「……なんて?」って、俺の告白を君はなかったことにした。
目が合った雪乃が俺を見て人懐っこい笑顔を浮かべた。
……今だ!
「好きなんだ! 俺と付き合ってくれ!」
雪乃が差し出した俺の手を握り返した。
やった!!
「……なんて?」
そう言った雪乃が耳からコードレスイヤホンを外した。
「何? 握手? なんで?」
不思議そうな瞳で首を傾げる雪乃に絶望を隠せない。一世一代の告白だったんだ。それなのに聞こえてなかったとは……。
「……いや……うん。あの! ……さっ。……うん。いや、なんでも……ないんだ……」
「……そ? 変な颯太! これ何の握手なのぉ? ふふっ」
「いやさ、たまには握手も……いいもんかなと、思ってさ……。ははっ」
「変なのぉー」と言いながら雪乃は握手した手をぶんぶん上下に振って、もう片方の手で握手した僕の手をパチンと叩いた。そして、パッと離す。
「はい! お返ししますー」
「う、承りぃー」
「なんだそれ!」
本当だよ!! 俺のほうが「なんだそれ!」だよ! な・ん・で! 聞いてないかなー。俺の告白。
俺は今まで何度も雪乃に告白しようとしたんだ。その度チキンな俺は怖じ気づいて気持ちを伝えることができなかった。勇気を振り絞るために友達に宣言して、今日だと。今日こそはと。それなのに!!
「……じゃ、あたしバイトだから……行くね?」
「あぁ、おう。頑張れよ!」
「言われなくともな!」
バイバイと手を振った雪乃が、だんだん遠くなっていく。
……あぁぁぁぁぁぁぁ、行かないでくれー。巻き戻してくれー。なんで聞いてないかなー。うわぁぁぁぁぁ。もう叫び出したい気持ちでいっぱいだ。
ドンと背中に衝撃を感じて振り返ると、ニヤニヤした顔の和馬がいた。
「やったじゃん! okだったんだろ?」
「へい!」と、和馬がハイタッチのポーズをとるが、当然のように俺は答えない。答えられない。
「okじゃねぇよ」
「はぁ? ちゃんと見てたぞ。握手してたじゃねぇか」
「握手してただけだよ」
「どこの世界に日常で握手する高校生男女がいるんだよ。聞いてほしいんだろ? 雪乃なんて言ってた? 『あたしもずっと颯太のこと好きだったの』か? それとも『嬉しい。抱いて』か?」
和馬がからかうように、手を胸の前で組み、瞳をキラキラさせて雪乃の真似をしてみせた。が、俺の知る雪乃はそんな感じじゃない。
「正解は『なんて?』だよ」
「は? どういうこと?」
「……聞こえてなかったんだよ」
「は?」
「イヤホンしてたの!」
「は?」
「髪で隠れてイヤホン見えなかったんだよ! そんで、聞こえなかった雪乃は『なんて?』って言ったの!」
一瞬、呆気にとられてアホの子みたいな顔をした和馬が、コトを認識してゲラゲラ笑い出した。正直むかつく。
「マジか? そんなことあんの? あんなに意気込んでたのに。聞こえてなかったって? ははっ。あれ? でも握手かえしてただろ? 雪乃」
「うるさいな。手を出されたから握っただけだよ。その証拠に『何? 握手? なんで?』って言ってたよ!」
「……それは……その、残念だったな! でも、ま、フラれたわけじゃねぇんだから。またトライすればいいんじゃね?」
慰めの言葉を吐く和馬の肩が震えていてイライラしてくる。俺に背中を向けているが爆笑していることは見抜いている。
「うるせぇ! 十秒以内に笑いやまなかったら、その背中蹴り倒してやるからな。10・9・8……」
「悪ぃ、悪ぃ。もう笑わないから。機嫌直せよー」
俺の機嫌を取るように肩に手を乗せてゆさゆさと揺する。
「うるせぇよ!」
「……な? これSNSにのっけてい?」
「いいわけねぇだろ! 絶対にそういうことすんなよな!」
「……今日は残念だったけどさ。また、告白するんだろ? 聞こえてさえいれば絶対にokだって! な? 頑張れよ!」
「……言われなくとも」
