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冬と花火とオリオン座

作者: 秋澤 えで

 「花火、見に行こう」


 そう言いだしたのはどちらだっただろうか。すっかり日の落ちた帰り道、僕らは二人で歩いていた。


 大学受験まで指折り数えることのできる12月。僕らは年明けの共通試験のため、1日学校にこもって自習をしていた。試験前ということもあり、土曜日でも校舎は開放されていて、暖房もついている。ただ土曜の学校に来てまで勉強しているのは午前中に課外があった生徒か、教室で勉強をするのが好きな生徒くらいだ。登校時間はタイムロスになるし、クラスの半分くらいは予備校に通っているに違いない。暖房が付いているとはいえ所詮は公立高校。設備は市営の図書館にも劣るし、なんなら自宅の方が暖かく、風邪をひく心配もない。


 そんな中、教室が好きでもなんでもない僕が非合理的にも学校で自習しているのは、ひとえに斜め前に座るクラスメイトのためだ。僕の視線になんて気が付かないで、クルクルとシャーペンを回す。今はどうやら現代文に取り組んでいるらしい。数学に手を付けているとき、彼女は決まって苛立たし気に髪をかき上げた後死んだように机に突っ伏すから。


 僕はいつも彼女の背中を見ている。

 もちろん、変な意味ではない。ただ彼女の背中が目に入るのだ。

 今年になってから初めて同じクラスになった彼女と僕は、さほど接点があるわけじゃない。僕は社交的じゃないし、彼女もお喋りな方じゃない。せいぜい授業のグループワークで一緒になるくらいだ。それでも僕らはお互いに意識している。それは自意識過剰じゃない。


 筆箱の中に入ったままの成績の短冊に目を向けた。僕の得意科目、日本史と国語。その下には1,2と数字が並んでいる。日本史は学年1位。国語は学年2位。理系科目が壊滅的な分、僕は文系科目の点数を上げるのに必死だ。そしてそれは、斜め前の彼女も同じ。

 この2科目においては、僕が1位だと彼女が2位で、僕が2位だと彼女の1位なのだ。得意科目が丸ごと被っているようで、去年からたまに自分を1位の座から引きずり落とすのは誰だろう、と思っていた相手が彼女だったようだ。そのことに気づいたのは偶然で、お互いが友人と順位の話をしているときに漏れ聞こえて知ったのだ。そして話しかけたのは彼女が先だった。


 「今回、日本史と国語何点だったの?」


 不愛想に聞いた彼女の手にも点数と順位の描かれた短冊が握られていた。そのときから僕らは試験の結果が出た時だけ会話を交わすのだ。


 そんな彼女は学校で勉強するのが好きだ。いわく、「家で勉強してると誘惑が多い」と。夏の間から彼女は放課後も休日も学校へ来て勉強している。そしてたまに学校で勉強していた僕は彼女を一つの指標にしていた。


 勉強していて煮詰まって、帰りたいと思った時、彼女の姿を見るのだ。そうすると、彼女も頑張ってるんだから僕も頑張ろう。少なくとも、彼女が帰るまでは僕も残ろう、という気分になる。彼女からしたらそれは知ったことではないだろうけど。僕は彼女の背中に勝手に勇気とやる気をもらっているのだ。

 最初は、その背中が僕の怠け癖を抑えてくれるからわざわざ学校で自習をしていた。けれどいつからかその背中を見るために登校してしまっている気がする。窓から見た外はすでに真っ暗で、点々と走る車のライトが光っていた。


 土曜日の学校が閉められるのが18時。その時間はもう迫っていて、廊下には他のクラスから出てくる生徒たちの姿が見えた。それに彼女も気づいたらしく立ち上がる。南側の窓の戸締りをしだしたら教室を閉める合図だ。僕は廊下に出て窓の鍵が閉まっているのを確認する。暖房を切って緑色のカーテンを閉めて電気を落とす。


 「鍵、閉めるよ」


 彼女の言葉に頷き揃って教室から出て、鍵を返しに職員室へと向かう。薄暗い廊下は寒々しい。また僕の少し前を歩く彼女は、カーディガンにコート、スヌードにニット帽で雪だるまのように着ぶくれしていた。彼女は寒がりだ。けれどいまだにこうして学校へ勉強しに来ている彼女には全く脱帽だ。

