく朗らかな光を湛える青味がかった灰の瞳に、今にも目の前の人間を斬り殺してしまいそうな剣呑な光が宿る。

 エイナーはそのラーシュの変化に咄嗟に彼を制したけれど、裾で顔を隠すマイエルは当然、気付かない。それどころか、すっかり頭に血が上ってしまったらしい彼は、あろうことかこの場で更なる暴言を繰り出していた。


「議場は子供の遊び場ではないのですぞ! まして、呪わしい子供など――」

「マイエル神官殿!」


 流石にこれ以上は看過できないと、騎士団長が声を上げた――その時。


「これは何事です」


 人だかりの向こう側から、かん、と杖の先で床を突く甲高い音が一音、響き渡った。

 たったそれだけで、一瞬にして場が静まる。

 その中でややあって聞こえてきたのは、杖を頼りに歩く足音と、その動きに従って聞こえてくる衣擦れの音。そして、道を譲る人々が起こす控えめな騒めき。


 やがてエイナー達の前に、片手に杖を持ち、もう片手を介助者に支えられながら、一人の人物がやって来た。マイエルと同じ神官服でありながら、彼より立場が上であることを示すクルードの紅で作られた帯を腰に巻いた女性だ。

 頭部をすっぽりと覆うようにベールを被っている為に顔は見えないけれど、杖を持つ手に刻まれた皺と、ベールの下から覗く、艶をなくしすっかりくすんだ白髪交じりの濃い苔色の髪が、彼女が高齢であることを示している。


「マーリット神殿長補佐……!」


 その人物を目にした途端、マイエルが味方を得たとばかりに顔に喜色を躍らせた。


「マーリット殿、聞いていただきたい! この者達が――」

「マイエル神官、静かに」


 マーリットの口から出た、決して語気の強くない静かな声が、たったそれだけでマイエルの口を閉ざさせる。マーリットは場が静まったのを確認すると、一歩二歩と足元を確かめながら、父の前へと歩み出た。


 マーリット神殿長補佐――彼女は、現在のリーテ派筆頭だ。

 カルネアーデの分家に生まれた彼女は、幼い頃からリーテやクルードに対して強い興味を持ち、自ら望んで神殿に入ったと言う。当初こそ神殿の中で中立を保ち、クルードとリーテへの奉仕に日々を捧げていたマーリットだったけれど、彼女の出自は彼女が中立で居続けることを許さなかった。

 本人が望むと望まざるとに拘らず、リーテ派はマーリットを取り込み、神殿での立場を強くしていく。その後、カルネアーデ家に愛し子が誕生し、マーリットがその子供の名付け親となったこともあって、リーテ派の中で彼女はリーテの愛し子に次ぐ者として祭り上げられ始めた。


 そして、マーリットがリーテ派の中でも上位に位置するようになった頃、カルネアーデ家当主らによる事件が発生する。そのことを知ったマーリットは己の責任を感じ、自ら煮え滾る湯の中へ身を投じて女神リーテの元へ還ることを選んだ。

 けれど本人の願いとは裏腹に命を落とすまでには至らず、そのことが、かえって神殿内でのマーリットの地位を更に上へと押し上げることとなる。

 今では、火傷によって左目の視力を完全に失い、右目も辛うじて色を認識できる程度、更には火傷の後遺症で不自由な体となったにも拘らず神殿第二位の地位に就き、リーテ派を取り纏める立場にあるのだ。


 マーリットは、目が殆ど見えないと言う一点において、エイナーが唯一、その心の内を視たくとも視ることの敵わない人物であり、表情もベールの内側にあってその内心が全く読めないが為に、ある意味で政には一切の容赦をしない父以上に恐ろしい人物だった。

 その苦手意識からか、エイナーはマーリットに得体の知れない恐ろしさを感じていた。それは、人前に出ることを躊躇わなくなった今でも変わらない。


「イェルド陛下、エイナー殿下。神殿の者が大変失礼をいたしました」


 深く頭を垂れ謝罪を口にするマーリットに、マイエルが目を見開く。反射的に開いた口からは言葉こそ出なかったものの、彼がマーリットの行動に信じられない思いでいることは明らかだった。すぐさま父を鋭く睨み付けたのが、いい証拠だろう。


「この者の不敬な発言の数々……全てはわたくしの不徳の致すところですわ。さぞやご不快な思いをなさったことでしょう。本当に申し訳ありませんでしたわね、エイナー殿下」

「マ、マーリット殿っ!」


 マーリットのベールを被った頭がエイナーへ向かって再び深々と下がるのに、マイエルが慌ててその体に触れて身を起させる。けれどマイエルの手が腕に触れた瞬間、不自由な体とは思えない素早い動きで、マーリットの手がマイエルの手を叩き落とした。

 杖を突いた時とは違う、ぱしりと乾いた音が静まった廊下に残酷に響く。


「トビアス……あなたはいつまで経っても手のかかる子ね。お願いだから、これ以上わたくしに恥をかかせないでちょうだい」


 母が幼子を諭すようなその口調は、それは優しい声だった。けれど、そこに含まれている感情は、優しさとは掛け離れて底冷えするほどに冷たい。四十を優に超えた成人男性をして手のかかる子と言わしめたことも併せて、マイエルを震え上がらせるのに十分な威力を持っていた。


「マーリッ――」

「トビアス・マイエル神官」


 今一度、優しくも有無を言わせない柔らかな声がその名を呼ぶ。

 たちまちマイエルは顔を蒼白にさせ、エイナーと目が合った時同様、ひっと情けない声を小さく漏らして後退ると、そのまま来た時と同じかそれ以上の慌ただしさでもって、その場から走り去って行った。




100話目でした。

1話の文字数が多い方なので(四章からは特に)話数が三桁に到達するのはまだもう少し先だと思っていたのですが……。少し驚いています。

ここまで書き続けられているのも、読んでくださる方の存在あってこそ。


タイトルに「聖女」と付いている割に、主人公が全く聖女っぽい活躍をしないタイトル詐欺のような本作にも拘らず、いつも読んでくださって本当にありがとうございます。

(きっとその内、聖女っぽいこともする筈……!)


今後も、物語のラストを目指して書き続けていきますので、お付き合いいただけましたら幸いです。

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