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玲の過去


 数日後、竜宮で行われる新嘗祭にいなめさいは非常に重要な祭祀であるが、今、自分の目に映っている禍々しい祈りも彼らなりの祭事なのだろう。

 ほうの上に小忌衣おみごろもと呼ばれる衣装を羽織った玲は、ひんやりとした床に正座し、ぼんやりと儀式を眺めていた。

 玲が竜宮警備隊に入隊してから四年、柚木含めて十数人の女たちをここへ連れてきてたが、儀式に参加するのは初めてだった。


 部屋の広さは五十畳ほどあるのではないだろうか。

 ビル三階分をぶち抜いて作った天井はかなり高い。床はすべて板張りで、同じ装束に身を包み、顔を薄い紙で覆い隠した男女が、かしこまって壁の奥にある祭壇に祈りを捧げている。

 祈りの声が反響して、頭の芯がぼうっとしびれるような感覚がある。


(耳栓してくればよかったな)


 玲はそんなことを思いながら前方を見つめる。

 祈りの最前列、中心にいるのが玲の『協力者』だ。

 都会のど真ん中に大きなオフィスビルを持つような身分からして表向きは相当な資産家に違いないが、人前に出るときは扇子で顔を隠しているので、玲も彼女の素顔を知らないままだ。


(まぁ、そんなことはどうでもいいけど……)


 竜宮を壊せたらそれでいい。彼らの狙いが自分に近ければ、利用するのもされるのも、玲にとっては同じだった。


 ごうごうと、炎が燃えている。

 炎を絶やさぬよう時折乾いた木が放り込まれて、パチパチと音を立てていた。

 祭壇には気を失っている間にさらに薬を盛られ、いけにえにされるために身を清められた柚木灯里が横たわり眠っている。

 その上には大人が両手を広げたくらいの大きさの鏡が掲げられていた。


 護摩行の護摩ごまというのは、サンスクリットで『ホーマ』――『物を焼く』という言葉から来ているらしい。

 炎は『神のあぎと

 その顎に捧げものをし、信じる神から力を貰うのだという。


(今まで年に一人か二人のペースだったのに……今年は多かったな)


 心の中で、冷静に自分の罪を振り返る。

 そもそもこれまで貴族の子女ばかり攫っていたのに、いけにえが足らない、もっと連れて来いと言われて、仕方なく内膳司に勤める官吏の娘を誘拐した。それが柚木の友人だ。

 柚木は完全にとばっちりだが、それでも協力者たちは「忌まわしい竜宮に先んじることができようぞ!」と喜んでいた。


(ごめんね、柚木さん。僕は間違いなく地獄に落ちるから、直接謝ることもできそうにないけど)


 今までの、罪のない女性たちの顔を思い出そうとしたが、脳内でうまく絵にすることができない。

 良心などすでに死んでいる。心はひとつも傷まない。

 だがただひとつ――玲には忘れられない笑顔があるだけだ。


(おねえちゃん……)


 彼女は向日葵のように笑う人だった。



 玲は清川男爵の愛人の子として生まれた。

 男爵には愛人が複数いたが金払いはよく、玲は下町の小さなマンションで普段は母と日々おだやかに、金銭的には何不自由なく暮らしていた。

 母は月に何度か美しい和服に身を包んで外泊した。その間、子供だった玲は隣の親切な親子に預けられ、母を見送ることになっていた。

 親切な家族は置いて行かれる玲を気の毒がっていたが、玲自身は寂しいとは思わなかった。家族には玲より十歳ほど年上のひとり娘がいて玲は彼女になついていたので、むしろ母の外泊を楽しみにしていたくらいだ。


 一緒にご飯を食べ、お風呂に入り、髪を乾かしてもらったり、くだらないテレビをソファーでみながら、冷たいジュースを飲んだり。

 宿題を見てもらったり、キャッチボールをして遊んだり。

「おねえちゃん」と呼びかけると、彼女はいつだって「なぁに」と微笑み返してくれた。

『おねえちゃん』は玲に優しく、玲は『おねえちゃん』が大好きだった。

 このままの平凡な毎日が、永遠に続くと信じて疑わなかった。



 だが玲が小学校高学年になったころ、おねえちゃんがいなくなった。

 聞けば『貴族さまの養子』になったのだという。

 なぜ一人娘が養子に行ってしまうのか。玲はわからず、ただなんの話もなく置いて行かれたことに傷ついて――そう、失って初めて気が付いたのだ。

 おねえちゃんは玲にとって、『母』であり『姉』であり『先生』であり、『初恋の人』だったのだと。

 母ですら与えてくれなかった、日々の幸せをくれたのは、彼女だけだったのだ。

 喪失の哀しみを知った玲は少しだけ大人になった。


 そしてその一年後――玲は清川男爵の家に正式に引き取られる。

 母親に「いやだ」と言ったが当然聞き入れられず、通い慣れた下町の小学校から名門私立に転校することになった。

 幼い玲は、貴族の子弟が集まる学校で苛められたらどうしようと怯えたが、妾腹の子など珍しくもなんともないことをすぐに知った。

 貴族社会においては、当主の子はみな平等だといえば聞こえはいいが、結局そこに本人の意思など関係ないのだ。

 男爵は多くの愛人の生んだ子の中から、『使える駒』として玲を選んだだけ。

 だから玲は、当主が敷いたレールの上を歩き、足元ばかりを眺めながら前を見ることも振り返ることもなく、持ち前の器用さで一度も転ばずに、足を交互に出すことしかできない。


(でもまぁ、それも楽な生き方だよね)


 と、玲はすべてを受け入れていたのだった。


 だが、ある日。高校生になって、ひさしぶりに下町で暮らす母に顔を見せた玲は、思わぬ形で『おねえちゃん』と再会することになる。

『貴族さまの養子』になったはずのおねえちゃんが、小さな骨壺に納められて実家に帰ってきていたのだ。

 自死したのだという。そして不名誉だから、貴族の家から帰されたのだと――。

 同じ女として思うことがあったのかもしれない。

 葬式に出席したと言う玲の母は、ひとりキッチンでビールを飲みながら泣いていた。


「あの子、とってもきれいな子だったでしょう。だからその評判を聞きつけた貴族の養子になって、竜王さまの後宮に入れられたみたいなの……でも、きれいだからっておなさけを頂けるとは限らないからね……プレッシャーに負けちゃったのかもしれないね……」


『おなさけ』という言葉が、玲の頭の中で響く。

 テーブルの上にかけてあったビニールクロスに夕日が当たってまぶしい。母の痩せた頬から涙が零れ落ちるのがスローモーションのように見える。


 その後の記憶はあいまいだ。


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