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樹の誓言


「なっ……なにやつじゃ!」


 女帝は後ずさりながら、頭上を見上げる。

 光は何の前触れもなく唐突にそこに『顕現』した。

 神が世界を創生するときに、最初に「光あれ」と仰ったように、唐突にだ。

 眷属のみで血を残すことを選び、時には倫理を曲げて子孫を残し続けた赤い竜の末裔はその血の濃さゆえに強い竜の力を持っていたが、彼女をもってしても転移などできない。

 術式のような理論ではなく、魔法であり二千年前に消えた力だった。


『おかあさんをいじめるやつはゆるさないぞ』


 小さな光はそうはっきりと、舌足らずな幼い口調で宣言すると、


『おまえなんか、こうだっ!』


 紅葉のような小さな手を、顔の前でパチンと合わせる。

 突如、女帝を四方から取り囲むように透明な壁ができたかと思ったら、

『ぽーい!!』

 声高らかに、光は両手を天へと伸ばす。


「きゃあああああああ!」


 その瞬間、まるでロケットの打ち上げもかくやと言わんばかりのスピードで、女帝を収めた透明な箱は、天井をぶち抜き飛んで行ってしまった。

 結界に閉じ込められたあの状態で力は使えない。誰の目にも止まらない。海にでも落ちればおそらく見つけてもらうこともできないだろう。


『よし……』


 光は満足したようにうなずいて、それから背後で珊瑚を構えたまま静止している六華を振り返った。


 まばゆい光はおさまって、幼稚園の制服姿の樹が光の中から現れる。

 六華の時間は、樹によって止められていた。

 いや六華だけではない。このビルを中心に半径一キロは完全に樹の作った固有結界の中にあり、外からは『認知』すらできない状況になっている。すさまじいまでの力だ。


『おかあさん……』


 柔らかいくせっ毛はボサボサ、全身は傷だらけ。それでも彼女の目は熱っぽく光をたたえ、きらきらと輝いていた。

 負ける気は微塵もない。絶対に引かないという強い意志を感じて、だから自分はお母さんが大好きなのだと樹は誇らしい気持ちになったが、それはそれだ。

 樹はふわふわと宙を跳んで、今まさにビルから飛んでいこうとする大河のもとへと向かい、長い髪の端をつかんで六華のもとへと戻ると、ふたりを床に寝かせて両手をかざした。

 あたたかい光がふたりを包み込み傷を癒していく。


『あまりきれいになおすと、うたがわれちゃうな……おとうさんはしなないていどになおしておこう……』


 癒しの力が強くなる。大河の全身を覆っていた鱗がぽろぽろと剥がれ落ちていく。


『えっと……どんなふくきてたっけ……?』


 樹は今朝の大河の姿を思い出し、それも再現していくことにした。


「ん……」


 大河が異変を感じたのか、かすかに眉根を寄せて身じろぎする。長いまつ毛が震えていた。

 六華は人だが大河は違う。樹の力の干渉を肌で感じるのだろう。今にも目を覚ましそうだ。このまま立ち去るつもりだったが仕方ない。樹は『おとうさん、おきて』と呼びかけた。


「ん……え……?」


 大河がぼんやりと瞼を開ける。その目が樹と重なった瞬間、大きく目を見開いた。


「いっ、いつき!? あっ、六華!」


 隣で目を閉じている六華を見て大河は真っ青になったが、

『おとうさん。おかあさんはだいじょうぶ。あとこれはゆめじゃないからね。しっかりとぼくのはなしをきいてね』

 と、落ち着いた様子で呼びかけた。


「――あ……ああ……」


 大河はこくりとうなずきながらも、床に寝そべったままの六華の体を抱き寄せると、手のひらで六華の首を押さえて呼吸や脈を確認し、ほっとしたように息を漏らした。


「よかった……よかったっ……」


 そして体を震わせながら、六華を抱きしめる。

 自分が助かったことよりも、人に戻れたことよりも、まず六華の安否を確かめるところは及第点だと樹は思ったが、わざわざ口にはしなかった。


『おとうさん。とりあえずあいつは、ぽいしたから』

「ぽい?」

『そう。ぽいだよ。それとりゅうぐうにむかったわるいやつは、おへやをつくったときについでにけした』

「――」


 大河は真顔になってあたりを見回す。

 そして無言のまま、自分が今人の姿であること、逆鱗に姿を変えた時に失ったはずの隊服を着ていることに気が付いて、また夢でも見ているような茫然とした表情になる。


「樹、お前は……」


 大河の言いたいことがわかる樹は、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


『ぼくは、ぼくだよ。おかあさんのおなかにいるときから、ずっとぼくだ』


 樹は六華のおなかにいるときからの明確な記憶があった。


『ただ、ぼくはぼくであるまえに、ちがうぼくだったんだ』

「――竜、だったのか?」

『わからない……。ただ、そらをとぶとりだったことも、むしだったことも……おおきなきだったこともあるよ』


 樹は唇をひよこのように尖らせ、ため息をついた。


『たくさんのほんをよんでもぼくがなんなのか、まだわからない……でも、ぼくがたくさんのいのちだったことはおぼえてる』

「命……か」


 かつて神話の時代、竜はすべての生物の頂点に立つ生物だった。

 樹はその頃のすべての記憶を留めているというのだろうか。

 ツノナシの自分から生まれた彼が竜の角をもっているはずはないが、樹の力はどの竜よりも強い。

 おそらく竜宮におわします尊き方々よりも、ずっと――。

 それは実質、この世界の頂点に立つ存在ということだ。この世界のパワーバランスを変えてしまう力だった。


「もしかして君が言葉を発しないのは……」

『これでつりあいをとるんだ』


 樹はこくりとうなずいた。


『ぼくがぼくじしんをりかいするまで、だれともくちをきけない』


 制約をかけることによって、偉大な祝福とも呼べる力を得て行使する。それは大いなる力を持ちこの世に生まれ落ちた樹が、己に誕生の時に課した誓言だった。


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