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竜を護る者


 生まれて初めて、気が狂うほどの怒りに身を焦がした。

 あまりに悲しく、直視することができずに心の奥底に押し込めていた喪失感が、色を変え、形を変えて噴き出してくる。

 あれほど情に深かった人が、なぜ『おなさけ』がもらえないからと言って、死ななければならないのか。

 後宮に与えられた八畳ほどの小さな部屋で、首を吊って死なねばならないのか。

 竜はそれほどに『えらい』のか。

 そして自分は――その竜を頂点とする貴族制度の恩恵をたっぷりと受けて、なに不自由なく生きてきて――。


「おねえちゃん……」


 大好きだったおねえちゃんを殺したのは、自分なのかもしれない。




 玲は荒れた。貴族の子弟が近づかないような裏路地で、誰彼構わず喧嘩を吹っ掛け血を流した。

 近づいてくる女を片っ端から抱いて、手酷く捨て、男には喧嘩を売り、恨みを買い、また同じように暴力を振るわれても、一度燃え上がった怒りはくすぶり続けた。

 それでも表向きは優等生のふりをし続けていたのは、母がいたからだろうか。ふりをし続けて、今更変えられなかったのか。正直言ってよくわからない。なにもかもどうでもいいと思っていたのかもしれない。


 そして高校を卒業する直前。いつものようにおぼっちゃんから小銭を巻き上げようと近づいてきた半グレ集団を路地裏で叩きのめしていたとき、声をかけられたのだ。

 彼女は顔を扇子で隠した、和服姿の女だった。

 背後には黒塗りの高級車と、訓練されたボディーガードが控えている。


「……なんだよ、あんた」


 玲の問いかけを聞いて彼女はククッとのどを鳴らす。


「うるさいねぇ……お前の体にぽっかりと開いた大きな穴から、怨嗟の声が聞こえてくるよ……本当に、うるさくって、しかたない……」


 そして彼女は玲を「近こう」と手招きした。

 そして玲は、自ら望んで彼女の駒のひとつになったのだ――。




(生まれた時からそうだったと思えば、今更利用されることに抵抗などない)


 竜宮警備隊の仕事はこれまでずっと順調だった。

 ただひとつ、例外を除けば――。

 玲は膝の上でぎゅっとこぶしを握りながら、前を見つめる。

 祈りの声がどんどん大きくなる。

 儀式参加者で顔を隠していないのは玲を含めて十人程度だ。不測の事態に備える者たちなのだろう。

 もうまもなくすれば燃え上がる護摩の炎にいけにえが捧げられる。

『竜に先んじるための儀式』とはいったいなんなのだろう。

 若い女の肉を欲する神など、なんにしろろくなものではないに違ない。

 竜と同じだ。竜と竜を憎む者で潰しあってくれればそれでいい。そして竜が作ったこの歪んだ世界を壊してほしい。


「――さ、ん……!」


 だが――。


「れい、さんっ!」


 頭上から声がする。

 玲が顔を上げると同時に、天井横のガラス窓を突き破って、落ちてくる星があった。

 人だ。女だ。

 長い髪をたなびかせながら、女が割れたガラスと一緒に、キラキラと輝きながら落ちてくる。

 空中ですらりと剣を鞘から抜き放ち、燃えるような瞳で玲をまっすぐに見つめる。

 その目の輝きは、玲の人生で知っている数少ない『美しいもの』で。

 玲は床に置いていた紅玉の鞘を払いながら、ほほ笑んでいた。


「りっちゃん!」


 ガキィィィィン―――!


 片膝をついたまま、上段から振り下ろされる珊瑚を紅玉の刃で受け止めながら、玲は六華を見上げる。

 ビルから飛び降りた瞬間、玲は六華が死んだと思っていたのだ。

 死体を見ないまま後ずさり、その場を後にした。


「もしかして幽霊かな。僕を殺しに来たの?」


 そうだったらいいのに。

 幽霊でもいい。

 ずっと騙していた先輩を憎んで、なじって、恨んでくれたらいいのに。

 なのに彼女――六華はこんな時でも変わらない。


「いいえ。柚木さんを助けて、あなたと、あなたにこれを指示した悪党どもを全員捕まえるために来ました」


 いくら竜と竜を憎む者で潰しあってくれればそれでいいと玲が願っても、竜を護る者は、ここに来る。

 どれだけ醜い部分を見せつけても、出会った時から変わらない目で自分を見つめる。

 そんなこと自分は望んではいないのに。


「ほんと、いやになるよ……!」


 玲は立ち上がりながら鍔で六華の体を強く押し返すと、即座に後ずさって間合いを取る。


「邪魔をするなら君をこの手で殺すしかないね」

「そうですか。ですが私もそう簡単には殺される気はありませんよ」


 六華も珊瑚を構えなおし、はっきりと答える。

 そのたたずまいから、全身に力がみなぎっているのが分かる。

 これが死者であるはずがない。彼女を助けた存在がいるのだ。


「きゃあああ!」「だれか!」「曲者じゃ!」「いけにえが!」


 祭壇のあたりが騒がしい。玲がちらりと視線を向けると、そこに黒い獣が立っていた。おおざっぱに言えば人の形をしているが、人ではない。禍々しいほどの力を感じる。そしてその太い腕にはぐったりとした柚木を抱き上げていた。大きすぎて柚木が子供の様に見える。

 その場にいた誰もが目を疑い、恐怖に固まっていた。


「……なんだ?」


 自分の見たものが信じられず、玲は瞬きを忘れて凝視する。


「彼女を病院へ連れて行って! 約束しましたよね! まずは人命救助ですっ!」


 六華が叫ぶと、獣は「グォオオオオオオオ……!」と仰け反るように吠えたかと思ったら、飛び込んできたガラス窓から外へと飛び出していった。


「……りっちゃん。あれ、なんなの」

「私の大事な人です」


 きっぱりと迷いなく答える六華に、玲はガツンと頭を殴られたような気になる。

 ああ。あんな獣ですら愛されるのか。

 玲はふっと笑って、紅玉の柄を持つ指に力を込める。


「人? あれが? 冗談やめてよ」


 僕だって、君の特別な男になりたかったよ。

 君は一度だって、本気にしなかったけれど。


「痛くないようになんて手加減してあげないからね……!」


 玲は床を蹴って前に踏み出す。

 六華が大きな目を見開いて、同じように玲へと飛び込んでくる。


「やああああああああっ!」


 せめて痛みを刻み付けたい。心がだめなら、体だけでも――。



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