 職員室へ鍵を返し、昇降口から出るとき、彼女が不意に短く声を上げた。


 「どうした?」

 「今日花火大会やるらしいよ」

 「こんなに寒いのに?」


 ほら、とスマホの画面を見せられると、ネットニュースには今日の日付とここから程ない住所が書かれていた。どうも普通の花火大会ではなく、感染症の流行の中でも頑張ろう、という趣旨のものらしい。

ふうん、と僕がスマホから顔を上げると、寒さで鼻の頭を少し赤くした彼女と目があった。




 風が冷たい中、自転車を押す。目指す先は近くの展望台だ。マフラーに顔半分を埋めながら山の上り坂を二人で歩く。彼女の吹きすさぶ風から僕を盾にしていて、思わず文句の一つでも言ってやろうかとしたが、寒そうに眼を細める彼女を見るとおとなしく盾役に徹するしかなかった。セーラー服は学ランより寒い。黒い厚手のタイツとローファーでは寒いだろう。


 それでも帰ろう、とは言わなかったのは、僕の意地かそれとも彼女の意地か。山頂まで着くと無人の展望台が見えた。12月の夜に、わざわざここへ来るような酔狂な人間そうそういないだろう。自販機でコーンスープを買う。


 「私お汁粉が良い」

 「ん、火傷するなよ」


 がらがらと音を立てて缶が二つ転がり出る。手袋で握るとほのかに温かさが伝わってくる。素手で持ってはいけないことはもう学んだ。コートのポケットに缶を突っ込んで展望台の階段を上る。


 「試験近いのに何やってんだろうな」

 「疲れてるんだよ、きっと。それで癒しと勉強以外の非日常を求めてる」


 疲れてる、疲れてるんだろう。だから僕は平然と彼女と二人で展望台に上っているし、彼女はいつもより饒舌だ。

 きっとそれは勉強疲れと、冬の寒さ、それから花火大会という非日常のせいだ。

てっぺんまで登ると風がさらに強い。二人して縮み上がりマフラーに顔をうずめて温かい缶を握りしめる。


 「花火大会って何時から?」

 「19時半からって書いてあった」


 スマホを取りだせば時間まであと数分ある。

 空を見上げると空気が澄んでいるのかオリオン座がよく見えた。

 いつも僕の前に座っているはずの彼女はどうしてか僕の隣にいて、手袋を外してお汁粉のプルタブに指を引っかけている。

 試験前に遊んでいることも、夜中に山に登っているのも、隣にいたことなんてない彼女が隣にいることも、どれもこれもまるで現実味がない。ジンジンと指を温めるコーンスープだけがこれを現実だと僕に伝えていた。

 嬲るような風の音が僕らを取り囲む。生い茂った木々がざわざわと葉をこすらせる。ずっと下の方でトラックの走る音が聞こえた。


 「惜しいな」

 「じゃあ帰る?」


 僕の独り言に間髪入れず彼女が不機嫌に返事をした。一瞬何のことかわからず瞼を瞬かせる。彼女は説明する気などなさそうに僕から目を逸らして空を見上げていた。


 「……もしかして、僕はこの時間も惜しいと思うほど勉強熱心な奴だって思ってる?」

 「そうじゃないの? いつも学校来てまで勉強して、閉校するまで残ってるくらいだし。優等生君にはこんな夜の花火より家に帰って勉強したいんじゃないの?」

 「そんなわけないよ。勉強別に好きじゃないし、教室で勉強するのもそんなに好きなわけじゃないし」

 「じゃあなんでわざわざ寒い中学校にまで来てるの?」


 問い詰める、というよりもただ不思議、というように彼女は言葉を失った僕を見上げた。試験の話をしているときよりもずっと幼く見える彼女は、きっと本当になにも気づいていないのだろう。もっとも、そんな素振りを見せなかったのは僕の方だ。


 「……そうだね」

 「うん?」

 「惜しいと思ったのはいつまでもここにいることはできないっていう現実のこと」

 「……うん?」

 「僕が好きでもない学校に休みの日まで通い続けるのは、今日君と花火を見たいって思った理由と一緒だよ」

 「そ、れは」


 彼女の継ごうとした言葉を遮るようにドン、と音が轟く。僕らは揃って冬の空を彩る花火を見上げた。遮るものもなければ、ほかに見ているだろう客たちの歓声も聞こえない。僕らはただ二人だけで花火を見ていた。


 紅潮した彼女の頬を思い出しつつ、この花火が終わるまでに、もっといいセリフを考えなくては、と次々と打ちあがる空の花を見上げた。


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