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天国じゃないところ


 その手は大きかった。六華の頭などリンゴのように簡単にひねりつぶせそうなくらい大きかった。常日頃、能天気が形をとったような女だと言われている六華だが、まったく理解できない存在の登場に本能的に怯えたのだった。


『――』


 するとそれはゆっくりと手を下ろす。六華に触れるのをあきらめたようだ。


(あれ……?)


 ビクビクしていた六華は直視しないよう目の端でそれを見つめていたのだが――。


 ピピピ……。チチチ……!


 突然、鳥の声が大きくなった。黄色、赤、緑などの美しい羽根を持った鳥たちが六華の前に羽ばたいてきたかと思ったら、頭上からひらひらと何かを振らせる。

 なにかと思い拾い上げると、それは黄色の花びらだった。


「お花?」


 驚いて見上げると、熱心に鳥たちが色とりどりの花びらを落としていく。

 まるでフラワーシャワーだ。


「えっ、ええっ……?」


 六華が戸惑っている間に、あっという間に六華の周りは花が敷き詰められていた。そして一仕事終えたと言わんばかりの鳥たちは、何事もなかったかのように飛んでいく。

 ふと見ると、目の前の黒い影の髪にも、たくさんの花びらが飾られていた。

 途端にメルヘンな世界観に変貌してしまった。

 ついさっきまで未知の存在に怯えていた六華から恐怖が消えていく。


「ふふっ……」


 自分は何に怯えていたのだろうと全身から気が抜けた。

 もう怖くないという気持ちを込めて微笑みかけると、目の前の影はもう一度ゆっくりと手を挙げた。


「あ」


 六華はそれを見て目を丸くする。

 大きな手の先には、濃い紅色のねじれた葉のような花弁が咲いている。

 六華はこの花を知っていた。樹が持っている熱帯雨林の図鑑で見たことがある。

 ブーゲンビリアだ。


「ありがとう」


 これは間違いなく好意だろうと、受け取るために手を伸ばしたら、ブーゲンビリアを持った手は六華の頬に向かい、そっと耳の上にねじ込まれる。


「っ……!?」


 驚いた六華が硬直すると、手は離れてまた髪の中に納まってしまった。

 さっき自分が驚いたせいだろうか。どこか居心地が悪そうにも見える。

 六華はゆっくりと体勢を整えて、四つん這いになりながらそっとそれに近づく。


「――さっきは驚いて、ごめんなさい……」


 謝罪の言葉を口にしながら、長いカーテンのようになっている髪をかき分け、その奥を覗き込んだ。


「あ……」


 鍛え上げた鋼のような体は、一部分――頬から首、その下の肩が黒い鱗に覆われていた。髪に覆われた顔は影になりよく見えないが、深く切り込んだような吊り目ぎみの目がルビーの様に赤く光っているのが見える。


(きれいな色……)


 これは人に似ているが人ではない。

 別次元の存在だ。

 六華はその赤い目に吸い寄せられるように体を近づけ、鱗に覆われた頬のラインを指でなぞる。

 もっと近づきたかった。

 近づいて、知りたくて――。

『背中に頬を寄せてみたい』

『両腕でぎゅっと抱きしめてみたい』

 本能が甘く痛くうずき始めると同時に、六華ははっと息をのんだ。

 自分がこんなふうに恋慕う相手は、この世にただひとりしかないではないか。

 まさか……。

 六華の心臓が早鐘を打ち始める。喉が急に乾いて眩暈がした。


「――く、が……さん?」


 グル……ル。


 六華の問いかけに、それはうなり声をあげながら立ち上がる。あっと思った次の瞬間、六華の体はそのまま抱き込まれて、花びらの絨毯の上に押し倒されていた。

 彼の髪がバサッと上から降りてきて、周囲の光をカーテンのように遮断する。

 そしてそのまま流れるような自然な動作で、六華の首筋に顔をうずめてしまった。


「わああっ! ちょっ、ちょっと待って……!」


 急すぎて気持ちがついていかない。

 六華はじたばたと暴れたが、残念ながら彼はびくともしなかった。

 首筋に吐息が触れる。


「あっ……」


 六華が身じろぎすると、唇だろうか。柔らかい感触が耳に触れた。


『……り、っか……り、か……』


 たどたどしい声が注ぎ込まれる。

 まるで祈りのようだ。

 そしてそれは確かに久我大河の声によく似ていて、


「あ……そんな……まさか……本当に?」


 姿かたちがまるで変ってしまったが、久我大河なのではないかという疑問は、一気に確信へと変わっていた。


(こんなこと、自分の頭では予想できない……)


 いつも見ている夢の様に、まぁそういうものだろうと納得することもできない。

 だとしたらここは天国ではない。現実なのだ。


「私を……助けに……来てくれたの……?」


 六華の目がじんわりと潤む。

 どうやってここに来たんだとか、なぜそんな姿になっているのかとか、疑問は次々と湧き上がって来るが、それでも六華の心は大河に会えた喜びでどうにかなってしまいそうだった。

 六華は寝ころんだまま、両手で頬を包む。

 触れてみてわかったが、頬の半分と顎のラインは鱗に覆われているが顔の中心部は人肌のぬくもりがあるのだ。

 だがそんな六華の行動に久我大河は嫌そうに顔をそむけて上半身を起こそうとする。もしかしたら見られたくないのかもしれない。


「大丈夫だから……」


 六華はささやいて、両手で彼のたっぷりと長い黒髪をかき分けて耳の後ろへと流していく。

 はらはらと落ちてくる髪の奥から、次第に彼の姿があらわになっていく。

 すべてが明らかになった時、

「ああ……」

 六華はほっとしたように笑った。


 人であった時よりも目は吊り上がり、赤く光っていたけれど。

 ぶっきらぼうででもたまにストレートに好意を告げる唇の中の歯は、尖っていたけれど。

 自分を見つめる迷子の子供のような目はなにも変わっていない。

 そう、なにもだ。


「やっぱり久我さんだ……会いたかった……よかった……」


 こんな状況でまた能天気だとあきれられるだろうか。

 六華はぽろぽろと泣きながら、それでもえへへと笑う。


「久我さん……私、あなたが好きです……ずっと、前から……好きだった……」


 そして冷たい竜の鱗と熱い人肌の頬を両手で改めて包み込み、頬を傾けて唇を押し付けていた。そうせずにはいられなかったのだ。


(しょっぱい……)


 泣いているのは自分だけのはずなのに、かさついたキスからは涙の味がした。



ブーゲンビリアの花言葉は「あなたしか見えない」

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