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雨上がりの空に


 誓言――。

 ケルト神話でゲッシュと呼ばれるそれは、己に義務や制限を課すことによって人知を超えた力や恩恵を得られる制約である。

 日本においても、お茶を断ったり好きなものを制限して願いをかなえるという方法があるが、樹は『誰とも口をきかない』という誓言を立て己の力を確固たるものにしているようだった。


「じゃあ俺にきみの言葉が聞こえるのは……」

『おなじちがながれているからだよ。でもおかあさんにもおじいちゃんにもきこえない。おとうさんいがいにはだれにも……だからこそいみがあるんだとおもう』


 会えるかどうかもわからない――そんな父親としか話せないと言うのは、確かに大きな制約になっているに違いない。


 唐突に、樹は自身がぶち抜いた天井を見上げた。

 天井はすっかり消え去り、きらきらと太陽の光が零れ落ちて樹を縁取る。

 大河はそれを見てまるで天使のようだと思ったが、確かに彼は自分の息子で天使に違いない。そして息子と同じものが見たくて大河も顔を上げたが、空が見えるだけだった。


「行くのか」


 別れの予感に、大河の胸が締め付けられる。


『うん。ようちえんにもどらなきゃ……。みちこせんせいがさがしてるみたい。あとのことはおとうさんがてきとうにごまかしておいてね』

「樹……あの」


 もう二度と会ってもらえないのだろうか。会いたいと思うのは罪だろうか。

 大河の声が上ずった。言いたいことはたくさんあるのに、うまい言葉が出てこない。


 だが樹は、なにか言いたそうな大河から顔をそらし、つんとあごを持ち上げると、

『ゆるしたけど、みとめたわけじゃない』

 大きな愛くるしい目に、六華譲りの強い意志をみなぎらせる。


『ちちおやだけど、まだおとうさんじゃない』


 はっきりと言い切って、『じゃあまたね』と――大河の逆鱗の力とはまるで違う空間転移によって、その場から一瞬で姿を消してしまった。


「樹……」


 大河は六華を腕に抱いたまま、樹がいたはずの空間を見つめる。


 本来樹のあの力をもってすれば、六華を救い出すことも、こうなる前に赤い竜のすべてを一網打尽にすることも可能だったはずだ。だが彼がギリギリ限界まで動かなかったのは、ひとえに樹自身が己の力を把握しきれていないということに尽きるのだろう。


『ぼくがぼくじしんをりかいするまで、だれともくちをきけない』


 というのは、嘘でも大げさでもなく真実で、樹自身想像できない事態を引き起こしてしまうかもしれないという恐怖があったに違いない。

 それでも彼が危険を冒してここに来たのは、六華と――ついでかもしれないが、自分を助けるためだったのだ。


『父親だけど、お父さんじゃない』という言葉が、大河の心にグサグサと突き刺さる。

 だが当然だ。樹に託されたのに六華をひとりで守り切れなかった。むしろ彼女を危険にさらした。


(情けないな……)


 それでも大河の心は、今までにないくらい晴れやかだった。

 樹に拒否されたわけじゃない。認めてもらえるまで頑張ればいいのだと――『じゃあまたね』と告げた、樹の優しさに感謝するのだった。



 それから間もなくして、上空からヘリコプターが急降下してきた。

 バタバタと降りてくる面々の中に見知った顔を見て大河はほっと息を吐く。


「先生……彼女をお願いします」

「下に救急車を配備しています。でも久我君も乗るんですよ。ズタボロじゃないですか」


 山尾ははあ、と深いため息をつき、担架に六華を乗せて慎重に運ぶように告げる。

 そして胸元から小さな扇子を出し、床に落ちている燃え尽きた式神の依代をつまんでその上にのせた。


「先生、それ誰のものか、わかりますか?」

「背後関係を探らせましょう」


 そして山尾は、さらに振り返って壁に寄り掛かるようにして倒れている玲を見て、ひどく悲しそうに目を細めた。


「清川君。生きていたんですね」

「ええ。六華が。捕まえるのが仕事だと」

「そうですか……彼女らしい」


 山尾はふふっとどこか誇らしげに笑って、それから大河をじっと見つめる。


「通報でこのビルの異変を聞いた時、正直もう駄目だと思いました」


 それは命の有り無しではない。大河が我を忘れて逆鱗に飲み込まれることを、山尾はずっと恐れていたのだ。もしそうなれば、山尾は大河を手にかけなければならない。

 目付け役でありながら、幼いころから実の息子の様にかわいがってくれた山尾に対して、それは大変な親不孝とも言える。

 そんなことにならなくて本当に良かった。


「ご心配……おかけしました」


 大河が深々と頭を下げると、山尾は軽く肩をすくめて首を振る。


「とはいえ、怒っていないわけじゃないですからね。そんな状態じゃなかったら、さすがに手が出てますよ」


 山尾に言われると、幼いころの失敗が途端によみがえってくる。山尾は昔から怒ると死ぬほど怖いのだ。


「はい、すみません……あいたた……」


 大河は急にぶり返してきた痛みをこらえながら、素直に謝罪の言葉を口にする。そんな大河を見て、山尾はどこか気が抜けたように息を吐いた。


「まぁ、なにはともあれ。話の続きは病院でいいでしょう。さ、行きますよ」

「はい」


 こくりとうなずきながら歩き出した大河だが、果たして今の自分は彼について行っていいものだのだろうか。おそるおそる尋ねる。


「ところで俺の身分はまだ……」

「辞めたことにはなってませんよ。当たり前でしょう」


 山尾はそして、どこか上ずった声で、

「本当に……生きていてよかった……。御上に申し訳が立ちません」

 とささやきながら、大河の肩に手を乗せほほ笑んだのだった。


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