雪乃は入学式で隣の席で、クラスの席も隣だった。正直、好みのタイプだったわけじゃない。特別かわいいわけでもないし、気が利くわけでも、目立つわけでもない。
毎朝の挨拶から、ちょっと世間話をするようになって、好きなミュージシャンが一緒だって分かって、別々に行っていたライブに、いつしか二人で行くようになって。
雪乃のノリの良さに、話していて楽しいと思うようになった。それだけなら、ただの気の合う異性の友達ってだけだったかもしれない。だけど、あのとき。一緒にライブに行ったあのとき。
俺はジュース、雪乃は軽食を買いに行った。両手にジュースを持った俺の目に飛び込んできたのは、俺の知らない男と仲よさげに話す雪乃。
思わずイラついて「雪乃!」と大声で、俺が連れだと相手の男に知らしめるように名前を呼んだ。
そこで更に腹が立つことになる。なぜって、雪乃と仲よさげに話していた男が俺を絡みつくような視線で眺めたあとに、吹き出したから。
雪乃は中学の友達とだけ言って、その場は終わったけど、いろんな意味でむかついて仕方なかった。
よくよく考えると、俺は雪乃が和馬と話しているのも気に食わない。そう気付いて、じゃあ、俺はどうしたいんだ? と。
独り占めしたい!
それだけだった。だから、ぜったい。俺は諦めない。今日は聞こえてなかったけど。聞こえるまで何度だって言ってやろうじゃねぇか。
なぜかメラメラと闘争心が湧き上がった。
放課後、帰り道を歩く雪乃の周りに人がいないことを確認して、雪乃の腕をつかんだ。その勢いで雪乃が俺の方に向いた。びっくりした顔で俺を見つめる。
「雪乃! 俺と付き合ってくれ!!」
「……なんて?」
また「なんて?」だよ!! だけど今日の俺は負けない。夏休みも冬休みも、春休みだって。俺は雪乃と会いたいんだ!
つかんだままの雪乃の腕を引っ張り、俺に近づける。肩までの黒髪を耳にかければ、またもや覗くコードレスイヤホン。そのイヤホンを取った。
これ以上ないほど雪乃が目を見開く。
「好きなんだ! 付き合ってくれ!」
耳元で叫べば、騒音をふさぐように、雪乃が耳に両手をあてた。
「……えっと、どこに……?」
「どこにとかじゃない! とぼけんな! 好きだって言ってる!」
もう勢い任せで怒鳴るように叫んでしまう。
「……えっと、颯太と?」
「な・ん・で! おれが他のやつの告白代行すんだよ! 俺が! 雪乃を好きなの! だから付き合ってほしいって言ってる!!」
雪乃は口を開けたままポカンとした顔で首を傾げた。
「……なんで、そんな喧嘩腰なの?」
「雪乃が知らないだけで、2回目の告白なの! 勇気振り絞ってんの!」
うつむいた雪乃が頬に手をあてる。
「……えっと、やり直しを要求しても……?」
「いいわけねぇだろ! 雪乃を好きになってどれだけ経ったと思ってんの? 1年だよ。その間何度告白しようとして……。フラれたら、もう友達でもいられねぇんじゃないかって怖じ気づいて。やっと! やっとできたと思った告白は聞こえてなくて……クソッ。かっこわりぃ」
雪乃の顔がどんどん赤く染まっていく。
出会ったのが高校の入学式。高2の夏のこれまで見たことのない表情。その赤く染まっていく表情に、俺の顔も熱を帯びていくのが分かった。
「好きなんだよ。……もう友達じゃ足りない……」
見たことのない雪乃の顔に釘付けになっていた俺の視線が、恥ずかしさと怯えで逸れていく。今の俺の目に映るのは橙色に染まる夕焼けだけだ。
……かっこわりぃ。
熱い雪乃の手が俺の両頬を包んだ。
「そういうのは、目を見て言ってほしいな」
じっと俺を見つめる雪乃の瞳が恥ずかしそうに少し逸らされた。視線を下げて、唇を噛みしめる。もう一度向けられた視線は潤んで、口元は弧を描いている。
「好きなんだ……」
「あたしも好きだったけど?」
ぶっきらぼうに雪乃が言った。照れ隠しだとすぐに分かる、はにかんだ表情で。
……やっぱり好きだ。大好きだ!!
***
「好きなんだ! 俺と付き合ってくれ!」
颯太があたしに向かって手を差し出した。反射的に手を握ってみたけど。
…… え? 今、好きって? 付き合ってくれって? そう言った?
音楽を聴いていたから、その音楽の向こうで微かに聞こえた言葉が、聞き間違いじゃないか自信がない。
間違いじゃない? 本当に? 颯太があたしを?
「……なんて?」
コードレスイヤホンを外して、伺うように颯太を見た。
「何? 握手? なんで?」
そう言って、颯太を見ると、この世の終わりみたいな顔をしていた。そして、なんでもないと……。
告白が真実であってほしいと。なんとか音楽を聴いていた時の言葉をもう一度確認したいと、待ってみるけど、バイトに行くと言えば、頑張れよ。それだけだった。
はぁぁ。……そうだよね。そんな都合のいい話ないよね。ちゃんと聞こえてない時に大好きな人から告白されてました。なんて。
颯太は入学式でもクラスでも隣の席だった。一目見たときからかっこいいなって思って、なんとか仲良くなれたらって、とりあえず毎朝、挨拶をしてみた。最初は「あぁ」とか「おう」とか素っ気ない言葉での返事が、そのうち「おはよう」になって。
颯太がいつも聞いている曲がなんなのか、中学からの同級生の和馬に聞いて、わたしも聞き始めた。そうしたら、あたし好みの曲でライブなんかも行くようになって。好きな人の曲があたしも好みの曲だなんて運命じゃないかって思った。
最初は小泉さんなんて名字で呼ばれてたけど、どうしても雪乃って呼んでほしくて。和馬に雪乃って呼ぶように強制して。
3人で話すようになると、和馬を通して自然と颯太はあたしを雪乃。あたしは颯太と呼ぶようになった。あたしの気持ちに気付いてる和馬は、それとなく音楽の話をしてくれた。見る人が見れば茶番でしかないけど、「マジで? 雪乃もblue thunder好きなの? 俺も!」って。
ホントいい仕事するよ和馬!
「知ってるよ」って心で思いながら「マジでー? どの曲が好き?」なんて言って。全てを知ってる和馬がほくそ笑むのを颯太から見えないように肘鉄食らわせて。
あたし頑張ったんだよ。颯太の好きな人になりたくて。性格を偽るほどの器用さはないけど、共通の趣味があれば、なんとかお近づきになれるんじゃないかって。
和馬から颯太は黒髪のボブが好きらしいって聞いた日、速攻髪色戻しで黒くして、ショートだった髪は肩まで届くくらいになった。
上品な子が好きって聞いても、気が利く子が好きって聞いても、そこは持って生まれたものだからどうしようもなかったけど。それでも毎日なんだかんだ話しかけて、颯太の一番身近な女の子になろうって。
本当に大好きで。確かに見た目から入ったけど、知れば知るほど、もっと知りたくなった。たまに和馬を含む中学の同級生と会えば颯太の惚気を言って、片思いだろって揶揄われた。
だから颯太と一緒にライブに行ったとき、その同級生のうちの一人に出くわしたときはビビったよ。あたしが、付き合ってもないのに盛大に惚気るもんだから、どんな男だって興味持っちゃって、颯太のことジロジロ見るんだもん。案の定、颯太は不愉快そうな顔してた。知らない人間にあんな風に見られていい気しないよね。あとでLimeでめっちゃ叱っておいたけど!!
……あぁ。やっぱ聞き間違いだよなー。あんなかっこいい颯太があたしみたいな平凡な子好きになるわけないし。和馬もなー。何回聞いても颯太の好きな子教えてくれないんだもん。
そんなことを考えながらトボトボ歩いていた放課後。突然腕を捕まれた。びっくりして振り向けば、見たこともない真面目な顔の颯太。
「雪乃! 俺と付き合ってくれ!!」
「……なんて?」
今度はちゃんと聞こえたけど、思わず出た言葉。
だって信じられない。颯太があたしを……?
つかまれたままの腕を引っ張られ、颯太の顔がぐっと近づいた。もう片方の手であたしの髪を耳にかけてイヤホンをはずした。
「好きなんだ! 付き合ってくれ!」
耳元で叫ぶように颯太が声を張り上げた。思わず両手を耳にあてる。
え? なに? 聞き間違いじゃない……よね? だって、あたしのことを好きって。2回も付き合ってくれって言葉が聞こえた。
ちょっと待って。落ち着いて。好きもいろんな好きがあるわけで。あたしだって和馬のこと好きっちゃー好きだし。付き合うってのもライブとかかもしれないし……。
「……えっと、どこに……?」
「どこにとかじゃない! とぼけんな! 好きだって言ってる!」
本当に? 本当にあたしのことが好きで付き合ってって言ってくれてる?
「……えっと、颯太と?」
「な・ん・で! おれが他のやつの告白代行すんだよ! 俺が! 雪乃を! 好きなの! だから付き合ってほしいって言ってる!!」
確かに、あたしのことが好きだから付き合ってって言ってくれてるように聞こえる。だけど、じゃあ、なんで……
「……なんで、そんな喧嘩腰なの?」
「雪乃が知らないだけで、2回目の告白なの! 勇気振り絞ってんの!」
2回目? 口ぶりから察するに今日2回目って意味じゃなさそう……。え? じゃあ、あのとき、音楽の向こうで小さく聞こえた告白は聞き間違いじゃなくて、本当に……?
あのとき、颯太はこの世の終わりみたいな顔してた。顔面蒼白で、死に際の金魚みたいに口をパクパクさせて。
あんな顔するほど、告白が聞こえてなかったことがショックだったの? そんなにあたしのこと好きでいてくれたの?
「……えっと、やり直しを要求しても……?」
……嬉しすぎて、調子に乗ってしまった。
本当はね。あれが告白だったら絶対聞き逃したくなかったなって思って。あれから通学中でも徒歩の間はイヤホンonにしてないんだ。っていうか、できないよね。告白じゃなくたって、颯太の言葉は何一つ聞き逃したくないんだから。
その後のご褒美みたいな更なる告白に、アタシは顔があつくなった。のぼせて鼻血が出たって本望だ。
嬉しすぎていつ鼻血が出るかも分からないあたしの顔を颯太がじっと見つめる。
「好きなんだよ。……もう友達じゃ足りない……」
……そんな気持ち、アタシの方がずっと前から感じてたよ……。
ほてった手で颯太の両頬を包む。
ずっと触れてみたいって思ってた……。だけど、あたしはすごく欲張りな女だったみたい。
「そういうのは、目を見て言ってほしいな」
そう言うと、今までに見たことのない熱のこもった颯太の瞳があたしの瞳をまっすぐと射貫いた。
「あたしも好きだったけど?」
恥ずかしさに出てきた言葉は、なんともぶっきらぼうな言葉。
だけど、嬉しそうに笑みを広げる颯太を見ると、この言葉が及第点だったんじゃないかって思えてくる。
大好きだよ、颯太。きっと、颯太が思ってくれるよりずっと前からアタシの方が。
そして、長い長い颯太との時間のなか、あたしたちは度々この時の答え合わせをした。
「あのとき実は聞こえてたんだ」
「なんで聞こえてないふりしたの?」
「颯太があたしのこと好きになってくれるなんて夢にも思わなかったんだよ」
「なんで? 俺は少しでも早く雪乃を独り占めしたいって思ってたよ」
「今もそう思ってくれてる?」
「伝わってないの?」
「……なんて?」
見つめ合って「ふふっ」と吹き出しあった後、幸せな笑顔で微笑み合う。
「「だいすき」」